第025話 耳が違うでしょ?
次の朝、ギオニスは、部屋の扉を静かに叩く音で目を覚ました。
昨夜は飲みすぎた。
テラスに続く大きなガラスの窓は開け放たれており、薄いレースのカーテンが朝の冷たい風に揺れている。
ギオニスはリリアを起こさなように静かに起きると、先程から扉を叩いている主を確かめるため、その扉を開けた。
「朝早くから申し訳ありません」
そこで立っていたのはワグザとエジャだった。
フェリスの従者がなんのようだろうか。
ギオニスは不思議なそうな表情を浮かべた。
「ギオニス様とリリア様にお話があります」
「それは、今のほうがいいのか?」
「申し訳ございません」
体感であるが、ワグザ達が来た時間は早い。
こんな時間に来客であるギオニスたちをわざわざ起こすのだ。
内密か急を要する話なのだろう。
「待ってくれ。リリアを起こしてくる」
「感謝いたします」
ワグザはそう言って頭を下げた。
ギオニスは一度部屋に戻ると、寝ているリリアを揺すった。
「んっ……」
不快そうに眉間にシワを寄せる。
まぁ、気持ちはわかるが起こさなくてはならない。
こういう時、相手を一発で起こす方法を知っている。
ギオニスがリリアの前髪を数本つまむとツンツンと引っ張った。
すると、リリアがまるで虫を叩くかのように手を出したので、それをさっと避ける。寝ぼけているリリアの手は自分の額をパシッと叩いた。
そこですかさず声をかけた。
「おはよう」
「……」
リリアが不機嫌そうに薄目を開けた。
しばらくギオニスを確認して、リリアはまた目を閉じようとした。
が、ギオニスがもう一度声をかける。
「朝だぞ」
「……知ってるわ」
だからなんだと言う顔。
確かにワグザたちが来なかったら朝だというのは起きる理由にはならないかもしれないが。
「なんか、俺達に内密の用があるみたいだぞ」
「もう、せっかく寝ていたのに」
リリアは嫌そうに布団から出るとテラスの方に歩いていった。
手のひらに小さな水を作ると、それで顔を洗い髪を整えた。
解毒と回復の魔法を自分にかけた。
どうやら、お酒が少し残っていたようだ。
「それで、何の用なの?」
「いや、まだ聞いていない」
まったくとリリアは小さく愚痴をこぼした。
少し不満げなリリアとともに部屋の扉を開けるとそこには先程と全く同じ姿勢の2人が立っていた。
自分からだけ漂うアルコール臭。
ちゃっかり、自分だけ綺麗にしたリリアが憎い。
「申し訳ございません。
ここではなんですので、少しお外までよろしいでしょうか」
「えぇ……」
ワグザのその言葉でリリアは更に不機嫌になった。
朝を起こされただけでなく、理由も言わず外に連れ出そうというのだ。
確かに、筋は通らないかもしれないが、向こうにもそれなりの事情があるのだろう。
リリアを宥めながら、彼らにはついていくように了承した。
彼らは部屋を出ると、そのまま屋敷の外まで出た。
ワグザを先頭にギオニス、リリア。
最後から挟む形でエジャがその後についてきた。
完全に屋敷の裏、人気のないところまで来ると、ワグザは振り返った。
そこには、温厚そうなワグザの顔はなかった。
見開いた目、口から見える尖った牙。
あからさまな敵意をこちらに向けた。
「で、貴様らは何が目的だ?」
しわがれた声にははっきりとした敵意。首元を締めているネクタイを緩め、シャツのボタンを一つ外した。
今まで人の手だったそこには、鋭い爪が伸び筋張った手には血管が浮き出ていた。
もしかして、フェリスをたぶらかしたなどと思われたのだろうか。
これは心外だ。
「待ってくれ。
彼女とは偶然であっただけだ」
なにか誤解があったかもしれないが、こちらとしては下心など全くない。
本当に偶然、大森林から出て最初にあった人というだけだった。
「部屋に入って油断したな。
もとの姿に戻っただろう。臭い残っているんだよ」
