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真夏生まれの召使い少年  作者: 雛まじん
14/22

兄と僕と妹②


「おかえりなさい、袖内(そでうち)(みり)さん」


 誰かが、そんな風なことを言った気がした。

 気がしただけだ。

 家へと帰宅した僕は、その場で硬直した。アイスの入ったビニール袋が、重力に従って地面へと落下する。

 家の中に入ったそのままの表情で、僕の顔は固まった。かといって、何か行動をとれたわけでもない。

 その光景を見た瞬間、僕は、何も出来なくなった。

 兄さんが死んでいる。

 なぜ、その死体が兄さんのものだと確信できたのかといえば、その顔が兄さんのものであり、その体が兄さんのものであり、その人間が袖内(そでうち)(みち)という名前だと、僕が知っていたからだ。

 そして、なぜ死んでいると断言できるのかといえば。

 それは、死んでいるからだ。

 見るからに、明らかに、死んでいるからだ。

 虫や鳥の死体を見たときと同じだ。

 猫や狸の死体を、道路脇で見かけたときと同じだ。

 一目見れば、死んでいると分かる。

 ・・・・だから、なんだと言うのだろう。分かったから、どうしたと言うんだろう。

 兄さんの頭が、腕が、脚が、どんな風にひしゃげているのかを分かったから、なんだというのだ。どれだけ大量の血が流れているか、どれだけ大量の骨が折れているか、察することが出来たからといって、それがどうしたというのだ。

 兄さんは、死んでしまった。

 それ以外の事実は、どうでもいいことだ。


「その方ですか?少々(わずら)わしかったので、死んでいただきました」


 誰かが、そんなことを言った気がした。

 気がしただけだ。

 煩わしかった?

 煩わしいって、どういう意味だっけ?

 いや、そんなことよりも・・・。

 僕は、フラフラと頼りない足取りで兄に近づき、その血の海の中に両手をついた。ベットリとした生ぬるい感触が、両手に感じられる。

 兄の表情は・・・見えなかった。

 うつ伏せになっているので、覗き込んだり仰向けにしたりすれば見えるのだろうけど、それはしなかった。

 見ることが出来なかった。

 見たくないと思った。

 なんだか、視界がグニャグニャしている。これでは、兄の表情をまともに見ることなど出来ないだろう。

 そんな言い訳をして。

 兄の顔を見ようとしなかった。


「私はこれから、この家に住みます」


 誰かが、そんなことを言った気がした。

 気がしただけだ。

 「あっはっは」と笑いながら、僕を馬鹿にしながら送り出す、兄の姿が思い浮かんだ。アイスを買ってこいとわがままを言う兄の姿が、自然に思い浮かんだ。

 もう兄は、笑わない。僕を馬鹿にしたりしないし、わがままを言ったりもしない。

 僕と話すことは、もうない。

 僕とゲームをすることも、もうない。

 何も出来ない、二度と動くことない死体に成り果ててしまったのだから。

 好きではなかった。むしろ嫌いだったけど、それでも、死んでほしいとまでは思っていなかったんだけどな・・・。


「?・・・あの、聞いていますか?」


 誰かが、そんなことを言った気がした。

 気がしただけだ。

 誰かが。

 誰か・・・。

 僕はほんの少しだけ、目線を上げた。両手両膝をついた四つん這いのままの姿勢で、ちょっとだけ視界を広げてみた。

 あの少女が立っていた。

 一気に、記憶が想起される。

 登校中の横断歩道。

 教室から見える校門。

 下校中の書店。

 小学生くらいの背丈。黒髪。群青色のリボン。白いワンピース。

 そう。

 あの子だ。


「君は・・・」


 誰?

 と、聞こうとして、僕は口を閉じた。

 彼女がどこの誰であるかなんて、今はどうでもいいことだ。そんなことを聞くよりも、やらなくちゃいけないことがある。

 そうだ。救急車を呼んだり、警察に連絡したり、僕がやらなくちゃならないことは、たくさんあるのだ。こんな風に、膝を折っている場合ではない・・・・・もしかしたら彼女が、兄さんが死ぬ瞬間を目撃しているかもしれない。

 あれ・・・?でもこの子さっき、死んでもらったとか、もらわないとか、言っていたような・・・・・。


「私は、シイといいます」


 と、彼女は、僕が聞こうとした質問を察したかのように、そう答えた。

 しい?

 シイ?

 C?

 いや、だから、そんなことは今、どうでもいいことで・・・。


「喋ってくださって、ありがとうございます」


 どうやら彼女は、頭を下げたようだ。

 その行動の意図は、まるで分からないけれど。


「そのままだんまりを決め込まれたら、どうしようかと思いました」


 やっぱり、思考も視界もかなりボンヤリとしているようだ。彼女の言っていることも、行動も、いまいち理解できない。


「袖内粍さん。あなた、私の召使いになってください」


 意味不明なことを、彼女は言った。本当に、意味が分からない。

 彼女は一体、何を言っている?

 そして、僕は一体、何をしている?


「代わりに、私があなたの妹になってあげましょう」


 限界だった。

 腕の力も脚の力も抜け、僕は玄関に倒れ伏す。真っ赤な海の中に溺れると、生温かい血液が、体中に浸透してくる。


「はい」


 意識を失う直前、そんな風に返事をした。

 続いて、「助けてください」と、呟いたような気もする。


「やれやれ。初っ端から、手のかかる召使いですね」


 呆れたような口調で、誰かがそんなことを言った気がした。

 気がしただけだ。


「もっとしっかりしてくださいよ、お兄さん」


 誰かが、そんなこと言った気がした。

 気がしただけで、あってほしかった。

 


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