第四話 過去編 魔法のある世界 二度目 (彼視点)
何度も何度も世界を渡り歩いて、俺がたどり着いた世界は、魔法とか魔術とかがある世界だった。
俺は十五歳で冒険者となって、路銀を稼ぎながら〝誰か〟を探していた。〝誰か〟のことを考えると、恋みたいな熱情を感じるから、たぶん、女性だとは思う。
会えば分かるだろうと、根無し草のようにフラフラとしていた。
その時、〝未来を視る魔女〟の噂を聞いた。もはやお伽噺レベルの話になっていたが、その魔女は未来を視て、国の危機を何度も救ったらしい。
運命を変える力を持つ魔女だと、物語には書かれてあった。
愚かな王と王子が彼女を崖から突き落としてしまったらしく、その後、魔女の天罰を受けてその国は滅んだらしい。
その王子と俺の名前が同じだから、思わず苦笑した。鉛でも飲み込んだような気持ちになった。
そんなお伽噺だったが、もし、そんな人がいるなら、〝誰か〟のヒントになるかもしれない。少なくとも、この世界で会えるか分かるだろう。あてもなかった俺は噂を頼りに魔女を探した。
滅びた国は隣の国と合併して、新たな人が暮らす土地となっていた。首都はなかなか活気のある町だった。
その町で近づいてはいけないと言われている深い森があった。
魔女の呪いにかかって、近づいたものを迷わせ、森が人を食らうらしい。迷信みたいな話だが、町の人は本気で怯えていた。
俺は自分の永遠を知っていたし、死ぬことはないだろうと考え、森に入った。
一生かかっても歩ききれるのか不明な森を歩いていく。
ただ、恐れは感じなかった。
むしろ……こっちだよと言われているような不思議な感覚がした。
***
三日間ほどさ迷っていたら、俺は魔女に出会った。
会えるとは思わなかったから、正直、びっくりした。
魔女は全身をローブで覆っていて、目深にフードを被っていた。だから、表情がよく見えない。ローブの隙間から見える手や顎の肌のかんじからして、若い女性だとは思う。
未来を視てほしいと願ったが、丁寧な言葉で断られた。俺は土下座をして頼み込んだ。唯一の手がかりになりそうなものだ。俺は必死だった。
必死さが通じたようで、未来を視てもらうことになった。よかった。
ほっと胸を撫で下ろすと、彼女の家に通された。家と呼ぶにはあまりにボロ小屋で、俺は眉根をひそませる。扉なんだか、ただの木の板なんだか不明なものを開き、彼女が俺を中に招き入れてくれた。
俺は軽く会釈して、中に入った。中も予想通りというべきかボロボロだった。隙間だらけの壁に、屋根。これは雨が降ったら確実に雨漏りする。
よくよく見ると彼女が着ているローブもボロボロで、ほつれて穴が開いていた。お伽噺ではもうちょっと良い家に住んでいたと思うが、魔女は世捨て人のような生活をしているようだ。
魔女は切り株の椅子に腰かけるように言って、正面から俺を見た。
その時、フードの隙間から酷い火傷の痕が見え、俺はひゅっと息を飲んだ。
緊張したまま彼女を見つめていると、彼女の黒い瞳が驚きで揺れた。未来を視たのだろうか? 尋ねても首を振られてしまった。
また彼女は真剣な表情をした。その時、一瞬、彼女の黒い瞳が黄金色になったような気がした。
見間違えだろうか。
またも息を飲んで言葉を失った彼女に、俺はくるべき別世界への扉の話をした。彼女は絶句したようだった。
それに苦く笑う。
どうやらこの世界にも俺の探す〝誰か〟には会えないらしい。
十七まであと一年半もある。
一気に俺は生きる意味を失くした。
未来が視えるのは残酷だな。
結果がわかってしまっては……この一年半をどうやって過ごせばいいか分からない。
〝誰か〟を探すことだけが俺の原動力だったから。
無力感をかかえながら席を立つと、魔女が心配そうに俺に尋ねてきた。
どこへ行くのか?……と。
正直、行くあてなんかない。だから弱々しい声で「またあてもなく歩きます」とだけ答えた。
虚無感におそわれていた俺は彼女がどんな表情をしているのか見る余裕もなく、軽く会釈をして、立ち去ろうとした。
くいっと、身につけていたマントが引っ張られる感触がした。
振り返ると、彼女は俺のマントをちょんと摘まんでいた。何かまだ、伝えてないことがあったのだろうか?
