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第055話 キスしてください

 魔瘴ましょう闇森やみもり

 枝葉が天井のように日を遮り風に揺れるたび葉は森に瘴気を撒き散らす。

 そこに住まうモンスターは瘴気を喰い生き、凶暴化している。


 はずなのだが、前回ギオニスが殺気を散らしたせいで、気配を察知したのかギオニスたちが森に入ると森のモンスターは一目散に森の奥へと隠れてしまった。


「何もいませんね」


 異界君が不思議そうに森を見回す。

 カタリナもそうですねと相槌を打ちながらギオニスにその謎を尋ねる。


「たぶん、この前俺が散らしたせいだな」

「何したんですか」


 カタリナがそれを聞いて苦笑いを浮かべた。

 この森のモンスターはそれこそ凶悪で、上級冒険者が数名集まっても危うい場所だ。

 それを彼はまるで虫でも散らしたように平然と語る。


「感知魔法で周りを確かめてますが範囲1kmでモンスターはいません」


 異界君の言葉にカタリナは「イチキロってなんですか?」と尋ねた。

 その問いにギオニスは大まか徒歩でこのくらいの範囲のことだと説明した。

 南方ハレはギオニスと記憶が混同しているため、そこらの単位は問題なく変換できるが、転移してきた異界君はそこら辺の勘所はないようだ。


「異界君、そろそろ、マジョネムの場所を説明していいか?」

「さっきから、異界君、異界君って言ってるけど、僕にも名前があるんだ!

 僕の名前は――」

「――カタリナさん!」


 異界君の言葉を遮るように突如、地面に影が走った。

 空を見上げると、飛びトカゲが空を切り、そこから男が飛び降りてきた。


「ど、どうしたんですか?」


 着地した男は血相を変え、カタリナのほうを見た。


「緊急事態です!

 魔王軍がアルガラータに侵攻中です!

