第六話 過去と今 黒騎士がいる世界と (彼視点)
子供みたいに泣きじゃくる俺たちを見かねて、女将さんが店の二階の家に案内してくれた。
ゆっくり話をしなさいと言われて、俺たちはソファに横並びに座り、時間をかけて、話をした。
どこから話したらいいのか分からなかったが、俺はひとつ、彼女に言えていないことがあった。だから、まず最初に謝った。
俺はアイビーの傷をつけたあの王子であることを告白した。もうその話はいいじゃないか……とは思えなかった。
俺の始まりであり、俺の罪だ。償えるとは思わないが、せめて謝罪だけは伝えておきたかった。
それでアイビーが離れたとしても……仕方ないとは思う。
「……ずっと、謝りたかった……ごめん、遅くなって……」
弱々しげな声で告白すると彼女は何度も首を振った。そして、彼女は眉尻を下げて、俺に謝ってきた。
「ごめん。思い出したばかりで……その……記憶があやふやで……怖いことはあったけど、あまり覚えていないの……ごめんなさい……」
覚えていない……
それに、肩肘を張っていた力が緩んだ。
俺はゆるく首を振った。それは当然だろう。俺と違って記憶を思い出したばかりなんだ。混乱しているんだろう。むしろ、もっと落ち着いた頃に話すべきだった。失敗した。
沈む俺に彼女は、心配げに顔をのぞきこんでくる。俺は口元に微笑を浮かべる。
「思い出さなくていい。……あまり、思い出したい記憶じゃないだろうし……ごめん。こんな話をして……」
少し笑うと、彼女は勢いよく首を振った。それがあまりに必死に見えて、笑みが漏れる。すると、やっと彼女は、はにかんでくれた。
少し見つめた後、俺はふと不思議に思って、彼女に尋ねた。
「さっき、急に思い出していたみたいだけど……何かあったの?」
すると彼女はカチンと固まってしまう。おかしくなった様子に、訝しげに彼女を見た。見つめていると彼女の頬が赤くなっていく。可愛い……とかぼんやり思っていたら、彼女はおずおずと口を開いた。
「あの……好きって思ったら……その……」
――――――え?
今度は俺の思考が固まる。彼女は両手で真っ赤になった顔を覆ってしまった。そして、小声で告白してくる。
「ルティスを好きだって思ったら……急に思い出して……」
ひゅっと息を飲む。俺は頭が真っ白になって、たぶん数秒は息をしていなかった。嬉しくて体が小刻みに震えだす。また泣きそうになるのを堪えて、口を開いた。
「……アイビー……顔を見せて……」
彼女の顔がびくりと震えて、首を振られてしまった。手が伸びそうになって、手のひらで強く拳を作る。そして、懇願した。
「お願いだ……乱暴にしたくないから……」
――じゃないと、君の顔を無理やり暴いて口づけてしまいそうだ。
ジリジリとした焦燥感にかられながら、じっと待っていると、怖々と手が彼女の顔から離れていく。真っ赤になって、眉が困ったように垂れている。それに喉がなった。
「眼帯も取ってくれる……?」
彼女の隠された左目を見たくなった。彼女はきゅっと唇を結んで、恥じらいながらも眼帯をとってくれた。
そこには、失われたはずの黄金の瞳があった。
まるで俺の罪を赦すように、綺麗な瞳は戻っていた。
「あの……左目は……変で……」
彼女はあまり見ないでと言いたげに、左目を手で隠そうとしてしまう。その手を取り、彼女の頭を引き寄せ、左目の瞼に口づけた。
「ルティっ……」
彼女が驚いて身を引いたが、逃がすわけない。俺は嬉しくて、泣きそうになりながら何度もキスをした。
「っ……」
夢中になっていると、ぐいっと体を押される。それにボーッとしながらも、唇を離して、彼女に視線を落とす。
彼女は耳まで真っ赤になって、ぽそりと小声を出した。
「……恥ずかしいから……」
それに愛しさが込み上げて、包み込むように抱きしめた。
「……可愛い……アイビー……」
彼女は恥ずかしそうにしたけど、観念したのか、こてんと頭を預けてきた。それにくすりと笑い、彼女の肩を抱いて少し距離を置く。黄金の左目は睫毛を震わせながらも輝いていた。
「アイビー……」
俺は万感の思いを口にした。黒い手に今度は覆われない。ずっと、ずっと、伝えたかった、唯一の思い。
