01-09 夢の中で2日後
「――ってなわけで、あいつ、あの後も何度も何度もわめき続けててなー」
そんな携帯から聞こえる、俺が寝ていた今までの出来事を教えてくれる神夜に感謝しながら耳を傾ける。
俺を刺したあの男は、俺が意識を失った後、蹴られたことで恐怖の限界を迎えたのか、半狂乱になって隠し持っていたナイフを振り回しながら俺に向かってきていたらしい。
それを押さえたのが無月と神夜だ。
巫女はすぐさま碧に駆け寄り安全な場所まで離してくれたが、碧は血まみれの俺を見て、涙をとめどなく溢れさせて放心状態だったそうだ。
かなりの惨状だったみたいだからトラウマになってなければいいが……と、今の碧の心情を考え心配が先に浮かんでしまう。
無月と神夜がいたのであれば大抵の争い事はどうとでもなるので後のことはどうでもいいが、ただただ碧が心配だった。
「まあ……俺は正直、あいつはもう」
俺が怪我したことなんか、正直どうでもいい。
碧が無事だったのであれば。
……と鼻で笑ってみたものの、やっぱり痛いものは痛かったわけで。
最後に放った蹴りが相手の唇を切っただけだったってのも締まらない。
ただ、俺以外に怪我がないのであればこれ幸いだ。
あそこで本当にキレてたらどうなっていたことか。
「あ~……あの一撃は流石にやりすぎ感はあったけどなぁ……」
「そうかぁ?」
「まっ、それでも面白いものも見れたし。ヤンチャな凪があれだけで満足するなんて、お姉さん満足♪」
「……なんでそこで巫女ちっく」
むしろ俺は二人の関係の進展について聞きたいわ。
「あ。そういや、神夜。今日何日だ?」
「ん? ああ、24日だ」
「げ」
窓から外を見ると今日は満月。もう、夜中だった。どうやら、俺はほぼ2日間ほど寝ていたらしい。
「さすがに、あれだけ深い傷だったんだから、それくらいは寝るだろうなとは思ってたけど」
「まあ……俺の場合は大抵は、《《寝てれば》》治るからな」
俺があれだけ深い傷を負ったにも関わらず、家で寝ていること。
そして、傷はもうなくなっている。
それは、俺が眠りに入れば『大抵の傷が治ってしまう』という特異体質持ちに関係している。
物心ついた頃にはこのような特異体質を持っていることがわかり、小さい頃は色々無茶をして、どこまで傷が治るかなどを試したこともあったほどだ。
色々検証をしてみた結果はさておき。
俺が自宅の自分の部屋で寝ているのかと理由については、恐らく父さんが手を回したのであろう。
《《どれだけ傷ついても、寝ればたちどころに傷が塞がる》》。
そんな人がいると知られれば、すぐに人の永遠の課題の可能性に行き着く。
不死。
その題材のために犠牲になるのは俺自身嫌だし、父さんは自分の権力を使ってひた隠しにしてくれていた。
不老ならまだしも、不死はその不死性を確認するためにその体に対してあらゆる拷問を行うであろうことは目に見えている。
だからこそ、こういうことが起きれば父さんはどこからともなく俺を、自分の力を使って守り続けてくれていた。
それに、俺にその可能性がないことは、すでに解析済みだとも聞いている。
他と変わらない細胞分裂、細胞も普通の再生能力しかない。老化も普通と変わらず、子を繋ぎ、そして老いていくであろうという解析結果だ。
だとしたら、なぜ俺の体はすぐに再生するのかが疑問ではあるが、そこも判明しているらしい。
それがなぜかは教えてくれなかったが、
「死に瀕した、死を間近に感じた時に、人は生きたいと思い、言葉にし、そのために動き続けると自分が持つ力以上の力や治癒を発現することがある。火事場のバカ力というやつだ。それをお前は人より出しやすいんじゃないか? つまり、バカってことだ」
そんなことを言われたことがある。
途中まで真面目な話だったのに最後に人を罵倒する一言が加わり、酷く陳腐に聞こえたのは覚えている。
真面目な人の悩みを、小さい頃の、小さいながらも不安は大きな疑問は、そんな言葉で一蹴され、それ以上を教えてもらえることはなかった。
今更世間に知られても研究する意味もないそうだ。
怪我をしたことが学校または関係者から伝わり久しぶりに保護してくれたと言うことなんだろう。
父さんはある研究をする財閥の研究施設の取締役だと聞いている。
どれだけの規模の財閥かはしらないが、その力を使ってまで俺を守ってくれている父さんには感謝の念しかない。
だからこそ、疲れて帰宅する父さんのためになにかしてやりたいと思ったのが、家事を進んでやろうと思った最初だったと思うし、幸せになってほしいと子供ながらに思ったきっかけだったと思う。
「なあ」
携帯越しの神夜の声で考えに耽っていたことに気づいた。
「お前さ、本当にあんなこと言ってよかったのか?」
「?」
「あー……やっぱり。やっちまったな」
「いや、なんだよ」
「あいつに蹴り入れるときになんて言ってたか覚えてるか?」
神夜のその言葉に思わずどきっと胸が高鳴った。
「……俺、なんか、言ってたか?」
「ああ……そう、だな。……聞きたいか?」
聞きたいような聞きたくないような……。
なんだろう。携帯の先でにやぁっと、いつも見る笑顔で神夜の顔が歪んだのが脳裏に浮かんだ。
「俺は、碧の――!」
「まてぇぇぇーい!」
心の準備さえもできやしねぇっ!