 今すぐ戻って助力してほしいとのことです!」


 男の言葉に全員に緊張が走った。


「ディンクからですか?」

「はい」


 カタリナは一度下を向き何か考えると真面目な顔をしてギオニスたちを見た。


「今回ギルドからお願いしたクエストに関しては一旦保留とさせていただきます」

「で、どうするつもりだ?」


 クエストの中止はいい。

 問題は男の言う魔王軍の侵攻だ。

 ここまでして呼びに来るのなら緊急だろう。

 のんびり歩いて2日もかけるとはならなさそうだ。


「異界の勇者様、飛行魔法があると言っておりましたね。

 アギナをつれて助けに戻って貰っていいですか?」

「カタリナさんはどうするんですか?」

「私は後から行きます」

「でも……」

「案内役の方を護衛しなきゃいけないので」


 カタリナはこちらを見てクスリと笑った。

 異界の勇者はそれならギオニスもまとめていけると言ったが、カタリナは緊急事態なので、戦力の輸送を優先させてくださいとお願いした。


「分かりました。

 戦場は任せてください!」


 何か言いたげだったが、ぐっとこらえた異界君はふわりとアギナと共に飛び上がると鳥のように街に飛んでいった。


「ギルドマスターのディンクに、ギオニスさんと私もすぐ戻るとお伝えください」


 カタリナは伝令を伝えに来た男にそう言った。

 男は分かりましたと言うと飛びトカゲに飛び乗り街に戻っていった。


 ギオニスはさてどうしたものかと空を見た。


「で、誰の護衛をしてくれるんだって?」


 ギオニスは視線をカタリナに戻してそう尋ねた。


「ダメですか?」

「ダメってわけじゃないが……」

「じゃあ、逆に私を護衛してください」


 実力的にいえば、カタリナも十分強いほうだろう。

 一人で大丈夫だから先に行けと言いたいところだが、2人きりになったのには何か訳があるのだろう。


「あの異世界の者はどうでしたか?」

「ギルドの心配は杞憂だ。

 力はあるが、戦闘経験はない。

 魔王軍の手先とは考えにくいだろうな」

「良かったです」


 まずは一つ不安の種がなくなったと言う顔をした。

 もっとも、ギオニスが思ったことはカタリナも思っていたようだった。

 いくら身体が常人離れしていても戦い方というのは一朝一夕で覚えられるわけではなく、その違和感をカタリナも感じていた。


「ギオニスさんなら、ここからアルガラータまですぐに帰れますよね」

「まぁな」


 カタリナは恥ずかしそうに下を向いた。


「じゃあ……ですね……キスしてもらっていいですか?」

「はぁ?」


 カタリナの口から出た言葉は、ギオニスの想像していたものとはまったく違っていた。

 ギオニスの驚いた表情を見たカタリナは顔を真っ赤にして口をつぐんだ。


「そんなこと言っている場合じゃないだろ!」

「こ、こんな時だからなんです!」


 仮にもアルガラータが魔王軍に攻め込まれている今、そんな悠長なことを言っている暇はない。


「私はメアの血が流れていて、無意識に周りに魅惑テンプテーションをかけてしまうんです」


 カタリナはそう言って首かけていた首飾りをとった。

 その瞬間、ギオニスの視線が一気にカタリナに惹きつけられた。


「これで封じているんです」


 彼女は恥ずかしそうに潤んだ瞳でギオニスを見た。

 封じている。

 確かにそのようだ。


 無意識のうちに視線がカタリナに縛られる。

 首飾りを外した。たったそれだけで、か弱い彼女を抱きしめたくなる。


蠱惑の瞳チャームアイがきかないあなたを見て、私……初めてはギオニスさんって決めたんです」

「おいおい、それだけでか?」

「ギオニスさんにとってはそれだけかもしれませんが、

 私にはとても重要なことなんです!」


 カタリナが一歩近づいて、ギオニスの手を握った。

 街中で蠱惑の瞳チャームアイを使われた時は、首飾りをとっていなかった。

 とすれば、今が彼女の力が本来の力なのだろう。

 カタリナの美しい金色の瞳が、今は燃えるような赤に変わっている。


「この力のせいでまともに冒険できなくなって、私はギルドの受付になったんです」


 リリアとの戦いを見ていたが、力は十分あった。

 それが単なる受付をしているにはそんな理由があったのか。

 本来のギオニスならおそらく彼女の魅惑テンプテーションも無効化できるが、どうも心の内にいるハレが邪魔をする。


「男女の恋愛は私にはわからないんです。

 あの……私がその気になると男の人はみんな奴隷のように従順になるので」

「分かった。わかったから。

 一度離れろ」


 手を握ったカタリナの手を一度離す。

 正直、気を抜いたら持っていかれそうになる。

 南方ハレの心を無理やり押さえつけ、魅惑テンプテーションに抗う。


 それを見てカタリナは嬉しそうに、そして、少し寂しそうに笑った。


「ギオニスさんだけなんです。

 私が好きでいて、私を拒絶できるの」


 この状態で彼女の手を離す。

 ギオニスですらかなりの抵抗があった。常人ならまず無理かもしれない。


 彼女は「それに……」と遠慮がちに言葉を続けた。


「このまま戻ったら私はきっと戦場に赴きます。

 これでも、結構強いほうなんですよ」

「卑怯だな」


 戦場に赴けば自分がどうなるかわからない。

 だから、思い出にと彼女は言っている。


「これが最期だからって言いたいのか?」

「ふふふ、ギオニスさんが、心配してくれるなら卑怯でいいです」


 カタリナは蠱惑的にいたずらっぽく笑った。

 その顔を見て、ギオニスは自分の体温が一気に上がったのが分かった。


「分かった」

「良かったです」


 カタリナはほっと胸をなでおろした。

 ギオニスはその顔を見てようやく彼女が不安でいっぱいだったということが分かった。

 カタリナが経験してこなかった、拒絶されるかもしれない恐怖。

 通常のヒトならば、そのようなことはなかったかもしれないが、相手はギオニスだ。


「はしたないって思わないでください」

「思ってないさ。

 カタリナさんが精一杯だったのは分かったし」

「あの……カタリナって呼んでください」

 

 一瞬、躊躇したが彼女の恥ずかしそうな顔を見てギオニスはまぁいいかと思った。

 カタリナは後はギオニスに身を任すように、目をつぶった。


「カタリナ……」


 ギオニスはそっと彼女の方に手を回した。


「……はい」


 彼女は少しだけ顔を上げた。

 瞳をつぶった彼女の震える小さな唇。

 ギオニスはゆっくりカタリナに顔を寄せた。

 静かすぎる森の中、耳に入ってくるのは、風の音と、柔らかいカタリナの呼吸音。

 腰に手を回し身体をぐっと引き寄せるとその唇にそっと唇を重ねる。

 その瞬間、カタリナの身体が一瞬こわばったがそれもすぐで、安心するかのように身体の力が抜け、カタリナの手がギオニスの背中に回った。

 物欲しそうに動く重なり合った唇。離れ、また重なりを繰り返し、鼻孔をくすぐるカタリナの甘い香り。

 どちらかともなしに、お互いの舌が絡み合う。


「んっ……」


 苦しそうに、それでいて愛おしいようにカタリナから吐息が漏れる。

 硬い歯を押しのけギオニスの舌がカタリナのそれを優しく撫でる。

 カタリナとギオニスの吐息が互いの首筋にあたり、それが更に気持ちを昂ぶらせた。


 どれくらい経ったのだろうか。

 ギオニスが唇を離すと、カタリナは「あっ……」と小さく残念そうに声を漏らして薄く目を開けた。


「ありがとう……ございます……」


 お礼を言われるとは思わなかった。

 ギオニスは返す言葉が思い浮かばず恥ずかしそうに頭をかいた。


「リリアさんに怒られそうですね」

「なんで、そこでリリアが出てくるんだよ」

「だって……」


 カタリナは恥ずかしそうに言葉をつまらせた。

 彼女がどう思っているのかわからないが、リリアがこんな色っぽいことを言うはずがない

 あいつなら、唇を重ねるよりも拳を重ねるほうが喜ぶ。

 そういうやつだ。


「誰もいないところで本当に良かった」


 カタリナはそう言って、先程の間でのことを思い出すように自分の唇を触った。


「じゃあ、行きましょう。

 ギオニスさん、みんなを救いましょう」

「あぁ」


 ギオニスはカタリナを抱きかかえると地面を大きく蹴った。



>> 第056話 いける。大丈夫

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