表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

162/173

第35話 前夜(1)

 移動を終えた日の夜。


 私たちは夕食を終え、各々の時間を過ごしていた。


 ロザリアさんとアネットさまは、最寄りの街に出向いている。なんでも、魔法薬に使える珍しい材料があるとか、なんとか……。


 私はお二人を見送って、与えられたお部屋のソファーに腰掛けていた。


 お部屋の隅にはサイラスがいる。旦那様がこの邸宅の管理人とお話をなさっている今、一人じゃ寂しいので私がお願いしていてもらっている。


 申し訳なさそうに言えば、サイラスは「いえいえ」と言ってくれて。彼は私が落ち着くようにと紅茶まで淹れてくれたのだ。


「奥様。……不安は、尽きませんか?」


 サイラスが私のほうに近づいて来て、そう問いかけてくれる。


 手に持つティーカップの水面を見つめて、私は控えめに頷いた。


「えぇ、やっぱり……ほら。初めてのことだし」


 私の口から出たのは、驚くほどに弱々しい声だった。


「それに、私に全部が懸かっているのだと思うと……その、重荷が」


 今、神官の人たちは必死に儀式の準備をしている。ロザリアさんとアネットさまが材料を買いに出向いたのは、私に万が一のことがあったときのためだということも、実は知っていた。


 彼女たちはせっかくだし……と言っていたけれど、こっそりと話しているのを聞いてしまったのだ。


(申し訳ないと思ってはダメ。……その恩に報いようと思わなければ)


 あれだけ馬車の中で泣いたのに、どうしても怖くなってしまう。


 その所為で夕食もあまり喉を通らなかった。せっかく美味しそうだったのに。


「さようでございますか。……私には、儀式のことがよくわかりません」


 ゆるゆるとサイラスが首を横に振ってそう言う。……サイラスは、なんでも知っていると思っていたのに。


 知らないことがあるなんて、本当に意外。そういう意味を込めて目を瞬かせれば、サイラスがふっと口元を緩める。


「私にも知らないことくらいありますよ。そして、私がいくら予想しても、そのレベルを超えるものだってあります」


 サイラスが穏やかな声でそう言う。私はぽかんとする。


「例えば……そうですね。予想以上に旦那様がヘタレだったとか。そういうことでしょうか」

「……そう、なのね」

「えぇ、もう少し男らしいところを見せるかと思ったのですが。本当に、あの頃はやきもきしていましたね」


 それはきっと、私がリスター家に馴染み始めた頃のことだと思う。


 使用人たちが私のことを受け入れてくれて、旦那様とくっつけようとしていたとき。今思えば、本当に懐かしい。


 ……まだ、一年と少ししか経っていないはずなのに。


「私は、本当に奥様に感謝しております」


 不意に真剣な声音で、サイラスがそう伝えてくる。私は彼の目を見た。真剣な色をした目だった。


「あのままでは、旦那様は過去のトラウマを乗り越えられず、ご両親との仲もこじれたままだったと思います。それに……その。クレアやマリンも、ここまで楽しく働けていないと思うのです」

「……サイラスは、二人の養父だものね」

「えぇ、僭越ながら。……可愛い娘たちですよ」


 サイラスは若い頃に捨て子だった二人を拾って、自身の娘として育て始めたらしい。


 彼はリスター家の使用人の助けがあったからこそできたことだと言っていた。……でも、クレアとマリンを見ているとわかるのだ。


 彼女たちはサイラスを本当に慕っているのだと。


「目に入れても痛くないとは、このことなのでしょうね」

「……そうなんだ」

「はい。きっと奥様もお子が出来ればわかりますよ」


 ……その言葉が、嬉しかった。だって、彼はさも当然のように私が戻ってくると言ってくれている。


 私がリスター家に戻ってきて、一緒に暮らしている未来を口にしてくれている。


「……旦那様は、きっと子供には甘いわ」

「さようでございましょうね。特に娘なんて生まれれば、デレデレになる気がします」

「ふふっ、目に見えるようにわかるわ」


 もちろん、貴族に生まれた以上、一番に望まれるのは跡継ぎの誕生。つまり、男の子が生まれることだと思う。


 けど、どっちが生まれても可愛いだろう。元気に育ってくれれば、私はそれ以上望まない。


「常々クレアやマリンと言っているのですが、娘の場合旦那様要素は必要ありませんね。奥様にそっくりなのが、望まれます」

「……私は、そうは思わないけれど」

「いえいえ! 旦那様の要素なんてもうこれっぽっちもいりませんからね」


 そんな風に話していると、少しずつだけれど心が軽くなる。


 サイラスはそれがわかっているんだと思う。わざとこんなお話をして、私の気を逸らしてくれている。


「……ありがとう」


 ぽつりと口から零れたお礼に、サイラスが目を細めてくれた。


「私のことを、受け入れてくれて」


 初めはどうなるかと思ったけれど、私はここに来れて間違いなく幸せだ。


 それだけは、断言できる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