その猫曰く
深い暗闇の中で、金の目だけが怪しく光っている。
その黒猫は2本の尾をくゆらせて、少年の膝に前脚を乗せ、語りかけた。
「まだ、思い出せんせんか」
少年は緑がかった黒の瞳を、怪訝そうに細める。
「……引っかかりはするんだが」
「ぬしは、わちきの恩人であり主君……。排斥の歪みから奥方様と世界を助ける為に、1人でそれに巻き込まれ、記憶を失い、転がり落ちたこの世界で、人の子として成長なんしんした」
猫はりん、と鈴を鳴らし、灯火を生み出す。
真っ暗闇の中、ゆらゆらと灯火が怪しく踊りだした。
「わちきは……未来の主殿より、ぬしを呼び起こすように頼まれて来んしたんでありんす」
少年は頭に手を当ててゆっくり振る。
「……」
「ぬしは、主殿…白銀の竜ーーラズレイド・レノでありんす」
咲田伶乃、16歳。
女子みたいな名前だが、男である。
そこそこの高校でそこそこに部活を楽しみ、そこそこの成績、そこそこの見た目。
「いってらっしゃい、伶乃」
「いってきます」
シングルマザーに迷惑がかからないよう、部活の後は警備のバイト、そこそこ親孝行。
「おはよー、レノくん」
「茜…」
それから、そこそこの彼女……というと本人に失礼だが。彼女、茜未来はここ1ヶ月付き合いだしたばかりの同級生だ。
「今日一緒に帰れる?」
「…部活だけど」
「その後!」
「バイト」
そっけない返答に、彼女の表情からみるみる色がなくなっていく。
性格には若干難あり。
「…分かった、じゃあね」
教室の前で別れ、レノは自席について鞄を開いた。
興味本位で付き合いを了承すれども、恋愛感情は起こらない。女子はみんな適当に懸想して、適当に嫌になって離れていく。もってだいたい3ヶ月くらい。
前の座席のクラスメートが椅子を半分返して苦笑いしていた。
「あのさあ、あんな調子だとまたフラれるぞ?」
「榊原は俺のオカンか?ほっといてくれていい」
年齢の割に落ち着いている、と周りに称されるが、実のところただの面倒臭がりだ。
そこそこに人付き合いして、感情をぶつけることもない。
それをクールだの統率力があるだの引き立てられて部長に任命されたが、あれはただの雑用係なのでやることは副部長にすべて押し付けている。
「いーなあ、取っ替え引っ替え」
「…後ろ、春木」
「げっ!」
榊原は慌てて後ろを振り向くが誰もいない。
剣道部のエースである榊原だが、完全に彼女の尻に敷かれているのは有名な話である。
「びびらすなよ……」
レノはふん、と笑った。
どこか斜に構えた応対は、女子には人気だが男子にはどちらかと言えば不評で、クラスで絡んでくるのは彼くらいだ。
「進路調査は決めたのか?」
「んー?YouTuberにでもなるかな」
「マジか。いや無理だろ」
レノの部活は軽音楽、楽器はベースだ。一応ボーカルと作詞作曲もできる。ただし特別に上手くもない。
平凡。
「もしくはデイトレーダー」
「それ言って失敗した先輩知ってる」
「いいんだよ、失敗しても。保険かけとけば」
榊原が眉を持ち上げて教師の声真似をした。
「社会なめんな!」
「いいや、田中公ならこうだ。『社会なめんナぁ』」
22時を過ぎた秋の夜長、のんびりと遠回りしながら家路につく。二輪の免許も持っているが、数十分なら雨でも歩きたい派だ。
そして毎日違う道を通る。そろそろ網羅してしまったので、早く派遣先が変わって欲しい今日この頃だ。
何気ない景色をぼんやりと眺めながら歩く。大概そうやってぼーっとしているので小学校時代は不思議ちゃん認定されていた。
日付が変わってから帰ってくることもざらだが、母親はもう諦めて何も言わない。
(色々めんどくさい……でも、街は嫌いじゃない)
生き苦しいといえば中二病を引きずっていると思われるので口には出さない。
たぶんこの先も、そこそこに生きて行くんだろう。
(欠落してるなあ)
何か大切なものを探さないといけない気がするのだが。
街灯の狭間の暗がりに、キラリと何か光った。
小さな二つの…金の目が。
「…また、お前?」
見上げた先、塀の上にちょこんと小さな黒猫が座っている。
頭の大きさの割に耳と目が大きい。
普段動物の見分けなんてつかないが、この猫だけは分かりやすかった。その大きな両耳と首元に、大ぶりの鈴をつけているからだ。
ここ1ヶ月、何度となく出会う。
最初は飼い猫かと思ったが、それにしては行動範囲が広い。
迷い猫にしても、こんなに特徴のある猫がずっと放っておかれるものだろうか。
手を伸ばして耳の後ろを撫でると、猫は幸せそうにごろごろと喉を鳴らした。
もともとあまり物事に執着しない性格のはずだが、頻繁に顔を合わせ、かつなんといっても可愛いので自然と笑みが溢れる。
ひとしきり撫でてから離れようとすると、黒猫はそのつぶらな瞳で見上げてきた。
まるでついていきたい、と言われているような錯覚に陥ってしまう。
「いいよ、おいで」
そう言ってしまった自分でも少し驚いてしまったが、撤回する間もなく、言葉を介したかのように小さな黒猫は軽やかにレノの肩に乗り移った。りん、と涼やかな音が路地に響く。
鍛えている訳ではないので少々重いが、黄色い電気ネズミほどではなさそう…というかこの絵面はなんだか無性に楽しくなってくる。
アパートの階段を上り、自宅のドアを開けると、台所から母が顔を覗かせた。
明日の食事の作り置きだろう。バイトがない日は何品か手伝ったりもする。
「お帰り伶乃、その猫なあに?」
「さあ?懐いたみたいで。飼っていい?母さん」
「駄目って言わなきゃいけないんだけど…あんたがおねだりするなんて珍しいから、特別ね。大家さんにバレないように気をつけてくれる?」
「分かった」
4畳ほどの自室は、ベッド兼学業用の座卓が半分を占めている。ベッド下の収納は布団が埋めてしまって、物を置く場所などない。
それでも狭いアパートで自室があるだけ有難いことだと思って文句を言ったことはなかった。
教科書類は年が終わればさっさと断捨離してしまうので鞄にまとめて壁にかけられる量しかない。モノと言えば今壁に立てかけた楽器くらいだ。
すっと、音を立てずに猫が床に降りたつ。
「…ん?」
疑問符が思わず声に出てしまった。
薄明るい部屋の明かりに照らされて、長くしなやかな黒い尾が……2本?
