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第056話 いける。大丈夫

 当初の予定通りガラハ岩場から離れた場所に布陣を敷いた。


 フェリスは主陣から少し離れた場所に3人で立って遠くを眺めていた。

 風にあたり戦場を俯瞰で見つめている主人の背中を、従者の二人もまた黙って見つめていた。

 ワグザもエジャも冒険者としては一門の実力があったが、商人としては門外漢で、フェリスが何を考えているか分からなかった。

 ただ、彼女に長く仕えていて分かったことがあった。

 それは彼女がもつ商人としての嗅覚の素晴らしさ。市場を読み、相場を読み。彼女はいつも先手を打って来た。

 二人から見ても若すぎるこの主人がここまで大きな商会を持てたのはその力のおかげだ。

 だが、逆に弱点でもあった。

 機微に聡いからこそ危険に対しても敏感だった。

 よく言えば慎重で、悪く言えば臆病。


「ここにいたのか」


 三人の沈黙が、聞き覚えのある声に破られた。

 本陣にいるはずのディンクがわざわざフェリスを探しに来たようだ。


「こんな遠くまでわざわざご苦労さまですわ」

「フェリス嬢が戦場までくるとは思わなかったぞ。

 こことて安全地帯じゃなくなるかもしれないから、街に戻ったほうがいいぞ」


 白い犬を抱きかかえ、鎧も何もつけていない。

 まるで、散歩中のようなその姿を見ればディンクじゃなくても言いたくなる。


「その点はご心配なく」

「いや、さすがにワグザとエジャはギルドの命で戦いに参加してもらうぞ?」


 ギルドの命で白銀級以上の冒険者は今回の戦いに強制参加となっている。

 フェリスの都合だけでこの二人が戦線から離れることはできない。

 そして、彼女はそんなことは百も承知だ。


「ディンク様。フェリス様のおっしゃるとおり、その点は心配しなくても結構でございます。

 我らが主は我々よりもお強いですので」

「フェリス孃がか!?」


 驚いたディンクにフェリスはニコリとだけ微笑んだ。

 どう見ても、ワグザやエジャの方が強く見える。いや、たかがと言って失礼だが、彼女は商人だ。一介の商人が冒険者を上回る。

 ディンクは冗談だろと小さく返したが、ワグザもエジャもそれを否定することはなかった。

 ディンクはこの二人が冗談を言うタイプではないことを知っていた。主人であるフェリスに傾倒しているが、その実力を過大評価する事はない。

 この二人は、本当に、この戦場近くに商人であるフェリスを一人放っておいても大丈夫だと信じている。

 ディンクは得体のしれない何かを見るようにフェリスを見た。


「フェリス孃……あんたは何をするつもりなんだ?」


 無言で戦場となるであろう場所を見つめる彼女を見て、ディンクはそう尋ねた。

 ガラハ岩場から吹き下ろす風が、平原を走り、フェリスの髪をなびかせた。


「ここに見えるすべてを買い占めようかと思ってますの」


 冗談ぽくそう返すが彼女の目は笑っていなかった。

 買い占めるというのは何だろうか。土地だろうか。

 この広大な領地を買う? ブラン商会は大きいといっても並みいる豪商の中ではまだ小さい商会だ。

 ディンクはしばらくその目を見つめたが真意が見極められず一つため息をついた。


「まぁ、フェリス嬢がいないとこの戦況は覆せないのも事実だ。

 むちゃしない程度に好き放題してくれ」


 彼女は風で乱れた髪を掻きあげ、代わりにありがとうございますと笑った。

 ディンクがエジャとワグザを連れて行ったのを見送ると、視線を下の平原に戻した。


 ラグリットとの争いに勝つことは当然だが、彼が行った愚行をどう取り繕うかが問題だった。

 仮に争いに勝っても自らの商会が敵対している相手と取引した事実は消えない。

 その事実は必ず自らの首を絞める。

 すべて納得できる形にどうすれば纏められるか。

 考えるだけで頭が痛い。


 風に当たりながら何度もこの後に起きることを想像する。

 戦場を見下ろすには、ちょうどよい位置だ。

 戦場の面々は龍星石の指輪を嵌めてすでに勝った気でいる。

 早く攻めてこないかと前のめりに隊列を組んでいる。

 ここから見るとよく分かる。本来ならこんな浮足立った陣列は敗走の元だが、装備しているものがものだ。


 極小とはいえ、龍星石。

 使用限度はあるが、最高峰の魔道具の1つだ。

 逆に言えば、数度しか使えない。

 防がれでもすれば、形勢は一気に悪くなる。

 防ぐ実力がある魔導士が居ればのはなしだが。

 それこそ、リリア級の魔法使いが必要になる。


 フェリスはステップに乗り、もう一段高く空に上がる。

 リリアのようにうまくはいかないが、少しだけ扱いになれた。


 ガラハ岩場は、アルガラータの北に位置する巨大な岩山の山脈だ。

 傾斜が急で、道も荒れている為、荷物を持つ商人は好んで入ることはなかった。


 進軍なのだから、当然多くの物を持っているはずだ。にもかかわらず、岩場越えを狙うのは何かの戦略だろうか。


 急な進軍、それも脇目も振らずここに向かっている。

 まるで、何かしらの激情に駆り立てるような進軍に思わずその意味を考えてしまう。


 太陽がようやく上にかかろうとした時、ガラハ岩場の一部に黒い影がかかった。

 それは僅かに揺れながら緩やかに、たが確実に広がっていった。

 遠目から見ても巨大なガラハ岩場の一部が黒く染まる。


 ついに来たかとフェリスは心をざわつかせた。

 予想よりも早かった事、そして、魔王軍10万という目の前の事実。

 言葉で聞くのと、それを目にするのとではここまで違うものなのだろうか。

 あの黒い物すべてが敵というのは、寒気がする。

 すべての戦士が1つの街が襲ってくると思えば、その数の恐ろしさをようやく実感できた。


 最初はゆっくりに見えたその影の伸びも、あっという間に、山を越え、麓に並び始めた。

 ゴブリン、オーガ。その他多くの魔王に使える種族が武器と甲冑に身を固めている。

 前列には魔術生命体のゴーレムが幾重にも並んでいる。


 何も知らず白兵戦となれば、かなり危うかっただろう。

 だが、今回はそうではない。


 龍星石を使った範囲攻撃。

 普通範囲型の殲滅魔法は発動に少し時間がかかるため、発動箇所の調整が難しい。だが、これだけの大軍なら問題ない。

 どこに落ちても致命的だ。



 突如、魔王軍の上空に巨大な魔法陣がいくつも浮かび上がる。

 高位の範囲魔法陣。

 術式は拙いが龍星石で増幅された魔力が有無を言わせず強引に魔法を形作らせていく。


 一閃。

 昼間の太陽よりも眩い瞬きが走ったと同時、轟音が鳴り響いた。

 漏れ出る大量の魔力波とともに、衝撃があたりを駆け巡った。


 巨人の拳が振り下ろされかのようにガラハ岩場が打ちぬかれ、そこにいた魔王軍のモンスター達が一瞬にして命を刈り取られた。


 再度、上空に巨大な魔法陣が浮かび上がる。

 またも先ほどと同様に天空に範囲魔法の魔法陣が描かれた。

 先ほどと同等の威力ならこれで半壊。魔王軍は壊滅必至となる。

 

 魔法陣の完成とともに、各々の魔法が降り注ぐ、炎は巨大な火球となり、水は鋭き槍の雨ののように、風は雷とともに、残りの魔王軍に降り注ごうとした。


 その瞬間、魔王軍をを防ぐように、巨大な炎の魔法陣が浮かび上がり、味方軍が作り上げた魔法をすべて受け止めた。


「遮断障壁……あの全てを防いだのですか⁉︎」


 フェリスはそれを見て信じられなかった。

 拙いとはいえ極限まで増幅された魔力による範囲魔法。それも1つじゃない。それを受け止める障壁魔法陣。


 それを見た魔王軍が咆哮を上げながら、何度も足踏みをした。

 空気が揺れるほどの声と地鳴りのような足踏みに、遠くにいたフェリスでさえ、一瞬身をこわばらせた。

 戦い前に渦巻く怒気は街の喧嘩とは桁違いだ。

 傲慢、怒り、恐怖、感情の流れがフェリスには見えていた。

 彼女がもっとも苦手な負の感情。おぞましいそれに逃げ出したい気持ちをグッとこらえる。


 遠目で見て分かった。

 あの範囲魔法を受け止めたのは一人の魔術師だ。

 味方の陣営が急に騒がしくなった。

 どうやら、龍星石の指輪が壊れたようだ。

 見たところカウンター系の魔法陣だったが、アイテムが壊れる以外被害がなかったのはさすが龍星石だ。

 最悪、唱えた魔法と同等の魔法が返せれてもおかしくはなかった。

 

 あの炎の魔法陣を使った魔術師が手を味方の軍のほうに向けて、詠唱を始めた。


 あれがもし、こちらと同等の範囲魔法なら、壊滅するのはこちらだ。

 いや、こちらの幾重の魔法を受け止めるほどの実力の持ち主だ。もしかしたら、こちらのよりもさらに威力が大きいかもしれない。


 自分がやるしかない。フェリスはスカートの裾をグッと握りしめた。

 あの感情渦巻く戦場に飛び込む。 


 一瞬躊躇したが、「いける。大丈夫」と心の中で自分を奮わし、新しいステップに足を乗せた。


「シロはここで待っていて」


 そう言葉を残すと風を切り裂いて、フェリスの身体は矢のように戦場へと飛び立った。



>> 第057話 強いですわ

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