1-1 転生先に夢がないという事実
鳥皮をナイフでパリッと割れば鶏の丸焼きから香気が立ち上る。黄金のスープのかぐわしい香りと調和すればその空間すら上質なものに変わっていく。
ホットミルクの湯気は仄かに蜂蜜の甘味が混ざって、隣に並ぶパンはバターたっぷりのフワフワ食感。
それを齧れば、思わず天を仰ぎたくなるほどの旨味……。
そんな妄想をしてパッサパサのパンを食べると、少しはマシな気分になるというのが今日の発見だった。
ドブに泥を混ぜたようなごった煮スープも井戸水を汲んだはずなのに鉄臭い水も、妄想の力で大体カバーできるのだ。
いやカバーしていると思い込む。そうでないとこの拷問じみた食事を終わらせることが出来ない。
「ははっ。神はとんでもない恵みを与えてくれたな」
ボロボロの教会の片隅、孤児が居並ぶ中でカラッカラの笑いを漏らす孤児が一人。
ここは『第一書架教、東の外れ町教会』。すえた匂いが良く似合う寂れた教会だった。
話しに聞くに、そもそも『東の外れ町』と言うのがとんでもない辺境らしい。
行商人は月に一回来る程度。娯楽施設も何もなく、住んでいる人も百人を下回るだろう。
しかし僕は思う。強く思う。ここを本当に町と言っていいのだろうか。いやこんな場所を町と言うのはおこがましいのではないかと。
歯に衣着せて言ったならせいぜい村、明け透けに言えば集落。今汲んでいる井戸なんてオンボロで滑車が小犬よりもやかましく喚いている。
「それでも、全部街並みは石造りなんだよなぁ。しかも結構風情ある」
「おい、突っ立ってないで水汲めよ」
「はいはい。分かってるよ。せっつくなって」
後がつっかえていたか。仕方ないから今日もセカセカ働こう。
孤児の労働はここでは義務だ。色々な意味で必須とも言える。
先ず、教会の敷地内にある井戸から水を汲む。毎朝のお仕事である。ギッシギッシと滑車を軋ませれば、この町唯一の誇るべき点。鉄分豊富な天然水が手に入る。
この貧血患者への特効薬をエッチラオッチラ水瓶に運べばこの仕事は終わりだ。
次は教会の掃除。オンボロで無意味ではあるが塵一つなく、を目指しつつ手を抜きつつと掃いていく。更に届けられた荷運びもこなして等々、エトセトラ。
教会の仕事は立て込むことはあっても途切れることはない。
「次は……ああ、『白枝』様のお世話か」
「げぇ。あたしそれ嫌い」
教会の講堂でペアを組む女の子とメモを見る。ここに書かれている『白枝』様はこの『第一書架教』の生けるご神体だ。
いつもなら教会の一番奥まった場所、地下室の倉庫の更に下、厳重な警備の所にその方は居る。
ただし、そのご神体は……うん。
「諦めて、逝こうか」
「何かイントネーション違う。絶対違うよぉ」
怯える女の子を連れて地下室に脚を向ける。
ここがただの教会ではないと、腹の底から理解できる場へと。
倉庫の中には三重に鍵がかかった扉。それを開ければそこに至る暗いジットリとした一直線の廊下が出てきた。
奥が見通せない暗がりが吸い込むように奥へと続いている。壁は嫌悪感すら覚えるネットリとした何かが一面にへばりついていた。
壁に触ったなら二度と忘れる事のない感触を味わえるに違いない。だから壁に触らない様に進めば、二つの白い影がそこにあった。
微動だにしない人型だ。
黄ばんだ白い服と、枝の様な短槍。板を張り付けただけの白いお面を着けて、真っ直ぐ正面を向くように位置取られている。
金属や布と言うよりは蝋人形みたいだった。軽く小突けば空洞音でも鳴りそうだった。でも僕が一歩近づくと
ぬっと槍の穂先が突き出される。
先端が俺の鼻先を掠めるか掠めないかで止まる。その数多の切っ先で、顔の皮膚をズタズタにされるのが想像できる距離だ。
背筋に寒気が走って一歩下がるが、槍が更に突き出される。
そして掠れた声で問われる。
「所要か」
「……ふぅ。『白枝』様のお世話を」
「今は神官様が祝詞を上げている。即刻立ち去れ」
怒気や興奮した様子はない。全くの無感動だ。しかしその無感動のままに突き刺され、ひき肉にされる錯覚に陥る。
後ろの女の子はもう半泣きで俺の服を引っ張っていた。体重をかけて破かんばかりに引く様子は、パニック状態で必死に逃げようとしているのが分かる。
