03-23 漬物が食べたい
体が重い。
全身に漬け物石でも括りつけられてるんじゃないかと思うほど重たい。
そう思うと、妙に漬物が食べたくなった。
ここから出たら漬物を食べようと思う。
ただ、この状況でなぜ漬け物石?と思わなくもない。
焼き切られたはずの右手に握りしめられている祐成は、今は紫の光ではなく、いつもと変わらない白い汚れのない光を放っている。
スクリーンから見た通り、右腕はくっついていて、切り落とされた形跡さえも見てとれなかった。
だが、それは間違いなく切られたのだと言うことはわかる。
なぜなら、暗闇が続く入り口の近くの床に、二の腕半ば辺りの俺の右腕が落ちていたからだ。
左腕は、あまり動かなさそうだ。
左腕はなぜか祐成やピアスの力の恩恵は得られない。
なのに、あれだけギアを生身のまま、殴り、切り裂き、破り、千切り、刺し、等を繰り返していれば使い物にならなくなるのは理解できた。
理解できないのは、よく折れたり千切れなかったな、ということで、今は痛みもほとんど感じられない。
恐らくは、すでに痛みさえも感じられないほどに消耗、疲弊し、中身は見た目に関係なくぐちゃぐちゃなんだろうと思う。
左目の赤い視界には、
⇒不可逆流動中
と表記がされているが、これもなんなのか分からない。
目の内部にあるかのようにメイリオ調に書かれたその文字は消せないようだ。
そもそも、この目はなんなんだ?
ただ、流動という言葉から連想できるのは、観測所から流れる力くらいしかない。
⇒接続終了しますか?
文字が追加で表示され、何から接続終了するのか分からなかった。
何かに接続しているとすれば、観測所だろう。
ナギとの話から、観測所からは他の凪の記憶さえも流れてくると分かっている。
ただ、これを切るとどうなるのか、今切ると不味いのではないかと自分の体の状況を考えながら思う。
戦えていたのはこの流れてくる力があるからではないのかと思うと、安易に接続を切ることができない。
体がぼろぼろなら切ると動けなくなりそうだと思った。
ナギはよくこんなぼろぼろな体で、これだけのギアを殲滅できたもんだと感じてしまうほどに体はまともに動かない。
ギアの残骸を見る限りは百や二百ではないと思うが、細かく破片が散らばっていたり、山のように積もっていて数えられないくらいだった。
一体この空間に何体押し寄せてきたのか、もし、この空間から溢れ出していたら――
もし、俺の町に押し寄せてきていたらと思うとぞっとすると共に、膝がかくんっと曲がって笑い出した。
⇒切らない方がいいよ
左目の文字が追加で現れる。
妙にフレンドリーな文字に驚いた。
⇒切ったら、間違いなくアレに皮を剥がれる。後少し待てばチャンスが来るから。すぐに弥生を助けにいくといい。
その文字がナギからだと続きの言葉で分かった。
そうだ。
今すぐにでも弥生を助けにいかないと。
そう思うが、なぜか体は勝手に暗闇の入り口へ向いてしまう。
何かに引き寄せられるかのように、一歩、入り口へと進みだす。
これが、他の凪にも起きていたのなら。
知らなかったら、間違いなくそのまま、ギアが溢れていた入り口へと向かっていただろう。
今は、そちらに向かうべきではない。
今すぐにでも、階段へ向かって弥生達に合流しなければ。
選択した意味が、ない。
「これ以上、絶機様の元へは」
歩き出した俺の道を塞ぐように、暗闇の入り口の前へと立ちはだかるギアが俺を睨み付けてくる。
「……会話ができるなら聞きたい」
俺は必死に吸い込まれるように歩き出した体に抵抗しながら話しかける。
チャンスがあるとナギは言った。
なら、時間稼ぎをするべきか。
「俺はこの場所から今すぐにでも去りたい。だが、体が言うことを効かない。だから、そこには何がある。ゼッキとはなんだ?」
体は常に暗闇へと引き寄せられる。
地面に祐成を深く突き刺し、必死に耐える。
「絶機様は、我らの創造主。我等が守るべき主。絶機様の眠る場に侵入してきた人類は、我等が皮として、いずれ来る戦いに向けて使用する。お前も例外ではない」
まさか、答えが返ってくるとは思わなかった。
意思の疎通ができると感じた。このギアは特別なのかもしれない。
だが、返ってきた言葉に情報が足りなすぎた。
ゼッキがギアを作り出す?