足を止めて彼女を見ると、遠慮がちに唇が開いた。
「行くところがないなら……ここに……」
「え……?」
「あの……その……」
驚いた。でも、指先が申し訳なさそうに震えて、やがて、諦めたように離れていく。
「……もし、よろしければ……なんですけど……」
たどたどしく紡ぐ声はひしゃげていて、長いこと会話をしていないことがわかる。たぶん、彼女はもうずっと一人で、ここにいるのだろう。
それに、胸にくるものがあった。
彼女の孤独が俺のそれに似ていて、その指をとっさに掴んだ。
びくりと、震えた彼女の警戒を解くように、口元に笑みを浮かべた。ふわりと、冷たい指を両手でくるみこんだ。
「居てもいいなら……」
そう言うと、彼女はまた震えて、こくりと頷いてくれた。
それに安堵しつつも、チクリと胸が痛んだ。
だって、俺は彼女の好意を利用したものだ。
あと一年半の余生を無駄に過ごしたくなくて、俺は彼女にすがって甘えてしまったんだ。
***
ぎこちなく始まった彼女との共同生活だったが、俺の罪悪感はあっさり消えてなくなった。
それは、彼女の暮らしぶりがあまりに酷すぎて、どうかしなければと思ってしまったんだ。
家はボロボロ。服もローブだけでボロボロ。おまけに彼女は草しか食べない。
畑と言って紹介されたそれは、そこらに生えた植物に水をやっているだけのもの。その植物も美味しいものではない。ただの草だ。
ハッキリ言って、今までどうやって生きてきたんだというぐらい彼女は生活能力がなかった。
俺はバックパックからテントなどなんやらと、生活の必需品を出して、彼女の家を直した。家を立て直すレベルまで、改築してやった。
彼女は面食らってたが、やることがあるのは俺には都合がよい。
夢中で家を直し、草しか食べない彼女に料理をふるまった。
彼女は飛んでいた鳥の焼き肉料理を美味しそうに食べてくれた。万能調味料を持ってきてよかった。味付けがなければ、食えたものではない。
他にも調味料になりそうな葉を探したりした。豊かな森では香味になりそうな葉がたくさんあった。
俺が料理ができるのは、〝誰か〟に振る舞いたかったのと、暇潰しだった。空虚な日々だったから、凝った料理をして気を紛らわしていたんだ。
彼女が美味しい、美味しいと小動物みたいに夢中になって料理を食べるのを見ていたら、俺も自然に口角が上がった。野生のトマトがなっていて、それを食べせさせた時は、酸っぱかったのか、目をパチクリさせていた。その顔が可愛らしくて、俺はクスクス笑ってしまった。
最初は空しさを紛らわすための日々が、だんだんと、彼女が喜ぶからやる、と意味が変わっていった。
彼女は子供のような人で、俺のやることなすこと興味津々な態度を取った。だから俺は色々なことを教えた。それをまた純粋に聞いてくれるので、とても楽しい。
〝誰か〟でしか埋められないと思っていた穴が徐々に塞がるのを俺は感じていた。
だけど……
それは、きっと。
俺が寂しすぎたからなんだろう。
人恋しくて彼女に依存している。
そう思うのは、彼女の名前を聞いても、〝誰か〟だとは思わなかったからだ。
アイビー。
その名前を聞いたとき、何か胸に込み上げるものは確かにあった。
でも、それは確信が持てないあやふやなもので、寂しさの穴埋めではないかと思えてしまう。あまりにも孤独な時間を過ごしてきたから、彼女を〝誰か〟の代わりにしているのではないか……
それはあまりにも彼女に失礼だ。
それにどのみち、俺は長くここには留まれない。静かに満たされる思いを口にしたところで、彼女を悲しませるだけだろう。
……あぁ、でも、そうか……
どのみち別れがくるのだから、結局は彼女を独りにさせてしまう。
悲しませる……
俺は身勝手な男だな。
だから、きっと〝誰か〟にも会えないんだろうな……
そんな仄昏い思いを抱えながらも、俺は口元には笑みを浮かべられていた。
どうして自分でもそんなに笑顔でいられるのかが不思議だったが、もうこれは癖のようなものだろう。
あまりにも長い時を生きてきて、希薄な人間関係を築くのに慣れてしまった。
結局、人が生きる上で人とは無関係ではいられないから、俺は今まで〝誰か〟を探しながらも、当たり障りのない人間関係を築いていた。
笑顔は最も人の警戒心を薄れさせる。
だから、俺は普通の顔が、笑顔になってしまっていた。
紛い物の作り笑いだったが、彼女は気にすることはなかった。彼女もまた長い間、1人だったためか、人間と交わることは少なかったのだろう。
張り付いた笑顔でも彼女は微笑んでくれた。それに罪悪感を抱えながらも、救われていた。
心はアンバランスでぐらついたが、彼女との生活自体は穏やかな日々、そのものだった。
時間がたくさんあったから、俺たちは話をよくした。
