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真夏生まれの召使い少年  作者: 雛まじん
16/22

兄と僕と妹④


「午後十時です」


 あれから、四時間が経過した。この四時間の間、状況はまるで変化していなかった。

 変化がなかったというのは、その言葉の通り、なんの変わり映えもしない四時間が経ったということである。

 僕は手を縛られたままだったし、彼女と向かい合ったままだったし、二人とも座りこんだままだった。もちろん、一言も言葉は交わしていない。僕も彼女も沈黙を破ることはなく、静まり返ったまま、時間は無意味に経過していった。強いて言うならば、照明のスイッチをオンにしていない室内が、この時間帯になって真っ暗になったという変化はあったが・・・。

 ・・・・・。

 喋ろうという意志も、湧いてはこなかった。こうして、気が狂わないように正気を保っているのがやっとだ。叫びださないように、口を開かないようにしているのがやっとだ。ある程度の時間が経った今でも、僕の心に平穏が訪れる気配はなかった。

 変に動けば、殺されてしまうかもしれない。

 叫んだりすれば、殺されてしまうかもしれない。

 煩わしいから。

 邪魔で、不要だから。

 殺されるかもしれない。

 そう思ってしまうと、僕は何もできなかった。そのうち、兄と同じようにされてしまうのかもしれないと考えると、震えが止まらなかった。

 情けないのは、分かっている。

 自分で自分に、がっかりしてしまう。

 いつもはのうのうと生きているくせに・・・勉強とか、人間関係とか、そんなくだらないことで悩みながら面白おかしそうに生きているくせに、こんな状況に陥ってしまえば、何もできない。なんて無価値で、ちっぽけで、弱い人間なんだと、嫌になってしまう。

 あれ?僕って、こんな奴だったっけ?

 こんなにも小さくて、何もできない奴だったか?

 自分が優秀な人間だと思ったことは、一度もない。優越感を抱いたことなど、思い出せる限りでは一度もない。それでも・・・ある程度のことは、出来る奴だと思っていたんだけどな。とりあえずやるだけやってみれば、及第点くらいはとれる奴だと思っていたんだけどな・・・。

 こんなの、及第点どころの話ではない。

 落第だ。人生が試験だとすれば、僕は初めて、落第点をとった。

 この思考だって、結局は逃げているだけだ。目の前の現実から目を背けるための、ただの逃げ道でしかない。


「午後十一時です」


 何一つ行動を起こせないでいる間に、また一時間が経過してしまった。ただ、ここで一つ、状況に変化があった。堂々と変化とも言えないわずかな変化だったが、拮抗状態が永遠と続くよりは、まだマシな変化だった。


「そろそろ、就寝しましょう」


 彼女が、そう言ったのだ。五時間前と何も変わらない無表情で、抑揚のない口調で、彼女は就寝を申し出た。


「そ、そうです、ね・・・」


 お昼から夕方まで気を失っていたせいか、極度の緊張状態のせいか、まったく眠気は感じていなかったが、この提案を断るという選択肢はなかった。とにかく今は、目の前の少女がいないところへ行きたい。そのためならば、理由なんて何でもいい。「寝よう」でも、「掃除をしてこい」でも、「アイスを買ってこい」でも、何だっていい。

 今は、こいつから離れることが第一だ。


「?・・・何をしているのです?」

「え?何をしてるって・・・」

「就寝すると、主人が言ったのですよ?何故、着替えをここへ持ってこないのです?」

「・・・・・」


 しゅ、主人だって?一体、なんのことだ?

 いや・・・そういえば彼女は、兄だの妹だの、主人だの召使いだのと、よく分からないことを口走っていたっけ。まさか僕のことを、専属の召使いか何かだと思っているのか?だから、寝る前になれば僕が着替えを持ってくるものだと、そう思い込んでいる?

 ・・・なら、ひとまず、そう思い込ませておこう。

 ここで否定したって、なんの意味もない。


「え、えっと・・・ごめん・・・すいません。今は、君に合うパジャマがなくって・・・いや、寝間着がありませんので・・・・・そのままご就寝なさっては、ございませんか?」


 たどたどしい喋り方でそう言って、僕は頭を下げた。五時間、口を開いていなかったせいか、なんだか口の中がパサパサして、上手く言葉が出てこない。

 なるべく丁寧そうな口調で言ったけど・・・どうだろう。敬語としては滅茶苦茶だろうし、途切れ途切れの発言になってしまったけど・・・怒ったりは、していないだろうか?

 恐る恐る顔を上げると、彼女は、


「ふむ」


 と、腕を組んでいた。


「初日ですから、仕方がありません。許してあげましょう。しかし、ずっとそんな体たらくでは困りますよ?自分は召使いなんだと、自覚を持ってください」

「は、はい・・・」


 そんな自覚、持ってたまるかと思ったけど、もちろん口には出さない。ここで反抗的な態度を示すのは自殺行為だ。唯々諾々と、彼女の言葉を受け入れよう。どんなに理不尽なことを言われたとしても、イエスマンに成りきろう。

 しかし彼女との会話は、それ以上続くことはなかった。


「それでは、おやすみなさい」


 それだけを言い残すと、彼女はスッと立ち上がり、居間を出ていった。廊下から聞こえる、「トントントン・・・」という一定の足音からして、どうやら彼女は二階へ向かったようだ。

 何故、二階へ?とも思ったが、それ以上は考えられなかった。五時間の緊張状態から解放され、僕はその場に倒れ伏す。


「はぁ・・・はぁ・・・」


 呼吸すら忘れていたかのように、深呼吸を繰り返す。いや、深呼吸と言えるほどに落ち着いた呼吸ではなかったけど、とにかく新しい酸素を肺に取り込もうと、呼吸を繰り返した。

 苦しい。

 辛い。

 疲れた。

 正直、あのままあの子と一緒にい続けていれば、そのうち発狂していてもおかしくなかった。精神崩壊を起こすまでのカウントダウンが、始まりかけていた。

 なんとか手を動かして、あまりにも強く縛り付けていたベルトの拘束を、少しだけ緩めることには成功した。痛みを堪えてもうちょっと頑張れば、完全にベルトを外すことも出来なくはなかったが、それはやめておくことにした。あの子が目を離している隙に、拘束を解いて逃げ出そうとしたなどと思われたら、どんな目に遭うか分からない。

 それに、そんな気力はもう、僕には残っていなかった。

 僕は、泣いた。

 歯を食いしばって、なるべく声を出さないようにしながら、泣いた。

 わけが分からなくて。何も理解できなくて。

 分からない自分が、理解できない自分が、情けなくて。

 何もかも投げ出してしまいそうになっている自分が、どうしようもなく弱い奴に思えてしまって。

 僕は、涙を流した。

 暗い部屋に、ちっぽけな中学生男子のすすり泣く声だけが、小さく響いていた。

 


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