03-45 再臨
俺は修練場で、朱に抱きつかれたまま目の前のアレを見ていた。
急に現れて、不愉快極まりない発言と、フラれる以前の問題にも気づかず。
自分が正しいと陶酔して自分の勝利を疑いもせず。怖がり震える朱を手に入れることができると思い込んでいるアレを見ていると凄く不快な気分になって、大きくため息をついた。
今自分がやるべきことのために、不快な気分はため息とともに吐き出せればいいのに。
「さて、と――」
震えて動けない朱の背中をぽんぽんっと優しく叩いてやる。
「な、凪様……」
「安心しろ。俺がいる……。守るって約束しただろ?」
そう、言い聞かせるように、まるで、赤子をあやすように優しく語りかけた。
――ま――る? ――の間違――だろ。
こう言うときに落ち着かせるのは得意だ。
「達也」
「は、はひっ!」
「これ、やる」
そう言うと、俺は傍に置いていた則重を投げて渡す。
「え? え?」
「壊れた人具で戦うのか? だから、使え」
「あ、ありがとうございます!」
これで、ナオは安心だ。
――旨そうだ。
「白萩」
「華名さん、こっちへ」
やはり、白萩は有能だ。
何も言わなくても、これから俺が何をするか、分かってくれていた。
酷いことを起こすつもりはないが、それでも、アレ等に痛い目を見させるなら、十分に離れていてくれたほうが安心だ。
――今すぐむしゃぶり尽くせばいいのに。
アレ等が何を思ってこんな暴挙に至ったのかは分からない。
分からないが、力を手にしたと言っていたことにも関係しているのだろう。
どんな力かは知らないが、注意するに越したことはない。
――血もさぞかし美味しいだろう。
朱を無理やり立ち上げ、白萩へ渡そうとするが、胸元の服を掴む手が、離れてくれない。
「嫌ですっ、凪様」
「いや。離してくれ。でないと……」
――アレを、殺せないじゃないか。
そんな言葉が脳内に流れ、違和感なく、それが正しいと思えてしまう自分がいる。
無理やり朱を引き剥がし、白萩に渡すと、朱から悲痛な声が聞こえた。
そんな声など、今はどうでもいい。
お前らも後で、殺して啜るのだから。
殺そう。
殺して啜って。浴びようじゃないか。
久しぶりの人の血を。
所詮、人は血を肉の内部に滴らせる皮袋だ。
皮なんぞ、被って見た目を整える服くらいしか使えない。
そんな考えが頭の中を巡る。
先程から妙にふわふわした気分だ。
自分の意識が沈んでいくような錯覚を覚え出す。
ああ……そうだな。
朱の肉は柔らかそうで旨そうだった。
血もさぞかし旨いのだろう。
先程触れた肉を思い出したら涎がでそうだ。
だが、まだだめだ。
メインは後で。
デザートのように、ゆっくり楽しまないと。
そんな考えに、違和感を覚えない自分が、まるでもう一人いるかのように囁きかける自分がいるようで不思議だった。
「やっと、俺の朱から離れたか」
そんな声が、肉の塊から聞こえてきた。
いや、今は肉の塊以外にも不純物があるか。
だが、流れる物は、オイル等ではなく、赤い血液だろう。
不味そうだが、まずは喉を潤すために。
「見るといい。俺の全能たる力をっ!」
そう言うと、肉は叫び出した。
叫ぶと共に、溢れる《《白い光》》がうっすらと肉を包み、人具を覆っていく。
同じように、明石と青山という名の二人も同じ光を纏い、その光を人具へ集約していく。
「ははっ! 見るといい! この力をっ!」
……まさか。
まさか、こんなちっぽけな、体を辛うじて包む程度の、俺達と同じ力の恩恵のことを言っているのだろうか?
いや、まだあるはずだ。
全能感というくらいだ。
もっと、俺達の知らない先があるはずだ。
「あはははっ! ほら、見るといいっ! 驚いてるじゃないかっ! 田舎者が驚いてるぞっ!」
……う、嘘だろ……?
まさか、本当に。
本当に、それだけなのか?
それが……こんなちっぽけな力の恩恵が、こいつらのこんな暴挙足らしめるもの、なのか?