猫はそれをくゆらせて、ふふん、と……笑った。
「…………」
自分はそれほど疲れてるんだろうか。
「…ま、いいか」
とりあえず室内飼いするなら猫を洗いたい。立ち上がろうとしたそのとき。
「反応が薄過ぎやしんせんか。わちきのことは知りんせんはずでありんしょう」
「ーーへ、」
幼い子供のような高くてまろい声……が猫の喉から発せられて、レノはさすがに二度見した。
猫の喉に手を当てて、目を眇める。
「気のせいじゃないなら、何か喋れ」
「仕組みが気になるんでありんすか?意外に理系でありんすね」
声とともに、指先から振動が伝わってくる。この猫が喋っているのは間違いなさそうだった。
「猫は人間に似た声帯を持つっていうが……なんていうかそういう問題じゃないな……」
「この世界でわちきを見てそういう反応をする男子高校生はぬしくらいでありんしょう」
花魁言葉の癖に単語が現代風だ。
猫は楽しそうに笑って髭を揺らした。
次に気になるのは自分がおかしいのか、猫がおかしいのかだ。
「嫌だな……めくるめく妖怪ライフとか始まったら」
「それは残念でありんすね。ぬしこそがわちきらの、主たる存在でごさいんすのに」
なんだこの展開は。そういった創作物をほとんど見ず、話のネタ合わせにネットであらすじを検索する程度の自分としては、非常に固辞したくなるセリフが聞こえた気がする。
百歩譲って二尾の猫が喋るのはこの際いい。明日になって夢オチとかでもまあ面白いから乗ってやる。
「……そう思わせるメリットが思いつかないが」
からかって赤恥をかかせたいのか?そんな猫を拾ってしまったなら、即放り出すが。
「その答えは、ぬしの中にありんす」
(何が言いたいんだこの猫は……!)
ちょっとイラッとして小さな体躯の首の後ろを掴んでぷらんと摘み上げると、猫はにんまり笑った。
「捨てようとしてももう遅いでありんす。わちきはぬしの部屋に入りんした。」
「怖い言い方をするな……」
呪いみたいな言い草だ。ここまでちょっとでも親愛を抱いていた自分に後悔しそうになる。
それなのに猫の金の目は丸くて愛らしい。悪さする気もないようだ。猫曰く、レノが猫達の主という設定らしいから、そこに則る以上は自分の言うことに従うのだろうか。
「…美少○戦士に変身して戦えとか言わないよな」
「わちきの額に月の紋はないでありんしょう」
「なら、自分を跳ね殺した乗り物に恨み持ってたり」
「腹巻した地縛霊と一緒くたにしないでくんなまし」
「へえ、カバー範囲広いな…」
「伊達に永く生きていんせん」
はは、と笑みが漏れた。面白い奴。
猫も楽しそうに笑って、後脚で耳の後ろを掻く。…その土足で触った耳の後ろはさっきまでレノが撫でていた場所だ。
早々に話を切り上げて風呂に放り込みたいが、肝心なことをまだ聞いていない。
「で、何が目的なんだ?」
「ぬしに思い出させることでありんす。ぬしがかつて、異界におわす、竜であった記憶を」
「…………」
黒猫の言葉を、何度か反芻する。
是とするか非とするか迷うところだ。
「ーー生まれて16年、そんな記録はどこにもないんだが」
「それはそうでありんしょう。記憶を新にして魂のみで生まれ変わったようでありんすから」
それはつまり別人というものではないだろうか。
「じゃあ、思い出しようがないんじゃないか?」
物理的に存在しない記憶を思い出すなど、ファンタジーなことがあるものだろうか。
いや、そもそもこの猫が十分ファンタジーな気もするが。
「今は。しかし、時が来ればいずれは」
「……ふうん、ならこの議論は無駄ってことだな。ところでお前、その尻尾隠せんの?」
言われて猫は片方の尾を腹側に巻き込んだ。化けて消したりはできないらしい。
「名前は教えんせん。好きにお呼びくんなまし」
「なんだそりゃ。……なら、ハリ、でいいか」
この猫を見た時からなんとなく考えていた呼び名を口にすると、黒猫は目を丸くして首を傾げた。
「ーーどういう、由来で?」
「ビー玉みたいな目だなと。そのままじゃ音がよくないから、類語で」
つまり、“玻璃”……水晶やガラスを愛でる呼び方だ。
猫はとろんと耳を垂らした。
「有り難く頂戴しんす。……主殿」
読了ありがとうございます。
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主人公のメインヒロインとの真面目な恋愛話(微エロ)も掲載してます。
よろしければどうぞ。
https://ncode.syosetu.com/n8465gk/
(ですので茜ちゃんは悲恋ヒロインです、ごめんなさい。)