??-?? ――私は――
別作品に繋がるとある女性の話です。
この話があって、もうひとつの作品が進んでいきます。
(……ぅ?)
ぼんやりとした意識が少しずつ覚醒していく。
(ここは、どこ?)
彼女の体は、柔らかな何かに包まれて浮いているようだった。
(……ぁ……ぅ)
優しく包むそれは、意識は覚醒せども景色を映してくれない瞳では確認できず。体がなぜ動かないのか理解ができない。
視覚という五感の一つはそのうち直るとしても、嗅覚や味覚、触覚もまだ機能していないようだった。
それほどまでに体はダメージを負っているのかと驚いた。
そう言えば私は、あの時御主人様を助けて……大破した覚えが……。
ナオ様も亡くなり、私を直せる方はいなくなったはず。
なのに、目を覚ました私の感覚は、五体が正しくあることを脳内に伝えている。
それであれば、ナオ様もご無事で……
それもそうですね。
あの世界は、私以外の皆様人類は観測所の力の恩恵を受けることができる。
あの場所でなら、あの場所をよく知るお母様と御主人様がいるのだから、ナギ様が行ったように、皆様を蘇生することも可能なはず。
そう思うと、ナオ様が蘇生され、また直してくれたのかもしれない。
ああ……それであれば。御主人様に早く会いたい。
早く、御主人様の元へ向かわなければ。
彼女はそう思い腕に力を籠めるが、腕は思うように動かない。
こんなにも力が入らないのは、栄養が体に行き渡ってないからだ。
そう言えば、お腹も空いた。
……お腹が空く?
それは彼女にとって今まで感じたことのない感覚だった。
私はギア。ギアは食料を必要しない。
食事はできても、人類のようにそれを栄養とするわけではない。
であれば、この渇きのような感覚はなんなのだろう。
この感覚は、御主人様や皆様が味わっていた感覚なのでしょうか。
彼女は理解できなかった感覚をまた一つ知れて、少し嬉しくなった。
でも、なぜそのような考えに自身が至ったのかは理解ができない。
御主人様へのこの溢れるばかりの愛も理解できていないのだから、何をきっかけとして理解できるようになったのかは考えても無駄な気もした。
(ここは……どこ……?)
改めて考える。
何にせよ、この空腹を感じている今は辛さを感じる。
固形物を入れないと収まらなそうな感覚に、再度しっかりと目を開いて前を見た。
どうやら私は、膝を抱えて体育座りをしているようですね。
触覚が回復したことを理解した。彼女の触覚は、自身が浮遊感に襲われていることを告げ、また、視覚と触覚は周りを液体が満たしていると認識させる。
ごぼごぼと音をたて、気泡が開いた瞳の目の前を過ぎていく。
急に感じた理解と、覚醒した意識が、体に酸素を求めだした。
だけど、周りは液体だ。
苦しさを覚えたことに酷く困惑した。
私はギア。
酸素を必要としないはず。
なのに、なぜ私は今、酸素を求めたのだろうか。
……苦しい。
(誰か、誰かここから出して……っ!)
体はまだ思うように動かず、身動ぎする程度だ。
だが、その動きがよかったのか、それとも目覚めたことを何かが感知したのか。
彼女は、周りを覆う液体に流れを感じた。
液体が排出されているようだ。
目の前の透明な枠に亀裂のように一筋の卵形の線が入る。
その線が排出を手伝っているようで、出口のようにも見えるその線のついた先へ、力を振り絞って飛び込んだ。
ばしゃりと液体が弾ける音と共に、彼女は抜け出した。
「げほっ……げぼっ……」
息を吸う。
肺と呼ばれる肺胞の塊の中に酸素が満たされていく感覚に戸惑いながらも、その中に入っていたであろう液体を押し出すように吐き出し続ける。
口から咳とともに溢れだす液体はやがて出なくなり、正常に息をするまでに数分の時間を要した。
当たり前のように酸素を吸わなければならないという状況にも困惑する。
だけど、それが当たり前だと知覚していたことに驚いた。
やはり、何かがおかしい。
「……ここは……どこですか……」
辺りを見渡す。
誰もいない。声に対する反応は何もない。
人の気配はする。
でも、それは人と理解するには難しい。
なぜなら周りは。
彼女が入っていた――人が一人入ってゆったりできるほどに大きな、試験管がずらりと並び。
その中には人の形を模した意識のない塊や、これから人になろうとしていた、小さな勾玉のような形をした生物がぷかぷかと。
自身も先程このように浮いていたのだとわかるように、いくつもの試験管が並んでいた。
人の気配はそこから。
でも、その中にいる物体は何れも成長を止め、そこで死に絶えたようだ。
もうすぐ人となり得た液体の中身は、虚空を見るかのように、一点を見つめている。
視線を向けると、合っていないはずの目線が交差したように感じ、彼女の体をぶるりと震わせた。
彼女の体は、試験管が並ぶその部屋から自然と出ていた。
この感情は覚えている。
何もない。誰もいない。いいようのない不安感。
体はその感情に、この場から離れることを選んだ。
部屋から出ると、左右に長く続く道がある。
電気は最低限しか通っていないのか、赤い緊急灯のみが血のように辺りを照らしている。
酷く不気味な通路を、彼女は歩く。
寒い。
先程まで液体に浸かっていたのだから、もちろん体は冷えきっている。
服が欲しい。
体を温めるものならなんでもいい。
ギアなのに、寒さに震えるとは滑稽に思えた。
これが寒さ。
だから人類は、体温を調節するために服を着るのですね。
全裸だから隠したいという羞恥もあるものの、今はそれよりも芯から冷えた体を暖めたい。
その感覚も新鮮だが、それでもこのままでは死んでしまうと、意識した。
……死ぬ?
【壊れる】ではなく、生命の活動を停止するという意味での死?
腹は減る。
寒さに震える。
息をする。
このままでは死ぬ。
ギアだった頃は、感じることがなかった感情が渦巻く。
少しずつ、何が起きているか理解し始めた。
少し歩いた場所に、部屋があった。
その部屋には、同じように試験管が並んでいるが、先程とは違って中には何も入っておらず。
幾つか割れて散乱している試験管の中。
ガラスのように景色を映す一つの試験管に映る、体全体を濡らして立ち尽くし、がたがたと震える女性の姿を見た。
それは、私だ。
……ああ、なるほど。
【私】こと――姫は、人になったのだ。
御主人様と同じ……人類。
私がそう思った瞬間。体を駆け巡る喜びの感情は抑えきれず。
誰もいないその部屋で、高らかに歓喜の叫びを挙げた。
それが、私の――産声。




