第26話 餞別
アネット様の考えがわからなくて、私はきょとんとしてしまう。
そんな私を気にすることなく、アネット様はその場にしゃがみこんで土に触れた。
「……ふぅん」
その後、彼女はそう呟く。
かと思えば、私のほうに視線を向けてきた。彼女の目は、優しそうに細められている。
「ここはね、先代の奥様が度々弄っていた場所なのよ」
「……え」
その言葉に、驚いた。
私のその態度に気をよくしたのか、アネット様が笑われる。綺麗な、笑みだと思った。
「まぁ、ギルバートはそのことも忘れているんでしょうけれど。……でも、なんだか懐かしいわ」
ぐるりとアネット様が周囲を見渡す。彼女の髪の毛が、ふわりと揺れる。視線をくぎ付けにするみたいで、不思議な感覚。
「私、あなたにいくつか聞きたいことがあったの。……いいかしら?」
少し窺うように前置きをするアネット様。しばらくして、私は頷く。
正直、アネット様が私に聞きたいことがなんなのか。それは全く想像がつかないし、わからない。
それでも。拒否する意味もなかった。
「ねぇ、奥様。……あなたは、一体どうしてそんなにも頑張るの?」
「……え」
予想外の問いかけに、私が固まる。アネット様は、気にした様子もない。私の反応が、おかしいのかもしれない。そう思わせてくるほどに、彼女は平常だった。
「ギルバートたちは例外としましょう。けど、この国を救うためだけにあなたが命を懸ける理由がわからない」
……その問いかけの返答に、困った。
だって、そうじゃないか。正直、私もその問いかけにどういう回答をすればいいかがわからないのだから。
「ギルバートに迷惑をかけたくないとか、そういうことじゃないんでしょう?」
「そ、れは……」
「それとも、役に立ちたいとか、そういうこと?」
……また、言葉に詰まる。
実際、初めの頃は旦那様のお役に立ちたいとか、領民の人たちの助けになりたいとか。そういうことだけだったんだと思う。
ただ、今は少し違う……というか。
「……多分、それもあるんです」
俯いて、口を開く。アネット様は、なにも言わずに黙っていた。
「旦那様のお役に立ちたいとか、そういう気持ちも確かにあります。……ないっていったら、嘘になります」
「……そう」
「それに、私は別に不特定多数の人たちを救いたいわけじゃない」
そこまで聖人じゃないし、出来た人間でもない。嫌いな人は嫌いだし、好きになれない人だって一定数いる。
「ただ、なんでしょうか。……私には、大切で大好きな人たちがいます」
「……うん」
旦那様をはじめとして、サイラスたち使用人。私のことを歓迎してくれた領民たち。
私にとって、大切で大好きな存在たち。
「……その人たちにも、大切な人がいます。……結局、人ってどこまでも繋がってるんだと思うのです」
私の持論だけれど、誰にでも大切な人がいて、大切な存在がいる。
「私が彼らのことを大切なように、この国の人たちも、誰かを大切に思っています」
「……つまり、あなたは誰一人として悲しませたくないと?」
「そういうお綺麗な感情じゃないと思います。ただ……うん、私は、悲しみたくないんです」
もしも、私がこの儀式に臨まなかったとして。それは誰かの不幸になる。その不幸を知った私は、罪悪感に苛まれてしまうと思う。
結局、そういうことなんだと思う。私は、自分の心を守りたいだけ……ということに、しておきたい。
「誰かが悲しむと巡り巡って私のほうに来ると思うんです。これは、いわば保身です」
「……ふぅん」
「ただ、頑張れるのはやっぱり大切な人たちがいるからですね」
苦笑を浮かべてそう言えば、アネット様は露骨にため息をついた。
その後、私の肩に手を置く。驚いて、彼女を見つめる。
「あなた、とんでもなくお人好しだわ。……まるで、あの子みたい」
「……アネット様?」
「あぁ、本当に私がばかだったわ。初めに感じたことは、真実だったのね」
なにかを呟きつつ、アネット様が首を横に振る。その態度を怪訝に思っていれば、アネット様は私の顔に自身のお顔をぐっと近づけてきた。
「あなたは、出来るわ。立派だわ」
「……え」
彼女の言葉の意味が、すぐには理解できなかった。きょとんとする私を見て、アネット様はくすくすと笑った。
「今までのこと、謝罪するわ。ごめんなさい」
アネット様が頭を下げて、そう言う。
私はぱちぱちと目を瞬かせた。
「なにを言っても言い訳になる。だから、深くは言わない。……ただ、あなただったら心配する必要はなさそうね」
「……アネット様」
そこまで言ったアネット様は、ふっと人差し指を空に向ける。瞬間、はらりと花弁が降ってくる。
それらは次から次へと降ってくる。一種の嵐のようだと思う。
「これは、私からの餞別よ。……頑張りなさい。私は、あなたを応援しておくから」
はらはらと降ってくる花弁には、確かな魔力がこもっている。……触れていて、わかる。温かくて、心地いい魔力だ。
「……これ」
花弁に触れると、それらは光となって消えていく。それと同時に、私の中に魔力が溢れてくるのがわかった。
……これは、魔力を移動させる魔法なのだ。それを、私は悟る。




