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第057話 強いですわ

 ヒトの手の届かない上空。

 憎しみに満ちた目でエンラはヒトの軍勢をにらみつけていた。


「死に絶えろ!」


 咆哮を上げながら今しがた作り終えた焔葬の棺デオル・ゲナを手に宿し、眼下にたむろうヒトの軍勢に向けた。


「させません!」


 一陣の風と共に、何者かに手を打ち上げられた、目的とは違う方向に向いた手から放たれた焔葬の棺デオル・ゲナは何もない虚空を焦がした。

 まったくの虚をつかれた。

 この上空にヒトごときが登ってこられるはずがなかった。

 いや、ヒトにも自分同様宙に浮く魔法があるのは知っていたが、その速度は遅く、どうあがいても手遅れのはずだった。


「貴様――」


 エンラは突如現れたそのヒトの女をにらみつけた。

 それは、邪魔された怒りであったが、彼女を見た瞬間、別の感情が一挙に沸き上がった。


「お前! その技をどこで知った!」


 そのヒトの女が乗っている薄い魔力でできた板。

 忘れもしない、自分を切り裂いたエルフの使っていた技だ。

 フェリスはその魔物の眼光に一瞬たじろいた。


「わたくしの魔法の師であるリリア様ですわ」

「やはり! やはりか! 淫乱の姫騎士リリア!」


 魔物の言葉にフェリスは一瞬、状況も忘れて目をぱちくりさせた。

 自分の聞き間違いではなかったのかと耳を疑うほどだった。

 フェリスの知っているリリアは淫乱という言葉にはほど遠い人物だった。


「別の方と間違えてませんの?」

「るせぇ! アルガラータにそいつがいることは分かってんだよ!」


 どきやがれと叫び、弧を描くような炎の斬撃がフェリスに向かって飛んできた。

 フェリスはステップを踏み空中でひらりとかわす。


「見れば見るほど、むかつく戦い方をしやがる」


 エンラは握りこぶし大の火球をいくつも作った。

 周囲に浮かび上がった小さな火球は周りの空気が歪むほど熱を上げていた。


「これがよけられるか!」


 エンラの背後に、一気に数十の火球が燃え上がると、同時にそれらがフェリスに向かって曲線を描きながら向かってくる。

 空気を焦がす音ともに迫りくる焔の弾に、フェリスはそのすべてをぎりぎりで躱していく。


「ほらほらほら! まだまだ終わんねぇぞ!」


 エンラから尽きることなく火球が飛び出すが、フェリスはまるで空中を泳ぐ魚のようにそれをすんでのところで避けていく。

 数が多いが、無軌道に飛んでくるわけではない。

 冷静にその軌道さえ見切れば、避けることはできる。


「これなら!」


 フィリアはステップを2枚重ねて、爆発的にスピードを上げた。

 エンラの機動力はフェリスのそれに劣る。

 彼女は目まぐるしく、左右上下に飛び交い、相手の視線を惑わせながら、一気にエンラの背後に回った。

 そのまま一呼吸もおかず、リリアからもらった木の剣を振り上げた。

 その一撃を振り降ろそうとしたまさにその瞬間、フェリスを逸した火球が地上に落ち、爆発とともに、叫び声がこだました。


 フェリスの後ろのその先、そこにはアルガラータの軍が陣を敷いている場所だった。


「いいのか、残りの火球がすべてお前の仲間を殺しに行くぞ?」

「卑怯者!」


 振り下ろす手を止め、フェリスはエンラから離れるとまさに降り注ごうとしている火球を止めに飛んだ。

 火球よりも早く風を切り、その剣を持ってたたき切った。


「全軍、進め! ヒトどもを蹂躙しろ!」


 エンラの咆哮に魔王軍が一気に進軍した。ヒトも負けてはおらず、それに相対するために進みだした。

 フェリスも動きたかったが、エンラから自軍に降り落ちる炎の礫を切り落とすだけで精一杯だった。

 周囲に満るうねる様な叫びに、フェリスは目がくらみそうになる。

 だが、ここで気を抜けば――


 唐突に襲った気怠さが思考を遮った。

