03-53 華名朱 2
「……今、なんて……」
俺は俯いたままの姿勢から思わず顔をあげ、ゆっくりと、先の言葉を紡いだ隣に座る朱を凝視してしまう。
今、俺は聞き間違えたのだろうか。
今、俺は朱から、何を聞いたのだろうか。
聞き間違えでなければ……
「何度も言うのは、恥ずかしいですの」
恥ずかしそうにぷらぷらと子供の記憶の時のように足を揺らし、朱は俺に笑顔を向けたまま、また言葉を紡ぐ。
「……あの時は、凪様や御月さんがチョコを他の女性からいっぱいもらっていて、巫女さんと一緒に食堂でやけ食いしましたの」
それだ。
俺は朱と出会って、まだその日は迎えていない。
それに今、朱は、『御月』と言った。
夜月ではない。
はっきりと、神夜と弥生を別人として、言っている。
やはり、朱が言った言葉は聞き間違いじゃなかった。
でなければ、やけ食いの話なんか出てこない。
「それとも――」
それとも?
気づけば俺は、朱から目を離せなくなった。
「私の誕生日に、鳥の羽の形をしたネックレスを、頂けたことも、忘れていますか?」
なぜ、それを……知っている?
「他には……?」
覚えてる。
覚えてるなんてもんじゃない。
それは。
俺が、碧にしてあげたことや、されたこと、だ。
「例えば……凪様が高校進学の際には、私と二人暮らしする……とか……」
そうだ。
中学を卒業したら、一緒に暮らすはずだった。
襲わない自信がなくて、どうしたらいいかって考えた。
その後、家族旅行に行って、飛行機が墜落して……碧は、ナオは。父さんも義母さんも、みんな……
……覚えてる。
忘れるわけがない。
碧との思い出も、新しい家族と過ごしたあの一年は。
楽しくて。
色褪せない、俺の大事な、思い出だ。
「他には……他、に……は、ぁ……」
少しずつ、涙を溜め出した朱の声は聞き取りづらく。
「凪様が、果物を切るの苦手な私の代わりに、朝御飯……作ってくれたこと……とか」
祐成振り回してたあの時だ。
懐かしい……。
「……味噌汁だけは出来てた」
「はいな。……あの時のクレープは……あれから……ずっと……私の我が儘で作ってくれたデザート、覚え……て、いますの」
そんな我が儘なんて可愛いもんだ。
好きな子に何かしてあげたい。
そう思えばいくらでも。
「だから、だから……」
まさか。本当に、そう、なのか?
だが、なぜ? でも、そうなら。いや、そうなのか? だって、だったら……なんで?
朱が――この目の前の少女が、俺の頬を撫でた。
軽く触れるように、不安で、触っていいのか分からないような、そんな辿々しい細い指が、躊躇いながら、俺の頬をゆっくりと撫でる。
目の前の少女は、瞳に貯めた涙を自分の頬を伝う一筋の線にして。
「私は、ううん……違いますの」
そう言うと、俺へと飛び付くように。
目の前の彼女は、俺を抱き締めた。
そして――
彼女は、俺の胸に顔を埋め、少し篭った声で、涙声で、告げた。
「お兄ちゃん。ボクが、碧だよ」




