第017話 絶死の乙女
起きたらまだ夢の中じゃないのかと思ってしまうような出来事。
フェリスのここ数日の出来事はまさにそれだった。
そして、それはまだ続いていた。
どれくらい寝たのだろうか。目が覚めたフェリスはあまりの静けさに驚いた。
あたりは薄暗く、少しだけ寒かった。
気温と明るさから朝方なのだろうかとフェリスは予想した。
ギオニスとリリアも休んでいるのではないだろうか。
そう考えると馬車が動いていないのは納得できた。
いつもの夜よりも静かすぎるのもきっとギオニスたちが何かしてくれたのだろうと思える。
昨日の疲れはどこへと思うほど気力が充実していた。
フェリスは2人にお礼を言おうと御者台から首を出した瞬間、顔に当たる冷たい風と吹きすさぶ風の音が耳おおおった。
静寂から一転、空の向こうはまだ朝とは言えない夜明け色が染め上げ、か弱く星の明かりが最後の瞬きを煌めかせていた。
遮るものがない空。そして、眼下には朝と夜の両方の色で染め上げられていた雲が大地と一緒に広がっていた。
「えっ……えっ……」
そうなのだ。眼下に広がる雲。
どうあたりを見回してもそこは地上じゃなかった。
「ぎ、ギオニス様?」
「よぉ、起きたか!」
「起きたのね、フェリス」
御者台ではギオニスとリリアが楽しそうに馬を操っていた。
いや、どれだけうまく馬を操る人間がいたとしても、馬は空を飛べない。
確かに天馬種は飛べるが、フェリスが借りた馬はそうではない。
「何事なんですの!?」
馬が飛ぶ。
そんなことありえない。
あり得ないと叫びたいが、今目の前で、馬が空をかけている。
「どうだ! 凄いだろ!」
凄いもなにも、常識では考えられない。
少しして、飛んでいた馬車が急に落下していった。
「リリア!」
「任せなさい!」
リリアのその言葉とともに、馬車の下に巨大な魔法陣ができた。
馬はその魔法陣に足をつけると、荷台ごと高く飛び上がった。
馬が飛んでいるのではない。
リリアの作った魔法陣に乗り、跳ねているのだ。
だが、こんな重い荷台を持って、なぜ馬が飛び上がれているかフェリスには理解できなかった。
「ねぇ、ギオニス、今日はあなたの番だけど、折角だから、フェリスに飛空戦闘を覚えさせたいいわ」
「まぁ、特に順番にこだわりがあるわけではないからな。
好きにしてくれ」
「じゃあ、フェリス、始めましょうか」
「な、何をですの」
フェリスは嫌な予感しかしていなかった。
この2人の訓練はだいたい常軌を逸しているが、リリアのそれは桁違いだった。
「まずは、移動するための魔法陣よ。
特別呼び名はないけど、私たちは《ステップ》と呼んでいるわ」
「《ステップ》ですか?」
「ええ、特徴は、これを踏んだものを高く飛び上がらせるものよ。
今この馬が飛んでいるのもそれと同じものよ」
《ステップ》。
これと似たような効果を持つものをフェリスは1つだけ知っていた。
ダンジョンに配置されているトラップ魔法陣。
強制的に移動させる極悪なトラップだが、彼女たちにして見れば移動手段程度のものなのだろう。
「あっ、あと、一度使用すると消えてしまう簡易なものね」
一度きりにするにはいくつか理由があるそうだ。
例えば、《ステップ》を残してしまうことで、敵側に利用されたり、追跡されてしまうのを防ぐこと。
近接戦なら、攻撃線上の邪魔にならないようにするため。
コスト面でも使い切りは安くていい。
とにかく、様々な理由があるとリリアは説明した。
「《ステップ》は簡易だけど、自分の属性にあったもののほうがいいわ。
フェリスの属性は風だったかしら?」
「えーっと、自分の属性ですか?