「ちょっと待て。何のことだ?」
「いつまでヒトの振りをしているこの豚が!」
ワグザの一言がギオニスを苛つかせた。
恐らく、昨日、リリアとじゃんけんをした時に戦闘態勢に入ったことを指しているのだろう。
が、そんなことどうでもいい。
ギオニスは別にヒトの振りをしているわけでもなかったし、隠しているわけでもなかった。
「どいつもこいつも。
イノシシだって言ってんだろ!」
リリアもそうだが、ヒトを家畜扱いするんじゃない。
「ハイエルフは……」
後ろからエジャがポツリとつぶやいた。
「ハイエルフは世界で36人しかいない。
この子は、ハイエルフを知っているから……」
エジャの周りに風が吹き荒れ、小さな緑の精霊が現れた。
「あなたはハイエルフじゃない……」
「はぁ?」
エジャの一言にリリアがあからさまに不機嫌そうな顔を見せた。
「36人ってどれだけ少ないのよ。
私のところでも100は優に越しているわよ」
そうだ。大森林にはいくつかハイエルフ領がある。
36人どころの話じゃない。
エジャには悪いが、その36人のハイエルフのほうが逆に怪しい。
「知らないと思ってエルフがハイエルフを名乗らないほうがいい」
「はぁ? ふざけないで!」
エルフとハイエルフは根本的に種が違う。
そこに優劣はなく、大森林ではハイエルフ同様、エルフはエルフで自分たちに誇りを持っている。
「耳が違うでしょ! 耳が!」
リリアが自分の耳を指して主張する。
エルフは下向きにたれて尖っており、ハイエルフは横に伸びている。
リリア的には最大のアピールのようだが、エルフじゃない種から見れば、その程度の違いしかない。
「何をしているんですの!」
突然、4人の中にフェリスが割って入ってきた。
「お、お嬢様……」
突然の乱入に、ワグザとエジャは戸惑った。
「彼らはわたくしの命の恩人と言ったでしょ!」
主人であるフェリスに内緒で客人を呼び出し、因縁をつけているのだ。
当然、フェリスの怒りは従者であるワグザとエジャに向く。
「お嬢様。お叱りは後で受けます。
あなたは騙されているのです。
こいつらはヒトとハイエルフを語った偽物。
その正体はオークなのです!」
ワグザの真実を暴いてやったぞという顔。
フェリスから聞いた話を鑑みると、大森林の外ではオークは悪者らしい。それが、ヒトの振りをして紛れ込んでいるのだから大事件なのだろう。
が、その真実は、当然ながらフェリスも知っている。
「そんなの――」
「フェリス。
こいつらをぶっ飛ばせ」
フェリスの言葉をギオニスが遮った。
「貴様ッ!
お嬢様、騙されてはいけません!」
「従者の責任は主の責任、わたくしの責任を持って――」
ギオニスの無茶な要求に、フェリスが弁明する。
が、ギオニスは別のことを考えていた。
「違う。そうじゃない。
修行だ」
「えっ?」
フェリスは驚いた顔を見せ、リリアは納得した顔を見せた。
「いいわね。
適度に弱いし、ちょうど良いわよ」
その言葉に、ワグザとエジャが彼女を睨みつけた。
ギオニスにも考えがあった。
フェリスの嫌うヒトの負の感情。
「こいつらならフェリスの嫌いな感情をぶつけられなくて済むだろ?」
幸運なことに彼らはフェリスを好いているので、それをぶつけることはない。
むしろ、今進行形でギオニスに向いているところだ。
彼女の実力通りに戦える相手だ。
リリアにもそれはわかっているはずだと信じたい。
「それぞれ2人に魔法か打撃を一発ずつね。
当てたらクリアにしましょ」
「は、はい……」
「それと、私達に彼らの攻撃が届かないようにしてね。
届いたら修行終了で即罰ゲームよ」
リリアが強引にクリア条件を決めていく。
あからさまに従者の二人に苛ついているが、リリアにはあくまでもフェリスの修行と自覚してほしいところだ。
リリアは、ワグザとエジャの方を向いて挑発的に笑う。