特に俺が渡り歩いた世界の話をすると、彼女は興味津々に聞いていた。
そして、彼女はここはつまらないからどこかへ行きたくならないか?と尋ねてきた。
それはあり得ないことだった。俺は行くあてなんかないから。でも、それを話すと〝誰か〟の話をしなければならない。
身代わりなのか?と詰め寄られると答えられないし、どうしたものか。
だから、俺は素直な思いだけを口にした。
「……君がいるから、行かない」
不思議そうにする彼女に曖昧に笑う。
こんな可愛い子供みたいな人を放っておけない。
「独りにさせたくないんだ」
それは言い訳かな。
俺が独りになりたくないんだ。
カッコつけていってみたところで、俺は利己的な人間だということを知っている。
なのに、彼女は俺の身勝手さも何もかも許すように「ありがとう」と感謝を口にした。
「っ……」
なんの疑いも穢れもない、素直な言葉。それに胸が痛い。
満たされていた想いが溢れて、その衝動のまま彼女に触れたくなった。彼女の隠された顔を見て、名前を呼びたくなった。
だから、フードを取ってほしいとお願いをした。
彼女は顔が醜いから、嫌われてしまうからと断ってきた。
俺は強い口調で、嫌ったりなんかしないと告げた。
彼女が怯えて身を震わせた。それに後悔が沸く。違う。そんな風に怯えさせたいわけじゃない。
――ただ、君の瞳を見て……名前を呼びたいだけなんだ……
もて余す感情のやり場が分からず、うつむいていると、ぱさりと布擦れの音がした。
視線を上げると、フードをとった彼女がいた。
彼女の顔の皮膚は爛れ、赤い血管が浮き出ていた。美しかったであろう左目は開くことはない。酷すぎる怪我に、彼女をこんな目に合わせた奴への憎しみが沸き上がるが、すぐに沈下させた。
利己的な俺が憎しみを抱えるなんて、お門違いだ。
彼女は小刻みに震えて、俺の反応を怖がっているようだった。
大丈夫、大丈夫だからと怖がらないでと伝えたいのに、色々な感情が入り乱れて、言葉にならない。
だから、気持ちを伝えるように彼女の傷にキスをした。
それしかできる術が見つからず、何度も何度も彼女の傷跡にやさしいキスを落とす。
熱に浮かされたように夢中になっていると、彼女は俺を止めた。
我に返って彼女を見つめれば、顔が赤くなっている。さすがに夢中になりすぎていた。
「ごめん。……嫌だった?」
彼女は真っ赤な顔のまま、首を振る。恥ずかしいからと、言われているような態度が可愛くて、俺は口の両端を上げる。
可愛い。愛しい。もっと触れたい。
――好きになってしまいそうだ……
彼女の羞恥心も無視して、俺は腕の中に閉じ込めた。
「可愛い……アイビー……」
言うと幸せな気持ちになる。
胸に広がるあたたかさ。
でも、それは端からすぐ冷えていく。
幸せを感じているのに、とても冷静に〝誰か〟はいいのか?と問う自分がいる。
彼女を抱き寄せる腕の力が自然と強くなった。
泣きそうになって、彼女の黒髪に顔をうずめた。
――アイビー……君が〝誰か〟ならよかったのに……
もしそうなら、俺はこの瞬間を幸せで埋められるはずなのに……
苦しい……
息がつまっておかしくなりそうだ……
あんなに求めていた〝誰か〟よりも、アイビーを求めてしまいそうで。
俺は無性に怖かった。
***
アイビーと過ごす時間に幸せを感じつつも、俺の心は乱れていた。この幸福が終わる恐怖。〝誰か〟はいいのかという後ろめたさ。幸福と怯えが同時にきて、無性にアイビーに触れたくなった。
彼女が困るのを分かって、たくさんキスをした。キスをして触れているときは時が止まったように幸せが残るから、俺はそれに固執した。
そうやって誤魔化して引き伸ばしたところで、時は確実に進むわけで。
誕生日の話が出たのをきっかけに、俺はずるずると言えなかったお別れの時を告げた。
十七歳になると、別世界へ行くための黒い扉が開かれる。扉からは無数の黒い手が伸びて、俺を包んで転生してしまう。
確実にくる別れを暗澹とした気持ちで言ったのに、アイビーはショックを受けていなかった。強い意思をその瞳に宿して、俺を真っ直ぐ見つめた。
「未来を視るわ。……どうにかできる方法が見つかるかもしれない!」
あまりの意思の強さを見せつけられ、息を飲む。俺が時を止めている間に、彼女の黒い瞳が黄金に輝きだした。
――まるで、歓喜の声を上げて花が開いているみたいだ。この瞬間の為に生きていた、と訴えてくるような生命力に溢れていた。
瞳から黄金の花が消えると、彼女はふらりと意識を失った。
「アイビー!」
俺はとっさに駆け寄り、彼女を受け止める。
あまりにも彼女の指先が冷たくなって、ぞくりとした。
なぜ? どうして? 前はふらつくことなんてなかったのに。
力を強く使ったから? 久しぶりだったから?
