Episode1-2 くっつくことはない。離れることもないけど(サイラスとアネット)
私が生まれたのは、辺境のリスター領の中でも特に端っこにある小さな村だった。
物心ついたときには父はおらず、母と二人で暮らしていた。母や近所の人曰く、父は仕事中の事故で亡くなったそうだ。父は建築の仕事をしていて、村では一番頼りになる男だったと。
母の両親――私の祖父母はリスター家に仕えており、母も元はリスター家のメイドだった。そして、たまたま仕事で伯爵邸の近くに来ていた父と知り合い、恋に落ちた。
母は父と結婚したいと祖父母に伝えたが、相手にもしてもらえなかったそうだ。
それは父がかなり貧しい家庭の生まれであり、学がなかったから。字は少し読むことができる程度。書くことはまったくできなかった。
祖父母は母に幸せになってもらいたかった。そんな学のない男との結婚なんて――と突っぱねた。
こうしたら母が諦めると踏んでいたのだろう。だが、母は駆け落ちした。父と共にリスター領の端っこにある小さな村で、慎ましく暮らすことを選んだ。
両親がこういうなれそめだったので、私は祖父母の顔も名前も知らなかった。むしろ、知る必要もなかった。
母と優しい近所の人たちと暮らすことが出来たら――と思っていたのに。母は病で亡くなった。私が十一歳になる前の月だった。
『いい、サイラス。もしかしたら、あなたの祖父母が迎えに来るかもしれない。そのときは、これを見せなさい』
母は亡くなる三日前に私にブレスレットを握らせた。
それは母が毎日欠かさず身に着けていたもので、両親との思い出の品だと語ってくれたものだった。
母の葬儀が終わり、三週間ほど経った頃。村に一組の老夫婦が訪ねて来た。
老夫婦は私の顔を見るなり驚愕の表情を浮かべて駆けてきた。
『――あなたがサイラス?』
声をかけられて、私はうなずいた。
二人の衣服はとてもきれいで、この人たちは自分と違うところにいる人物なのだと幼心に悟ったものだ。
夫婦は村長と半日ほど話をして、私の元にやってきた。
それから、私に手を差し出したのだ。
『私たちはあなたの祖父母です。サイラス、私たちの元に来てくれないかしら?』
「――で、あなたはこのリスター家にやってきたと」
アネットの言葉に私はうなずいた。
「えぇ。ここでの生活は充実していましたよ。祖父母も優しかったですし」
当初、祖父は私を自身の後継者にするつもりはなかった。が、私が祖父の仕事をじっと見ていたため、興味があると思ったらしい。
「祖父はおだてるのがとても上手だったんですよ。幼い私は調子に乗って、祖父の跡を継ぐことを決めたんです」
もちろん、執事が務まる能力や技術がなければ、後を継ぐことはできない。
祖父は私を褒めつつも厳しく指導した。それこそ、ちょっとのミスも許されなかった。
『サイラス。執事というのはその屋敷の使用人をまとめる存在だ。ミスをしたらたくさんの人が困ってしまう。わかるね?』
とてもよく怒られたが、そのたびに祖母が慰めてくれた。
それに、ダメな理由をきちんと説明してくれたため、祖父を嫌いになることもなかった。
「そして、旦那さまが家督を継がれることになったとき、私も祖父から執事の立場を受け継ぎました」
残りの余生は先代夫婦と過ごす~とこのお屋敷を出て行った祖父母。以来、度々手紙のやり取りを交わして――三年後に祖母が、さらに二年後には祖父も他界した。
「私は、私を育ててくれた祖父母に感謝しております。祖父母孝行は満足にできませんでしたが」
心残りは二人に恩返しができなかったことだ。
母を亡くし、独りぼっちになった私を育ててくれた祖父母。
厳しくも温かく、私は寂しさを覚えることもなかった。
「だから、クレアとマリンを育てることにしたのね」
「……は?」
しかし、どうしてそこがつながるのだろうか。眉間にしわを寄せる私に、アネットはちらりと視線を向けた。
「あなた、無自覚かもしれないけど自分とあの子たちを重ねたのでしょう? 両親がいないあの子たちが可哀想でたまらなかった。だから、祖父母がしてくれたことを自分もしようって思ったんじゃない?」
そんな立派な理由なんて、なかったはずだ。
私はただ、自分に腕の中で笑いかけてくれた二人の赤子を放っておけなかっただけだ。
「ま、クレアもマリンも、あなたのことを信頼してるし、父親だってしっかり思っているわ。感謝もしてる」
まさかそれをアネットから聞くなんて。
「父親に相談しにくいデリケートな部分は私がサポートするから心配しなくていいわよ。いっそ、本当の母親になってやろうかしら?」
「……ご冗談を」
「ふふっ、そう聞こえる?」
彼女は男に懲りている。
そもそも、本当の母親になるなんてあの子たちに言ったらとんでもない勘違いをされるだろう。
「クレアとマリンに言ったら、私と結婚するのだと勘違いされますよ」
「ふぅむ、それもそうか」
アネットは結婚に懲りたと言っていた。二度目の結婚なんて頭の片隅にもないだろう。
「けど、あなたとなら上手くいきそうな気もするわ。いっそ、本当に夫婦になる?」
「無理ですね。私たちはこれくらいの距離感だから、互いを尊重していられるのです」
夫婦になんてなったら、どんなことになるか。
……それに、私は今のこの関係が案外好きだ。
「私とあなたは、この関係じゃないと穏やかではいられませんよ――」
私は彼女とくっつくつもりはない。
ただし――離れるつもりも、今のところはないのだ。
【END】
サイラスとアネットの小話でした。
ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございました!