03-22 先という現実へ
「ああ、もう、おしゃべりも終わりかなぁ。そろそろ体を返さないと」
少し残念そうなナギが、スクリーンを見ながら言った。
スクリーンに映る俺の姿が、がしゃんっと、機械を倒す音を立て。
俺の赤い瞳が、人を捉えた。
いや、人ではない。人の皮を被った、あの、光線を撃つギアだ。
現実で戦う俺の周りには、どれだけのギアを倒したのか分からないほどに、幾つもの残骸の山があった。
そうだ。
ナギは、俺と会話しながら戦っていた。
どれだけ戦っていたのか。
どれだけ時間が過ぎているのか。
時間がかなり過ぎているとしたら……弥生は本当に無事なのだろうか。
あの暗闇の入り口からはもうギアが溢れる様子もない。
ナギが俺の体を使って、ここのギア全てを倒し尽くしたのだろうか。
どれだけの数があの先にいたのか、数えきれないギアの残骸に、俺はつくづく、この場に来なければよかったと後悔した。
だが、ここに来ることは必然で、何れの凪もここに来た。
ここが、俺の人生の分岐点。
誰かが決めた道を歩かされている。
それに抵抗するかのように、選択にもなかった選択を選ぶ。
そう思うと、何か知らない力が働いていて、俺とナギはそれに抗っているかのようにも思えた。
まさか、これが、観測所の力?
それに抗うために、他の凪達は俺に記憶を上書きしようとしたのではないか。
考えれば考えるほど、いろんな推測が現れては消える。
どれが正しいかなんて、分からない。
全てが正解。
それは、他の凪が選んだ道なのだから。
俺も、これから、選択をして、自分の道を進み続ける。
それが、誰でもない、俺の意思だと信じる。信じるしかない。
「そう。あくまで、これは知識なんだよ。チートでもない。ただの知識。だけど、知ることでわかることもある。それが分からないから、人は選択するんだ。分かってたら楽しくない。だから、僕は君に、他が選ばなかった選択をしてほしかった」
僕の希望は、叶って嬉しいよ。
そう言って笑顔を向けてくるナギに、俺は時間を忘れて自分の知りたいことだけを聞いていた自分を恥ずかしく感じた。
俺だけがずっと、聞き続けていた。
ナギだって聞きたいことがあったのではないだろうか。
導くように、他の選択を、道を教えてくれたナギを、なぜあの時怖がったのか。
ナギが知っている知識、そして俺の体を勝手に動かしているのは怖い。
だが、それは全て、俺に選択させるため。その時間を作るため。
自分の知識欲を満たしたいため。
ただ、それだけのことだったのではないだろうか。
それだけのために、俺を助けてくれ、知識もくれた。
次の、自分が知らない物語を見たいがために。
時折見せる無邪気さが、見た目が子供の姿が、より一層その考えに至らせる。
ちぐはぐな回答。伝わりにくい話し方。
知識をひけらかし、相手と話したくて、知っていることをフル動員して話が逸れていく。
まさに、子供だ。
だが、そんな子供を前にして、自分の知りたいことだけをこれだけ聞いておきながら、まだまだ、知りたいことがある。
「まだ聞きたいことが」
「だよね。君は僕と一緒で貪欲だから」
頭痛がした。
ナギが、何か俺にとって有意義な記憶を他の凪の記憶から引っ張り出して見せてくれる、予兆のような痛み。
見たことない光景が、脳裏を過る。
気づけば俺は、脱衣場に立っていた。
そう言えば、俺はつい先ほどまで巫女とベッドの上にいたはずだ。
そうだ。お互いに汗をかいたからシャワーを浴びようとしていたんだ。
だから、巫女は裸で、俺も裸だ。
脱衣場で服を脱いだらすごく寒くて、思わず巫女を抱き締めてしまっていた。
何でベッドの上で服を脱がなかったのかと思う。
いや、それしたらしたで、ここに来るまでも寒いだけか。
風呂場を暖めるために先に出しておいたシャワーの音が絶えず聞こえる。
水は勿体ないが、入るときに暖かい方がいい。
髪を掬うと、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
巫女を見たくて巫女の顎に軽く触れると、巫女が呆けた表情で顔をあげ、その瞳に、俺だけが映っていた。
愛しい巫女が、俺の目の前にいて、俺を求めてくれる。
何かを呟いたように動く唇を塞ぐと、ぴくっと巫女の体が震えた。
丹念にその唇を味わい、貪り離すと、お互いから糸を引く。
少し照れたような表情を浮かべた巫女が、強く抱き締め返してきた。
俺の胸元近くにむにゅっと形が崩れたたゆんの感触が伝わり、やがてそれはその感触を下方に維持しながら下へ下へとゆっくりと――
「違うわっ!」
「あれ? 見たいんじゃないの?」
見たい! 見たいけど違う!
その後何があったかなんて見たいけど見たくない!
とんでも高画質なVR感覚に感触も合わさって興奮が止まらんわっ!
