第一話 現代の日本世界
今日は近くの神社で祭りがある。
毎年、九月の第二週にあるこの祭りは神社に祭られた大蛇が練り歩くという風習を持つものだ。
何メートルあるんだろうと、思うほど長い大蛇は藁で作られていた。大蛇が祭り囃子と共に空を飛ぶように歩く様は見ていてちょっと不気味だ。
わたし、アイミは今日、その祭りに行く。彼氏のルイと共に。
こちらの世界に生を受けて早十七年。浴衣を着るのも慣れたもの……ではなく、まだまだお母さんに手伝ってもらわないとうまく着れない。
前世は、中世っぽい世界の伯爵令嬢で、コルセットを着てからドレスを着てと、侍女が二人がかりで着せてくれて、着替えは楽しくとも大変なものだった。そんなことを母に着付けをされながら思う。
浴衣の帯を締められながら、身支度をしていると、ピンポーンと、家のドアフォンを鳴らす音が遠くで聞こえた。
きっと、ルイだ。わたしはお母さんに変じゃない?と一度、尋ねた後、可愛いとの太鼓判を押されたので、玄関へ走った。
ドアを開けると、やっぱりルイがいた。男物の浴衣を着ている。シックな黒地にグレーの帯。首もとからサッカー部で日焼けした肌が覗いている。その姿は、いつもジーパンに半袖とラフな格好しかしなかったルイとは大違いで、思わず胸の鼓動が高鳴る。
ルイもわたしと同じように目を見張っていた。
カラン、と下駄を鳴らしながらルイが近づく。近づいた分だけ、心臓がきゅっとしたけど、我慢して彼を見た。ルイは口元に笑みを浮かべながら、目を細めて、わたしの頬をするりと手でなぞった。
これはルイの癖だ。わたしの右目はよくよく見ると、黒い瞳の中に黄色い虹彩がある。だいぶ薄くなってしまった力の名残だろう。彼はわたしの右目に思い入れがあるので、このしぐさをよくする。
愛しそうだけど、哀しみも色濃く残っている。そんな視線を見ていて、わたしまでも同じような瞳で見てしまった。
わたしの気持ちを察したのか、ルイはいつもの笑顔になった。くしゃっと破顔した子供のような笑顔。
「浴衣、似合ってるな。綺麗だ」
素直に言われてしまい、わたしも同じように顔をくしゃっとする。
「ルイも格好いいよ」
声を弾ませて言うと、ルイは頬を少し赤くした。
カランコロン。
下駄を鳴らしながら、二人で祭りに向かう。わたしはルイの黒い浴衣を見て、あることを思い出し、小さく笑った。どうした?と、優しく問われてわたしは素直に口を開く。
「前にルイが黒騎士の衣装を着ているのを思い出したの」
そう言うと、ルイはあぁと納得したような声を出す。
「あの時も格好よかったなぁって、思い出して……あ、でも、浴衣もいいよ?」
慌ててフォローすると、ルイはふっと穏やかに笑う。
「そう言うなら、アイミの浴衣もいい」
「え……?」
こてんと首を傾げると、ルイは悪戯っ子のように笑う。
「前はコルセットが苦しくてお菓子が食べれないって言ってただろ? よかったなー、浴衣ならわたあめも、リンゴ飴も、やきそばも、やきいかも、食い放題だな?」
小憎たらしい顔に、わたしはにやりと笑う。
「そーよ。たーっくさん食べてやるんだから、ルイのお金で」
そう言うとルイは瞬きを何度も繰り返す。呆れられた目をされてしまった。
「ほどほどにな。腹、壊すぞ?」
甘いお言葉にわたしはキャーと声を上げて、ルイの腕に絡み付いた。
「ルイ、好き好き。大好き!」
「へいへい。そりゃ、どうも」
上機嫌のままで、カランコロン。わたしたちは下駄を鳴らして歩き出す。
わたしとルイは前世で恋人同士だった。前世の前も、そのまた前も。ずっとずっと前から、わたしたちは恋人同士だったんだ。
***
神社の鳥居をくぐると、所狭しと出店がある。結構な数の人がいて、歩くのも一苦労だ。
離れないように。ルイはわたしの手を握ってくれる。それをわたしも握り返して、二人で出店を回った。
