第39話 女神の策略(3)
この度コミックス第1巻の重版が決定したそうです。
ありがとうございます!
彼女の目が大きく見開かれた。
……私がこんなことを言うのが予想外だと、ひしひしと伝わってくる。
「許すのって、人が言うほど美徳じゃないんだと思います」
私はお父さまを許さないし、お義母さまも許さない。イライジャさまのことだって許すつもりは毛頭ない。
「じゃあ、おぬしは何故救おうとする」
眉を吊り上げてそう問いかけられた。
「自分の身を犠牲にしてまで、どうして救おうとする。意味が分からん。矛盾しておる」
「……そうですね。でも、この世の中は思うほど腐ってないんだと思います」
私は十八歳まで、すごく辛いところにいた。
でも、そこから救いあげてくださった人がいる。
そりゃあ、初めから好意的だったわけじゃない。辛く当たられたこともあった。
だけど、そういうことも含めてそれでいいって思える。
「いい人もいれば、悪い人もいる。それに、悪い人の所為でいい人がとばっちりを受けるなんて、バカげてます」
「……うぬ」
「私のこの考えは、所詮は私のものです。……押し付けようなんて、思ってはいません」
むしろ、そんなことおこがましくて思えない。
押し付ける気もない。彼女を救うつもりもない。だって、そんなの私に出来るわけがないから。
「ただ、私はあなたさまに寄り添いたい。だって、あなたさまに寄り添えるのは、今は私しかいないから」
その目をしっかりと見つめてそう言えば、彼女が唇を噛んだのがわかった。
「……偽善者」
そして、ぽつりとそう言葉を零す。
「そんなの所詮は偽善じゃろう。博愛主義者じゃないと言っておきながら、博愛主義者みたいなことを言う」
女神さまが、ふんっと鼻を鳴らされた。
「大体、どうしておぬしはそんなことが言える。……おぬしが一番、被害を受けた。怒っていいはずじゃ」
「怒ってますよ」
彼女の問いかけに、私はあっけらかんと答える。女神さまが、目を見開いた。
「怒ってます。えぇ、とっても怒ってます。お父さまやお義母さま、元婚約者のイライジャさま。そして……私自身にも」
……全部を他人の所為になんて出来ない。
「異母妹のエリカを歪ませた一人は、私でした。……あの子の心に少しでも寄り添っていれればと今でも思います」
愛されているように見えたエリカは、私よりもずっとずっと、孤独だった。
彼女はずっと悲鳴を上げていたのだ。それに気がつこうとしなかった私はあの子を歪ませた。
「……生き物は誰でも、何処かでミスをします。相手を傷つけます。けれど、肝心なのはその後どうするかだと思います」
謝るなり、償うなり。
そこが重要で、全部滅ぼして「はい、終わり」となっても誰も救われない。
……きっと、その選択を取れば女神さま自身の心にも暗い影が宿ると思う。
「私は誰彼構わず救いたいわけじゃない。……それでも、救いたい人はいる」
それが、私の心の底からの本音。本当の気持ち。
女神さまを見つめる。彼女は何処か苦しそうな表情を浮かべていた。
私は彼女のほうに近づいて、腕を伸ばす。……こういうこと、していいのかはわからない。
「私は、女神さまじゃない。だから、あなたさまの葛藤は、苦しみは、わからない」
「……それは」
「けど、あなたさまが今まで見てくださったこの国は、そんな悪いことばかりじゃなかった……と、思います」
そんな腐ったことばかりじゃない。
いいことだってあっただろうし、嬉しいことだってあっただろう。
「……バカじゃな、おぬし」
しばらくして、女神さまがそう言葉を発した。彼女の声は何処か震えている。
「メラニーそっくりだ。……あいつも、似たようなことを言いおった」
「……そりゃあ、血がつながっていますから」
「全部、もうどうでもよいわ」
小さくそう吐き捨てられた言葉。驚く私の腕の中から、彼女が抜け出す。
「……間違えるよな、そりゃあ、誰もが」
ぽつりと零された言葉は、私の耳にもしっかりと届いた。
「今回ばかりは、見逃してやる。……ただし、次はないからな」
女神さまが私のほうを見つめて、そう告げられた。
……私は大きく頷く。
「はて、じゃあ、少し寝る」
すたすたと祭壇のほうに歩くその姿は、凛々しい。
私が彼女に見惚れていると、彼女は最後とばかりに振り返った。
「――シェリル、おぬしが好きだ」
「え……」
「案外芯の強いおぬしを、気に入ったわ。おぬしを、おぬしの子孫を。……見ていたい」
それは、彼女の最後の言葉だった。
ぶわっと大きく吹いた風。目を開ければ、もうそこに女神さまはいない。
……そして、私は……その場で、意識を失った。




