第060話 ホント、面倒だわ
髪の焦げる嫌な匂い、服が焼け落ち肌が顕になった。
完全には防ぎきれなかった。皮膚が熱でひりつき、耳先が痛い。
結んでいた髪留めが焼き落とされ髪の毛が風で後ろになびく
魔法一発で立場が逆転するなんてざまあない。
リリアは乱入してきた少年を地面に置くとフェリスの方を見た。
フェリスもすぐに意図を察して地上に降りてきた。
「この少年を」
「それはいいのですが、あの……大丈夫なのですか?」
フェリスの言葉にリリアは困ったような笑みを浮かべた。
「もう……誰かにアイツを止めてもらいたいわよ」
弱音にも似た愚痴。彼女には似つかわしくない言葉にフェリスは驚いた。
相手はエルフの仇でもある。できれば自身の手で果たしたい。
だが、状況はリリアにとって芳しくなかった。
リリアは中距離からスピードと物量で相手を押しつぶす戦い方をする。
潤沢な魔力があるエルフならではの戦い方だが、弱点もある。
彼女の戦い方は基本的には一対一を想定している。
圧倒的な物量も範囲に広がればその効果も薄れる。ただでさえ何百という剣を操るのは神経がいる。
今はエンラとの一対一だが、困ったことに戦場にはフェリスの仲間がいる。
そして、ガブラも恐らくいる。
リリアにとって、エンラを除くこの戦場の全てに攻撃が当てられない。
得意の氷剣もエンラに当てられなければ、わざわざ操作して誰もいないところに飛ばしている。普段の倍以上の神経を使う。
「ホント、面倒だわ」
全てなぎ倒してから、エンラと戦えばどんなに楽か。
それもこれも全部アイツが悪い。
普段肩入れをしないヒト何かに肩入れし始めるのがダメなのだ。
とっとと、目標である魔王だけを倒しに行けばこんなことにはならなかった。
エンラが炎を手に纏って、リリアに向かって飛び込んできた。
「フェリス、行きなさい!」
フェリスはすぐに戻ってきますと叫び、少年を抱えて戦場を離れた。
エンラの拳を氷剣で受けるが、その熱に氷の剣が形を変える。
「私の剣が――」
「俺様の炎で焼き尽くされたら骨さえも残らないぜ、だがな――」
パキンと音を立てて、リリアの剣が折れた。折れることを予想していなかったリリアの体勢が前のめりに崩れた。
エンラはそれに合わせるように一度背を見せると、右足を大きく振り上げかかとでリリアの頬を蹴りぬいた。
リリアは大きく頭を振られ、体勢を立て直せず地面に激しく倒れ込んだ。
「お前は美しい。その顔だけは俺様のそばに置いてやる」
「私の顔を蹴っておいてよく言うじゃない」
倒れ込んだリリアを見下ろすエンラ。あの日の屈辱を晴らし優越感に浸った顔で彼女を見ていた。
「おっ? なんだ、女に手を上げる卑怯者とでも言うつもりか?」
「いいえ、戦場に出れば、みんな兵士よ。
でもね! 私の顔を蹴ったのは許さないわ!」
リリアは地面を蹴るとエンラの顎めがけ踵を思いっきり振り上げた。ちょうど逆立ちをするような振り上げ、エンラ間一髪でそれを避けた。
「てめぇ――」
エンラが悪態をついたその瞬間、両手の下にステップを作り、逆さまのまま浮き上がる。
エンラとちょうど目が合う高さ、リリアはまっすぐ腕を伸ばし、彼を睨みつけた。
瞬間、生み出されたナイフほどの小さい氷の剣がエンラを襲った。
彼もそれは予想していたらしく、同じだけの火球を作るとそれにぶつけた。
氷の刃と火球がぶつかり合い両者の間で魔力圧を帯びた爆風が巻き起こる。
リリアは空中で半弧を描くとステップを踏みつけ、その爆風の中に飛び込む。
一瞬でエンラの懐に潜り込むと相手の顎を殴り上げた。
リリアのこぶしに当てられエンラが空を仰ぐ。
彼女の攻撃はまだ続く。
一度、背中を見せるとさっきのお返しと言わんばかりに、かかとでエンラの横っ面を蹴とばした。