妙に恥ずかしくて、思わず俺の声真似をし始めた神夜を止めるために大声で叫ぶ。神夜のこういう時の俺の声真似は俺が黒歴史を産み出した時に限る。
「うおおおおっ! キーンって耳が耳がっ!」
「う、うるせぇっ! もう切るぞっ!」
何を言ったのかは聞きたかった。
ただ、あまりの恥ずかしさに勢い余って電話を切ってしまった。電話を切ったことに「あ」と自分でも唖然としてしまう。
神夜はあんなこと言いながらも怪我をした俺を心配して連絡してきてくれてるのはわかっている。
次会った時はちゃんとお礼言わないと。
携帯を置くと、しんっと静寂が辺りを支配した。電気が点いてないので部屋の中は暗い。
起きてすぐに神夜からの電話を取ったから電気をつける暇もなく。妙に体がだるかったから起きることもせず、寝たまま話していた。
体は2日間寝たままだったせいか、まるで全身に錘がついているかのように鈍い。体を起こすのも億劫だ。血を流しすぎた、ということもあるだろう。
少しは動かないといけないと思い、上半身を起こした。
布団から出てベッドに腰掛けながら一息。振り返って窓から外を見ると、ちらほらと雪が空から落ちてきているのが見えた。
雪はふらふらと揺れながら、暗闇のなかにぼつぽつとある電灯の光に照らされ、淡い光を纏いながらゆっくりと地面へと落ちて消えていく。
外は夜中にも関わらず、暗闇のなかに淡い光が溢れて明るい。
部屋が暗いのは変わらないが、窓から差し込む雪の光で周りが見えないと言うわけでもないので電気も必要なかった。
そんな光景をじっと見つめていると、かちゃっと控えめな音が鳴った。
「お兄ちゃん……?」
部屋の入り口から碧の顔がひょっこりと現す。
「おはよう」
なんて声をかければいいのか分からなかった。今起きました感を出しつつ、二日ぶりにみた碧を見て顔がニヤけてしまった。
碧は俺を見て驚いた表情を浮かべたあと、今にも泣きそうな、いや、一気に両の瞳から涙を溢れさせ、駆け寄ってくる。
「お兄ちゃんっ!」
そのまま、俺の体目掛けてダイブ。まるでタックルのように突っ込んできた碧の頭頂部は俺の腹部に直撃。腹部に感じた痛みに「うぼっ」と妙な声で唸ってしまう。これ、もし怪我が治ってなかったら絶対に傷が開いていたレベルだ。
「ごめんなさいっ……ごめんなさいっ!」
碧はそのまま、大泣きしながら嗚咽混じりに、何度も謝ってきた。
何を謝る必要があるのか、俺にはさっぱりだ。
そっと、頭を撫でると、碧はびくっと怯えたように体を揺らした。
「怪我、なかったか?」
「うんっ」
まだ泣き止まない碧の頭を撫で続けていると少しずつではあるが嗚咽の間隔が落ち着いてくる。
しばらくして涙を拭いながら顔をあげた碧の顔はとにかく酷かった。
寝てないのか目の下には隈ができ、ずっと泣いていたのか目も腫れて赤く充血している。心なしか顔全体が腫れぼったい。
「ふにゃ!?」
「で? お前は、さっきから何に謝ってるんだ?」
そう、笑顔を浮かべながら碧の両頬をつねりながら聞いてみる。
「ひゃって、おにいひゃんが」
「何言ってるかわからん」
むにむにと頬を引っ張ってみたりつねってみたり。
やばい。すげぇ柔らかい。
ふむふむ。と、夢中でむにむにと碧の頬を堪能する。引っ張ってみたりつねりつつ、ときにはむにっと指を埋めてみる。うん。柔らかい。
「にゃから、おにいにゃんが」
お、ついに猫語だ。
「にゅぅぅーっ! にゃぁぁあっ!」
猫が怒った。
さすがにこれ以上は怒らせるだけだろうと思い、頬から手を離すと、碧の脇に手を添え持ち上げる。意外と軽い碧が驚いた声をあげた。
そのまま俺と同じようにベッドに腰かけさせる。
碧はつねられた頬を擦りながら、俯いたまま何もしゃべろうとはしない。
