37.この後暫く未来からの連絡は未読スルーされた。
暫くの間黙り込んでいた未来だが、ぽつりと、
「ちょっと待ってろ」
と呟くようにして告げると、ポケットからスマートフォンを取り出して二、三操作をする。少しの間、その画面を見ていたが、やがて、再びいくつかの操作をすると、先ほどタブレットを置いたチェストの上にぽんと置く。
「あの」
俺が意図を尋ねようとすると、未来は唇に人差し指をあてて「しー」と、止める。やがて、それとほぼ同じくらいのタイミングでスマートフォンから、
『…………仕事中に何?』
女性の声だった。かなり低めの声だ。誰だろう。聞き覚えがあるような、無いような。
未来が、
「なんだなんだ。声が低いぞ。そんなんだからいつまでたっても結婚出来ないんだぞ?」
『…………チッ』
舌打ちだった。割とガチ目の。
少し間があいて、先ほどより少しだけ高めの声で、
『で、なに?』
可哀そうに。きっと気にしてるんだろう。だけど、そんなことまで踏み込んでも電話を切られない相手ってことは相当仲が良いのだろう。未来をこの学校に導いた旧知というのはこの人、なのだろうか。
未来はあくまで淡々と、
「ちょっと聞きたいことがあってな。千代は馬部碧という名前の生徒に心当たりはないか?」
『馬部って……美術部の?』
「そう……なのか?」
未来は俺に聞いてくる。スマートフォンからは『そうなのかってどういうことよ』という言葉が聞こえてくる。多分、向こうには俺にも話が聞こえていることは伝わっていない。
きっとそれを知ったら驚くだろうなぁ。いや、驚くではすまないかもしれない。だってさっきの舌打ちが生徒に聞かれていたってことになるわけだから。嫌な大人の一面ってやつを、だ。
俺は縦に首を振る。せめてもの温情だ。これで向こうには俺がいることが伝わらな、
「そうらしいぞ。ここにいる、可愛い新入生君が教えてくれた」
なんで言っちゃうかなこの人。
いや、多分これ、狙ってのことだ。恐らく千代と呼ばれた電話先の教師と、未来の力関係は基本的に後者の方が強いんだ。うーん。なんとも不憫な千代先生。誰か分からないけど。
そんなこちらの推測をよそに、スマートフォンからは、
『はぁあああああああ…………』
幸運がこの世の果てまで飛んでいきそうな、長―いため息。ううん、不憫だ……
また、少しの間があったのち、
『美術部の馬部さんなら知ってる。と、いうか、知らないのミクくらいじゃないの』
未来はさらりと?
「そうか?」
『そうよ。全く……また、行くところなくなるわよ』
「ごめんよ、千代ちゃん」
『はぁ…………っていうかちよちゃんって呼ぶな』
「それなら私のことはドクター・イハラと呼びたまえ」
千代は再び溜息をついたのちに、一つ前のやり取りは完全に無視をして、
『……で、その馬部さんだけど、一昨年、私が担任として受けもってるわね』
「ほんとか?」
『ええ。その時は……そうね……独特な感覚を持ってる子だなとは思ったけど、特段変なことは無かったわ。ただ、』
「ただ?」
『……ただ、文化祭の辺りだったかしら。ほら、うちの文化祭って自主的に行われるコンテストみたいなのがあったりするじゃない?その中にね、絵のコンテストがあったのよ。お客さんに投票してもらうシステムで、一位にはそれなりの商品が出るんじゃなかったかしら』
「それで、一位になったのか?」
『ううん。準優勝。もちろん、馬部さんの絵も素晴らしいものだったわ。けれど、今はもう卒業しちゃった、三年生の子が一位だった』
千代はそこまで述べたのち、
『……そういえば、あれから馬部さんが表立って活動したって話は聞いてないわね……』
「ありがとう。参考になったよ」
『どういたしまして……で?なんでそんなことを聞いてきたのかしら?』
糾弾する千代。未来はそれをさらりとかわすように、
「まあ、些末なことだよ」
暫くの間が空いたのち、
『……それじゃ、私はちょっと、あなたの過去を学園長に教えてくるわね。それじゃ』
「まった、話す。話すからそれだけはやめろ」
弱ええ。今までの力関係が嘘のようじゃないか。これはあれだな。きっと千代先生がタチだな。この二人が百合的恋愛に発展すれば、の話だけど。でも可能性はゼロじゃないと思うんだよね。俺。
千代はひとつため息をついて、
『で?なんでそんなこと聞いてきたの?』
「それはだな……」
そこから暫く、未来がここまでのいきさつをかいつまんで説明した。馬部碧が色覚異常を抱えている可能性があること。そのことを俺こと笹木華が心配している風だということ。なその解決のために情報を集めようと思ったことなどについて。
千代はその間ずっと沈黙していたが、一通りの説明が終わった段階で、
『……その心因性っていうのは、人間関係なんかも原因に含まれるわよね?』
尋ねる。未来はいたって真剣に、
「そうだな。友達関係、親子関係。そういった人間関係も原因として考えられるはずだ」
それを聞いた千代は暫く黙りこんだ後、
『関係があるかは分からないんだけど』
と、前置いた上で、
『うちの学校では毎年一回、担任が親御さんと面談するっていうきまりがあるの。だけど、現実には遠方に実家がある子も多いから、電話とか、場合によってはネット通話での面談っていうことになることもあって。それで、肝心の馬部さんは、その面談が電話だったんだけど、その時のことをちょっと思い出したのよね』
「具体的には?」
『そうね……なんというか、期待する方向性と、実際の馬部さんの目指す方向が違う、といえば良いのかしら。私が担任になったときの馬部さんは割と、絵の道に進みたがっているイメージが強い子だった。けれど、親御さんは、その絵についてあんまり興味がなさそうだったのよ』
「興味が無い?」
『ええ。電話でしかお話をしていないから言い切るのも良くないんだけど、「絵ばかり描いていて心配」とか「子供の頃とは違う」とか、そういう言葉があったからちょっと気になったのよね。あの時は「碧さんのやりたいことを尊重してあげてくださいね」とだけお伝えしたし、実際に馬部さんはその後も美術部で絵を熱心に描いていたと思うんだけど』
未来が言葉を継ぐようにして、
「一年生のコンテストを境に、活動が止まっている、と」
『ええ。私ももう、担任でもないからあまり詳しいことは分からないんだけど、少なくとも私の知ってる馬部さんだったら、学校外のコンテストか何かに参加してても全く不思議はないと思うんだけど、そういう話は聞いたことが無いのよね』
未来はやや重たげな雰囲気で、
「分かった。ありがとな千代ちゃん。参考になった」
『どういたしまして……っていうか誰が千代ちゃん』
聞こえてきたのはそこまでだった。何故なら会話の途中にも関わらず未来がスマートフォンの通話を切ってしまったからだ。不憫だ……きっと今頃憤慨していることだろう。かわいそうな千代先生。顔は知らないけど。
次回更新は明日(9/27)の0時です。




