1-11 似た者同士の共闘戦線
僕のすぐ前に壊れた壁。それに脚をかけて身を乗り出し骨の嘴をゆっくりと広げる怪鳥。そして一番奥にはバジル。
怪鳥を前にガタガタと震えて真っ青になって、なのに何故か口元は笑っている。もう気が触れているのが目に見えていた。
でもそれでも剣を構えている。怪鳥の、頭を齧ろうとする攻撃を弾いて一歩も下がっていない。
まさかカンファ―でも大量吸引したのか、と思って身を乗り出すと理解できた。
主人の話も彼の意図も何もかもが知れた。
武器屋での話は本当だった。僕とこいつは似ているようで根底が決定的に違った。
僕はどうやってもこいつの様に振舞えない。僕はいつだって安全確認して、初めて人を助けようという気になる。
自己犠牲なんて考えたこともないし、他人の幸せのために自分が損をしようなんて思ったこともない。
でも、彼は違う。
バジルはどうしようもなく怖くても、目の前で子供が泣いて居れば一歩だって引くことをしないんだ。
「大丈夫、大丈夫さ。ハハッ。死ぬ時は一瞬だ」
笑いながら、泣きながら、それでも彼は誰かを守るために剣を振っていた。
改めてバジルを見る。戦うには頼りない細身の体だ。髪の毛も切るお金がないのか長めだった。分厚いコートと帽子に着られている感がある。
でもそんな彼は子供を庇って、剣を振って、必死に抵抗している。
自己犠牲。まるで聖人のようで、まさしく人間的な強さの表れだった。本当に凄い人だった。
僕には到底真似できない所業で、何で彼に救いの手が差し伸べられないのか不思議でならなかった。
いや、違う。そうじゃない。
「ははっ。全く自分が嫌になる」
僕は彼を凄いと思った。バジルの様にがむしゃらに誰かを守りたいと思った。
そうだ。現代のぬるま湯に浸かり切った僕は、いつだって不幸は嫌いで幸せな結末が好きだった。
だけど、ここに来て暗い現実を目の当たりにして、自分じゃ助けられないような不幸な終わり方に眼を瞑ってきた。
例えば、門戸を叩く契約者の最後をただただ見続けていた。
でも本当はそんなのは嫌だったはずだ。
誰か手を差し伸べればいいのにと思ったなら、僕が手を伸ばせばいいと思っていた筈なんだ。
「くそっ。見くびんなッ! ダークファンタジー!」
バジルはとっくに腹をくくっている。今度は僕の番だ。
焼夷爆弾を起爆してたっぷり待って真上に投げて、直ぐに怪鳥の真下に滑り込む。
途端怪鳥の後ろで爆発して、ベットリとした炎が降り注いだ。
壁や瓦礫に張り付いて燃え続ける炎は、同じく怪鳥の背部を焼き焦がしてその鱗と肉を焦がし続ける。
頭上に轟く大絶叫を聞きながらその足元から抜け出して直ぐにバジル、を通り過ぎて子供を抱える。
「へ?」
「何やってんだ!? 逃げるよ!」
「あ、うん!」
さっさと建物の陰に隠れて息を整える。ああ、心臓に悪い。寿命がかなり縮まった。
ギリギリまで持っていた爆弾が手元で爆発する可能性があった。燃える油がつく事も考えられた。
何より化物を盾に使うなんて馬鹿げていた。
「でも、何とかなったぞ。はは」
「あの、どうして、ここに?」
「武器屋の主人のお使いだよ。ほら、新武器ってもう一つしか残ってないか」
暗がりの中でドンっと例のものを前に置いた後、思い出す。
そう言えばここにもセーフティールームがあったな。足手纏いはさっさと安全地帯に隠すに限る。
「おい、隠れられる場所あるからちょっと来い」
「う、うん」
近場にはやっぱりセーフティールームがあり、そこに子供を埋める。うん。少し字面は悪いし暗いから絶対泣くだろうけど先ず命は助かる。