「俺は君を愛している」
彼女が驚いて顔を上げる。黒と黄金の瞳は戸惑っていて、あぁ、やっぱり気づいてなかったんだなと、小さく笑う。
「俺は……アイビーだけを愛していたよ……」
口にするとなんとも、安っぽいが、思いを伝えられないよりはいい。驚いて固まるアイビーが可愛くて、左頬に手を添えて、顔を近づけた。
重なる唇と唇。
思いが重なったみたいで、涙が溢れた。
気持ちを伝えるように深めてやれば、彼女はちょっと息苦しそうにした。だけど、まだ足りなくて、隙間なく抱きしめる。
嬉しい。
嬉しい。
嬉しいから……
……誰か、俺を殺してくれ。
この瞬間に死にたい。
あまりに幸福すぎて、俺はそんなことを考えてしまっていた。
***
その後、俺は黒騎士を辞めた。アイビーの近くに居たくて、一緒に住もうとしたからだ。
辞めるとき、黒騎士の隊長が引き止めてきたから、肩を脱臼させてやった。上官への暴力行為と問題になり、あっさり辞められた。
マティアスには苦笑されたが、後は任せておけと言われた。
あいつが居なかったらアイビーのことはうまくいかなかったから、感謝を伝えた。
だけど真顔で「お前、大丈夫か?」と言われてしまった。最後まで失礼なやつだ。
黒騎士を辞めたことで、実家にえらい怒られて、勘当だ、息子じゃないと言われたが、俺はあっさり別れを告げた。自分でも薄情だとは思うが、俺はアイビーが第一だ。
実家がアイビーの店をかぎつけて、嫌がらせをしてきたから、女将さんが逃がしてくれた。
「あの子は左目のことで散々な目に合ってきたんだよ。幸せにしないとぶっ殺すからね」
と、脅されたが俺は苦笑いしかできなかった。
殺されるのが怖かったわけではない。幸せにできるかは、分からなかったからだ。
ただ、そうだな……
大切にしていきたいと思ってはいる。
十七の日まであと三ヶ月。
その時間をアイビーと二人でゆったりと過ごした。
二人で料理をしたり、どこにも行かずに部屋でくっつきながら、話をしたり。
黒騎士にいた頃に稼いだ金があったから、働く必要はなかった。抜け目なく引き出しておいてよかった。
俺が居ないときのアイビーの話も聞いた。彼女はここから遠い異国の地で生まれていた。左目のせいで不遇な環境だったらしく、過去はあまり話したがらない。奴隷としてこの国にやってきて、女将さんに拾われたそうだ。
その時、女将さんには心底、感謝をした。
「女将さんにはたくさん親切にしてもらったのに……わたしは恩返しをできなかったな……」
寂しそうに語るアイビーに、俺はせめてもの御礼として別世界へ行く直前に、ある計画をした。
アイビーには手紙をかいてもらい、金を全額引き出して、麻袋に詰め込むだけ詰め込んで、深夜遅く女将さんの店を尋ねた。店は実家の嫌がらせか、ひどい有様だった。
それに黒いものが込み上げてきたが、二階に壁づたいに上がり、窓をトントンと叩いた。
黒騎士で鍛えておいてよかった。こういう時に役に立つ。
女将さんは寝ていなかったようで、俺を見てギョッとしていた。慌ててかけより、窓を開けてくれる。俺は麻袋と手紙を手渡した。女将さんはあまりの大金に腰を抜かしていたが、俺はサンタクロースにでもなった気分だった。
「ありがとうございます。アイビーを見つけてくれて。俺たちは別の国に行きます。この国ではその通貨は使えないので、店に使ってください。女将さんの料理、最高だから。店、続けてください。あと、俺の家がすみません。お元気で」
ちょっと!と引き止めようとする声が聞こえたが、俺はまた壁を伝ってするする降りた。
女将さんが慌てて窓から身を乗り出す。俺たちは横に並んで、そろって頭を下げた。
そして手をとって駆け出した。
アイビーは泣いていた。
だから、俺は強く手を握った。
別の世界へ行く時、俺たちは離れないように抱き合ったままだった。
黒い手が俺たちを包む中、アイビーは涙をこぼしながら、俺に訴えた。
「ルティス……お願い。また、わたしを見つけて……」
怖い……とアイビーは瞳を潤ませて、訴えてきた。
「……また、あなたのことを忘れたら……わたし……」
震える声に俺は頷く。
