第053話 本物だな
重厚な木でできた扉が開き、大きな部屋に通された。
アルガラータの都市長が所有する客間。都市国家に似た支配体を敷いているこの国では、アルガラータの都市長といえば、この都市の全権力を持っている人物である。
フェリスとワグザはその大きな薄暗い部屋に歩を進めた。
中にいるのは、冒険者ギルドのディンクや鍛冶屋ギルドの長がいた。
部屋の中にいる数十人は一度は目にしたものばかりだ。
この街にいる有力者がかき集められたと言っても過言ではない。
フェリスが入ってきた時にはすでに話は進んでいたみたいで、怒号にも似た言い合いがその部屋に飛び交っていた。
アルガラータの都市長であるディボロはフェリスを見ると、視線で席に座るように勧めた。
フェリスはうなずいて、勧められた席に座った。
目の前の机の上には、大きな地図が広げられ、いくつかの駒が配置されていた。
フェリスが席についたのを見て、都市長の従者らしき人物が状況を説明しようとフェリスに耳打ちしたが、彼女は話は聞いていると丁寧に断った。
魔王の軍勢が攻めてきた。
それも今までの小競り合い程度のものとは違い、完全な侵攻であると。
「その数は?」
フェリスは彼らの話を聞きながら質問をした。
「およそ10万だ」
答えたのはディンクだった。
他のものは有力者とはいえ新興の商会。それも若いフェリスはこの話に入る価値もないと鼻から相手にしていなかった。
が、ディンクにとってしてみたら待ちに待った人物の1人だ。
ディンクは話し合いの輪から外れるとフェリスのそばに来た。
「斥候の情報だとおよそ10万。
武装した魔王軍がアルガラータに一直線に向かってきているらしい」
「それだけの数だとここに籠城というわけには行かないのでは?」
フェリスがそう返したのにはわけがある。
合間合間に耳に入ってくる言葉に、彼らはここに籠城する作戦を考えているようだった。
確かに、国境防衛としとしてアルガラータはかなり堅固な作りをしている。
だが、ここ十数年魔王軍との大きな戦いをしていないこの街には見えないところで小さなガタがきている箇所も数多くある。
「恐らくな。
都市内を見回らないお偉方にはこの都市は十数年前と同じ新品の都市だと思っているフシがある。
城壁でさえ一部ヒビがあるっていうのにだ」
もちろん、日々改修補修は行われていたが、有事が発生しなくなるにつれ、その作業は後回しになっていった。
結果、無敵の国境防衛都市アルガラータはその輝かしい名前とは裏腹に古びたものとなっていった。
「今の進行状況から魔王軍がここにつくまではあと3日。
ガラハ岩場をどれだけの速度で越えてくるかが、鍵になりそうだ」
「陣を敷くにはガラハ岩場のすぐそばが良さそうですわね。
岩場超えで疲れたところを狙い打ちたいですが」
「岩場に逃げ込まれたら追いきれないぞ」
「そこは一端引けばいいと思いますわ。優先事項は侵攻されないことですから」
「補給路を断ちづらくないか?」
ディンクの言うとおりで、確かに岩場超えを止めない限り補給は続く。
が、10万の軍勢だ。そう易々と補給が行き渡るとは思えない。
「数が数ですから、兵糧は乏しいでしょう。
それに平野に展開されて力押しされる方が私達としては恐怖じゃないかしら」
「たしかに、ガラハ岩場の出口で蛇の首を抑えるようにするわけか」
ディンクは少しだけ考えると、小さな声でフェリスに訪ねた。
「ギオニスはどうだ? 参加できそうか?」
「だめですわ。数日前に出かけたきりですわ」
「すまん。俺たちの依頼だ。
早馬を飛ばしているが、彼らに連絡がつくのに2日はかかるな」
「連絡さえ付けば天上の矢ほどの早さで帰ってくるんですけどね」
フェリスは残念そうにそう返した。
「リリア孃は?」
「彼女も同じく戻ってくる気配はないですわ」
この状況を好転させる2人が不幸なことにその場にいない。
「時間がなさすぎるな」
本当ならもっと早く知りたかった。
旅の行商人から不穏な噂を聞き、斥候を派遣してから結論を出すのに数日を要してしまった。
近隣の村々を潰しながら来ていたら戦火を逃れたものから噂も聞けたが、どうやら今回はそうではない。
明確な意思を持って真っ直ぐにここに攻めてきている。
おかげで、情報を得るのに時間がかかってしまった。
「近隣にいる白銀クラス以上の冒険者を招集しろ。あと3日で何人呼べる?」
都市長のディボロがディンクにそう尋ねた。
「滞在中を含め、現在要請中です。
恐らく100人程度となるはずです」
いくら白銀級とはいえ、10万もの相手に一騎当千することはできない。
「見込みは?」
フェリスがワグザの方を見てそう尋ねた。
「100人が全員戦死するとして、3万は巻き込めるでしょうか」
ワグザが滞在中の冒険者の戦力をそう分析する。
たった100人で相手の総力の3分の1を削れれば大したものだが、それを行うと、後は都市の私兵ぐらいしか残らない。
彼らが、残りの半分を抑えたとしても3万以上の魔王軍が都市を蹂躙することとなる。
「絶望的ですわね」
「過去の戦いで10万もの大勢力を一気に投入した例はない。
やるかやられるかの作戦など狂っている指揮官しか思いつかないぞ」
悪意を持って殲滅を目論むしかないような行軍である。
「他のやつらは知らんが、現状一番の戦力を保持しているのは、ブラン商会だ。
できればあんたには最後までいてほしいところだが……」
他の有力者と違い、フェリスはたまたま商談のためにこの都市によっただけで、本当のところを言うとこの作戦に参加する義理はない。
とはいえ、後々のことを考えると即座に逃げるのは信頼に傷がつく。
フェリスのような都市外の有力者はそこそこに参加して、お折りを見て逃げ出すつもりであった。
ディンクもそうなることを知っていて彼らの戦力は宛にしていないが、ブラン商会だけは別だった。
彼が肌で感じた別次元の強さを持っているオークのギオニスとハイエルフのリリア。
正直彼らだけでこの戦況はひっくり返せると思っていた。
だからこそ、そのためにもフェリスがここにとどまってもらう必要があった。
フェリスもディンクの考えることは分かっていた。
だからこそ、ここが勝機だと思っていた。
ラグリットとの商談争いに勝つ場所。
小さいながらにできた龍星石をすべて捌けば、ラグリットとの戦いで勝つことができるはずだ。
「ディンクさん、平原の戦いへと話を誘導できますか?」
「腰の重い老人共を納得させないと、難しいぞ」
「でしたら、とっておきがありますわ」
フェリスはその内容を彼に耳打ちした。
彼女の話を聞いたディンクは一瞬驚いた顔をしたが、すぐによっぽど納得したのか、ニヤリと笑ってうなずいた。
フェリスはディンクの話が終わるとワグザにも何かを伝えた。
ワグザは分かりましたと答えると、静かに部屋から出た。
「では、ディンクさん。
鍛冶屋ギルドの長が気づいた時が潮目です」
ディンクは小さく「分かった」と笑うと話の輪に戻っていった。
フェリスはディンクの背中を見ると深く椅子に腰掛け直した。
重要なのはタイミングだ。
彼女は静かに水の掛け合いのような不毛な話に耳を傾けた。
話の輪に戻ったディンクは情報を整理し始めた。
防衛都市アルガラータ北部のガラハ岩場侵攻速度から考え、こちらが出向いて言ってもそこは超えられるかもしれない。
だが、少ないながらも打って出ると話す派閥もいる。
それに対して、ディンクは「確かに、ここで潰すのが理想だが戦力が足りない」と反論をする。
「ガラハ岩山を超えたあたりなら、魔王軍も疲弊しているはずだ。
岩山超えとなれば列をなしたとしても陣を横に広げられる心配もない」
「ガラハ越えの後とはいえ、平原の戦いか」
平原の衝突なれば自然と魔王軍の10万という数字に恐怖せざるを得ない。
迎撃が理想だと誰かが言うと、岩場超えの後とは言え10万の兵を前に迎撃できるだけの戦力があるのかと問いただす。そうではない現状籠城し、相手の兵糧が絶えるのを待つべきだと反論する。
さすがは、ディンクである。
冒険者ギルドの所属だけあって、その言葉は実践経験に裏付けされた説得力がある。
フェリスには1つだけ得意なことがあった。
ごくごく単純なことだが、彼女は流れを読むことが得意だった。
ヒトの感情の流れ、不規則に渦巻く人の感情の波が向く方向が彼女にはなんとなく分かっていた。
スライムのように流動的な不規則性の中に流れを見つける力は、商売をやる上でとてもあっていて、市場の流れであったり流行り廃りの先を読むことができた。
反面、強烈な負の感情は、当てられてしまう欠点もある。
なので、こういった言い争いは苦手である。
この平行線をたどっているような不毛な議論だが、その話題の中心が僅かずつだが、主題からずれ始めていた。一見先ほどから何も変わっていないかのように見えるが、籠城側の主たる意見がディンクに移ったこと、そして、その理由が戦力が足りないことであることに移っていったことにフェリスだけが気づいていた。
ディンクは、打って出ると言われると、必ず「それは理想ではあるが」と始まり「戦力がない」と閉めている。
1人の従者が部屋に入ってくると鍛冶屋ギルドの長になにか耳打ちした。
