第007話 これが森の外の世界か
リリアと話し合った結果、悩んだところで正確な場所は分かりっこないということで、とりあえずは、大森林を出る事にした。
と言っても、大森林を出ようと思ったのは初めてで、どのくらい走れば出られるのか検討もつかなかった。
2人とも外の常識というものは一切なかった。
10日ほど走り続けると、辺りの木々が疎らになりその高さも低くなってきた。
ずっと森の奥で暮らしてきた2人にとってここまで開けた場所は初めてだった。
「そろそろ出られそうだな」
「長かったわね。
さすがの私も出られないのではと思ったわ」
道中の食事は森からの恩恵で困ることはなかった。
が、ここからは森がなくなる。
大森林の中では自給自足、もしくは物々交換でやっていけた。
南方ハレの想像通りであるならば、外は海や砂漠といった想像もできない世界が広がっている。
もし、彼のいう通りその世界が物々交換でなく、貨幣がある世界ならば。
そうなれば、何よりもまずお金を稼がないと暮らしていけない。
もっとも、その宛もないのだが。
一刻ほど走り続けりと、ようやく森を出た。
そこは見渡す限りの広い平原たった。
木々を抜ける風ではなく、吹いた風がそのまま頬に当たる。
不安になるほどの解放感と空に包まれたような不思議な感覚。
「これだけ開けた場所は初めてだな」
「私も。
これが森の外の世界なのね」
高い木に登れば地平線も見えた。だが、ここは違う。
地に足をつけて、大地と空の境界線が見える。
普段木に囲まれている二人からしたらそれはとてつもない開放感で、そして、少しだけ落ち着かなくさせる。
「さて、どうする?」
少し途方に暮れた声でギオニスがリリアに尋ねた。
「私に聞かれても困るんだけど……棒でも投げて決めましょうか」
「まぁ、宛もないしな。決まりだな」
ギオニスは、あたりから手頃な枝を拾うと枝の細い方をリリアに見せた。
「こっちの倒れた向きに取り敢えず走るか」
そう言って、ギオニス空中に枝を放り投げた。
枝は空中で何度も円を描き、地面に落ちた。
「さて、どう出るかだな」
ギオニスはそう笑うと、また、リリアと共に枝の方に向かい走り出した。
そこからさらに一日。
また次の朝が来た時に、事件が起こった。
風と鳥、互いの声しか聞こえなかった長閑な道すがら、何かが壊された大きな音と女性の叫び声が響き渡った。
「何!? 今の音!?」
「分からんが普通じゃないな」
ギオニスはそう言うと叫び声に向かって走り出した。
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「誰かッ――」
少女が倒れた馬車の上に乗り周りを見回したが、そこに人影はなかった。
青く真っ直ぐな美しい髪は汗と泥に汚れ、美しい服と白い肌は味方の返り血で赤く染まっていた。
幼い見た目と裏腹に理知的な彼女の目は打開策はないかとあたりに目を配る。
フェリスは後悔していた。大事な商談に間に合わせるために無茶を通した。
結果このザマだ。
確かに他の商人が通るガラハ岩場を回っていた方が安全なのは確実だ。
だが、絶対防衛都市アルダカーラに行くのはこのドラフ平原を突っ切るのが一番早い。
古からある不可侵の森。
その側にあるドラフ平原は森からのはぐれモンスターが出ると噂され、誰も近寄らなかった。
だが、期限間近の商談を整えるためにもフェリスはこの平原を突っ切る案を出した。
不可侵の森と言うのは、噂だけであり強い魔物が出たという報告は受けていない。
所詮は噂、何も出ないだろうと踏んだ。
それが甘かった。
身の丈をゆうにこす闇色の狼。
それらが、群れをなしてフェリスの馬車を囲む。8人いた護衛の冒険者は既に3人まで減っていた。
フェリスは2つの過ちを犯した。
1つは、噂の真偽を確かめず、商談の成功を急いだこと。
もう1つは、冒険者のランクをそのまま信じ、雇い入れたこと。
先の成功のためにリスクを取るのは悪いことではない。
商人なら尚更だ。
だが、リターンの為に受け入れられるだけのリスクであるか、それを見極めなければならない。
いつもならもっと冷静にそれを分析していた。が、今回は、功を焦ってリスクを低く見たこと。
リスクを見る目、人を見る目。
商人に最も必要なその2つの目を見誤った
フェリスはこの絶望的な状況を嘆きつつも、どこか受け入れていた。
今回の失敗は商人にとって恥ずべきことだった。
その結果は受け入れなければならない。
そう考えている内に守っていた3人が食いちぎられた。
護衛はなく、残ったのはフェリスただ1人。
振り回していた護身用の短刀の先を下に向けた。
フェリスは交戦の意思をなくし死を受け入れた。
そして、不甲斐なさを恨んだ。
闇色の狼は、戦意を喪失したフェリスに牙を剥き襲いかかった。
「――っと!
