03-02 ――と、来訪者
「凪君、起きないね」
一階のリビングで、今日も目を覚まさない凪を思いながら、弥生は巫女と変らない日々を過ごしている。
「ナオちゃんがさっき少しだけ起きたって言ってたから、大丈夫だよ」
「そうだけど……それにしては寝すぎじゃないかしら」
確かによく寝ているレベルではない。
ナオから寝かせたということは聞いてはいるものの、一週間は流石に長いと弥生も思っていた。
いい加減、住みやすくて長居しているこの家からも出なければいけないのだが、現家主と話もできていないので、出るに出られずということもある。
だが、この家から出たところで固定の住家があるわけでもなく、宿屋と呼ばれるようになったホテルを転々とするだけなので、凪の家に居候出来ているのは金銭的にも助かっていた。
「ねぇ、弥生。凪君が起きたらどうする?」
同じ考えに至っていたのか、巫女からそんな質問が来る。
「どうしよっか」
「まだ住まわせてくれそうだけど、何もしてないから、ちょっと図々しいよね……」
三食美味しい食事も作ってくれ、不思議な力で周りにも見えない、静かな、まるでこの家だけが周りから隔離されて時が止まっているとさえ錯覚してしまう家。
流石に四人もいれば狭くも感じるが、それは使えない部屋がいくつかあるためであり、家族で住むには十分すぎる程の大きさである。
家の端から端までの二十畳はありそうなキッチン併設の広いリビングを見てみる。
気づけば巫女も、弥生と同じように静かな雰囲気に、緊張もなくだらしなく頬杖をつき、誰もいないリビングを見つめていた。
その姿を見ていると、不意に、巫女と二人で住むならこういう家がいい、と感じた。
「こういう家にずっと住めたらいいのに……」
そう呟いた巫女が溜め息をつく。
視線を感じたのか、弥生をちらっと見て「何?」と言った表情を浮かべる。
「住めるよ。巫女と二人なら、きっと」
「はっ? い、ちょっと、いきなり何!?」
「巫女とこういう家に住めたらなって」
「真顔でそんなこと言わないでっ」
恥ずかしそうに慌てる巫女を微笑ましく思いながら、弥生は静かな二階に目を向ける。
「凪君が起きたら、もう少し居候していいか聞いてみようか」
「……そうね。だったら何かしないとね」
「……あの人の相手、とか?」
凪が眠りについてから、色んな人達がこの家に訪れようとした。
もっとも、ほぼ全てが、この家を見つけられずに帰ってはいたが、この家を知覚できる人がいて大変だった。
「まさか、凪君があの華名家と知り合いなのには驚いたわ」
華名貴美子。
華名財閥の当主が、凪が寝ている間に足を運んでいた。
その、この家を知覚できる当主が、また来たときはどうしたらいいのかと、目下困っているところだ。
謝りにきたそうではあるが、なぜ謝りに来たのかも分からないし、なぜこの家が見えたのかも分からない二人は当時はかなり困惑していた。
彼の人が来客すると、家の前には、今となっては貴重となった黒塗りの長いリムジンが数台停まるのだ。
周りの知覚できない人から見たら、何もないところに珍しい車が数台停まり、黒服にサングラスの強面で屈強な男達が屯するのだ。
注目を浴びないわけがないし、この家も大勢に見えるようになるのではないか心配になった。
だが、それは杞憂に終わる。
「家主が許可しないと見えないわよ」
どういう原理かは分からないが、華名家当主がそのように笑いながら答えてくれた。
「隣町にいるから。起きたら、連絡もらえるかしら」
そう言って、唖然とする巫女にメモを手渡し去っていく華名家当主の背中は、少し悲しそうに見えた。
何があったのかは分からないながらも、凪君とナオちゃんが泣いて帰ってきたことと関係しているはず。と、弥生はその背中を見て思う。
この話を考えていくと、特に気になるのは、凪の一言。
(ナオっ! お母さんに会えるぞ!)