それを聞いた彼は、大きく目を見開いてフェリスの方をにらみつけるように見た。
ゆったりと何もしていないようにフェリスは見せていたが、その瞬間を見逃しはしなかった。
「籠城は最善の手とは言えないが、戦力が足りない今、籠城しか選択肢はないだろう! 相手は10万の兵だ。補給が立たれるまで閉じこもる他ない!」
ディンクが籠城派の一角として強弁を奮った。
籠城派である都市部の有力者たちはディンクの言葉に大きくうなずいた。
反対派は都市の現状を知っている比較的若い人物が多く、ここでは籠城できないと何度も主張していた。
「でしたら、武器はブラン商会が提供いたしましょう」
フェリスがここぞとばかりに口を出した。
「都合の良いことを言って在庫品をさばくつもりじゃないんだろうな」
すぐにディンクがフェリスに食って掛かる
ここまではフェリスの段取りどおり。
「いえ。今回、我が商品で開発した一級品ですわ」
「分かってんのか? 10万の兵だぞ。
斬れない剣が良く斬れるようになったところで太刀打ちできないだろう?」
ディンクがそう反論する。
そう、それは誰しもが思うところだ。
生半可な武器をそろえたところで、この膨大な数の差は覆られない。
それこそ、秘策ともいえる何かがあれば別だが。
「ちょっと待て。
その娘の話を聞きたい」
ディンクの言葉を止めたのはアルガラータの鍛冶屋ギルドのギルド長でもあるボルボアだった。
嗄れた低い声で、太くシワだらけの指先をフェリスに向けると、ゆっくりと言葉を続けた。
「ウチんところの若いもんが、知らせてくれたんだが、お前の商会は龍星石の生成に成功したってのは、本当か?」
「よくご存知ですね」
ボルボアの言葉に、部屋の中がどよめいた。
いわく、凡愚が賢者になれる石。いわく、一国が買える宝石。龍星石の噂を聞かないものなどいなかった。
「少量ですが、宝石の生成に成功しました。
それを使用した魔道具を今回の戦いにお貸しいたしますわ」
「それは本物か?」
ボルボアの言葉に、フェリスはニコリと笑った。
「ご自分の目で確かめてみてくださいな」
いつの間にか戻ってきたワグザから小さな指輪を受け取ると、それをボルボアに渡した。
あれほど騒がしかった周りが今は静かにボルボアの指先を見つめていた。
唸りながら何度もその宝石に目を通すボルボア。しばらくそれを眺めた後、彼は深く大きなため息をついた。
全員が、彼の次の言葉がどう出るか気が気でなかった。
これがもし、本当に龍星石なら、勝機とも言える。
「本物だな」
ボルボアがそうつぶやいた瞬間、周りが一気に騒がしくなった。
物珍しさにそれを見せてほしいと騒ぐもの、その力があれば迎撃が可能だと騒ぐもの。
その様子をフェリスとディンクは静かに見守った。
流れの方向は決まった。後は放っておいてもフェリスの望んだ結論に落ち着きそうだ。
ボルボアはフェリスのそばに近寄ると静かに尋ねた。
「いつからこうなることを予想していた?」
「いつからとは?」
フェリスはとぼけた顔で笑った。
ボルボアは籠城派であったが、今のこの流れでは、籠城に賛成するものなどいない。
最初は冒険者ギルドの長であるディンクが籠城派であったことで、ほとんどの有力者がそれに従っていた。
彼がいう戦力不足は実際事実だし、一か八かで戦うくらいなら籠城で様子を見るべきだとい言うのは誰しもが思った。
だが、誰しもが納得しようとした時に、出した切り札。
戦力不足という最大のネックを解消し、話し合いの流れを決定づけた。
そこまでなら、彼自身でもやろうと思えばできた。
彼は再度渡された指輪を見た。
広域魔法用を想定したマジックリング。
彼女は明らかにこの状況を想定したものを作っていた。
ブラン商会が身内で争っていることは知っているものは知っている。
その片割れが、怪しい動きをしているというのもだ。
そして、その対抗策がこれなのだろう。
恐らく、フェリスが望んだとおり、アルガラータはガラハ岩場で魔王軍を迎え撃つ。
そして、その時、この龍星石で作られたアクセサリーを装備するのだろう。
ボルボアはとぼけたフェリスに何でもないと答えると自分の席に戻った。
鍛冶屋ギルドはこれでブラン商会を無視できなくなった。
正確にはフェリスをだ。
孫ギルドの夢見る宝石からの連絡が事実となると、本当に価値があるのはブラン商会というよりもフェリス自身のようだ。
ボルボアは「付き合い方を考えんといかんな」と椅子に座るとつぶやいた。
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