風に飛ばされた小枝のようにエンラが横に吹き飛ぶが、その先にリリアのステップがあった。
エンラがステップに当たると、その反動でリリアに向かって勢いよく戻ってきた。
「さっきのお返しよ!」
詠唱は完了しており、魔法陣が完成していた。
「串刺公の凍てつく牙!」
魔法陣から牙のようにとがった氷が、跳ね返ってきたエンラの身を容赦なく貫いた。
貫かれたはずのエンラの身体が、一瞬で炎に包まれると、全身の傷が一瞬で完治した。
「無駄だ! 無駄無駄ぁ!」
確かにエンラのいう通りで、彼にダメージを与えたそぶりが全く見えない。
それどころかさらに力が増しているように感じられた。
それもこれもあの術式だ。
エンラが行った流転の魂。
森の管理者であるドライアドが使用する魔法で、仲間や自らの命を次へと繋げる流転の魔法。
命を魔法に変える数少ない魔術であるが、ここまで爆発的に強くなるものではない。
それもこれも、大森林の外側、短命種の命を使っているからだろう。
どう考えてもその身に宿せるはずのない魔力量。それが全て精霊化に転化されている。
もしかしたら、私の力を――。
リリアはそこまで考えて頭を振って考えるのをやめた。
仇相手におめおめ逃げる選択肢はない。
大森林では生きることが最も尊敬されることではあるが、それでも一族の長として選べない矜持がある。
「上等よ。あんたがどれだけ他人の命を使ったか知らないけど、私のほうが上ってことを見せてやるわよ!」
「ははははっ! 我に追従せよ! 召喚・マグマワーム!」
「はっ、懲りずにっ!」
先ほど同じマグマの身を宿したうねる紐状のそれは、エンラの手から落ちると鋭くその先端をリリアに差し込んできた。
が、それは先ほどすでに対処した技。召喚獣か何か知らないが、リリアの冷気で簡単に凍る。リリアは冷気をこめた剣で向かってきたマグマワームをたたく。
が、先ほどは凍ったマグマワームが今度は何の変化もなく、リリアの腕に触れた。
「ッ――!」
マグマワームが腕に触れた痛みで表情が歪む。
冷気を最大出力にして思わず力任せに振り払った。
マグマワームによって焼かれた皮膚の嫌なにおいがリリアの鼻をかすめた。
「こいつ、私の神籬武装を!」
「さっきとは違う成体だ。マグマワームは召喚者のこめる魔力でその強さも変わっていく」
「だから、何だっていうの」
「言ったろ? こいつらは魔力を喰うって。
お前みたいな魔力の宝庫なんぞ、こいつらに取ったらごちそう以外何でもねぇ」
リリアは後ろに飛んだ。
「私を舐めないでよ!」
リリアの後ろに数百の魔法陣が浮かび上がった。
「氷柱は剣となり、剣は牙となる。
凍える刃は以下略
アイシクルスピア」
魔法陣から生み出された氷の刃は滝のように止まることなくエンラに向かうが、その間にマグマワームが立ちはだかった。
身体を広げ豪勢なご馳走に身を震わせ、リリアのアイシクルスピアをその身に受ける。
アイシクルスピアはマグマワームに当たると突き抜けることなく彼の身に吸い込まれていく。
リリアは左手を天に向けた。
アイシクルスピアがマグマワームを貫く前に喰われている。
相手は全身が口のような生き物だ。その身に触れれば、魔力が分解され取り込まれる。
確かに魔術師にとっては天敵だ。
「白氷――」
だが、それはあくまでも一般の魔術師にとってはだ。
彼女は違う。
大森林のハイエルフにして、エルフの里の姫騎士。
姫でありながらその強さから騎士とも称される最強のハイエルフなのだ。
「――天衝!」
その瞬間、手のひら大の氷柱がマグマワームを貫いた。
先ほどのアイシクルスピアと同じような形ではあるが、それ一つに込められた魔力はアイシクルスピアの比ではなかった。
白氷天衝はマグマワームに喰われる前に貫くことができた。