あの一言が気になって離れない。
ナオの母親に会えるという一言にしか聞こえないその言葉は、華名家当主のあの寂しそうな姿からも、当主に会いに行って帰ってきたとしか思えず。
ナオの母親が当主だとすると、凪とナオの関係は、実は兄妹ではないという考えもよぎる。
何があったのか、あの時の話は、ナオも橋本さんも教えてくれない。
何か、大きな話があったんだろうと思うと、あの場に自分がいたら、二人の重荷も少しは背負ってあげれたのだろうかとも思う。
巫女と一緒に二人きりで生きてきて、やっと出来た友達だった。
その場にいなかったことや、一緒に連れていってもらえなかったことや、知り合って間もないながらも、まだ凪のことを知らないという寂しさを感じた。
「そうよっ! 手伝えばいいのよっ!」
華名家当主のことや凪たちの関係に耽っていた時に、急に叫ぶように大きな声を出した巫女に驚き、弥生はびくぅっと肩を持ち上げた。
「接客とかは可能でしょ?」
「接客?」
「だって、凪君って、これからも人具を卸すんでしょ? だったらその手伝いをすればいいのよ。例えば、納品とか」
「……橋本さんに頼んで武器屋の販売とか、かな?」
「そう、それよ」
たゆんっとした胸を持ち上げるように腕を組んで勝ち誇る巫女の、強調された胸を見るわけにもいかず。
「それは……難しいんじゃないかな?」
顔を赤くして顔を背けてそう返す。
「ここの町にも必要でしょ? 武器屋」
「そうだけど。……あ。だったら、この家を工房にして、近くで武器屋を経営するといいかも」
「そうね。さしあたって、三原工房?」
どこかにありそうな、平凡そうにも聞こえる名称に二人して笑う。
「宣伝するならポスターとかも必要ね」
「あの三人組……」
ポスターの一言に、物干し竿を構える三人組が頭に浮かび、二人して笑い合う。
凪に言われてからツボなポイントとなった二人の笑い声が響く静かな家。
「……あれ?」
家の前に気配を感じ、二人の意識が玄関へと向かう。
当たり前のように玄関前まで歩いてくる気配。この家を知覚しているのは間違いない足取り。
家のチャイムが押され、弥生は成政を手に取り、少しだけ力を流しながら玄関前へと移動する。
明らかに華名家当主ではない気配に、二人の緊張が高まる。
巫女はただ不安がっているだけではあったが、弥生は少し違っていた。
成政に力を流したおかげか、辺りの気配を感じとることが出来た。
その感じた二つの気配のうち、一つから発せられる異常な気配から、『場慣れ』している雰囲気を感じとる。
討伐部隊がついにこの家に入る手段を見つけたのではないか。
弥生は、今では自分の手に馴染んだ成政を握り締め、玄関の扉を開ける。
「ここに水原様が御在宅とお聞きし――」
現れたのは、自分達と年も離れていない少女と――
・・
・・・
・・・・
唇に感じた柔らかい感触に、俺はほんの少しだけ、覚醒する。
まだ眠いので二度寝しようと思ったのだが……
「――ら――お引き取りを」
「――ください――来られても――」
うるさい。
なんだろう。何か騒がしい。
ゆっくり目を開けると、目の前には見慣れた木目調の天井。
相変わらずシミを数える気にはならないが、いつか数えることはあるのだろうか。
体を持ち上げ背伸びをすると、真横で顔だけを部屋のドアに向けているナオがいた。
なんだろう。
さっきの騒がしさから、誰か来たのか?
そう思うが、ナオから放たれている気配が尋常じゃない。
なんだ。
あの背中から立ち昇る、可愛らしい猫は。
きしゃーとか言ってそうだ。
碧といい、ナオといい、女子はみんな背中に動物でも背負ってるのか?
あ。違う。
巫女は、鬼だ。
「ですから、まだっ!」
「今すぐにでも会いたいのです」
必死さを感じる弥生の声と、どこかで聞いたことのある声が聞こえた。
「なんだよ。ナオ。誰か――」
ナオに声をかけながら、俺は扉を見る。
俺の目に最初に飛び込んできたのは――
「来た……の……はぁ?」
「ああ……やっと、お会いできました」
見たことのない制服を着た、ストレートロングのおっとりと言った表現が似合う、目を涙で潤す少女。
と。
その隣には。
左の頬に、十字傷のある執事姿の初老の爺。
神鉱泥棒と住居侵入罪をもつ、お嬢様がそこにいた。