「あ、ああ……驚イタ……」
思わず、声が出た。
驚きすぎて、やはり《《人はいらないと》》思った。
笑わそうとしているなら、もっと何かがあってもいいはずだ。
「そうだろぅ! 驚くだろう! この力を手に入れる為に、体を弄り、やっと手に入れたのさっ!」
……そう。
分かっていた。
俺の左目は、もはや、こいつらを、《《人とは表示していない》》。
表示している名称は、『雑種』。
こいつらはもう、人とは呼べない程に、体に不純物を取り込み固めていた。
左目が三人の体の至るところにギアのパーツが体に埋め込まれていることを表示し、すでに人としての機能は一部しか残っていないと分析結果を映している。
さっきから、これ等を見るたびに左目の分析結果の文字列がびっしり現れてうざったい。
人であることにも、人が目の前にいることにも、食欲を掻き立てられるのに。
なのに、実は人の形をしているだけで中身はほとんど別物とか。
俺にでもなりたいのだろうか。
そんな、たかが硬いだけのパーツを入れただけで、ギアのように強くなるわけがない。
俺達は、そのパーツに見合った形に、構造に適応しているから人より遥かに強く、賢いわけであり、人が少し弄られて到達できるなら、すでに劣勢は覆されている。
毒素もしっかり処理しなかったのだろう。
だから毒素が頭に回っておかしいのか。
……ああ。確かに、分析上は毒素が見える。
失敗したようだな、これは。
だが、ちょうどいい。
――やめろ。
「守護ノ光カ。――イマイマシイ」
「は――ひゅぐっ?」
気づけば、明石やら青山やらの男の前に立っていた。
――やめろ。
その男の腹部は、俺の腕がめり込み、肉を切り裂き、貫通し、赤い飛沫を散らしている。
左手を抜き取ると、左手が赤く染まっていた。
ああ、美味しそうだ。赤い、赤い――
「――え?」
次に、その隣にいた明石やら青山やらの腕を左手で掴み、握り締める。
――やめろ。
ぐちゅっと音を立て、簡単に千切れて赤い糸を引きながら落ちていった。
――やめろっ!
何が起きたのか分からないのだろう。
ぴゅーっと血を吹き出す自分の手を、肉は惚けたように見つめている。
「ぎ――おゃべ」
痛みが訪れて叫び声でもあげたかったのだろうか。
五月蝿いだろうし、聞きたくもないから顔面を蹴りつける。
肉から骨が飛び出すような感触と、バリッと引き裂くような音を立て、面白いように吹き飛んでいった。
その飛んでいった肉は修練場の壁に。
修練場の客席と場を隔てる壁に叩きつけられた肉は、大きな音と壁の残骸を撒き散らして突き刺さる。
「トオクニ イクト タベラレナイ」
――違う。食べるものじゃない!
そう呟いた俺は、野球の投手のように左腕を振りかぶって下ろす。
《《左腕が伸びて》》壁に突き刺さる肉へ向かっていく。
そうだ。食べればいい。
血を啜り、満たせばいい。
それが、我等――
「違うっ! やめろぉぉぉーーっ!」
――ギアの――母の――想いなのだから。
体の底へと落ちていく意識を必死に手繰り寄せ、必死に叫び続けた。
やめろ、と。
何をしているのか、と。
帰ってくる言葉が、体の底からあった。
――《《ギア》》が人を殺すことに、躊躇はしない。何をそこまで必死になる。ギアであるお前が、皮袋に何を感じる。
「俺は、俺は……ギアじゃないっ!」
体の主導権を戻すことのできた俺は、今まで何をしていたのか、何を考えていたのか思い出す。
人を食べる? 人の血を飲む?
何を言っている?
ギアは、こんなことを考えて俺達を襲っているのか?
なんだ? なんだ、この考え。
あれか。さっき祐成を起動したときに流れてきた何かか?
この感覚は以前にも感じたことがある。
確かあれは。
小さい頃の俺の記憶が流れてきた時。
ナギが俺に他の凪の記憶を見せてくれた時。
だとしたら、何が流れてきた?
ギアの記憶?
俺の記憶じゃないのに?
なんで?
なんで……
「お、お前……なんだ、それ……」
アレが震える指で俺を指差す。
「凪さ……ま?」
朱の声が聞こえた。
違う。お前を食べたいなんて、思ったことはない。
皆を殺したいなんて、思ってない。
そんな考え。
まるで、俺が、ギアみたいじゃないか。
「違う……違う。俺はギアじゃないっ!」
だが、ギアじゃないと叫んだ俺が見たものは。
遥か彼方に伸び、ばちばちと、火花を散らす、左腕。
その突き刺さる腕の真横に、血塗れの人が壁に突き刺さっている。
以前、似たような腕を見た。
そうだ、あれは。
姫だ。鎖姫だった姫と戦ったときに、見た。
「あ……あぁぁぁ……」
赤い左の瞳が、その腕に注釈のように文字を表示させる。
⇒GEAR
⇒絶機・ナギのパーツ
ギア? 絶機? ナギ?……ナギ?
――俺は、俺は――?
『世話が焼けるね。君は』
そんな、懐かしい声が、キーボードのカタカタ音と共に、聞こえた。
ナギ? なんだこれ。
なんだよ。教えてくれっ。何か知ってるんだろ? 絶機ってなんだよ。ナギって名前が……
俺は、何なんだ。
俺を……俺を……
助けてくれ――
そこで、俺の意識は、ぷつっと途切れる。
「ふぅ……凪はまだまだ、知らなすぎだね」
そんな言葉と共に、左腕を何もなかったかのようにしゅるしゅると戻していく凪。
「初めましての人が多いかな?」
ばちんっと、腕を戻し、仲間達へ振り返る、異様な気配を漂わせた凪が、自分を紹介するように告げた。
「僕はナギ。カタカナで、ナギだ」




