ナイトクローラー
俺はタイムズのネオン看板の下で腕時計を見る。午前二時。始発まで三時間。レッドブルの缶を自販機の横のゴミ箱に捨て、タバコを弾く。回転しながらアスファルトに落ちたそれを踏んで消す。
人がいない路地をしばらく歩き回った。黄色い照明が店先まで漏れている。営業中のラーメン屋に視線をやる。カウンターに客が突っ伏している。足元にはバッグが無防備のまま放置されている。俺はそのまま通り過ぎる。道の両脇の閉店した店の前にはゴミ袋が山積みになっている。ワインの空き瓶に街灯の明かりが反射して鋭い光が差し込んできた。破れたゴミ袋から染み出た液体が、白線の上を渡って車道まで流れてきている。小動物が飛び出して、ビルとビルの通路に入り込んで行った。隙間の向こう側にカプセルホテルの看板が見えた。室外機から重低音が響いている。
前の方からスーツ姿の男が歩いてくる。男が歩いた軌跡を描けば稲妻のようになる。俺はそのまま直進する。人間って奴は無意識に引力が働く。俺と男の距離が近くにつれ、男が俺の方に寄ってきているのが視界の隅でわかる。構うことなく俺は直進する。
原色のネオンが光る雑居ビルの前で若い男が、
「どうですか?」
俺は否定の意味で手を挙げて頷き通り過ぎる。
右に曲がると、店から出てきた何人かの固まりが見えた。その固まりは店前で笑い合っている。その横を通り、否応無く侵入してくる奴らの狂騒を感じながら、俺は十字路までいく。左に曲がれば、H&Mと伊勢丹が見えるはずだ。タクシーや黒塗りのハイエースやベンツが行き交う光景が浮かび上がる。俺は左ではなく右に曲がる。
一人でいる奴は辺りには皆無だ。ウィンドブレーカーに入れた右手で鍵を弄ぶ。
歩きながら、ふと目をやった場所には店の明かりや水銀灯の射程が届かないデッドスペース。
カラオケ店の角を左に曲がって、ビルの前で潰れてる奴がいるのがわかる。俺の頭に浮かんだのは三万。まずはその男に決めた。
男の場所まで行った俺は、男に目を向ける。完全に潰れている男に猶予はない。鞄を頭の下にして寝ている。男の頭を蹴飛ばせるくらいまで近づく。俺は一度自分の手を握る。短い生命線とブツ切りの金運線が薄らと濡れている。冷気が手を撫でる。俺は空気を吸い込み、息を吐き続ける。
安全圏にいることが保証されている奴特有の腑抜けた面をして眠っている。そのやりがいのある顔つきに俺は踏ん切りがつく。俺は中腰になって左足に重心を託す。靴底にアスファルトとの張力を感じる。
3
自己嫌悪と自己憐憫を行き来しながら"人間"をやっている。所謂自分中心主義の産物だ。俺は鞄の取っ手に手を伸ばし、そのループに人差し指と中指を引っ掛ける。
2
怠ける奴はいつまでも怠ける。世の中にはどうしようもない奴がいる。金がなく食うものもなく下の下まで降りてしまった奴らはなんでもやる。生きるためには持ってる奴から奪う。いつか待ち時間はゼロになる。勝手にやれ、だ。俺は表面張力の均衡を崩す。跡形もなく、だ。
1
そして、超える。
床を蹴り出すと同時に手を一気に引き抜いた。カバンと後頭部が擦過する感触はいつも気色悪く、手に残る感じがする。
走る。鞄を左脇の下に挟み、右手だけで揺れる身体の安定を得ながら走る。等間隔に並ぶ街灯の光が視界を前から後ろに飛んでいく。
自販機が列になって一帯が明るくなった道路を抜ける。歩きながらカバンの中を探り、財布を確かめると十万あった。札束だけ抜き出しズボンのポケットに突っ込む。ビルとビルの間の駐車場まできて、自販機の裏にカバンを捨てる。
男は大通り沿いのシャネルの真ん前にある交番に向かうはずだ。俺は一旦身を隠す。丸井ビルの映画館で始発まで映画を見るのもありだ。この時間でも人が点々としている歌舞伎町で人に紛れるのもありだ。そしてもう一度、狩る、というのもありだ。
視界の奥の方に、街灯も店の明かりも当たらない一角が見える。
時計に目を向けると午前二時半。
デッドスペースで俺はタバコに火をつける。