それにここは比較的住環境も良い。簡素なベッドも用意してあるし、空き缶の中には飴も入っている。
きっとトラウマ級の体験とはならないはずだ。
「ってこっちの方がトラウマだ!」
「へ?」
クレイモアの爆発面を覗き込むなんて蛮勇を見せるバジルを取っ掴まえて、爆弾を引っ手繰る。
全く心臓に悪い。好奇心は何とやらと言う言葉を知らないのか。
「バカ、これはな。こっちの面から大量の弾を撒き散らして動物を木っ端みじんにする爆弾なんだぞ」
「え? それを早く言ってよっ 死んじゃう所だったよっ」
「分かってる。僕が馬鹿だったって。でも兵器だって言ってるのにベタベタ触る奴がいるとは思わなかったんだよっ」
「普通兵器って言ったら剣とかだからっ。爆発するなんて思わないしっ」
「うっさい静かにしろっ。あいつにばれるだろ」
変怪は目も耳もないが光も音も感知する。スタングレネードを使って耳を潰しているならともかく、隠れる時は静かにするのが鉄則だ。
全く、これでばれたら笑うしかないぞ。
そっと角から覗き込めば、目のない眼窩とかち合う。おっと失礼をしたと一礼をして引っ込む。
いやはや、角で出合い頭と言うのはやっぱり少し気まずいものがあるな。……さて。
「バジル……」
「?」
「走れッ!」
ダッと駆け出すと僕がもたれていた壁が崩れ去り、嘴が突き出る。ガラガラと建物が崩れそれを踏み砕く怪鳥。
首に着いた瓦礫を軽く払って僕達を睥睨すると、グッと体が膨らんだ。いや翼をゆっくりと広げているようだ。
纏っていた翼を大きく広げて一回だけ、羽ばたく。
空気の塊が地面を打ち、見えない並みとなって路地や大通りに荒れ狂う。
僕達を追い詰めるように吹き荒れる風が追い付いた。
押し倒すように背中を押されて、共々突っ伏してしまう。
バッと振り返ると翼を畳んだ怪鳥が飛んでこっちに向かってくる。このまま突進して押し潰すつもりだ。
直ぐに路地に逃げ込むと、石畳が潰され割れる音。石同士が軋む不愉快な音すら鳴り響く。
「重量級……バジル大丈夫か!?」
「し、死んでないっ!?」
自分で驚くなよ。声の方向からして僕と反対側に行ったな。
これは好都合、これ以上逃げ回っても被害が広がるだけだからな。
「バジル、ここで食い止めて時間稼ぎしようっ」
「どうして!?」
「これ以上逃げると皆に被害が出るっ。それに今飛んだから、変怪の位置を皆確認できたはずだっ」
「皆が来るまでの時間稼ぎ!?」
「そうっ」
「僕達二人だけで!?」
「ああっ」
信じられない、と言った様子だけどここでやらないといけない。
それにバジルなら出来るはずだ。僕は見逃してはいない。
彼は町を瓦礫に変える嘴の一撃を受け止めきれる力がある。怖がりなだけで誰かを守る心も力もある。
クレイモアを設置して、飛び出す。
怪鳥が気付いて首を引きずる様にして横殴りの攻撃してくる。
それを飛んでかわして、瓦礫の裏に。
爆発が発生して、変怪の体に鉄球がめり込んだ。
が、やっぱり鱗が硬い。皮膚を突き破れない。だけど、意識はそっちに向いたはず。
「気張れバジルッ。ここで釘付けにすれば、皆が死なずに済むッ」
「……分かったっ」
バジルも路地裏から出て、僕の前で剣を構える。
未だ震えているけど、大丈夫だ。これはニュートラル状態だ。この状態で行ける。
バジルの隣まで進んで、肩関節をほぐすためにぐるりと腕を回す。よしこれでいい。
「バジル。僕は三回までなら敵の攻撃を相殺できる」
「?」
「だから、大きな攻撃が来そうになったら逃げろ」
「……それは俺だけが助かれって話じゃないよね」
「それは絶対言わない。一蓮托生だ。僕が死ぬ時はこの怪鳥とお前も一緒に死の淵に叩き込むからな」
