第063話 あなたが風の属性を持つ者だから
フェリスはヒト族の陣営を走り回っていた。
各集団の長に撤退すべきだという熱弁をふるっていた。
が、防衛都市アルガラータの戦士や冒険者はみな耳を貸さなかった。
「ここもですか……」
ギルドマスターでもあるディンクにでも会えれば多少は風向きを変えられるかもしれないが、どこにいるか分からない。
「フェリス! ここにいたのね!」
その言葉とともに、そらからリリアが降りてきた。
「すみません。撤退の件、全然進んでないです」
「仕方ないわ。
この状況ですもの」
今や魔族もヒトも入り乱れて戦っている。
今だれがどこで戦っているのか、生きているか死んでいるかさえわからない。
時折降り注ぐ火球はみな誰がどこから撃っているか分かっていない。
ただ、全員が必死に目の前の敵を倒している。
地に臥せば喰われることも知らずにだ。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
響き渡る恐ろしい咆哮は戦慄とともに戦場に伸し掛かった。
あれほど一心不乱で戦っていた戦場すべてがその咆哮に身をすくめその動きを止めた。
「なんですの! これは……」
「ギオニスだわ」
ギオニスの咆哮が終わるが、狂乱から戻らず戦場が静まり返った。
これだけ大勢のヒトがいるにもかかわらず、静かな戦場、そこにエンラが動く地面を引きずる音とそれを打ち砕くギオニスの音だけが戦場に響いていた。
「あ、あれはなんだ!」
目の前の敵しか見ていなかった全員が今やその巨大な何かを見る。
戦場にいる誰かが、マグマの塊と化したエンラを指さし恐怖の声を上げると、その恐怖はあっという間に戦場に伝染していった。
ヒトは愕然とし逃げ出し、魔族はそれがエンラと分かると歓声を上げた。
「撤退! 撤退ぃ!」
どこかの誰かのそこの言葉を端にヒトの陣営は少しずつ下がり始めた。
砂利のようにヒトと魔族が入り混じっていたが、撤退し始めたことにより、徐々にヒトと魔族の陣営が明確に別れ始めた。
エンラはゆっくりリリアたちの方を向いた。口を大きく開き、その中には熱く光る光球があった。
「ちょっと、ギオニス……エンラがこっち向いているんだけど!」
目も眩むほど強い光にそのすぐ後を追うように耳を劈くような音が響く。
「あいつ、生きてるんでしょうね!!」
全員が目を瞑り身を構えていた中、リリアだけが、魔族とエンラの間に入り、何枚もの障壁を作っていた。
魔族の軍を守る氷の障壁。
薄っすらと目を開けた魔族は驚いた、エンラが自らの軍を襲ったこと。
そして、見たこともないエルフが自分たちを守ったこと。
「あっという間に2枚も破られるなんて。
ちょっと、そろそろ、持たないわよ」
最後の障壁にヒビが入る。
これが砕ければ、魔族は半壊だ。それは、エンラの力が更に膨れ上がることを示している。
「ギオニスーーー!!!!」
リリアの叫び声と同時にエンラが天を仰ぎ、エンラの口から放たれていた光線が障壁から外れる。
どうやら彼はまだ生きていて戦っている。
「リリア殿!」
「ガブラ。生きていたのね」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこにはあの時にともにいたゴブリンが立っていた。
「お陰様で我が隊の損傷は軽微だ」
「なら、魔族を逃してくれない?
見たでしょ今の。敵味方区別なく殺しに来てるわよ」
「しかし、あれはエンラ様では……」
「今は正気を失っているわよ」
「リリア殿はどうするつもりで?」
リリアは手短に現状をガブラに伝えた。
彼は分かったと言うと後ろにいた副官に何か伝えると、剣を抜いてリリアの横に立った。
「なら、私も助太刀しよう」
「リリア様……この方は……?」
フェリスが不安そうにガブラを見た。
どこをどう見ても魔王軍の一員だ。
ヒトであるフェリスが不安にならないはずがない。
「魔王軍のガブラよ。
フェリスの……そうね。弟弟子ね」
「えっ? どういいうことですの?」
「ちょっと、楽しそうだから鍛えてみたの。
結構筋がいいわよ」
フェリスは「魔王軍なのにですか」と問いただしそうになった。
その問がいかに無意味か彼女は知っていた。
彼女にとってヒトか魔族かは大した問題ではない。
フェリスは氷の剣を作り出してガブラに渡した。
「今の私が作れる最高の剣よ。
これでギオニスを助けてあげて」
「承知した」
ガブラはそう言うとエンラのもとに向かって走り出した。
「さて、フェリス」
リリアは静かに彼女をみた。
「あなた、弓は使えるかしら?」
「いえ……えーっと、少しわ」
「なら、お願いしていいかしら」
「な、何をですか?」
「魔核を撃ち抜く役目よ」
「えっ? リリア様がやるのでは?」
「そうしたいんだけどね」
それができないことは自身が一番よく知っていた。
「もう、ほとんど魔力がないの。
魔核を撃ち抜くほどの威力のものを作ると操作分の魔力がなくなるのよ」
「でしたら、私よりリリア様のほうが絶対成功しますわ!」
「私が弓なんて細かいことできるわけ無いでしょ」
エルフといえば弓が得意なという印象であったが、リリアはどうやら例外らしい。
リリアらしいといえばリリアらしいが。
「でも、なんでわたくしなんですか?」
「フェリス、あなたが得意なことはなに?」
「わたくしの得意なことなんて……流れを読むことぐらいですわ」
フェリスはリリアの肩に手をおいた。
「それで十分よ」
「よく見て。エンラが見えるかしら」
「はい」
リリアはグッと顔を近づけ、フェリスの視線で巨大なエンラを見る。
その近くで戦っているギオニスが見える。
「私達とあいつの間になにかあるかしら?」
開けた草原と岩場。
そこに遮るものはなく、確かに射抜くには十分な場所だ。
「何もありませんわ」
「よく見て、私達の間には空気の壁がある。
風が吹いているわ」
「風なんて、そんな見えませんわ」
「落ち着いて。
肌に当たる感触、そこにいる人々の揺れる髪、舞い上がる砂。
すべてを見てどんな風が流れているか想像しなさい」
「想像……」
リリアに言われて、自分の頬に風があたっていることに気づいた
。
それと同時に、大きく息を吸い込んだ。
普段意識していないほどのこと、頬に当たる風、吸い込む息。
ゆっくり吐き出しながら、もう一度あたりをよく見る。
「あなたが風の属性を持つ者のだから。
きっと手を貸してくれるわ」
忘れていたような些細なことを思い出すようなこの感覚。
以前に一度味わったことがある。
その時、ふっとステップに乗ったことを思い出した。
そうだ。あの時だ。
そう気づいた瞬間、フェリスの視界が一気に広がった。
流れている風が不思議と目に映る。
「行けるわね」
「はい!」
元気なフェリスの返事にリリアは羨ましそうにフフッと笑った。
「周りは任せなさい。
あなたは射抜くことだけ集中しなさい」
そう言うと氷でできた弓と矢をフェリスに渡した。
ひんやりと冷たいそれを握ると彼女は弓を引いて、エンラを睨みつけた。




