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真夏生まれの召使い少年  作者: 雛まじん
13/22

兄と僕と妹①

 

 少しだけ、世間知らずな男子中学生の、つまらない与太話を聞いていただきたいと思う。面白みのない、ちょっと物騒な話だが、どうか聞き流してほしい。

 「死体」というものに出会ったとき。

 人はどんな反応をするだろうか。

 そもそも死体そのものが非現実的で、リアリティのない話ではある。虫や鳥の死体なんてあちこちで見かけるし、僕らの住む田舎町では、車に轢かれた猫やら狸やらの死体を見かけるのも、ままあることだ。虫も鳥も猫も狸もすべて生き物なのだから、朽ちたその肉体を死体と呼ぶのは間違っていないだろう。

 しかし、人間の死体というのは、なかなかお目にかかれない。大抵の人間は、そんなものを目にすることなく、一生を終えることになるはずだ。

 死体を見ることなく。

 いつか、死体そのものになるのだろう。

 もちろん、例外はある。たとえば刑事だ。彼らは一度ならず、幾度も、人間の死体と向き合うことになるのだろう。そして、向き合ったそのとき、彼らは何を思うのだろうか。

 驚いたり、するんだろうか。

 冷静に、その死体を検分するのだろうか。

 漫画やらドラマやらアニメやらの影響ではあるのだろうけど、やっぱり、刑事が死体を見て驚いている図というのは、少し想像しづらい。天下の警察官の皆さんには、死体程度では驚かないでいただきたい・・・・・まあ、僕なんかが言うのもどうかと思うけど。

 では、殺人犯はどうだろう。

 ()()()()()()の人間には、死体はどのように見えるのだろう。

 殺人犯というのは、死体以上に、現実味のない存在であることは言うまでもない。

 死体ならば、お葬式あたりで見かけることも出来るかもしれないが、殺人犯は完全にフィクションの世界の住人だと、平和ボケしている僕は考えている。

 殺人犯に会おうと思ったら、自分がなるしかないのだ。他にも、治安の悪い国に行くとか、裁判所に行くとか、留置場に行くとか、殺される側になるとか、考え始めればキリがないけれど、「死体を目前にした殺人犯」というのは、どう頑張っても意図的に出会うのが難しい存在であると思う。そもそもの話、出会いたくないし。

 何が言いたいのかといえば、死体を目前にした殺人犯の反応なんて想像できない、ということである。

 他人を殺してしまうような人間の気持ちなんて、僕には分からない。

 これは、人の命がどうとか、死ぬのが良いとか悪いとか、そういうことを言っているわけではないんだ。そんな道徳的な話をするつもりは、今はない。

 ただ単純に、本当に分からないというだけの話である。

 理解どころか、想像も難しい。殺人という行為に行き着いてしまう人間の心理は、僕には計り知れない。それほどまでに大きいものは、僕の定規では測れない。

 さて、一般人は?

 一般人というと範囲が大きくなりすぎてしまうが、ここでは「今まで死体を見たことがない人間」と思ってほしい。これでも、該当する人間は数えきれないほどにいると思うけれど、まあとにかく、僕のようなどこにでもいる中学生を想定してほしい。

 これなら、いろいろと想像できる。死体を見た瞬間に悲鳴を上げるとか、驚き過ぎて声も出ないとか、その場に崩れ落ちるとか、そのリアクションは多岐にわたるだろう。逆に想像しにくいのは、ここでプラスイメージの行動をとる一般人である。声を上げて笑うとか、楽しそうにするとか、意気揚々と死体を調べ始めるとか、そういう一般人は考えにくい。

 立場によっても、その反応は変わってくるかもしれない。目にしたその死体が、家族のものだったり、友人のものだったり、恋人のものだったりすれば、さぞショックを受けることだろう。僕だったら、それだけでショック死してしまいかねない。

 死体は非現実的だ、殺人はフィクションだとぐだぐだ言ってきたが、ならば、死体に備えるというのはどうだろう?

 備えあれば(うれ)いなしと言うように、死体を目にした瞬間に備えておけば、そのショックも少しは和らぐのではないだろうか。

 毎朝、家族が突然殺された場合の反応を考えておく。

 昼食の度に、目の前の友人が死んだときのリアクションを考えておく。

 夜、寝る前に、誰だか知らない人の死体に遭遇したときの対応策を考えておく。

 ・・・馬鹿馬鹿しい。

 そんなこと、出来るはずもない。

 そんなことを考えるよりもやらなくちゃならないことが、人生にはたくさんあるのだ。

 ご飯を食べなくちゃいけないし。

 歯を磨いたり、お風呂に入ったり、学校に行かなくちゃいけないし。

 家族や友人と、仲良くしなくちゃいけないし。

 青春とか・・・しなきゃいけないらしいし。

 要するに、「死に備える」というのは、無謀だということだ。いずれ死体と向き合うことになったとしても、それまでの生活を後悔するのは、お門違いだろう。

 ・・・・・随分と、長い前置きになってしまった。

 中学生のくだらない思考と妄想を垂れ流してしまって、申し訳ないと思う。

 そろそろ、本題に入るとしよう。

 僕の日常はこの日、終わりを迎えた。現実的にも非現実的にも、終わりを迎えた。

 ご飯を食べたり、歯を磨いたり、お風呂にはいったり、学校に行ったり。

 家族と喧嘩したり。

 友人と談笑したり。

 密かに、恋人がほしいと思ってみたり。

 そんな平和な日常は、8月2日のこの日をもって、綺麗さっぱり消えてなくなった。

 いや・・・これもまた、日常なのかもしれない。非日常と言うには及ばない、つまらなくて何も変わらない、ただの日常なのかもしれない。もしくは、その一部分だけが変化した、日常の続きなのかもしれない。・・・・・どちらでも良いのだ。これが日常であろうが非日常であろうが、そんなこと、別にどちらでも良いことだ。

 悪いことがあるとすれば。

 それは、僕が終わったわけではなく。

 他人が終わったということである。

 

 僕の家の玄関で。

 

 兄・袖内(そでうち)(みち)が死んでいた。

 


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