リリアの考える罰ゲームが優しいはずがない。
フェリスは一気に気を引き締めた。
「さぁ、開始よ!」
そう言うと、リリアはフェリスの背中を押した。
それを見たワグザが吼えた。
「貴様、我が主を、フェリス様をなんだと思っている!」
フェリスを押したリリアに怒り、ワグザが足を踏み出した。
その瞬間、フェリスがワグザとリリアの間に割って入る。
ワグザの攻撃がリリアに届けば罰ゲームが待っている。
すでにモンスタービートに放り込まれたり、遙か上空から放り出されたりと非常識な扱い受けている。
あれでさえ、リリアからしたら罰ゲームでも何でもない。
「フェリス様! おやめください」
ワグザの悲痛な叫びを無視して、フェリスが一撃当てようと拳を繰り出す。
それをワグザが避ける。
目の良さ、体術の差は明らかにワグザのほうが上だ。
まともに戦えばフェリスが負けるだろう。
彼女が勝つためには、フェリスが弱いと思っている今しかない。
「もっと、身体を動かしなさい」
リリアの言葉にフェリスが左右に飛び跳ねながらワグザに攻撃を繰り出す。
が、それをもワグザは躱す。
「まぁ、相手がワーウルフだからな」
「彼そうなの?」
ギオニスはワグザが獣人だということは気づいていらしい。
「ワグザさん、精霊魔法で一気に制圧します。
お嬢様を!」
どうやら、エジャの魔法が完成しそうらしい。
「フェリス! 身体強化とステップよ!」
「はい!」
リリアの言葉にフェリスが足元にステップを作り、バチッと弾ける音ともに空に飛び上がった。
ワグザがそれを目で追った瞬間、フェリスが空中にもう一枚のステップを張り急降下した。
ワグザが丁度上を見上げたその瞬間、フェリスは地上に着地し、そのがら空きの身体に拳を繰り出した。
「ごふっ」
鈍い音ともに、ワグザが膝をつく。
「制圧しろ。荒れ狂う疾風よ――
――お嬢様、避けてください!」
ワグザが地面に膝をついたと同時に、エジャがリリアに向けて魔法を放った。
「フェリス、教えたわね」
魔法陣はなぜ円なのか。
それは、魔力を効率よく閉じ込め成形するためだ。
構成がしっかりしていれば別に円である必要はない。
重要なのは、魔力を事象に変換することだ。
そして、それは不可逆ではない。
フェリスはステップを使い、リリアをかばうように魔法の前に立った。
「お嬢様!」
魔法の前に躍り出たフェリスにエジャは青ざめた顔で叫んだ。
「そんな雑な魔法は引っ剥がしなさい!」
フェリスはエジャの魔法に手を触れた。
事象は袋のようなもので、魔力はその中身。
袋のほころびを見つけ、それを解くと、袋は破れ中身が漏れる。
フェリスはエジャの魔法に触れ、ほころびを見つける。
それは、リリアのものと比べて大分と簡単なものだった。
「はい!」
フェリスがそう答えた瞬間、風の渦が完全に消え失せた。
が、事象は消えても魔力波は消えない。
上手く魔法の解除はできたが、魔力余波に押し出され、フェリスは後ろに吹き飛ばされた。
「まったく。最後まで気を抜かないの」
吹き飛ばされたフェリスを後ろに立っていたリリアが受け止めた。
「そんな、私の魔法が……」
エジャが目の前に起こったことにショックを受けていた。
「フェリス、よくやったわね。
修行は終了よ」
「えっ? いいのですの?」
条件は、ワグザとエジャに一発ずつだった。
「もちろんよ」
リリアが笑って、そういった。
魔法を無効化できたのだ。それで認めてもらえたのだろう。
そう思って、フェリスは安堵の笑みを返した。
これで罰ゲームはなさそうだ。
「魔法解除後の魔力余波が私にあたったからね。
修行終了で、罰ゲームよ」
「えっ? ええぇぇぇ!」
リリアの笑みに騙されたフェリスは驚きと絶望の声を上げた。
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