おなかが鳴り出す前に焼きそば食べて。しょっぱいもの食べたら甘いのが食べたくなったから、次はあんず飴を食べた。あんず飴の出店はパチンコ台があって、玉が転がった先に書かれた数字の本数だけあんず飴をくれる。
「ルイー! 三本よ! 三本を狙って!」
「任せとけ」
ルイが腕まくりをして、玉をはじく。白い玉は釘に弾みながら当たって、止まったのは一本の所だった。
「……ルイ、使えない」
「……惜しかったね、ぐらい言えよ」
思わず愚痴を吐き出すと、肩を竦められる。おばちゃんがクスクス笑いながら、あんず飴を差し出してくれた。わたしは遠慮なくそれをもらい、口にした。ルイの分はもちろん、ない。
次は射的だ。オモチャの指輪が目に入り、どうしても欲しいとねだった。ルイはダメダメと、頑なに断ったが、泣き真似をしたら、見事に命中させて指輪を当ててくれた。ちょろいもんだ。
オモチャの指輪を左手の薬指に嵌めて、わたしはご満悦だった。
「さすが元銃撃部隊。銃の腕は落ちてないねー」
そう言うとルイは嫌そうな顔をする。
「古い話をするなよな。あのとき、俺とアイミは敵同士だったんだ。あそこへは二度といきなくない」
ふんとご機嫌斜めになってしまったルイの腕に絡み付く。ルイは振りほどかなかった。
「そうだね。こんなに気軽に会えなかったもん。会えたのは結局、最後の10日間だものね……」
過去を思い出して切なさが込み上げてきた。しんみりしていると、ルイがある出店で立ち止まる。そこは、わたあめが売ってる場所だった。
「ほら、食べたかったんだろ?」
薄いピンク色のわたあめが鼻先にくっつく。わたしはこら、と怒ったふりをした。
「甘いものの次は、しょっぱいものでしょ?」
わざとツンとした態度をとると、ルイはにやっと笑って薄いピンク色のふわふわをパクリ。
「あ! 食べたな」
「食べないだろ?」
「食べます。食べます。頂きます」
わたしはふわふわのピンクを食べる。甘い口がいっぱいに広がり、美味しい!と叫んだ。こんな単純なことで、わたしはすぐご機嫌になる。そんなはわたしを見て、ルイも、にかっと笑った。
それからイカ焼きを食べた後、わたしは腕時計を見た。まだ時間じゃないことを確認して、ホッと胸を撫で下ろす。
「大蛇が練り歩く時間か?」
「あ、うん……」
ちょっと歯切れが悪くなってしまった。するとルイはイカ焼きの串をゴミ箱にポーンと投げ捨てて、わたしの串も取り上げて、ひょいと投げる。串はゴミ箱に綺麗に吸い込まれていった。
「ナイスシュート」
パチパチと拍手をして笑うと、ルイがこっちとわたしの手を引っ張った。
どこへ行くの?と尋ねてもルイは笑うだけで教えてくれない。ぐいぐいと引っ張られ、神社の裏手へと連れていかれる。
神社の周囲は、背の高い木々に囲まれているから、日が暮れると鬱蒼としていて、少し怖い雰囲気だ。
神社の裏手は大蛇の練り歩きが始まるとあって、誰もいない。息をひそめて周りを見渡していると、屈むように言われた。何をするのか分からないわたしは、目を丸くしてルイを見上げた。
ルイは悪戯っ子のように笑うと、巾着から何かを取り出す。そして、それをわたしの鼻先に近づけた。
「……線香花火?」
ビニール袋に入った線香花火が二つ、視界いっぱいに広がる。驚いて瞬きを繰り返していると、ルイは巾着からライターを取り出した。まさか……ここでやるの?とドキマギしていると、ルイに線香花火を一本、渡された。
「花火はまずいんじゃない?」
わたしは周囲を確認しながら、小声でルイに話しかける。ルイは口の端を持ち上げた。
「大丈夫だって。誰も気づきやしない」
少しだけ低くなった声。それに男の人を感じてしまって、ドキリとした。
「ほら、気づかれるから、もっと、こっちに寄って」
「う、うん……」
肩が触れる。密着した距離と、いけないことをする罪悪感で心臓がうるさい。
きゅっと唇を結んで、線香花火を親指と人差し指で摘まむ。ぶらんと、垂れた線香花火にライターを近づき、火が灯った。
パッと、オレンジ色の花が夜に咲いた。
「きれい……」
