鏡ノ中ノ世界
『学校の怪談』。
学校に通っている生徒の間で、誰しもが聞いたことのある有名なものから、ひっそりと囁かれる程度のものまで。
ほとんど眉唾物な話から、誰々の体験談という、少しばかりの現実感を持ったものまで。
いわゆる認知度や信憑性には大小があるものの、たいていどんな学校にもある怪談話。
今から語るのは、そんなちょっとした話の一つ。
ある噂を確かめようとした男女の、ちょっとした体験談。
これからあなたは。
そんな少しばかり不思議な世界に入っていきます。
ではしばしの間、ご拝読を。
◇◆◇◆◇◆
「うぅ……。やっぱり明日にしておけばよかったかな……。」
あたりを見渡せば、シン、とした廊下が続いている。
今私、桃園ユキは、深夜にほど近い、夜の学校に忍び込んでいた。
「でも、提出期限明日までだし、今更引き返せないよね……。」
ハァ、とため息をつくと壁についていた手を離し、目的の教室に足を向ける。
どうして私がこんな時間にこんなところにいるかと言うと、忘れ物を取りに来たのだ。
いつもはそんなことないのだけど、今回に限って提出日の前日まで、課題のことをすっかり忘れてしまっていた。
ようやく思い出したのが、今日家に帰り着いて夕食を食べ終えた後。
慌てて家を出たものの、それまでに行くかどうか悩んでしまっていたので、もう11時も超えている。
「着いた。」
正門は閉まっているものの、学校のフェンスは一部が壊れたまま放置されていて、難なく入り込むことができた。
目的の教室は老朽化も激しい旧校舎なので、鍵はかかっていない。
そして現在に至る。
「……早く取って帰ろ。」
いくつか並んでいる机と椅子のうちから、自分が使っているものに歩み寄り、中を覗き込む。
プリントが無事に見つかったことに安堵してから、これから課題をしなければと考え直して落ち込んでしまう。
そんな時、ふと教室にある鏡に目がいった。
この教室にある大きな鏡で、噂では先生が身だしなみをチェックする時に使われているらしい。
「でも普通、ここで身だしなみのチェックなんてやらないよね?…………あれ?いつの間に……。」
眺めているうちに、自然と目が離せなくなってーーー。
気がつけば私は、鏡のすぐ前に立っていた。
覗き込むと、いつも通りの私が鏡の中から覗き返して来た。
毎日朝が来るたびに、洗面台で見てきた自分の顔。
けれど。
「……な、何?」
その時映った『それ』はどこか、いつもと違って見えて。
「ひっ……ぁ!!」
その夜。
小さく響いた彼女の声を聞いたものは誰もいなかった。
◇◆◇◆◇◆
「……って!聞いてるのかい?後輩くん!」
「…………。」
「ねぇってば!!」
「……ぁい、聞いてますってば、部長。……で、えーと。なんの話でしたっけ?」
「もう!やっぱり、聞いてないじゃないか!!」
バンバン、と手のひらで机を叩く少女と。
それを手のひらでなだめながら、困ったような顔をする少年。
二人は『怪奇現象研究部』に所属する、たった二人だけの部員だった。
「でも、また人に聞いた話ですよね?それならもう何回だって聞きましたよ。……どの話かは分からないですけど。」
後半を小声で付け足したセリフに、ぐむむ、と部長は呻いた後、押し黙ってしまった。
それでも、一応は彼の先輩であるからなのか、精一杯胸を張って。
「ふ、ふふん。いいんだよ、ここここの部はそういう話をするための場所なんだから。」
「せめてこっちの目を見て言ってくださいよ。」
目をそらし、よく見れば足も震えていては威厳も何もない。
そんなぷるぷると震えている部長を尻目に、後輩は帰り支度を始める。
長々と続いた部長の話に付き合った(聞いてはいなかったが)ので、もう日も沈み始めている。
もうじき下校を促す放送も入ることだろう。
「じゃ、じゃあこうしようじゃないか!」
後輩が立ち上がったと同時、慌てて部長も立ち上がった。
そのままぱたぱたと近くに寄ってくると、後輩の腕を勢いよく掴み取る。
「今日!今日の夜に、さっきの話の検証をしようじゃないか!」
「…………今日は外せない用事がーーー。」
「ないことを知ってるぞ。ついでに明日は休みだ。」
「うっ……!」
ドヤ顔で、ビシリと当てられてしまうと反論もできない。
それに、例え無視したとしても、この部長は一人でも行くか、最悪自宅まで迎えにくるだろう。
「……わかりましたよ。」
「よし、決まりだ!」
手を上げて降参すると、なんとも嬉しそうに頷く。
