第013話 どう足掻いても絶望
周りのモンスターが逃げたのは良かった。
おかげでホワイトファングだけ集中していればいい。
フェリスは大きく息を吸った。
獣型のモンスターの中で最も気をつけなければいけないのが、熊のタイプと狼のタイプだ。
単体の能力が高いだけでなく、この手のタイプは特殊な能力を持っていることが多い。
ホワイトファングの報告例は街にいる時にいくつか見たことがある。
いわく、その動きは目に負えないと。風と共に現れ、風と共に去る平原の魔物。
フェリスは今の自分の能力とその事実を推し量っていた。
もしかしたら、今の自分ならそれに追いつけるのではないかと。
最初に動いたのはフェリスだった。
鋭い息を吐き、剣を構えたまま一足飛びで相手の懐に飛び込んだ。
持っている剣を視界から外すように低く構え、そのまま一気に銀狼の顎に振り上げる。
確実に入ったと思ったその剣筋が空を斬り、剣先が蒼い空を向く。
視界から一瞬でホワイトファングが消える。
その刹那、身体中に寒気が走った。
視界の端にわずかに白い毛が見え、獣の息遣いが聞こえた。
ギリギリの戦いの中で得た危機察知能力はホワイトファングの攻撃も察知していた。
視線を送ると見えた白く鋭い牙。
咄嗟にフェリスは後ろに飛び退いた。
風が駆け抜け、フェリスの身体が後ろに大きく引き下がる。
さっきまでフェリスがいたその場所にホワイトファングの顔があり、こちらを睨んでいた。
噛み付いたはずなのになぜと思っているような顔に、フェリスは、戦えていることを確信した。
直地と同時に地面を強く踏みつける。
飛び退いた勢いを踏み殺し、そして、前進する力に変える。
「てやぁ!」
奇襲的な攻撃はなしだ。
振りかぶって剣速を重視する攻撃に切り替える。
相手の攻撃は躱せている。ならば、あとはこちらの攻撃を当てるだけだ。
ホワイトファングに剣を振り下ろした瞬間、剣は空を切り、地面に突き刺さった。と、同時に視界が白に覆われた。
危機察知がそれを攻撃と察するが、剣を振り下ろしたばかりの身体はそれを避けることを許さなかった。
「きゃあ!」
何とか剣を引き抜いてそれを受け止めるが、その攻撃をいなせるはずもなく、身体が宙を舞った。
飛ばされた目の端で、それがホワイトファングの尾であることが分かった。
尾撃でこの威力。
ホワイトファングは飛び上がるとくるりと背面に宙返りして飛ばされたフェリスに飛び乗った。
前足はフェリスの肩を押さえ、その大きく開いた顎はフェリスの喉元の間近にある。
このまま地面に落ちたらその鋭い牙は首筋に食い込むだろう。
食い込んだ様が頭を過り恐怖に身体が震える。
振りほどこうにもホワイトファングの方が力が勝っている。
肩を押さえつけられ腕が思うように動かず、ホワイトファングを怯ませるほどの剣は振るえない。
風の音が耳にうるさい。
このまま食い千切られるのだろうかと言う恐怖が思考を邪魔していく。
身体強化をしてもなお、ホワイトファングには力で劣る。
「……」
生き残る手が思いつかない。
何か方法はないのか。
必死で考えるが、時間はなく、もう地面が間近だ。
死ぬと確信したと同時に生き残る方法を閃いた。
剣を横に薙ぎ、小さく呟いた。
「……スラッシュ」
それと同時に、まっすぐに動かした剣筋に沿うように魔力でできた疾風の刃がホワイトファングを襲った。
きゃんと短い悲鳴と共に、赤い血を流しながら、ホワイトファングが地面に身体を打った。
フェリスは受け身を取れないままで激しく地面に身体を打ち付けた。
身体中に痛みが走り、口の中になんとも言えない嫌な味が広がる。
痛みに耐えながらフェリスは立ち上がると、血に塗れた銀色の狼を睨みつけた。
このまま寝ていたら死ぬ。
ホワイトファングは、しばらく地面でのたうち回ると怒りを宿した目でフェリスを睨みつけた。
スラッシュでケリをつけたかったが、やはりそうは行かないらしい。
立ち上がったホワイトファングの首元は赤く血に汚れていたが、致命傷とは行かないようだった。
フェリスは残り魔力とスラッシュができる回数を計算した。
加減して撃てば、後二回。
全力で撃てば一回が限度だ。。
並のスラッシュなら傷を負わせることができるが、相手を倒すことはできない。
やるなら全力で撃つしかない。
スラッシュを打ち切ったら本当に手がない。
ホワイトファングはスラッシュを警戒してか用意に距離を縮めなくなった。
この距離でスラッシュを打っても避けられるのは自明の理。
ならば、回避不可能な近接で全力の攻撃を撃つしかない。
それは同時に自分の身を危険に晒すことになるが、それでも問題ない。
いや、逆に生き残るにはそれしか手がない、
短い攻防の中で、フェリスは考えを改めていた。
ホワイトファングといい勝負ができると思っていたが、そんなことなかった。
やはり、相手のほうが格段に強い。
命をかけてやっと対等に立つほどの実力だ。
エリアボス級の相手と戦うのは、本来、中規模パーティーを組んで集団で戦うのが基本だ。
たった1名で勝てるなど、それこそ異界の勇者くらいしかありえない。
フェリスは力を抜いて、ホワイトファングに近寄っていく。
勝つには距離を縮めないと始まらない。
だが、尾撃だけは警戒しないといけない。
力を抜いてはいるが、無防備ではない。
いつでも斬りかかれるだけの緩み具合。
