第34話 旅路(2)
「奥様との様子を見ればわかるわ」
「……そう、でしょうか?」
「えぇ、そうよ。あいつには年下がいいのよ」
ころころと笑いながらアネットさまがそう言う。……アネットさまがそう言うのならば、そうなのだろう。
「それに、私、正直もう結婚とかこりごりだし。今後はのんびりと田舎暮らしが目標よ」
「アネットさんって、派手なのに何処か庶民派ですよねぇ。都会が似合いそうなのに」
「都会は騒がしいもの。ロザリアさんも、ある程度年齢を重ねたらわかるわ。田舎のほうがいいって」
お二人はそんな風に会話を交わす。この中で一番年下なのは私なので、ちょっと話についていけない。
だから、暇つぶしとばかりに窓の外を見つめた。すると、視界の奥の奥に不思議なオーラを醸し出す建物があって。
「……あれって」
ぽつりとそう呟けば、アネットさまが私の視線の先を追う。そして、頷いてくれた。
「あれは神殿に隣接する建物。いわば、管理人が住んでいる場所よ」
ということは、その横には神殿があるのだろう。……今更だけれど、少し緊張してきたかもしれない。
「儀式自体は明日の夕方からだし、今から緊張していては身が持たないわよ」
「……ですが」
アネットさまの言葉は正しい。儀式の開始時刻までは一日以上ある。
つまり、今は緊張するべきときじゃないっていうこと。
「上手く行くかいかないか。それはあなたの力と言うよりは、女神の機嫌次第だもの」
「そうですよ。女神さまの気の向くままです」
……それはそうなのだろうけれど、それだとちょっと困る。
だって、そうじゃない。私はこの日のために努力をしてきた。神官たちだって、この日のために準備をしてきたというのに。
そんな、女神さまのご機嫌次第で失敗だなんて……。
膝の上に置いた手に、ぎゅっと力がこもった。それを見たアネットさまとロザリアさんが顔を見合わせる。
それから、ふっと笑い合っていた。
「大丈夫ですって。……私の知識は全部授けましたし」
「……一応、私も魔力を預けたしね」
ロザリアさんが手を伸ばして、私の手に自身の手を重ねられた。
そっと重ねられた手が温かくて、涙腺が緩みそうになる。これは、悲しいからではないのだけれど。
「大丈夫ですよ、奥様。……あなたに女神さまの加護があるように、お祈りしておきます」
身を乗り出して、ロザリアさんが今度は私の身体を抱きしめる。馬車の床に膝をついて、絶対に痛いだろうに。
それなのに、彼女はこうして私の不安を和らげようとしてくれている。
「……明日には、クレアさんやマリンさんも駆けつけてくれるわ」
アネットさまがなんてことない風にそう言ってくれる。
「ここにはいないけれど、リスター家の使用人たちはみんな味方ですよ。それに、領民たちからもいろいろと贈り物……というか、お守りが届いておりますもの」
旅に出る前。確かに、敷地の前にたくさんの領民たちが集まってくれていた。
小さな子供からお年寄りまで。私の無事と儀式の成功を願ってくれていた。
「一人じゃ、ありませんから」
ロザリアさんが私の背中をぽんっとたたく。……じんとしたものが胸の中に広がって、涙が頬を伝った。
今までずっと張りつめていた緊張の糸が、ほどけた瞬間だった。
「……う」
「今のうちに、泣いちゃいましょうね」
優しく背中を撫でられていると、どんどん涙があふれてくる。
今のうちに涙は枯らしてしまったほうがいい。今のうちに不安は全部涙で流してしまったほうがいい。
わかっている。だから、私は無理に涙を止めようとは思わなかった。
「……ロザリア、さん」
「はぁい」
「……私、頑張ります、から」
ロザリアさんの背中に腕を回して、彼女の胸に顔を押し付ける。ロザリアさんは、笑っていた。
多分、手のかかる妹とかそういう風に見ていたんだと思う。
「……あなたたち、本当の姉妹みたいね」
私たちの光景を見ていたアネットさまが、小さくそう呟いていた。
それから、ふと思い立ったようにロザリアさんの背中に回る私の手に、触れる。彼女の手が私の手に重なる。
「どうか、奥様は純粋なままでいて頂戴。……私みたいに、ひねくれないで」
私はひねくれていないわけじゃない。本当はひねくれていて、嫉妬深い。
けど、今はそれを言うときじゃないってわかるから。私はこくんと首を縦に振って、アネットさまの言葉に頷いた。