やりすぎた、か? いや、あれは碧が悪い。あんなに柔らかい頬は触り続けたくなるのは必然だ。
「……ごめんね。お兄ちゃん……」
しばらくの沈黙の後、碧の口から出た言葉がそれだった。
「あん?」
「……ボクのせいでこんなことになっちゃって……本当に、ごめんなさい」
刺された怪我のことを言っているのだろうが、こんな怪我なら何度も経験しているからどうって事はないが、そんなことを言っても碧は理解できないかもしれない。
「別に、謝らなくてもいい」
俯いたままの碧の頭をそっと撫でる。
今回のことは碧が悪いわけではない。何か思わせ振りな行動を取ったのであればまだ少しは悪いと言えるのだろうが、会った記憶もなければ話した記憶もなく、と言ったところなのだろう。
急に知らない相手に彼氏面され、迫られた時には周りの協力も得ながら断っていたとも聞いた。
むしろ、なぜそこまで相手のことを想い碧が動かなければいけないのかとさえ思ってしまう。
どう考えても、俺が怪我したことも、碧がこんなにも悲しい想いをしているのも、あの男が起こしたことなのだ。
だから、謝る必要は何一つない。
「お前は、何も悪くない。守れて本当によかった」
その言葉だけで俺の今の気持ちが伝わればいいが。
ふと、そこで、碧に渡さなければならないものがあることを思い出した。
「碧。目、閉じな」
「?……うん」
碧は俺の言葉に素直に従い目を閉じる。
上目使いに、少しだけ突き出されるように閉じた唇を凝視してしまった。
控えめに膨らんだその唇は、触れれば柔らかいのであろう。ごくりと思わず生唾を飲んで喉を鳴らしてしまう。その唇に触れようと手を伸ばしかけ、何とか理性が俺を引き戻しそれを止めてくれる。
よくぞこらえてくれた、俺。
自分を褒めながら、俺は机の引き出しから、指の先から手首ほどまでの細長い包装紙に包まれた入れ物を取り出す。
その包装紙を破り、中の箱を開けると、鳥の羽をかたどったペンダントが現れる。
それをそっと首の後ろに回し、かちっと留め具をかけ、碧の首にかけてやる。
「……お兄ちゃん?」
碧が目を開ける。自分の首にかけてあるペンダントを見て、俺とペンダントを交互に見る。どうやら、なぜプレゼントされたのか分からないらしい。
「少し遅れたけど。誕生日、おめでとう」
「あ……覚えててくれたの?」
「当たり前だ」
「……ありがとう……お兄ちゃん」
嬉しそうに微笑み、碧が抱きついてくる。一瞬頭の中が真っ白になり、俺は迷う事なく碧を抱き返す。
今ならなんなく押し倒せそうだ。
そう考えがよぎったところで、すぐに碧を引き離す。
危ない。また暴走するところだった……。
ちらっと碧を見てみると、窓から差し込む淡い光を背景にした碧は、いつも感じる可愛いという表現よりも奇麗という表現が似合っていた。
「お兄ちゃん……今日、今日だけでいいの。ボクのお願いを聞いて?」
「ああ……」
そんな碧に、ただただ見惚れてしまい、曖昧な返事を返してしまう。
「一緒に、寝てほしいの」
「ああ、わか……あぁ!?」
え? いいの? いいのか? いっちゃうよ俺。若き猛りを暴走させちゃうよ?
何度も何度も、その言われた言葉を頭の中で反芻し、聞き間違ってなかったか何度も確かめる。
うん。聞き間違ってない。ならば次に聞くのは、一つだけ。
「……あの、それは……?」
どこまで、いいのでしょうか。
「怖くて……一人じゃ眠れないの……」
「あ、あー……」
危ない危ない。もう少しでルパンダイブするところだった。
「……一つ言いたいことがある」
「……?」
「襲うなよ?」
「それはこっちのセリフだよぉ!」
時計を見ると、AM0時を指していた。