頭は混乱して、俺は力の限り、彼女を揺り動かした。
「アイビー! 起きて! 起きろって! なぁ! アイビー!!」
なのに俺の声は届かない。あの黒い瞳は開かない。恥ずかしがる顔も。もぐもぐと食事を食べる姿も。赤く染まる頬も。――あんなに愛らしい笑顔が……もう……
ない。
「アイビー……!」
俺は信じられなくて、声が枯れるまで名前を叫び続けた。
その時、愚かな俺はやっと、自覚したんだ。
〝誰か〟じゃない。
君が好きなんだって。
この先の人生を無意味にすごそうとも、君が好きなんだって。
だから、お願いだ。
目を開けてくれ。
喉が潰れて、擦れて、血が出ているようで痛かったが構うもんか。俺は力の限りアイビーの名を叫んだ。
「アイビー……!」
そっと、彼女の瞳が開く。その瞬間、俺は安堵で心臓を止まらせていた。彼女がまた好きな笑顔で俺に声をかけてくれる。
「……大丈夫だよ……大丈夫だよ」
弱りきった声は、痛々しいのに、紡ぐ言葉は優しすぎて、俺は呆然とした。
そして、彼女は綺麗な微笑みのまま、誕生日をしようと言ってきた。
でも、それでは、別れまで一緒にいることになる。
彼女に俺が別世界に飛ばされる瞬間を見せることになる。
俺は戸惑い、言葉を失っていると、彼女は赦すように「大丈夫」を繰り返した。
それに、たまらなくなって、彼女を抱きしめるしかできなかった。
***
アイビーへの思いを自覚した俺は、その言葉をどう形容したらいいか迷っていた。
好き。愛している。君だけだ。
どれも希薄に思えて、言葉に出すのを躊躇ってしまう。それよりも唇で触れている方が伝わるような気がしてしまっていた。
触れる瞬間のアイビーのくすぐったそうな顔は特に可愛くて、見たかったというのもある。
こうして、愚かな俺はずるずると彼女に思いを伝えそこねて、別れの時を迎えてしまった。
――ガチャン。
不意に現れた別世界へ飛ぶための扉。ゆっくりと開かれるそれに、俺は瞠目した。
前だったら、この瞬間は安堵と幸福が入り交じったものだったはずだ。
無意味な十七年を終わらせられる安堵と、次の世界は〝誰か〟に会えるかもしれないという微かな希望。
扉が開かれるのを前の俺は笑みを浮かべて見つめていた。
――――なのに。
あぁ、今は嫌だ。嫌だ。
開かないでくれと願ってしまう。
……アイビーと別れてしまう。
まだ、何一つ伝えていないのに――
「アイビー!」
俺は彼女に向きとっさにその名前を呼んだ。俺を引きずりこもうとする黒い手に抗いながら、彼女に伝えたかった言葉を口にする。
「俺は……!」
――――君を愛している
そう叫びたかったのに、口は黒い手に覆われてしまう。本当に俺は愚かだ。さっさと伝えてしまえばよかったのに、こんな時になってからでないと言えないなんて。
苦痛に顔が歪むのを感じた。俺は後悔に苛まれながら、必死で口を動かした。
アイビーは微笑んでいた。そして、微笑みのままに俺の方に向かってきた。
どんっ――と、胸に重い衝動がきて、俺は目を見開いた。
離すもんかと意思を持った彼女の腕はしっかりと俺の背中に回された。
「アイ……ビー…………?」
黒い手に包まれながら、信じられない気持ちで彼女を見る。
彼女は見たことないくらい、幸せそうに微笑んでいた。
「大丈夫だよ。わたしも一緒だから……」
「連れてって……独りじゃないよ」
黒い手が俺とアイビーを包んでいく。
その瞬間、俺は忘却していた〝誰か〟を思い出した。
――あ……
そうか……
なぜ、忘れていたんだろう……
君だったのに……
君に会いたかったのに……
君に……ごめんと伝えたかったのに……
俺は……
「……っ……ごめ……」
俺はアイビーを力の限り抱きしめて咽び泣いた。
アイビーと出会えた喜び。
彼女の笑顔が見れた安堵。
アイビーが〝誰か〟だった幸福。
――そして、俺が犯した罪。
彼女に傷をおわせた後悔。
忘れてしまっていた罪悪感。
幸福も罪悪感もすべてが入り乱れて、俺はアイビーを抱きしめて泣くことしかできなかった。
そして、そのまま俺は彼女を別世界へ連れて行ってしまった。