「約束する。見つけるから」
するとアイビーは安心したように俺に体を預けた。
「ルティス……大好きよ」
「俺も……愛している」
黒い手に飲み込まれながら、俺たちはまた次の世界へ飛ばされた。
離れたくない。
だけど、離れるしかない。
だから、アイビーとの約束を果たすように、俺は行く先々で、彼女を探した。
黒騎士時代は周りの協力もあったが、そんなものがいつも都合よくあるとは限らなかった。
一番、酷かったのは銃がある戦争の時代。彼女は敵国の姫で、俺は兵を率いる隊長だった。
国を滅ぼすまで追い詰めてようやくアイビーを手に入れられた。あのときは十日しか一緒にいられなかった。
俺は彼女の前では紳士ぶっているが、裏では言えないようなことを散々、してきた。
彼女に婚約者がいれば、そいつから奪った。家同士の反対があれば、駆け落ちして、逃避行もした。
獣人になったときは、互いに運命の相手がいたが、それを振り切って、手をとった。
彼女が手に入らずじれたときは、監禁したりもした。
あぁ、監禁した時は、俺はハーフウルフで獣の血が流れていたから、獣じみた本能があって、怯える表情にゾクゾクしてしまったんだ。
手段を選ばず、卑劣な行為もして、それでも彼女を手にいれてきた。
彼女は、容姿はあまり変わらなかったけど、俺を好きにならないと記憶は戻らない。そういう仕組みになっていた。
だから、探して、惚れさせるしか、俺に残された道はなかった。
まるで永遠の恋ができるならやってみせろと、神様とやらが嘲笑っているかのようだ。
それぐらい、俺と彼女を繋ぐものなんて薄い。
俺が諦めたら、そこでおしまい。
か細い運命でしか繋がっていない。
それでも、俺は必死に細い糸を手繰り寄せて、運命を繋ぎ止めた。
アイビーの左目は違う世界へ飛ばされるたびに、真っ黒な瞳になっていった。
もしかしたら、彼女は永遠を生きる輪から外れて、ただの人間に近づいているのかもしれない。
手放したら……ごく普通に人として暮らして、生をまっとうするのかもしれない。
俺が彼女に永遠を強いている。
その罪悪感はあった。
……でも無理なんだ。
耳が君の声を聞きたがる。
目が君を探してしまう。
足が君の元へと向かう。
手が君のぬくもりを求めてさ迷う。
君がいるから、俺の心臓は動き出す。
俺はアイビーでしか成り立たないバケモノになってしまったんだ。
***
日本という世界を生きたときは、俺は幸運だった。中学生の入学式に彼女を見つけて、すぐさま近づいた。最初はまぁ、不審がられた。でも、ツンツンした態度がまた可愛くてさ。早く会えた喜びもあったから、じっくり落とした。
最後の日は夏祭りがあったから、浴衣を着て縁日でデートした。
オモチャの指輪をねだられた時は参った。そんな安物の指輪なんかより、本物を贈ればよかったと後悔した。
バイトをする時間が惜しくてしなかったけど、短期でもなんでも、すればよかった。
オモチャの指輪を左手の薬指に嵌めて満足げにしている彼女を見て、切なかった。
そのせいかな。
線香花火をしている時に、あんなことを言ったのは。
「俺とアイミは家が隣どおしで、親はこの子たちは結婚するって、決めちゃっててさ。みんなに祝福されて、結婚式をするんだ。綺麗だろうな、アイミの花嫁姿は」
俺たちは結婚なんてしたことがなかった。
お互いを自覚するまでに時間がかかるし、十七年の縛りがあるから、結婚するゆとりはなかった。年齢的にも厳しい場合がある。この世界だってそうだ。
だけど……
どこか夢見てしまう。
綺麗なドレスに身を包んだ彼女の左手の薬指に、指輪を嵌める瞬間を。
夢見てしまう自分がいた。
線香花火が燃えてくっついて、落ちていく。
それが、羨ましくてたまらない。
俺とアイビーも同じようにくっついて燃えて落ちてしまえたらいいのに。骨まで焼かれて、この瞬間に死んでしまえたら……
たまらない多幸感に包まれることだろう。
土に落ちた燃えかすを視界の端で見ながら、俺は目を伏せる。
ただ、幸せになりたいだけなのに……
なんで、俺たちはそれができないんだろう……
黒い手に覆われながら、また君を探す明日に恐怖した。