「分かった。信じるよ。テオ」
翼を纏ったまま怪鳥がのっそりと近づいてくる。
それは鳥の顔をした人の様で、あるいは死神にも似て、見下ろされるとゾクリと寒気が走る。
だが僕達はそれを睥睨して、作戦を開始した。
「よし、釘付けにする。ちょっかいをかけ続けるぞっ」
「分かってるっ」
バジルがバッと飛び出す。僕もそれに追随する。
怪鳥はそれを見て、のっそりと足を見せつけた。鋭い爪の付いた、ゴツゴツの鱗の脚だ。それを二手になって別れて、踏みつけが起きたと同時にその足へ攻撃。
僕は叡智を宿した手で引っかいて、バジルはその剣で撫で斬りにする。
だけどどちらも大したダメージは与えられない。
「くそっ。粘土って言ってもこんな塊に指突っ込んだら痛いなッ。しかもダメージが浅いしッ」
「俺の方も、硬くてうまく切れなかったよッ」
「でも何度もやれば歩けなくなるだろッ。それで生存確率が跳ね上がるぞっと!? 何だあれ!」
振り向く前に安全圏へと走っていた僕達だけど、怪鳥は次の一手を打っていた。
僕達に背を向けたまま纏った翼を少し広げて、その端から赤い血を滴らせている。
一体何を、と注視していると急にそれが凍り付く。
それは何処までも深い赤で作られた宝石だった。美しく、だけど寒気がするほど恐怖を煽る。
脳裏に過るのは、一打ちしただけで発生したあの暴風。瓦礫を砕き建物を崩す程の嵐。
鋭い礫とその二つが合わさればどうなるかなんて分かり切っている。
「不味いぞ」
怪鳥がゴウッと翼を振れば、その礫が何千何万と飛んできた。
赤い銃弾の嵐だ。
「バジルしゃがめッ」
そう言いながら僕はバジルに覆い被さる。
同時に頭を腕で守って防いだ。
服越しに礫が当たる感触がする。腕にも当たって痛みが走る。
どれだけ柔らかい物質でも、高速で当たれば物を破壊しうる。それがよく分かる。
周りの音を聞くとガラスや瓦礫が破壊される音が聞き取れた。同時に赤い礫が砕けただろう音も大量に響いている。
暴風の中で雹に撃たれれば、こんな感じだろうか。
「テオッ? 大丈夫ッ!?」
「大丈夫。第一の秘策を使ったけどな」
礫が終わって、服を確認する。
僕の服はすっかり固くなってゴワゴワになっている。着心地が悪くなって何より動きにくい。直ぐに両手足の袖を引き千切る。
地面に落ちても筒の状態を保つそれを、バジルが横目で見つつ驚いたように声を上げた。
「それって?」
「自前の合成繊維。衝撃を食らうと硬くなるんだよ。後が全然動けなくなるんだけどね」
「す、凄いね」
「凄くないぞ。と言うかもっと後の方で使いたかったし」
で、敵方は……ああまた変な事をし始めた。今度は礫じゃなくて、槍か。
また翼の鱗から血が滲みだして、どんどん塊を長くしている。
その数は数えるのも嫌になるほど。多分数百だろう。しかも同じように撃ち出すとしたら広範囲攻撃か。早速秘策その二を使わないとならないか。
「テオ、今度は俺が行く」
げんなりしているとバジルが前に出て、剣と指輪を構えた。
「出来るのか?」
「分かんない。でも、あれくらいの速さとあの大きさなら、行ける気がする」
「よしっ。頼むっ」
今度は僕がしゃがんで身を小さくし、バジルに任せる。
不安なんてない。とは言えない。ただ背中を預けられるという確信がある。
また暴風が吹き荒れて、今度はゴツゴツとした槍が飛んできた。
今度は礫の比じゃない。当たれば即死の広範囲攻撃だ。
「持久戦は考えないよッ」
バジルが半身を切って、指輪の付いた拳を突き出す。
するとその赤い結晶からバッと血が宙にうねって広がった。それは螺旋を描いて撚り合って直ぐに糸のようになる。
