第015話 服を着ていいか?
フェリスは目が覚めた時、まだ夢でも見ているのかと勘違いしそうになった。
薄っすらと残っている記憶では、誰かが、自分の服を無理やり破いていた。
そして、そのうっすらの記憶どおり、服は破けていたが、不思議と寒くなかった。
起き上がると、顕になったフェリスの肌を隠すように、腰ほどまでの小さな白い狼がフェリスの身体に寄り添っていた。
フェリスの目が覚めたのを確認するように、その小さな狼は顔を上げた。
「ありがとうございますわ」
フェリスは、その子にお礼を言うと頭をなでた。
頭を撫でられた彼は気持ち良さそうに目を細めた。
フェリスはその小さな狼が何者かは分からなかったが、ずっと寄り添ってくれたのだろう彼から敵意は感じていなかった。
横に置いてあった小さな服があったので、それにそでを通した。
突然、岩同士がぶつかった様な大きな音が響き、フェリスは辺りを警戒した。
その後に響き渡る咆哮と気合の声。誰かが争っているのは明白だ。
音のする方に視線をやるとそこには、黄金の魔力を纏ったリリアと裸のオークが戦っていた。
あの神がかった強さのリリアと同等に戦う謎のオーク。
稀に出現するオークの変異種は街を落とすほどの驚異を持つのは知っていた。
が、オークが戦っているエルフは、突発狂乱を児技のように半壊させるエルフだ。
並のエルフじゃない。
それと同等のオークなんて、脅威以外何者でもない。
それも裸だ。
絶対に良いものではない。
フェリスはギオニスを探してあたりを見回した。
いくらオークの変異種でも、ギオニスとリリアの2人には敵うはずがない。
「ギオニス様ッ!」
一刻も早くギオニスを探そうと呼び声を上げた。
「おっ、フェリス、気がついたか」
突如、戦闘中の裸のオークがフェリスの方を振り返り近づいてきた。
「ひっ!」
醜いオークが全裸で近づいてくる。フェリスは驚いて身をこわばらせた。
リリアと同等。それだけで恐怖なのに、相手は裸だ。
このオークに捕まったが最後。その先は安易に予想できる。
「どうした、フェリス」
オークが、フェリスの名前を呼んだ。
その瞬間、彼女の身体中に寒気が走った。
こんなやつに気高き名前を呼ばれるなど。
オークに凌辱される恐怖と怒りにフェリスは近くにあった木刀を握りしめると彼に斬りかかった。
「やあぁ!」
「なっ、ちょっと待て、フェリス!」
意外なことに、オークが怯んだ。
「隙きありよ! ギオニス!」
「あっ、てめぇ、汚いぞ!」
ギオニスと呼ばれた裸のオークの首から下が一瞬で氷漬けになった。
それを見たリリアは満足そうに剣をしまった。
フェリスは振り上げた剣をどうしていいか分からず、戸惑いながら下に向けた。
リリアが捕まえたのだ。
とりあえず安心だろう。
が、なぜ、彼女は、オークをギオニスと呼んでいるのか不思議でならなかった。
「戦闘中によそ見するほうが悪いわ」
「あっ、あの、リリア様、これは?」
氷漬けのオークに親しげに話すリリア。
現実に追いついていないフェリスは何がどうなっているのか助けを求めるようにリリアに駆け寄った。
「ん? そう言えば、フェリスは知らなかったわね」
直後、裸のオークが、フンッと力を込めて、身を縛っていた氷を砕いた。
「リリア様、お、オークが氷を解いて……」
「まぁ、ギオニスだからね。このくらい当然でしょ。
私ならその間に100回は殺せるけどね」
「はいはい、俺の負けだよ」
まったく、とつぶやきながらギオニスは身体に残っている氷の粒を払った。
「えっ? ギオニス様?」
「なんだ?」
目の前のオークがフェリスに返事を返した。
魔王の尖兵。
暴虐なる異常食欲者。腐臭と共にあらゆるモノを喰らい、犯し、破壊していく欲望の権化。
最も忌み嫌われている侵略者。
それが、ギオニスだと言われフェリスは混乱していた。
「あ、あの、ギオニス様ですの?」
「そういや、この姿は初めてだったな」
ギオニスは戦闘態勢を解いて、普段の姿を見せた。
醜いオークの様相が解け、そこに端正な顔つきの青年が現れた。
それは、フェリスが知っているギオニスの顔だった。
「ギオニス様なのですね。
なぜ、オークの姿なんかに」
「えっ? いや、俺はオークだぞ?」
「ど、どういうことですの?」
フェリスの恐怖を察知したのか、小さいホワイトファングがフェリスとギオニスの間に割って入り、ギオニスを睨みつけた。
「何だお前――喰うぞ!」
殺気を向けられ気に入らなかったのか、今度は逆にギオニスが、ホワイトファングに向かって殺気を放った。