驚いたのはマグマワームの方だった。直前までは、餌に過ぎない魔力の塊がその見に取り込んだ瞬間、異物となって身を貫いた。いや、餌であることには変わりなかったが、とても食べられるようなものではなかった。
極上の魔力にもかかわらず。
「一発では、死なないか。
なら、これでどう?」
アイシクルスピアが白みを帯び、マグマワームでさえ食べ切れなかった白氷天衝へと変わっていった。一撃必殺の連撃にマグマワームは無数の穴が空き土塊に還った。
「さて、次はあんたよ。
この先、こんな奴ら何匹出そうとも役に立たないわよ」
「アイシクルスピアに白氷天衝か……こうやるのか?」
エンラの周りにリリアと似た魔法陣が無数に浮かび上がる。
「デモン・ランス!」
「なっ!」
エンラが無数の焔の槍を作り上げたとほぼ同時、リリアも氷の槍を作り、それに応戦する
「凄いぞ。形質変化に硬度強化。ただの形状変化じゃない。
魔力の塊をぶつけるのではない。
これがハイエルフの魔法か!素晴らしいぞ!」
リリアの詠唱の真似をして、エンラは喜びの声を上げる。
エンラの身体の中から今までにないほど魔力が湧き上がる。
アイシクルスピアとデモンランスがぶつかり合うと同時、エンラはリリアの懐まで飛び込むと焔をまとった拳でリリアを殴りつける。
リリアがすんででそれを避ける。
空振った手から焔が空に飛び、それは鳥へと形を変えて、リリアを背後から襲う。
それに合わせるように、エンラは避けたリリアを遮るように蹴り上げる。
リリアはかろうじてエンラの蹴りを受け止めたが、背後の鳥は受け止められず悲鳴とともに前のめりに崩れた。
その隙をエンラが見逃すはずもなく、彼の拳がリリアのみぞおちを撃ち抜いた。
「ッ――!」
苦悶に歪むリリアの顔。エンラは彼女の髪を掴むと乱暴に引き上げた。
「おいおい、なんてざまだよ。
これがあのハイエルフか。俺を殺そうとしたやつか」
エンラはリリアを乱暴に地面に放り投げると仰向けになった彼女の上に跨った。
馬乗りになったエンラは、リリアが逃げ出そうと上半身をよじるがそれを黙らそうと顔を殴りつける。
リリアは顔を防ぎ、致命傷を避けるが、その隙に無防備な腹部に拳をねじ込まれる。苦痛に手を伸ばそうとするが、その隙にまた顔を狙われる。
空中に魔法陣を作り上げ、背後から氷剣を刺そうとするが、それらはすべて焔の槍が撃ち落としていく。
「ははは、いいぞ! いいぞ! もっと逃げろ!
あさましく生き残れ」
リリアは自分の身体の変調に気づいていた。
ギオニスと共に森を出てから魔力の回復が遅いことに気づいてた。
何日経っても一向に回復しない魔力。
魔力が得手のエルフにとって致命的であった。
オークとの戦争の後からただでさえ空に近い魔力が今では更に少なくなっている。
ここから逆転する方法を考えるが全く思いつかない。
しまったなと後悔した。
まさか相手が数万人規模の命を魔力に変換してくるとは思ってもいなかった。
さすがに太刀打ちできない。
「くっ……殺――」
「だから、早まるなっての」
聞き慣れた声と共に、馬乗りになっていたエンラが吹き飛ばされた。
「ったく、ほら、立ち上がれるか?」
突然やってきたその男は、エンラを蹴り飛ばし、倒れていたリリアに手を差し伸べた。
「何よ。遅いじゃない」
「俺が知らん間にどうなってんだよ」
リリアはその男の手を握るとゆっくりと立ち上がった。
「貴様! この俺様を蹴り飛ばしやがって!」
エンラが立ち上がりその男を睨む。
「あいつ、強いわよ」
「分かっているよ。お前があそこまでやられたんだ。
油断するわけない」
「頼んだわよ。ギオニス」
「あぁ、任せろ!」
ギオニスは握りこぶしを作ると、エンラに向けた。