「聖騎士達。通しなさい」
だが、その声で事態はガラリと変わった。
聖騎士と呼ばれた二人が元の直立不動に戻り、また蝋人形めいた雰囲気を纏い出した。
生ける機械からただの無機物へ。こちらに一瞥もくれやしない。
この生命体は一体何なのか、知る術もないし知りたくもない。
今はこの二人の奥にある入口だ。その隣を通過して、声のした方へと足を踏み入れる。
「いらっしゃい。御子様」
「そう言う扱いは、拒否していますよ。神官様」
そう言って目を向ければ、聖騎士を制した垂れ目の神官様がにっこりとほほ笑んだ。
正座をしていて優し気な空気で手招きをする。
小さめの部屋の中、壁に設置された戸棚が占拠するそこに、小さくしゃがみ込んで祈りを捧げていたのだろう。
彼女の名前はリリー。正しくはリリー神官長。この教会の経営者で子供達の教育やお世話もしている、万能な人だった。。
ただ、様々な要因が重なって僕達からは一歩引かれた目で見られている。
「私はいつも言っていますよ。テオ、貴方はこの世界の救世主と思っています」
そう言って俺の手を取るとそこに頬を擦ってくる。ネットリと頬ずりをする様に背筋が寒くなった。恩人だけど。
そう、彼女はこんな辺境の地で生き残り、しかも三十人分の食糧を引っ張ってくるだけの実力を持つ、凄い人だ。
でも、変態的だった。
その手から逃れたくて手を振るけど、逆に両手で掴まれてスッとなぞられる。
俺の手の甲に白く浮かび上がる、謎の紋章。これが彼女を狂わせて止まないのだ。
「『白枝』様の祝福の証。『白枝』様から『叡智』を授かった証左。貴方のような子供がこれを授かって生き残るのは、非常に珍しい事なのですよ」
そうウットリと話す彼女の後ろを見れば、その『白枝』様が居た。
彼女が、いや彼女達が本当にそれを信仰しているのだと見せつけられた。
何故あれを信仰できたんだろう。どうしてそれに敬愛を傾けることが出来るんだろう。
白枝様は、言ってしまえばウジの湧いたウミウシだった。
正確に言えば、背中に太く短い触手を生やした生白いウミウシ。それが青く染められた絹の上で鎮座している。
気色悪かった。奇麗なウミウシを見たことはあるが彼等が心酔するこれはまるで大量のウジ虫に寄生されたみたいな感じだった。
「『白枝』様は私達に神の秘儀を教えてくれる使徒です。そしてそれに選ばれた貴方は使徒の一員であり、神の御業を使える一人」
うっとりと見るその目は狂気を感じて、息が詰まる。
だけど……だけど……。
「神官様、お言葉ですが僕の使える『御業』はその……ね?」
「……」
うっとりとしていたリリー神官がはたと気付いて目をそらす。
うん。そうだよね。その反応だよね。
「まあ、ええ。そんな『叡智』もありますって」
「友達に聞いたんですけど、叡智って一つ取得すれば二つ目は無理なんですってね」
「いえ、心身を鍛えればいくらでも刻めますよ。……危険が伴いますけど」
「これ寧ろ、『お前には他の叡智はやらない』って白枝様から呪いをかけられているんじゃ」
「……」
一度は考えたことがあるのか、ちらと神官長がご神体の方を見る。
あちらはあちらで、こっちの視線など気にも留めない様にキャベツの芯をムシャムシャ齧っていた。
いつの間にか連れの子が餌やりを始めていたらしい。
「……いえ! テオは他の子よりもずっと知性がありますし、きっとその紋章はそう言う二つの力が……」
いや、俺が他の人よりも知性が高いと思われてしまうのは別の問題だ。俺が俺である証でもあり、なんというか……生まれてこの方戸惑っている理由でもある。
簡単に言ってしまえば、それは俺が所謂ところの『転生』」と言う奴をしてしまったからに他ならない。
そう転生だ。機械とプログラムが支配する世界からこの不思議さと夢のある世界に落とされたんだ。
ただし夢と言ってもここは悪夢、この異端の宗教と化け物が巣食うダークファンタジーな世界だった。
貧しい教会に捨て子にされ、白枝様から冷遇され、その上一部変態的な神官長に使えるという、奇妙奇天烈な夢だった。
「なんでもっとポップな世界に蘇れなかったんだろう」
これが生まれてこの方、何度も悔やんでいることだった。