つーか。どんな状況だよあれ。
そこに至るまでが知りたいわ。
経験ないのに経験値が上がりそうだ。
「目覚めた時にいつでも見れるようにしておこうか?」
「やめてくれ……」
ただでさえ今度巫女と会うときにどう接したらいいのか迷ってるのに、そんなのいつでも見れたら……もう、お嫁に行けん。
だが……確かに有意義だ……
うん。かなり。
「あはは。楽しかったよ。久しぶりに楽しめた」
心底楽しそうに笑うナギの悪戯は最悪だ。
ナギがあんな光景を見せて、俺との話を終わらせようとしているのがわかった。
だが、まだ、時間はある。
まだ聞きたいことはある。
他と違って、圧倒的に知識が足りない俺が、あらゆることを知れるチャンスで、この先またこうやって話せるのかさえも分からないのだから。
「これだけは覚えておくといいよ」
腹を抱えて笑い転げていたナギが、急に真面目な表情を作る。
「君は、水原凪という人間の中でも特異点だ。僕がいることもそうだけど、碧が傍にいないこともそうだし、ナオが代わりに傍にいることも奇妙だ」
そうだ。
ナオがいないということもおかしい。
俺の場合は、結婚式直後にナオが生まれている。
碧が義妹なら、二人は結婚しているはずだ。
できちゃった婚だったとは思うが、他の凪の場合は普通に再婚していることになる。
もう、何もかもが俺と違う。
俺以外の凪は、俺とは違う道を進んでいる。
もう、俺とも言えない、別の人間の歩いた道だ。
「みんな、君なんだけどね。選択が違えばまったく違うものに見える。全く違うはずなのに、君はこの場所に来てしまった」
不思議だね。だから面白い。
君と言う存在に植え付けられて、本当によかった。
俺の心を常に読んでいた、ナギの心の声が俺にも聞こえた。
まるで、俺に気を許してくれているように。
「後は、朱の存在。彼女はよく分からない」
なぜ? そう疑問に持ちながらも気づいた。
ナギの話を聞いていて、感じた違和感がこれだ。
ナギの話をする凪の中に、俺の周りにいる近しい人の中で、朱の話が唯一ない。
ナギがあえて話さなかっただけかもしれない。
俺を元に考えても、彼女は最も俺の傍にいるはずだ。
俺も碧も、互いを異性と思っていなくて。巫女が恋人になるには、財閥の一人娘の婚約者が壁になるはず。
それを振り切って巫女に靡く?
いやいやいや。それこそ、絶望したときに自分を慕ってくれていることが分かっている女の子が傍にいたら、そっちにころりと行くだろう。
なのに、神夜が死んだから、俺に?
考えてみたらおかしい。
俺の知っている巫女なら、神夜が死んだら自分も死ぬんじゃないか?
なにか凄い話があったのかもしれないが、それでもナギは、『朱』と言っていない。
他の凪には、傍に朱が、いない?
「凄いでしょ。二人の凪と違うんだよ。後の二人はどうか知らないけど、二人の記憶を見る限りは、君を特異点って言うのも分かるでしょ?」
「あ、ああ……考えてみたら凄い違いだ」
「それがなんでかわからないけど、だからこそ、他の凪にいなかった朱とナオには気を付けなくちゃいけないし、君の傍に碧がいないことも何か理由があるのかもしれない。後、神夜が君を知らなくて弥生って名前なのかも分からないね」
全てが、何も当てはまらない。
俺は最初から別の道を選んで進んでいた。
その別の道さえ、他の凪のことを教えてくれたナギがいなければ分からないことだった。
知ってよかったのか、知らない方がよかったのかは分からない。
「協力するよ。君が望むハッピーエンドに向かうために、ね。僕にそれを見せてくれるのが、僕への報酬だね」
そう言うと、ナギはスクリーンに触れた。スクリーンが音もなくすっと消えると、とことこと椅子へと戻り座り直す。テーブルに置いてあるカップにコーヒーを注ぎだすと持ち上げて笑顔を向けてきた。
ナギのやりたいことがわかって、俺もカップを手に取る。
「さ、乾杯しようよ。まだ伝えたいことはあったけど、僕にも君のためにやることがあるからね」
知ったからこそ、これから起きるはずの弥生がいなくなる世界を体験せずにすんだ。
そして、ナギという協力者も得た。
もう、ナギの知る凪とは違う選択をすると決めたから、先は分からない。
ナギにも分からない。
だが、他から知った知識は俺達にとって、有意義なものなのは違いない。
互いに考え、先を知る。先へ進む。
他の凪にはいない、ナギという心の中の相棒とともに。
きんっと、二人のカップが軽くぶつかり、音をたてた。
「あ。そうだ。朱の記憶なんだけどね」
思い出したかのようにコーヒーを一口含み、「にがっ」と再度のしかめ面をしたナギが思い出したように俺に声をかける。
「あの記憶、植え付けたのは、僕じゃないからね。あれ、原初だから」
そんな言葉に、きょとんとした。
あの記憶をナギが植え付けてない?
死んだって言ってた原初が?
原初には、朱が傍にいたってことか?
そう思った時、目の前が真っ白に弾けた。
弾けた目の前の中央で、うっすらとナギが手を振っているように見えた。
待ってくれ! 最後になんて疑問を残して去っていくんだ。
白が弾けて目を閉じた俺は、そっと目を開けた。
鼻が嗅ぐのは機械の油の香り。
両目が捉えるのは、辺りに転がるギアの破片と幾つのも残骸の山。
そして。
目の前には、片腕を千切られて火花を散らした状態で、こちらを恨むように睨み付ける赤い瞳のギアがいた。