それらが更に絡み合い編み込まれ、完成したのは網だった。
僕達を守る様に展開された蜘蛛の巣だ。
凄い、と思った。でも槍が触れた途端に落胆してしまった。
その糸に槍を受け止める力はなかったからだ。当たった端々から糸がブチブチと千切れていく。
流石にそれはヤバいだろと思って、直ぐにバジルを伏せさせようとも思った。
けどどうも様子が可笑しい。
網を破った槍は全て軌道がずれて僕達のスレスレの所に突き刺さっている。
そしてよく見れば網は千切れようとその全体の形を保っていて、槍の軌道を変え続けている。
まさか、飛んでくる一瞬で僕達に当たりそうな槍を見極めてそれの軌道を変える為の網を張ったのか。
そしてボロボロになった網を突破した槍には
「たぁッ!」
自分の剣を使う。型通りの切払いで弾いてしまう。
頭の回転早すぎるだろ。あの一瞬で当たりそうな槍を判断して、どうすれば軌道が変わるか考えて、そして手持ちで対策を立てるなんて。
「バジル、実は凄い人だったりする?」
「いやいや、仕事が無いからずっと鍛えてただけだよッと!」
全ての槍を弾いて、バジルが笑う。
「それに何でだろうね。テオが後ろに居るって思うと全然足がすくまないんだ」
「?」
「いつもは頭真っ白になるのに、今も勝てる気がしないのに、怖いのに、動くんだ」
「それは好都合だッ」
バジルの笑いは狂ったそれじゃなくて、余裕の表れだ。
この、皮膚が硬い上に一撃必殺の攻撃を繰り出す鳥に、バジルは余裕を見せている。
遂に恐怖を感じる回路が壊れたかやっと戦いに慣れたのか。それとももっと別のものが彼の精神に作用しているのか。
何にしろ。好都合だ。行ける。このままなら援軍が来るまでに防ぎきれる。
怪鳥が迫っているけど、僕達は一歩も引かない。
片翼がバッと広がって建物を破壊しながら僕達に迫る。ここは逃せない
よし、この時を待っていた。
「バジルッ。ここは僕がやるッ。伏せてッ」
指示を出して、左手を伸ばす。絶対酷いことになるけど、それはあいつも同じだ。
ここで犠牲を払わなければ、生き残れない。
瓦礫を伴った巨大な翼がぐんと迫って、僕の手と触れた。
全てを粘土のようにする手に、圧倒的な質量と速度を持つ翼が触れた。
途端グニャリと腕がめり込んで翼が千切れだす。
それと同時に余りの衝撃と重さに僕の腕の筋肉がブチブチと千切れる。
「グゥゥゥ!」
我慢比べだ。いや、等価交換だ。
僕は腕をズタボロされる。でもお前の翼を代わりに貰う。
「不用意に触れたことを後悔しろッ!」
腕を払って翼を千切り取れば、今度は怪鳥が叫んだ。耳を破るほどの絶叫がガラスを割った。
そこから溢れる血が重傷だと言う事を知らしめている。やっぱり出来たか。
「で、こっちも駄目だな」
こっちからも血がドバドバ出ているなぁ。これは酷い。
骨が折れて突き出ている。肩も多分外れている。今はアドレナリンが出ているから異様に熱いだけだけど、後で死ぬほど痛いな。これ。
「ちょっ!? テオ!?」
「大丈夫。死ななければ安いもんだって」
傷口を押さえて血だけ止める。ブランとした腕でバランスも取りにくいけど、それはあっちも同じだ。
「ほら見ろよ。怪鳥の手羽先が取れたぞ」
残った腕で指差せば、翼の中ほどを断ち切られた鳥が佇んでこちらを見ている。
睨んでいるのか怖がっているのか、目のない顔じゃ分からない。でも逃げるつもりはないらしい。
「これで空は飛べない。血を使った攻撃の威力も落ちるだろう」
「つまり、益々時間稼ぎがやりやすくなった」
「そう言う事だ。だから、やり切るぞッ」
また翼が羽ばたいて、礫が飛ぶ。
ここから地獄の時間が始まった。