スキは見せながらもスキだらけではない動き。
ホワイトファングは警戒して、一定の距離を保ったまま後ろに下がる。
フェリスにとってしてみれば、存分に警戒してもらいたいくらいだ。
勝つためのスラッシュは後一発しか撃てない。
警戒して、警戒して、警戒して、それでも勝てると思って噛み付いた瞬間に斬り伏せる。
後は奇襲や不意打ちを気をつけるだけだ。
覚悟が決まれば、身体の全神経がホワイトファングに向く。
戦いの中で手に入れた危機察知が、さらに強化されていくのを感じた。
突然、ホワイトファングが空を向くとながい遠吠えを始めた。
よく通る狼の声は空全体に響き、段々と遠くに聞こえていく。
遠吠えを遠くに残し、突如ホワイトファングが動き出した。
唸る残響と共に尾撃を繰り入れながら、距離を詰めていく。
フェリスは尾撃をいなし距離を詰めていく。
距離が近づくに連れ、しびれを切らしたホワイトファングが牙を向いてフェリスを襲う。
それを剣で受け止める。
狼の牙はすぐに引き、また、顎を開けて襲う。
致命傷を狙う一撃じゃない。
体力と命を削り取っていくような軽い、それでいて容赦のない一撃。
威力を重視していないその攻撃は、フェリスの反撃がいつ来ても対応できるような余力を残しているのを感じ取れた。
隙きがない分、反撃はできなかったが軽いおかげで、フェリスはなんとかその攻撃を受け止めることができた。
尾撃を払いながら距離を詰めていく。
一足飛びで行ける範囲まで近づくと尾を大きく打ち払った。
尾を打たれたホワイトファングはキャンと短い声を上げ、その痛みに慄いた。
まだだ。
まだ、相手には余力がある。
剣を持つ手と反対の手で、狼の腹を力いっぱい殴る。
狼の顔が苦痛に歪んだその瞬間、ホワイトファングの前足をめいいっぱい踏みつけた。
ズンという鈍い音共に、ホワイトファングの足が地面に沈む。
痛みに耐えかねたホワイトファングがフェリスの首を噛みちぎろうと大きな口を開けた。
フェリスを一撃の下に葬ろうという殺意ある一撃。
これを待っていた。
耳の奥、遠くに遠吠えが聞こえた。
が、今は、それどころではない。
平原の魔物と呼ばれたホワイトファングが大口を開けている。
牙の一本一本までしっかりと見える距離。
「――スラッシュ!」
ホワイトファングの渾身の噛みつきに合わせた横薙ぎ一閃。
完璧なタイミングで放たれたスラッシュはホワイトファング真っ二つに切り裂き。そして、世界にヒビが入った。
「うおおおぉぉおぉぉん!」
ヒビの入った世界は割れて崩れ落ち、そこには、座って遠吠えしているホワイトファングの姿があった。
「えっ?」
その一瞬に理解ができなかった。
今まで確かに戦っていたはずだ。
ホワイトファングのすぐ傍をスラッシュが通り過ぎ、何もない平原を抜けていった。
それを見た。ホワイトファングは遠吠えをやめた。
「ま、まぼろしですの……」
幻覚を見せる狼の遠吠えというのを聞いたことがある。
獣種ではなく幻獣種だが、天翔る白狼と呼ばれた北の極地に住む狼はその遠吠えだけで相手を幻惑に落とすという話だ。
「嘘……ですわよね……」
ホワイトファングは地面を駆けるとその巨大な頭を下げ、フェリスにぶつけた。
「きゃぁ!」
ホワイトファングの体当たりに、フェリスの身体が宙に舞う。
今までに感じたことがない痛みと共に重さが走った。
身体強化の効果が切れる兆候だ。
ホワイトファングに相対して戦えたのはこれのお蔭だ。
もし効果が切れたら。
フェリスの身体に言い知れない恐怖が走った。
実感する死の気配。
すぐ様、身体の中に魔力を流して魔法陣を構成していく。
が、いくら流しても魔法陣がうまく作れない。
「嘘……魔力切れ?」
ここにきて最悪の事態だ。
突発狂乱の間中、身体強化を使い続け、更には限界ギリギリのスラッシュを打った。
「切れて当然ですわね……」
ホワイトファングは宙に舞ったフェリスを追いかけ、その肩に噛み付いた。
フェリスは剣を捨て、これ以上肩に食い込まないように必死にその牙を掴む。
獣臭い息と涎で濡れた牙はヌルヌルしている。
だが、すでに普通の少女と変わらない力に戻った腕ではその牙を引き抜くことはできなかった。
地面に叩きつけられると同時にこの口が閉まると自分は死ぬ。
顎を抑えるため武器となる剣は捨ててしまった。そして、魔力切れ状態。
頼みの身体強化もそろそろ効果が切れる。
どう足掻いても絶望だ。
けれど……勝ちたい。
剣も魔法も才能がなかった。
あったのは、親譲りの商売の才能だけ。
学園では馬鹿にされ続け、飛び出してしまった。
馬鹿にした貴族たちを見返してやろうと始めたブラン商会。
できることを好きになるのは簡単だ。
けれど、好きなことをできるようになるのは難しい。
商売は嫌いじゃない。
ヒトを読んで、市場を読んで、未来を読む。
そして、そこにお金を介入させる。
けれど、彼女が学園にいた彼らのように鮮やかな魔法や剣技に憧れないはずがなかった。
どれだけ頭を働かせても生き残る方法は思い浮かばなかった。
舞い上がって落ちる僅かな間に洪水のように思考が駆け巡り入り乱れる。
死ぬしかないのかと、諦めかけたその瞬間、フェリスの中にある考えが閃いた。
「……ありますわ」
その言葉と共に、フェリスの身体が黄金の光に包まれた。
>> 第014話 この腐れ豚野郎!!!