突き刺すような気配に、ホワイトファングの銀色の毛が逆立ち、喉の奥から低い唸り声が漏れた。
「ほう……」
「あら」
ギオニスとリリアが同時に感心の声を上げた。
ギオニスの殺気を前にして、逃げずに威嚇する勇気。
「あれで逃げないのか」
「森の獣でも中々いないわよ」
「そ、そうですは、ギオニス様もその姿もそうですが、この白い子は一体……」
「あなた、気を失っていたものね。
教えてあげるわ。
あと、説教も待っているから覚悟しておきなさい」
リリアはそう言ってひんやりとした笑顔でフェリスを見た。
----
ギオニスとリリアは今までのことをリリアに話し始めた。
元々は2人はそれぞれ違う領地を収める族長と姫であったこと。
魔王の侵攻が原因で殺し合ったこと。
そして、復讐を誓ったこと。
「森の外のオークがどんなものか知らないが、
俺たちオークは草食だし、平和を好む生き物だ」
「そうなのですか……
では、暴虐の限り相手を喰らい尽くすというのは嘘なのですね?」
「あぁ……いや、それは本当だ」
「えっ?」
この説明が他種族には面倒なのだ。
「まぁ、何というか、食事として取るというよりも、相手を支配するためという意味が強い。
そもそも、好んで肉を食べるわけではないからな」
「えっと……それは……」
フェリスもギオニスの言葉に困惑の色を隠せなかった。
他種族との価値観の相違はよくあることだ。
戸惑い続けるフェリスにギオニスは困ったような顔をした。
ヒトの価値観が南方ハレの記憶と同じ価値観であるならば。
恐らく他種族喰いは禁忌だろう。
「すまん」
何を謝るわけではないが、何となくそんな気分になり思わずギオニスはそう呟いてしまった。
「い、いえ、ギオニス様が悪いわけではなく。
ただ、わたくしの中でまだ割り切れなくて……」
フェリスはうつむきながら小さい声でそう返したが、しばらくすると強く顔を上げギオニスを見た。
「ギオニス様とリリア様がわたくしを助けてくれたことは間違いありませんわ。
それに、こんなに良くしてくださったのも」
フェリスはギオニスがオークだということを何とか消化するように努力した。
戦いが終わって見慣れた姿に戻ったギオニスは本当にオークだと想像できない。
だが、オークの姿からヒトの姿に戻ったのを目の当たりにしてしまった。
「しかし……ギオニス様のそのヒトの姿は詐欺のようですね……」
「そうよね!」
ギオニスの頭の先から足の先まで視線を走らし、しみじみと言ったフェリスの言葉にリリアが物凄い速さで同意した。
「あれが、これよ。
詐欺だわ」
「まったくですわ」
あれがなんで、これがなんだと言うんだ。
ギオニスはリリアの言葉が理解できないでいた。が、フェリスは理解して、同意しているようだ。
「おい、そんな話するつもりなんじゃないんだろ?」
ギオニスは逸れた話に呆れた顔でボヤいた。
「そうだったわね」
咳払い1つして、リリアは真面目な顔でフェリスを見た。
「フェリス、貴方が最後にしたこと覚えている?」
フェリスは先程の激戦を思い返した。
ホワイトファングに噛みつかれる間際、生命力を魔力に変換した。
やり方を正式に教えてもらったわけではないが、実際、ギオニスやリリアに施してもらったことを体感的に真似しただけだった。
恐らく、それは失敗したのだろうとフェリスは思った。
あの後、フェリスの意識は完全に途絶えていた。
「失敗しましたのね」
結果を想像して申し訳なさそうに呟くフェリス。が、リリアから帰ってきた言葉は彼女の想像と真逆だった。
「違うわ。成功したのよ。
だから怒っているの」
「どういうことですの?」
魔法の失敗にはリスクがある。
成功したのなら、問題がないはずなのだ。
「生命力を魔力に変換するのは本来かなり難しい方法よ。
過度に変換されないように、いくつもの制御機構と安全装置があるわ。
あなたはそれをなしにやったのよ。
あのまま、気を失っていれば、あなたのすべての生命力は魔力に変わってしまうわ」
「そ、そうなると、どうなるのですの?」
リリアは少し険しい顔を見せた。
「良くて、死ぬわ」
「……良くて?」
普通は最悪は死だと説明する。
「意識がなくなり、魔力のみで構成された魔力生命体になるか、それとも意識だけが残り、魔力も身体も霧散するか。
どちらにしろ、あなた自身の存在が変異するわ」
「そんな……」
真意を確かめるように、ギオニスに視線を投げかけると、彼も無言で頷いてそれを肯定した。
「俺達が脅しすぎたのも悪かった。
最初にやったのは、せいぜい死ぬほど疲れるくらいだ。
現に、一晩寝たら治っただろ?