そんなこと、調べたことがなくて」
「あなた自分の属性を知らないの!?」
「得意な属性……っていうのではないんですわよね」
「ほぼ同じ意味だけど。
困ったわね。私たちエルフは、産まれた時に、信託でもらうのよ。
だから、後で調べるすべがなくて……」
「オークなら、あるぞ」
リリアとフェリスの会話にギオニスが割って入った。
「助かるわ。
ちなみに、どんな方法なの?」
「指先に、各属性の魔法をつけてそれをぶつけて、一番ダメージが低いのが主属性ってやつだな」
「……」
ギオニスの言葉に、リリアはじっとりとした目で、彼を見た。
「ちょっと、それを子供になんてしないでしょうね」
「当たり前だっての。
オークでは成人の儀式にそれをやるんだ。
それまでは、ひたすら魔力の底上げと鍛錬だな」
リリアはなるほどねと呟いた。
エルフは、大森林の中でも魔力の質量とも随一である。
そこから繰り出す魔法をオークは防ぐ。特性と言うだけでは説明がつかない防御力だったが、ようやく得心がいった。
オークは練り上げる魔力の質が高い。
そもそも素質があったエルフは幼少の頃から、魔法の鍛錬をしている。
が、オークはその間、魔力鍛錬。ずっと基礎的なことをし続けていたのだ。
地力が違うわけだ。
「ちょっと、荒っぽいけどそれにしましょうか」
「えっと……痛くないですの?」
リリアはどうなのとギオニスの方を向いたが、彼は程度の問題だなと笑った。
「なるべく痛くないようにするわね」
「お、お願いしますわ」
リリアは人差し指に小さく炎の魔法を作り出した。次に中指に、風と両の指10本にそれぞれ異なる魔法を作り出した。
「ほう、やっぱりエルフだな。
全ての指に同じ魔力量で違う呪文というのは相当難しいんだが」
オークでは年老いたオークがそれを担当する。
「じゃあ、腕でいいかしら」
フェリスは恐る恐る頷いて腕を出した。
フェリスの白い細い手。商人であったから尚の事なのだろうが、鍛錬されていないそのか弱い手は、リリアの手を前に小さく震えている。
「大丈夫よ。出力はできるだけ抑えているから」
多分ね。と呟いて、リリアはフェリスの腕に指を当てた。
「――ッ」
フェリスの眉間に皺がより、口の隙間から小さな息が漏れた。
リリアの指が離れると、そこには10個の傷痕が残った。
「うーん、やっぱり、風の属性が主属性みたいね。
後、火も良さそうよ」
「えっ? 炎もですか?
わたくし、炎は苦手だったのですが」
「風は吹き荒れて炎を助く。
互助関係なんだから、自然よ」
「そうなのですわね……」
フェリスは、リリアの言葉にまだ信じきれないのか、戸惑いながら頷いた。
「リリア様の属性はやはり氷なんでしょうか?
なんか、珍しい属性ですわよね」
「あはは、そうね」
珍しくリリアがぎこちなく笑った。
それを見たフェリスが聞いてはいけないものを聞いてしまったのかと戸惑い、ギオニスを見た。
それを察してか、ギオニスは言葉をかけた。
「リリアは特別だ。
長いエルフの歴史の中でも、主属性が氷だった姫はいないんだ。
数多くある属性の中で、大森林において、明確に《死》や《破壊》のみを象徴する属性は氷しかない。
炎でさえ、その焼け跡から再生を意味するものもある」
各々、属性の中には死や破壊を象徴するものはあるが、同時にそれは再生の兆しを意味するものが多いある。
だが、氷は違った。
大森林において、そこにあるのは、停滞する死のみ。
再生はない終焉を意味する属性だった。
「大森林の中でエルフの姫としてリリアを《千剣の姫騎士》と呼ぶことが多いが、
もう1つ、彼女には別の呼び方がある。
その名は《絶死の乙女》。リリアの剣は死の剣として恐れられているんだよ」
「あはは、ってことなのよ」
ギオニスの言葉にリリアは茶化すように笑った。
「すみません。そうとは知らず聞いてしまって」
「いえ、フェリスがその話を知るはずがないのだもの。
むしろ、気を遣わせてしまってごめんなさい」
フェリスの申し訳なさそうな顔を見て、リリアも困った顔を見せた。
「じゃあ、気を取り直して、《ステップ》の話ね。
私は主属性の氷で作るけど、フェリスは風で作ってね」
リリアはフェリスに魔法陣の構成を細かく説明した。
威力の調整の仕方、耐久性の調整の仕方などだ。
特に耐久性は、自分が乗って壊れないほどのものにしなければいけない。
では、丈夫なものを作ればいいのかというと、そうではない。
そうすると、今度は魔法消費が激しくなる。
「最初は作って乗る、作って乗るを繰り返したらいい」
その言葉にフェリスは胸をなでおろした。リリアのことだから、いきなり実践投入と言いそうだった。
が、今回は順序立てて教えてくれるようだ。
「じゃあ、まずはやってみましょうか」
リリアの言葉に従って荷台の中に《ステップ》を作った。
「いいわね。しっかりできているわ。
それはそのままにしてこっちにいらっしゃい」
フェリスはリリアに従って彼女の傍に来た。
「じゃあ、あとは、実践あるのみね」
リリアはフェリスの首根っこを掴むと、フェリスを馬車の外に放り投げた。
「えっ、きゃああああああぁぁぁ」
馬車の傍から急速に離れていくフェリスの叫び声。
「じゃあ、道を作っておいたから、後はよろしくね」
彼女はギオニスにそういうと、フェリスを追いかけて馬車から飛び降りた。
>> 第018話 さぁ、ギオニスに追いつくわよ




