第058話 よく頑張ったわね
エンラの炎が、服を燃やし髪を焦がす。
こんな戦いにお気に入りの服など着てくるものではなかったと独りごちた。
風をうまく使い、炎をそらすが、それでも完全に避けられるものではなかった。
腕周りはおろか、背中や腰に当たる服までも焦げてその下の肌が顕になっていた。
その隙間を撫でるように熱風が身体を這う。
息を吐き、吸うたびに鼻をかすめる焦げた香り。
皮膚は熱でやられ、動かすたびに麻痺のように痛みが響く。
そのわずか横を火球が走る。
ほんの僅かな油断さえ許してくれない。
炎は彼女を避けると味方に降り注ぐ。流れを逸らすか、斬り伏せないと被害が増える一方だ。
そう思ってすでにだいぶと時間が経っていた。
エンラの炎は尽きることなく溢れ出る。受けに回っては、いつかは受けきれず死ぬのが目に見える。
隙きをついて、ステップの高速移動とスラッシュで一気に蹴りをつけるしかない。
問題はその隙きである。
火球は目まぐるしく動き回り、前後ろ問わず彼女を襲う。
避けようものならそれは味方に、受けようものなら灼熱に身を焦がす。
ならば。と、ステップを2枚重ねて強く踏み込む。
逃げ回っていたフェリスが突如エンラに向かって距離を詰めた。
左右上下にステップを張り巡らし、火球を惑わす。
フェリスからそれた火球が自陣に落ちていくのは分かっている。
が、このままいればどのみち全滅。ならば、一刻も早く元凶を撃ち落とす。
頬の間近に燃え盛る炎が過ぎる。
エンラが怨嗟にも似た咆哮をあげると同時、フェリスの目の前に炎の壁が広がる。
どれだけ早く通り過ぎても、この灼熱の壁に身を投じて無事ではいられない。
フェリスは覚悟を決めた。
それは死の覚悟ではない。
自分を信じる覚悟。
「……行きますわ」
その呟きと同時にフェリスの身体が淡く黄金に光る。
「――神籬武装!」
フェリスから教えてもらったエルフの秘技。
それと同時にフェリスの身体が業火の渦に飲み込まれた。
フェリスの眼前にはまるで死霊の手のように荒れ狂う炎が彼女を焦がそうと蠢くが、それらはフェリスのほんの僅か前で押し返されるように逸れていく。
炎の荒れ乱れる音が周りの音を掻き消すが、肌には炎の温度が一切伝わってこない。
完全に無効化している。
唐突に目の前に空が広がった。
青空の中に驚いた表情のエンラがいた。
炎の渦で掻き消されていた辺りの音が蘇っていく。
エンラが逃げようと背を見せたが、時既に遅い。
機動力だけなら、フェリスの方が勝っていた。
「わたくしの勝ちですわ!」
逃げようとするエンラの背中を横一閃に薙ぎいた。
僅かな手応えと共に、エンラの身体が2つに別れた。
そのまま、大きく振りかぶりスラッシュの掛け声と共に縦に切り裂いた。
「勝っ――」
勝利を宣言しようとしたその刹那、エンラの身体が炎へと代わり、それらが鳥かごのようにフェリスを囲った。
逃げようと当たりを見回した時には遅く、フェリスは完全にその炎の鳥籠に囚われた。
「カッハハハ、いい気味だな!」
「これは……」
「死の鳥籠。拷問用の監禁魔法だ。
極小魔法陣を踏み台にする戦い方。それに、身に纏う黄金の魔法。
やはり、お前はあのハイエルフを知っているな!」
「さっきから言っておりますが、誰かと間違っておられますわよ? 私の知っているリリア様はあなたのそれとかけ離れておりますわ」
「間違えるわけねぇだろう!」
その瞬間、籠の中で爆発が起きた。
「きゃああっっっ――」
逃げ場のないかごの中で起きた爆発は、フェリスを包み、叫び声で開いた喉を焼いた。
あまりの痛みにステップの上に崩れ落ちた。
「あのエルフはどこにいる!」
「……知りませんわ……もっとも……」
フェリスはにらみつけるようにエンラを見た。
「知っていても教えませんけどね」
「いい度胸だ。それがいつまで続くか見物だ」
その言葉と同時に、フェリスの顔の前で爆発が起こった。
ぎりぎり耐えられる程度の痛み。
エンラが何度もフェリスに問いかけながら、その都度爆発を起こす。
何度爆発に巻き込まれただろうか。
フェリスの気が遠くなりそうになっていると、エンラは舌打ちを打った。
「ちっ、本当に知らねぇのか。
まぁ、いい、アルガラータを焼きつくせばあいつは現れるはずだ」
「……」
フェリスは今ステップでこの体を支えているのが精一杯だ。
彼を止めなきゃいけないが、自分の力ではもう無理だ。
エンラは虫の息のフェリスを見ると、炎で剣を作り上げると、無造作にフェリスに投げつけた。
フェリスは向かってくる焔の剣に思わず両目をつぶった。
手も足も出なかった。
瞼を閉じた暗闇の中、数瞬後に貫かれ死ぬ自分を想像した。
「――よく頑張ったわね」
暗闇の中、唐突に聞き覚えのある声が聞こえ、誰かに身体を抱き上げられた。
炎に浮ついた周りの温度が一気に冷たくなり、身体がスッと楽になった。
「ありがとうございます――リリア様」
フェリスは薄っすらと目を開いた。目に入ってくる太陽の光に目を細めながら、目の前にいる美しいハイエルフを見つめた。
禁断の森に住まう最強のハイエルフ。
空に浮かぶ雲よりも白い肌、稲穂のように美しい黄金の髪と草原のような緑の瞳。
そのエルフは自信有りげにニコリと笑っている。
どんな絶望でも彼女ならひっくり返すだろう。そう思わせてくれる笑みだった。
「久しぶり」
「どうでしたか?」
リリアは色々あったわと楽しそうに返した。
リリアの細い腕に抱かれてフェリスは安心してその体重を彼女に任せた。
「すみません。少し疲れて……」
「気にしないで」
リリアはフェリスの髪を優しく撫でた。
「さぁて、どこのどいつよ。私の可愛い弟子を痛めつけたやつは!?」
リリアはそう言って、フェリスを強く抱きしめ、エンラの姿を見た。
「あら、あなた、どこかで……」
リリアがそう呟いた瞬間、エンラが目を見開き大きく口を開けて笑った。
「やっぱりお前だったか、リリア!
会いたかったぞ! どれだけ! どれだけ! お前を思ったことか」
「あんたなんか知らないわ……って言いたいんだけど...…」
リリアはごめんねとフェリスに言うと彼女をステップの上に下ろした。
「私もよ。エルフの村を襲ったやつの仲間よね」
リリアは風になびく髪の毛をそっとかきあげた。
口調はいつものリリアだったが、その節々から痛いほどの殺気を放っている。
「なんで生きてるか知らないけど、生きてるならまた殺してあげるわ」
リリアの言葉にまた一段とあたりに寒さが広がった。
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