「じゃあ、また夜に会おう!」
ダッシュで支度をすませると、部長はそのままの勢いで教室を出て行った。
教室を開けたまま、後輩を一人残して。
◇◆◇◆◇◆
「で。なんだって来ないんだ、あの人は……。」
時計を見れば、すでに11時を回っている。
当然、部長があの後言っていた、集合時間を優に回っていた。
「誰かに止められたか?」
自分には好き勝手振る舞う部長も、世間一般では一応女子だ。
それを危惧した流石に親に止められてしまったか。
……いや、あの人なら親に止められたとて、抜け出してここへ来るだろう。
「せめてもう少し大人しければ。顔は悪くないのに……。」
「誰が大人しくないって?」
「そりゃぁもちろんぶ……って、うわぁ!!部長!」
危うく口にしてしまうところだった爆弾を、すんでのところで飲み込む。
そのせいで盛大に咳き込んでしまうが、なんとか飲み下した。
「むむむむむ……。」
「げほ、げほっ。……それよりも部長、随分遅かったじゃないですか。」
「むむむむむ……はぁ。」
なんとなく察しているのか、それとも聞こえていたのか。
ともかく頬を膨らませて唸っていた部長も、なんとか言葉を飲み込んで、代わりのため息をひとつと、ポケットの中身を出してくれた。
「これは……ヘアピンですか?」
「あぁ。夕方に話をした女子生徒が持っていたものらしいんだ。」
ふふん、と胸を張って言う姿には、さっきまで膨れていた影も見えない。
それにしても……。
「そこらへんで売っているものにしか見えないんですが。」
「当然さ。別に、特別な人間が着けていたものじゃない。普通の生徒が着けていた、普通のものだからね。」
「なるほど……?」
なんだろう、確かにその通りなのだが、なんとなく納得できないこの感じは。
ともあれ。
「じゃあ、さっさと向かいましょう。」
「え、あ……。まったく、少しぐらい……。」
ぐいと、ヘアピンを部長に返して歩き始める。
何か言いたげではあったが、ここでも話の続きをされると手に負えなくなる。
ここはさっさと検証とやらをすませて、帰るが吉だ。
振り返りもせずに歩いていくと、ようやく後ろから足音が聞こえてきた。
追いついてきた部長とともに、学校のフェンスに開いた穴をくぐり、旧校舎へと忍び込んだ。
◇◆◇◆◇◆
「……で、少女は性格が一変してしまったらしい。」
歩きながらも喋る部長の話を聞き流す。
どうやら、学校内では有名な噂のようで、確かに聞いたことのある結末だった。
「でもどうして、その鏡に文字が映るとか、赤く光るとかの噂まであるんですか?」
「うん、なんでも彼女は自分から、その鏡が原因だと言ったらしい。その話もその時に言ったらしいんだ。」
「へー。」
なるほど。
確かに、実体験した本人の話ならば説得力もある。
しかもその彼女自身の性格まで変わっていたなら、信じる人は信じるだろう。
「と、ついたね。」
「ここ、ですか。」
隣を歩いていた部長が足を止めるのに合わせて、立ち止まる。
そこは、昼間ならなんの変哲も無いであろう教室。
もちろん今は電気も消えているし、人の気配もない。
「では、行ってみよーう!!」
がらがらがら、と元気よく乗り込む部長。
僕もすぐ後に続いた。
と。
「なるほど。これは……。」
入ってすぐのところで足を止める部長。
危うくぶつかりそうになりながらも、僕も立ち止まる。
「ちょ、いきなり立ち止まらないでくださいよ。」
「後輩くん、あれ。」
珍しく、静かにそういう部長に少しどきりとしてしまう。
それぐらい真剣な顔をしていた。
けれど、それも一瞬。
それよりも驚くものが、部長の指差す先にあった。
「で、っか。」
「これが、話にあった鏡だろうね。」
鏡。
言葉にすると簡単なものだけど。
そこにあったのは優に2mは越えようかというほどの、大きな姿見だった。
それに。
「出てますね、文字。」
まだ遠目だからはっきりとは読めないけれど、確かに浮かび上がっているものがある。
赤く光るそれは、確かに文字のようにも見える。
「す……。」
「す?」
「すすすすごいよ後輩くん!!」
突然、大声で叫ぶ部長に、思わず一歩後ずさる。
そんな僕を知ってか知らずか、部長はそのまま鏡へ駆け寄った。
「すごい、すごい、すごい!噂は本当だったんだ。……ぅわー!しっかり文字が出てる!」
「…………。」
子供のようにはしゃぐ部長の姿を見て、少し呆れながら僕も鏡を覗き込んだ。
写り込むのは当然部長と僕の顔と……。
(あれ……?)