だが、今回フェリスがやったのは本当に命を削っていた。
禁忌も禁忌、外道の技だ」
「わ、分かりました……」
フェリスも命を削る魔法の存在をいくつか知っていた。
が、それは、魔法屈指と言える、学園でも秘技中の秘技で、やり方は知らなかった。
常識外れのギオニスとリリアならその程度のことと教えてくれたかと思っていた。
が、それはフェリスの勝手な思い違いで、彼らにとっても、命を燃やす魔法は禁忌であった。
「今回は、特にというか、フェリスが使ったから問題だったんだ」
「それは、わたくしの実力がなかったから……という事ですわよね……」
フェリスは沈んだ表情でそう返した。
「どちらかというと種族特性なのかもしれないわ。
私みたいなエルフや彼みたいなオークは長命なのよ。
それに比べてあなたのようなヒトは短命なのよね。
そのせいなのか、生命力から魔力への変換効率が異常に良いのよね」
「異常に?」
「ええ、際限なく変換していたということを差し引いても、あの瞬間、あなたは私を超える力を持っていたわ」
「エルフを超える魔力ですか?」
フェリスは驚きを隠せなかった。
森の静かなる番人。叡智の結晶。魔法の申し子。
エルフ、とりわけハイエルフを称賛する言葉は枚挙に暇がないが、その殆どがその知識や魔力を称賛するものだった。
そのハイエルフの中でも、大森林に住まう恐らく最も古いハイエルフ。
それを一瞬でも超えたということは、どれだけ非常識なことなのか、想像に難くなかった。
「あの瞬間、あなたがどれだけの命を変換したのか、どれだけ寿命を削ってしまったのか。
それはもう分からないけど、それだけ危険なことって理解したかしら?」
「……はい」
フェリスは神妙な顔で頷いた。
「説教はここまで。
私たちもあなたの救出をギリギリまで引き伸ばしたり反省すべき点はあるわ。
あなたの当面の目標は神籬武装を覚えることにしましょう」
フェリスはこくりと頷いた。
「怒ってばっかりもあれだわね。
一応いいこともあったのよ?」
リリアはそう言ってホワイトファングを見た。
「この子は何者なんですの?
どう見ても、先程戦ったあの銀狼に見えてしまいますが」
が、サイズは違った。
見上げるような巨大な狼が今は大型の犬程度の大きさだ。
「そうよ。戦ったあの狼よ」
「フェリスが魔力を開放した時、こいつは本能的に勝てないと悟ってしまったんだ。
要するに、敗北を自覚したんだ」
「それが、どうしてこうなったんですか?」
ギオニスはそんなもんなんじゃないのかとリリアを見た。
リリアもギオニスと同じ認識らしく、深く分かっているようではなかった。
「ビースト系の種族ってこんなもんじゃないの?」
「ドラゴン系も似たようなはずだったぞ?」
「そう言えば、グリフィンやワイバーンを従えてる種族もいたわね」
「そ、そんなよ、従えるなんて無理ですわ!」
グリフィンもワイバーンも空の王者と形容される誇り高い魔物だ。
従うくらいなら高潔な死を選んでもおかしくない魔物である。
「あははは、そんなことないわよ。
私もグリフィンを従えたことあるけど、殴り合いで勝ったからだしね」
「そういや、天断つ雄々しき暴牛を従えたやつは頭突きあってたって言ってたしなぁ」
「そんな……無茶苦茶な」
「ははは、確かに頭突きはないよな」
「いや、そうではなくて……」
ギオニスの笑うポイントが、フェリスとことごとくずれていた。
「フェリス、そんなわけだから、ちゃんと契約してあげなさい」
「契約ですか?」
「そうよ。
今はまだフェリスのほうがこの子よりも弱いけど、
この子はあなたの中に可能性を見たのよ。
主従じゃなくてもいいわ。相棒(バディ)であっても護衛(ガード)であってもこの子はあなたと共に歩きたいと思ったのよ」
「わたくしと……ですか」
魔法が不得意で、剣術も不得意なフェリス。
今でさえ、命を削ってすら、ホワイトファングの方が強い評価された。
「わたくしに、そこまでの価値があるのでしょうか?」
「そんなの、知らないわ。
まぁ、言えることがあるなら、魔物の中でもビースト系の勘は結構当たるものよ」
リリアがそう言ってフェリスに笑いかけた。
「分かりました。
わたくしも、この子と契約したいですわ」
フェリスはそういうと、ずっと横で座っていたホワイトファングを見た。
ホワイトファングはようやくかと腰を上げると、しっぽをくるりと動かした。
「話がまとまったところでだ」
ギオニスが咳払いをした。
「服を着ていいか?」
全裸を主張するように、ギオニスが軽く左右に腰を振った。
>> 第016話 何をするつもりなの?