なら、確かに人類にとっては脅威だ。
どれだけの時間で作り出せるかはわからないが、百体規模のギアを作り出せるなら、今ここで倒すべきかもしれない。
相手も光線を撃つ腕がない。
今なら、この体でも。
その先にいる何かにも。
そう思うと、体は余計に暗闇へと向かおうとする。体が、その先にいる何かに反応して先に進もうとする。
向かえば間違いなく俺はあの暗闇の虜になるだろう。
虜になれば、弥生が死ぬ未来が待っている。
まだか。まだチャンスは来ないのか。
不謹慎ながら、どっちがチャンスなのかと考えてしまう自分がいた。
ナニがとは言わないが。
ただ、そんな余裕を持てたのも、目の前のギアが満身創痍で、俺にはこの場から逃げ出すチャンスがあるからだろうし、ナギが傍にいるからかとも思う。
「仲間が、戻ってきたか……」
目の前のギアが、俺の背後にある階段を見ながら、諦めが混じった声で呟いた。
階段から何かが転げ落ちてくる音がする。
「はぁはぁ……」
吐く息は荒く。
かつんかつんと、黒い棒を杖に。
宇多を杖がわりに。
執事服はすでに服として機能せず。ただの布を所々に体に絡ませながら。
体全身に数多の切り傷をつけた、左の頬に十字傷の初老の男性が――
――火之村さんが、階段の最下段で倒れ込むように俯き座り込んでいた。
「火之村さん……」
「おお……無事でしたか、水原さ……」
俺の声に顔をあげた火之村さんは、この空間の光景を一目見て、絶句したようだった。
「助けは、いらなかった、ですかな?」
「いえ……いえっ! 助かりました! ありがとうございますっ!」
血とオイルのような黒い液体を体に纏わせた、相変わらずのダンディな笑顔を向ける火之村さん。
生きていてくれた。
脱出して、俺を助けに来てくれた。
時間にすると短いかもしれないが、あまりにも長く感じた、たった一人きりの戦いに、俺の心もかなり疲弊していたようだ。
一緒に戦ってくれた、生き延びていてくれた仲間を見て、思わず涙が溢れた。
「暴れました、な」
「記憶ないですけどね」
まだ荒い息をたてながら、火之村さんは俺の隣に立ってくれた。
「ラスボスですかな?」
「いえ、ラスボスはまだ先に」
「行きますかな?」
ふらつく俺の体を支えてくるその腕が、心強い。
人と話せるのが、心強い。
ここで、気の効いた殺し文句でも言われたら惚れてしまいそうだ。
火之村さんとなら、このギアを倒して先に進むことができる。
……だが。
「ここから、逃げます」
「なぜ?」
「ここから先は……もう……」
⇒チャンスが来たよ。
⇒接続、切るね。このままだと、君は向かっちゃうからね。
ちょっ、まっ
ぷつんっと、糸が切れるような音がして、左目から文字が消えた。
赤い瞳の視界が元の視界に戻る。
俺の静止の想いも空しく、ナギが強制的に観測所との接続を切った。
祐成から刀身が消え、急に消えた支えに体は前へと倒れていく。
一気に痛みが戻ってきた。
激痛。
まさにその言葉が相応しい痛みだった。
全身を常に鉄の棒のような物で叩かれているような直接的な痛み。
内側からも響く鈍痛は、開放された喜びに、まるで鋭利な刃物が内側から溢れるような刺激となって押し寄せる。
いや、刺激だけではない。
体のあらゆる場所に亀裂が入り、俺の体から少量の血液が飛び散った。
⇒あ。ごめん。
⇒人が脆いこと忘れてた。てへぺろっ
殺す気か!? てへぺろっとか、何やってんだ!
⇒ピアスの力を使うといいよ。
⇒十分に貯めてあるから。
改めて左目の内部にタイピングされるように表示されたナギの言葉に、すぐさまピアスに触れて、力を発動する。
幾分かは痛みは治まるが、まだ痛みはうねうねと、体の内側に蛇のようなうねりとなって続いている。
笑っていた膝は、力の恩恵がなくなったことで耐えきれず、自然と、とすんっと地面に座り込んでしまう。
俺の治癒能力でも癒せないほどの傷を負っていることや、気力も体力も、全てが観測所から流れる力で補われていたのだと、よく分かった。
火之村さんが俺とギアの前に立つ。
ギアも、先程の会話が嘘のように静かに火之村さんと対峙している。
「なるほど。限界と言うことですな」
「火之村さんも、結構疲れてるでしょ」
「老体に公園往復は疲れますな」
火之村さんは宇多を何時でも抜刀できるよう構えて威嚇している。
「……弥生は?」
「外れの安全な場所に。奥様の救援も間もなく」
「今すぐ戻ります。弥生が死ぬ」
「……間に合いますまい」
「……俺が、何とかします」
火之村さんが警戒しながら背後の俺をちらっと見た。
「……信用して、いいですかな?」
「……早ければ早いだけ」
俺の言葉に深く考えることがあるだろう。
俺も、どうやってナギが治すのかは分からない。
説明しようにも説明ができない。
「……分かりました」
何も聞かずにそう言ってくれた火之村さんに感謝した。
「……そう言うわけだ。俺達はここを去る」
誰に言ったかわからなかったのか、火之村さんが振り返った。
「……いいでしょう。私もあなたが倒し尽くした仲間の補充もある」
次は、必ず。その皮を頂く。
そう、続いた声に、火之村さんが驚いてギアを二度見した。
「火之村さん。肩貸してください」
起き上がれない。
「……後で説明を」
「ですよね」
ギアと会話してたなんて、誰が思うだろうか。
こんな、お互いの生存をかけて戦っていたであろうこんな場で。