思わず声を漏らすと、ルイは横で微笑んだ。そして、自分の分の線香花火も火を灯す。
オレンジ色の小さい花火が二つ。
わたしたちを照らした。
二人だけの秘密の花火を見ながら、ルイの肩に頭を預ける。
「なんか……線香花火ってわたしたちみたいだね」
パッと咲いて、輝いて、あっけなく燃え落ちる。わたしとルイの恋みたいだ。
「そうだな……だから、最後にアイミとしてみたかった」
パチリ。パチリとオレンジ色の火の粉が飛んで、きれいな時間はあっという間。
切ないけど。きれいだから、またしたくなる。わたしたちの恋は線香花火みたいだ。
大きかった花火がだんだん小さくなっていく。
輝やいた熱はくすぶって、まだ小さい火の粉を散らしていた。
「なぁ……アイミ……」
「んー?」
「次に会うときは、俺、幼なじみがいいな」
「え?」
ルイはこっちを見ないで、叶わなそうな願いを口にする。
「俺とアイミは家が隣どおしで、親はこの子たちは結婚するって、決めちゃっててさ。みんなに祝福されて、結婚式をするんだ。綺麗だろうな、アイミの花嫁姿は」
ひゅっと息を飲んだ。
ごくごく当たり前の幸せを口するルイが、愛しくて切ない。だって、叶えられそうにないから。
わたしたちはずっとずっと恋人だったけど、結婚したことがなかった。
それは、彼が連れていかれてしまうから。
十七歳になったら、彼は別世界に連れていかれてしまう。
「もぉ……そんな奇跡ってあるかなぁ!」
涙が目尻にたまったのを悟られたくなくて、わざと呆れたような大きな声を出す。ルイは呆れることなく、にかっと笑う。
「あってもいいだろ。できたら、奇跡だけど。それでも……俺はアイミと結婚して、夫婦になりたい」
大好きな笑顔で、幸せな夢を描く彼が愛しい。ぐずぐす鼻を鳴らして、わたしは口の端を持ち上げた。最後だから、笑った顔を見せたいんだ。
「そうなるといいな。ルイとの結婚ならわたしは大歓迎!」
わざとらしく明るく振る舞うと、ルイは愛しそうにわたしを見つめた。
また近づいた距離。
線香花火も近づいて、くっついてキスをした。
「あ、花火が……」
「うん。だから、俺たちも……」
わたしの頬に手を添える。わたしはまだ落ちない線香花火を気にして視線を逸らした。
「でも、花火が……落ちちゃう」
せっかくくっついた花火が名残惜しくて。わたしはみじろいだ。なのに、ルイは離してくれない。
「いいから」
少し強引に頭を寄せられ、唇が重なる。視界の端で花火が一つになって、落ちたのを見た。
――――――ガチャン
黒い黒い。わたしたちを離す扉が現れる。
幸せな時間はおしまい。と、告げるように。
ルイは唇を離さず、強く体を密着させた。激しくて、くらくら、目眩がする。
扉から黒い手が伸びてルイを引っ張ろうとする。何本も何本も伸びてきて、わたしとルイを離そうとする。
「っ……!」
「ルイっ……!」
わたしは唇を離して彼の名を呼ぶ。連れていかないでと、叫びながら彼を呼ぶ。
ルイはわたしを力強く抱きしめた。だから、わたしも離すもんかと抱きしめ返す。
黒く手に覆われる彼は苦しそうで、見ていられなくて涙が目尻に溜まった。ルイは苦しげな表情をしながらも、口の端を上げる。
「また……見つけるから……」
「うん」
「必ず、アイビーを見つけるから……」
「うんっ……!」
声は涙でぐちゃぐちゃになってしまう。それでも、約束したいから、わたしはありたっけの声を最後に出す。
「わたしを見つけて! ルティス!」
「あなたをまた、愛させて!」
――だって、わたしじゃあなたを探しに行けないから……
彼が苦悶の表情を浮かべた後に、唇を重ねた。黒い手がわたしにも伸びてきてた。重くて苦しいのに、口の中は幸せでいっぱいだ。
だから、お願い。
もうちょっとだけ、このままで。
このままで、いさせてください……
目を伏せたら、真っ暗になる。
プツンと思考が途切れて、何も感じなくなる。
線香花火みたいに、わたしたちはくっつきながら、燃えて、落ちていった。