第33話 旅路(1)
試験が終わって、十日が経った。私は一昨日から舗装されていない荒れた道を、馬車で走っている。
車輪が石に躓いたり、車輪がぬかるみに嵌って大変なことになったり。そんな今までにないほどの旅路を送っている。
「少しはマシになりましたかねぇ」
私の対面の座席に腰掛けるロザリアさんが、息を吐いてそう呟く。
確かに、昨日の道に比べれば、今日は全然マシだった。なんでも、昨日の道がここらで一番荒れているとか、なんとか……。
「そもそも、神殿に向かうのにこの道しかないのがおかしいのよ。……もう少し、整えたほうがいいんじゃない?」
ロザリアさんの隣に座るアネットさまが、露骨な溜息をついてそう零した。
この馬車には、私とロザリアさん、それからアネットさまが乗り込んでいる。旦那様とサイラス、神官は別の馬車。
「うーん、どうなんでしょうねぇ、アネットさん。ここら辺は別の貴族が管理しているみたいなので……」
「じゃあその貴族を動かせばいいじゃない。全く、ギルバートってそういうところには目を向けないんだから」
アネットさまはそう言うけれど、旦那様はとてもお忙しくされていた。領民からの要望を叶えるだけでも、相当の時間をかけていた。
それに、辺境を管理されているとはいっても、細かいところはその領地を持つ貴族に任せていらっしゃる。だから、この土地を管理している貴族から助けを求める文書が届かない限り、どうすることもできなかったんだと思う。
「旦那様、お忙しくされていましたから……」
ぷんすかという効果音が聞こえてきそうなアネットさまに、私はそう言ってみる。すると、アネットさまは私に視線を向けてきた。そして少し呆れたような声音で「あのね」と言う。
「言っておくけれど、大概の男なんて甘やかしたらダメになるのよ。……ギルバートのことを甘やかすだけじゃ、ダメよ」
「……甘やかす」
そのつもりはないんだけれど……と思いつつ、苦笑を浮かべる私。アネットさまは、頬杖を突く。
「私の元旦那も似たようなものだったのよ」
「そういえば、アネットさんの元旦那さんのお話、聞いたことがないですよね」
アネットさまの呟きに、私よりもロザリアさんが食いついた。何処か目をキラキラとさせたようなロザリアさんを見て、アネットさまが肩をすくめる。
「別にそこら辺に転がっているろくでもない男よ。価値観が合わずに離縁したの」
「……そこら辺に転がってるんですか?」
「奥様、食いつくところ違います」
私の呟きに、ロザリアさんが笑いながらそう言う。
そもそも、ろくでもない男とは。私のお父さまのことじゃないんだろうか。……と、言おうかと思ったけれど。
アネットさまは私のお父さまを知らないはずだから。言うのはやめた。
「ま、風の噂では不摂生が祟って寝たきりとか、そういう話は聞くけどね。でもまぁ、私にとってはもう過去の人よ」
「……へぇ」
そこまでしっかりと割り切れるのは、とてもすごいと思う。
……私は、イライジャさまのことをそこまでは割り切れていないから。
(ろくでもないお人だったというのは間違いないし、情を感じるような間柄でもないんだけど)
あのお人は、私を捨てて異母妹のエリカに乗り換えた。けれど、エリカが自身の目的の女性ではないと知ると、彼女のことも捨てた。結局、彼の追い求めていた女性は私だったのは皮肉なのだけれど……。
(最後に一発蹴りを入れたのが、懐かしいわね……)
……いい思い出ではない。ただ、あれが私にとって一つの決別になったのは、違いないと思う。
「その、一つ、聞きたいことがあるのですが」
ふと気になったことがあって。私は口を開いてみる。アネットさまとロザリアさんの視線が私に集中した。
「アネットさまにとって……旦那様は、もう過去のお人ですか?」
なんていうか、女々しい質問というか。絶対にないんだろうけれど、旦那様に未練があったら……って思うと、気が気じゃない。もちろん、何度もそれっぽいことは聞いているんだけれど……。
「ははっ、奥様って面白いわねぇ」
私の言葉を聞いて、アネットさまが笑われる。目元を拭う素振りを見せつつ、彼女は私をまっすぐに見つめる。
「過去の人もなにも、そもそも私、あいつのことそういう対象で見たことがないのよ」
「……え」
「手のかかる弟とか、そういう視点でしか見たことがないわ、残念ながら。あー、面白い」
ここまで笑うアネットさまを、初めて見たかもしれない。そう思う私を他所に、アネットさまは声を上げて笑われ続ける。
「親同士が決めた結婚なんて、そんなものよ。私はあの頃いろいろとあって、アイツの側から離れることを決めたけれど。……あの出来事がなかったとしても、私とギルバートは上手く行かなかったでしょうね」
「……そう、でしょうか?」
アネットさまほどの姉御肌のお人ならば、旦那様と上手くやっていけるような気もするんだけれど……。
そう思う私の考えなんて、アネットさまにはお見通しだったんだろう。彼女は「あのね」と言って唇に人差し指を当てる。