その瞬間。
少しのめまいと一瞬の浮遊感。
感じた直後には消えて無くなっているようなそれが、不思議と記憶に残った。
◇◆◇◆◇◆
「……輩くん、後輩くん!」
「…………ぅん?」
ゆさゆさと揺らされる感覚に、目を覚ます。
どうやら寝てしまっていたらしい。
目を開けると、上から覗き込んで来る部長の顔が見えた。
「あれ?部長?」
「まったく、夜だからってこんなところで寝たら風邪ひくよ?」
体を起こすと、さっきまでいた教室。
その隅に僕は寝かされていたらしい。
「すいません部長、なんだか迷惑かけたみたいで。」
「あぁ、いいさ。……それよりも、もう帰ろうか。」
言われて時計を見ると、確かに随分時間が経っている。
これ以上ここにいると、最悪お咎めを食らってしまうだろう。
いや、侵入している時点でその可能性があるわけだが。
「あ、そうだ、部長。」
「なんだい?」
「帰りながらでいいんで、知ってる話、もっと聞かせてもらってもいいですか。」
「お、おう?どうしたんだい、急に。」
「いや、こんな体験しちゃうと、僕も興味が出てきたというか。他の話も気になり始めちゃって。」
「なんと!……いやー、頑張った甲斐があったよ。ならそうだなー、こんなのはどうだい?」
部長と、学校にまつわる怪談の話をしながら帰途につく。
もちろん、親に小言の一つや二つもらってしまうかもしれないが、それはそれ。
その後、怪奇現象研究部には、陽気な部長と、甲斐甲斐しく付き従う後輩の姿があった。
まるで性格が変わったようなその姿に、驚く人も少なくなかった。
◇◆◇◆◇◆
「……長、部長!」
「むにゃ……?」
少しの浮遊感の後、気がつけば少し時間が経っていたらしく、僕も部長も教室の真ん中で眠りこけていた。
となりで、少々だらしない寝相で眠りこけている部長を揺する。
もうとっくに時間は真夜中。
流石にもう帰らないとまずいだろう。
「……んあれ?なんでこーはいくんが僕の部屋に?」
寝ぼけて頭と舌が回っていないのか、そんなことを零す。
その姿は、いつもとは違った部長の姿だった。
「ここ、学校ですよ。僕らは仲良く眠っちゃってたみたいです。」
「ぅえ!」
じゅる、と口元を拭いながら起き上がる部長。
そうか、気がつかなかったけど、ヨダレまで垂れてたのか。
「……あ、あはは。ほんとだ。」
慌てて立ち上がった部長は周りを見渡して、ようやくこちらを向く。
……?
その時に感じた、いつもと違う違和感。
部長、なんか恥ずかしがってる?
「え、えーと。今日は、もう帰ろうか。遅くなりすぎちゃったね。」
「あ、はい。」
いつもと違う、と言えばもちろんそうなのだが、それほど気にするほどでも無い、か。
帰ろう帰ろう、と言ってくる部長を見て、特に気にしないと決める。
大人しくなるならそれでいいか、とも。
旧校舎を出て、フェンスをくぐって。
ようやく学校の敷地から出る。
「ねぇ、後輩くん。」
「はい?なんですか?」
「……その、明日もどこか出かけないかい?」
「……え?明日ですか?」
まただ。
いつもなら今回のように無理やり迫ってくるはずなのに、こっちの都合を気にしてる。
ただ。
「まぁ、いいですよ。明日は何も無いって言っちゃいましたし。」
「ふふ。ありがと。」
そういう先輩は、大人しくて。
まるで人が変わったかのように普通の先輩だった。
◇◆◇◆◇◆
「なぁ、最近、怪奇現象研究部の奴ら、変じゃ無いか?」
「なんだよ突然。」
「いや、なんかこー、前と違うっていうか。」
「何言ってるんだよ。そんな部、なかっただろ?」
「え?あれ?ほんとだ。何言っちゃてるんだろ、俺。」