 それは身体に巡らせた身体強化フィジカリオスが切れる予兆。

 火球の対処に集中していてかけ直しを忘れていた。


 急いで、身体強化フィジカリオスを身体に張り巡らせるが、その隙をエンラが逃すはずがなかった。

 単調だった軌道が急に角度を変えフェリスを囲い込み、逃げ道をふさぐように炎の槍がフェリスの目の前を通り過ぎた。


「炎幕よ下れ、包め朱闇の刻。

 獄炎に蠢く蛇よ目覚め食い散らせ――

 そこには情はなく、残すものはない――

 灰も残さず焼きつくせ! 暴炎なる蛇の炎フレイム・デライタス


 エンラの手から炎の蛇がうねりを上げながら、囲まれたフェリスを襲う。

 今の彼女の魔法障壁ではとてもじゃないがこれを止められない。


 それならと、フェリスは持っている木刀を握りなおした。

 止められないなら打ち砕くのみ。


「スラッシュ!」


 フェリスがそう叫び、剣を一閃に振りぬいた。

 剣閃に沿って魔力を帯びた風の斬撃は炎の鳥を真っ二つに切り裂き、はるか彼方へ飛んで行った。


 問題ない――。そう確信した瞬間、背中に激しい痛みと身もだえしそうな熱さが走った。痛みに怯んだ瞬間、その隙を食らいつくすように周囲を囲っていた火球が一気にフェリスに向かう。

 逃げようと、一歩踏み出した瞬間、炎の槍がその足を貫いた。


「っああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」


 今まで感じたことのない激痛にフェリスは思わず叫び声をあげた。

 それでも、エンラの攻撃はやむことがなかった。火球が髪を焼き、フェリスの白い肌を焦がす。

 あまりの激痛に、立っていられなくなりバランスを崩した。

 今フェリスが立っているのは上空のステップの上。踏み外せば翼のない彼女は落ちるしかない。

 崩れ落ちるように身体は宙を舞った。

 このまま落ちたら確実な死だ。

 フェリスは、大きなステップを作り身体ごとそこに乗せ、はじき出されるように逃げ出した。


 飛ばされた布切れのように、フェリスの身体が宙を舞う。

 本来なら踏み込むそれを全身で受けたため、巨人にでも殴られたように全身に鈍痛が走った。

 だが、やり方はどうであれ、フェリスは何とか火球の囲いから逃げ出せた。

 空中で何とかバランスを整え、もう一度ステップを作り、そこに着地する。


「さすがに……強いですわ……」


 あっという間に満身創痍になった身体。服は焼け焦げて腰や背中があらわになっていた。

 フェリスは唇を強く噛み締めエンラをにらみつけた。



----



 雲よりも遥か高く。風にあたっていたリリアが、ハッと遠くを睨みつけた。

 僅かだが、巨大な魔法の気配がした。

 誰かが戦っている。それだけで、リリアの心が高ぶったが、それを何とか押し留めた。


 今は一刻も早くアルガラータに戻り、ギオニスと会わなくてはならない。

 あいつが12小隊と会えば全滅は必須だ。今は、ギオニスは不自然にヒトの肩を持っている。


「うーん……」


 リリアは難しそうな顔をして魔力の波動を感じたその方向を見た。

 リリアは今完全に迷子になっていた。

 魔王軍を探して右往左往したせいで、アルガラータの場所がすっかりわからなくなってしまった。


「そうね……」


 戦っているということは誰かいるということだ。

 そいつらに聞けば分かるかもしれない。

 争っているならば、その争いを止めて聞けばいい。

 リリアは仕方ないわよねと呟いた。

 寄り道はしたくないが、道を聞くためには、戦いに割って入って、それらを止めないとダメだ。

 不本意だが、その争いに飛び込む必要がある。


 リリアはもう一度仕方ないわねと呟くと嬉しそうにステップを踏み、先程から感じている争いの方へ飛び立った。



>> 第058話 よく頑張ったわね

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