リリア、他いけるか?」
狼の牙がまさにフェリスを食い千切ろうとしたその瞬間、見知らぬ男性が風のように間に割り込むと、狼の牙を素手で受け止めた。
「もう終わってるわ」
リリアと呼ばれた金髪のエルフの言うとおり、馬車を囲んでいた狼は全てどこからと現れた氷の剣により、地面に縛られていた。
「さすが、千剣」
ギオニスはそう笑うと、リリアは照れたように視線を逸した。
生の終わりを覚悟した瞬間、ほんの僅かな間にその全てが覆った。
「わたくし……生きてるの……?」
フェリスを襲っていた狼をギオニスは拳1つで気絶させた。
「あ、あなた達は?」
短い髪と端正な顔つき。
自分と同じヒト族の男性だとは思うが、その力はフェリスが知っているそれを凌駕していた。
そして、群れを制した金髪のエルフ。
フェリスは彼女は魔道士だろうと推測した。
剣士とは思えない強力な魔法。
腕の立つ熟練冒険者パーティが倒しきれなかった魔物の群れを一瞬で制圧する魔力。
「俺はギオニス。
で、こっちが……」
「リリアよ」
ギオニスはよっと声を出して、気絶させた狼の意識を戻した。
「な、何をするつもりですか!」
フェリスは驚いて声を上げた。
それもそのはずで、ようやく倒せたと思った相手を再び起き上がらすなど、どういうつもりなのだろうか。
ギオニスと同じように、リリアも氷の剣を解除した。
それと同時に闇色の狼は逃げ出していった。
「ど、どういうつもりですの!
あんな凶悪な魔物を逃がすなんて」
「凶悪? 森林影の狼は本来夜行性で森の中のような身を隠せる場所でしか狩りをしないやつだぞ? むしろ、臆病な方だ」
「そうよ。捕獲する獲物も小さいもののばかりだし。わざわざ、殺す必要もないわよ」
「わざわざって……」
フェリスは、森林影の狼が去った後を絶望の眼差しで見ていた。
あの魔物がまだドラフ平原にいる。
「ここを通る時は、またあの魔物と会う可能性があるということですね」
「いや、さすがに森に帰るだろう。
アイツら日光が嫌いだしな」
ギオニスもリリアもなぜ彼らが森を出たのか何となく予想していた。
恐らくオークとエルフの争いが原因だ。
大森林の上位8種。
その2種が争いを始めた。
その余波だろう。臆病な森林影の狼は日の光を受けても森から逃げることを選んだ。
争いも落ち着いたのだ。彼らも日の当たらない森に帰るだろう。
「分かりました。
無知なわたくしより、あなた様たちの方がきっと詳しいのでしょう。
改めてお礼をさせてください」
フェリスはギオニスとリリアに深く頭を下げた。
「わたくしの名前はフェリス・シルウェストリス・カトゥス。
ブラン商会の会長をやっております」
ギオニスは、それを聞いてリリアの袖を引っ張ると小さな声で呟いた。
「これからの旅、外の常識を知るやつは必要だ。
特にパーティーを組むなら、商人が一人は欲しい」
「言いたいことは分からなくもないけど、何で商人なの?
普通、魔法使いや剣士なんじゃないの?」
「戦力的には俺たちで十分だろ。
どちらかというと、外の常識を広く知っている奴がいい。
それに、商人はすごいぞ。
正義と名のつくソロバンで殴ったり、不思議なダンジョンを単身で潜ったり――」
主に太り気味の青字ストライプの商人の話だが。
「俺はあれにどれだけ時間を費やしたか。
子供だったから、理不尽な負けに何度心を折られたか――」
「ちょ、ちょっと」
「ハラペコ的な指輪が呪われてる絶望感が分かるか!?」
「何の話をしてるのよ!」
リリアの声にハッと我に返る。
これは南方ハレの記憶だ。
トラだったかトルだったか不思議なダンジョンに潜るネコの話だ。
「すまない。取り乱してしまった。
まぁ、商売に携わるなら広く知見を持ってるんじゃないかな?」
やはり、ゲーム脳としてはパーティーにほしい職業でもある。
「言いたいことは分かったわ。
でも、ついてきてくれるかしら」
「そこは、商人相手だ。
なんかの代りについてきて貰うとか適当にでっち上げよう」
フェリスが不思議そうにこちらを見ているので、悪い内緒話を切り上げることにした。
「そのブラン商会の会長がなんでこんな所に?」
「大事な商談がありましたの。
お二人はこそこんなところで何をしてらっしゃいますの?」
フェリスは注意深く、そして、笑顔を崩さないようにそう尋ねた。
護衛がやられ、転倒した馬車に平原のど真ん中。彼女の一番の望みはこの2人が護衛についてくれること。
でないと、護衛がいなくなったこの状況は彼女にとって死も同然だった。
が、彼女はそんなことを正直に言おうものなら足元を見られると考えていた。
「街を探しているんだ。
まぁ、どこでもいいんだが、何か知ってるか?」
ギオニスの言葉にフェリスはニコリと笑った。
すぐ様要望を言うような相手は御しやすい。これなら、自分の思い通りになりそうだと内心ほくそ笑んだ。
「もちろんですわ。
お二人が、何をされるのか分かりませんが、付近で大きな街といえばやはり防衛都市アルダカーラですわね」
フェリスはそう言って遠くを指さした。
「ありがとう!
リリアもそれでいいか?」
「元々宛もないものね。
それでいいわよ」
ギオニスとリリアがフェリスの指さした方へ歩き出そうとした瞬間、それを止めるようにフェリスが言葉を続けた。
そして、内心クスリと笑った。
とてもじゃないが、徒歩で行く距離じゃない。
「折角なので、ご一緒しませんこと?
助けて頂いたお礼も致したいですし」
フェリスは、そう言って二人に優しく微笑みかけた。お礼という言葉を少しばかり強調していう。
「いいのか?」
「もちろんですわ」
ヒトとエルフの優秀な護衛を安く雇えたとフェリスは内心喜んだ。
「では、馬車を何とかしないとですわね」
ウキウキのフェリスに見られないように、オークのギオニスとハイエルフのリリアは怪しくニヤリと微笑んだ。
彼女は大きく誤算していた。
ただの強い冒険者と思っている二人だが、その正体は、龍も避けて通ると言われる古の大森林に住まう住人。
ヒトの姿をしたオークとハイエルフの姫であることを彼女はまだ知らなかった。
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