高校
「おう、咲田。はよー」
「ああ」
前の席の榊原に適当に挨拶を返し、席について鞄を開けて……もう一度閉じる。
榊原が怪訝な顔をした。
「?何やってんだ?」
「あー、いや忘れ物したなと」
正確には要らないものが入っている。
鞄の中を覗き込む素振りをして、中に潜んでいた小さな黒猫に、レノは小声で文句を言った。
夢オチでなかったことは今朝確認済みである。
「どういうつもりだよ」
「お約束のパターンでありんしょう。別に怪盗になれとか言いんせんよ」
「……」
この猫はどこでネタを仕入れているんだろう。
必要なものだけ取り出して、無慈悲に鞄のチャックを閉める。
「何忘れたんだ?」
「…昨日茜に借りたノート」
これは本当だ。
「うっわー、3組今日提出だろ、終わったな」
「…ちょっと話してくる」
「いってら。ってなんで鞄もってくんだ?」
「部室にも寄る」
適当に嘘をついて、先に渡り廊下から校庭に出る。
チャックを開けてひっくり返すと、猫が出てきた。
「昼間は寝ていんすし、構いんせんのに」
「教室移動とかもあるし、ずっと入ってられたら気が気じゃないっての。」
しかも、臭いもつく。
「捨てられたくないなら、日没戻ってこい」
「十二時辰でありんすね」
「…知らね」
古典でそんな時刻表記を習った気がするが、細かく覚えてなどいない。
深く考えるのをやめて、次の用事だ。猫も姿を見られたくないのか、さっさと茂みの方に消えていった。
今度は3組の教室に出向く。
躊躇せず自席で楽譜を読んでいる彼女に歩み寄って、声をかけた。
「茜」
「あ…咲田くん、おはよう」
「悪い。ノートの件昼に返す」
「え、うん。5限目だし良いけど……」
なんでわざわざ、という顔だ。
「…写し忘れたんだよ」
「じゃあ、昼練も来ない?」
「ああ」
昼休みに学校を抜け出して取りに行く、とは言わない。真面目ちゃんなので、止められそうだ。
ちなみに彼女は吹奏楽部だ。昼練は音楽室が共用なので、よく誘われるが、バリトンサックスの読みづらい譜面を代打で弾かされるのが面倒なので、適当に理由をつけて半分以上断っている。
昼休み、校門には警備員がいるので、運動場横の裏門から外に出た。もちろん校則違反だ。
監視カメラがついているが、今まで呼び出されたことはない。
自転車は目立つのでなんとなく使うのをやめた。
軽く走って往復丁度40分と、昼休みの尺ぎりぎりだ。
横断歩道の真ん中で顔を上げると、広告塔に大きな映像テロップが映し出されていた。
「……」
米国の大統領選の結果の速報。
結果次第で世界大戦にもつれ込むというのだから、メディアはその状況を連日トップニュースとして取り上げていた。
今夜あたり、最終結果が発表されるはずだ。
街角は普段より騒がしい。
(……?)
言葉にしづらい違和感を覚えて、少しの間立ち止まる。
(気のせいか…?)
信号に急かされて再び駆け出したときには、そのことは頭から消えていた。
ノートを回収して裏門に戻ってきたとき、片付けをしているサッカー部員と目が合った。
「咲田、また出てたのか。クリームパンだっけ」
「行列のタピオカミルクティーさ。この時間が穴場なんだ」
「甘いもん好きだなー、お前。つうか度胸ある」
「はは。じゃあな」
度胸とかは多分関係ない。頓着していないだけだ。
退学になると流石に困るので、イエローカードをもらえば自粛する、その程度の話である。
ノートを渡すと、茜は上目遣いに睨んできた。
「昼休み、どこにいたの」
「あー、これ、取りに行ってただけ」
タイミングよく予鈴が鳴ったのでこれ幸いに踵を返す。
席に戻るとスマホにメッセージが届いていた。
曰く、…『話したいことがあるから、今日一緒に帰りたいです。部活終わってからでいいから』
敬語が怖い。
(猫との約束と被ったな)
少し迷ってから、『分かった、でも多分、少し遅れる』と返信して、さっさと画面をオフにした。
部活終わり、最終下校時刻間近の人気のない校庭に寄ると、小さな黒猫が寄ってきた。
「明日はやめろよ」
「反応が面白うありんせんので、もうしんせん」
肩に乗るのをそのままに、暗くなった校門への道を歩き出す。
「それに、もう…」
耳元で微かに続けた言葉が聞き取れなかったが、その前に校門に着いてしまった。
物憂気に俯いていたはずの茜はレノの姿を見てぱっと顔を輝かせる。
「猫っ!」
片方の尾は隠し、ちょこんと肩に乗っている黒猫を見上げて、彼女は可愛い、と目元を緩めた。
「遅れるって、その猫?」
躊躇いながら、猫に手を伸ばす。
「あー…、そう。偶然拾ったのを、校舎裏に隠してた」
頭を撫でられた猫はなぜか尻尾でレノの背中を叩いた。嫌がっているようにもとれる。
茜は手を引いて上目遣いにレノを見上げる。
「……あのさ、それも嘘でしょう」
「嘘は言ってない」
「でも、隠してる」
「…全部言わないといけないか?」
自転車を押して校門を出ると、茜が横に並ぶ。
「傷つくよ。信用して欲しいのに」
「……信用するしないじゃない。俺がそういう性格なだけ」
余計な議論を呼ぶくらいなら、適当に済ませたい。ただ全部面倒なだけだ。
「……ノートも、昼抜け出すくらいなら、私、先生に怒られてよかったのに」
「結果論だろ。普通に俺に怒るだろうが」
レノの知る限り茜はそこまでできた人物ではない。
そして、レノがわざわざ学校を抜け出したのはノートをきっちり返したのは怒られたくないからではなく、それを口実に学校を抜け出すのに興味が湧いたという不真面目極まりない理由だった。
それ以上何も言わないレノに、茜は迷いながら口を開いた。
「ーーレノくんてさあ、本当はどんな人が好みなの」
「訊かれてもな。茜のことも別に嫌いじゃないけど」
「…辛いね、結構。私ばっかり好きなんて」
一応付き合う、と答えた以上、彼女の要求はなるべく応えるようにはしているが、自分の応対の端々が相手にストレスを与えてしまっている自覚はある。
「レノくん、私といて楽しそうにしてるの見たことない……もう、自信ない」
「……なら、振れば?」
そう言うと、彼女の目からぶわっと涙が溢れた。
「ーーっ」
優等生っぽい顔立ちを悲しみに歪めて、茜は言葉を絞り出す。
「別れる……」
「分かった。…じゃあ、気をつけて帰れよ」
道は暗いが彼女の家はすぐそこの角を曲がったところなのでまあ大丈夫だろう。
側になどいて優しくしても未練が残るだけだろうから、レノはさっさと自転車に乗った。
「振られんしたね。ちなみに何人目でありんすか?」
「4人目」
「微妙な数字でありんすね」
「平凡な男子高生的には多い数字だけどな」
「ご友人の数は?」
「別にいないな」
榊原が聞いたらこんにゃろー、と笑って怒りそうだ。彼は打たれ強いのであんまり気にせずまた絡んでくるだろうが。
「親しい人間はいないんでありんすか?」
「母親くらいかな」
猫の質問にはなんとなく正直に答えられる。猫はぱちりと瞬きした。
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