92話 月下の舞姫(後編)
──レント──
「糞がぁっ!」
「早く穴を埋めろ! あの子へと近寄らせるな!」
「怪我人はすぐ下がれ! 邪魔だ!」
「無事なタンクは前へ! 魔法士は周囲とタイミングを合わせろ!」
薙ぎ払われた大剣に巻き込まれ、その防御ごと吹き飛ばされる戦士達。
少しずつ側防塔屋上のセイに向かって前進していく大ボス──ディスアグリーを食い止めようと、プレイヤー達の怒号が飛び交う。
奴の振り回す大剣の威力に防御職ですら踏ん張り切れず、弾き飛ばされる有り様だ。奴をその場に固定させる事が出来ずに、俺達はズルズルと少しずつ後退を続けてしまっていた。
残りのHPが七割の時点からスタートしたこの第二形態との戦いは、現在何とか二割ほどを削り取る事ができ、残り半分を切ったところだ。
しかしいくらダメージを蓄積させても、奴の動きに衰えはなく、むしろ段々と苛烈になってきている。
それに手を止めてしまえば、奴が持つ〔再生〕のスキルの効果でHPや傷を回復されてしまう。休むことなく攻撃をし続けるしかなかった。
──そう、本来は。
俺達に希望を与えた要因、それはセイが全軍に付与してくれた〔光属性付与〕だ。
この力は奴の防御力を無効にするだけに留まらず、副次効果として、奴の再生能力を一時的に阻害している事が分かったからだった。
そのおかげもあって、必要以上に無理をしないで済んだのは大きい。
セイの魔法の恩恵を存分に受けた俺達は希望を胸に戦い続ける事が出来ているし、今のところ重傷者は出ていない。こちらの士気も高いままだ。
奴が進む視線の先は側防塔──その狙いはセイ。
自分を大きく傷付け、また周囲への支援を続けるセイを叩き潰そうとしているのは明白で、その事実は皆が理解している。
今のセイに戦闘能力が無いことを皆に伝えていないが、支援以外に力を割けない状態になっているのを、ほぼ全員が察していた。
「魔法、私に合わせなさい! 近接引け!」
天を埋め尽くす、螺旋のように渦巻きながら光輝いている風の槍の群れ。同一の魔法を多数周囲に展開していくヒンメルさんが上空から叫ぶ。
更に彼女が連携用として同時に使用している『風音』という音声端末を設置出来る魔法の効果で、その声が全員の耳に届いた。
「──三、二、一……いまっ!」
自分の魔法の全てに光の属性が付与されていることに気付いた魔法使い達は、近接が引いたそのタイミングを見計らって、同時に自分が使える最高の魔法を奴に叩き込む。
「ガアァァッ!」
腕を広げて叫び声を上げ、黒い靄を全身から噴き出すディスアグリー。
そこに殺到する魔法の数々──どこまでも蒼く透き通った光を放つ水の矢や、青白い炎を上げる火球が奴に降り注いでいくが、噴き出した邪気に相殺されてしまいダメージを与えることが出来ない。
「な、なにぃ!?」
「馬鹿な!」
ちょっと待て!?
こ、こんな防御技まで持っているのか!
驚愕の声があちこちから上がる中、ヒンメルさんとは違う少女の声が戦場に響く。
「──大技行きます……」
感情を押し殺したような声が場に流れる。これは……ティア?
ヒンメルさん、側防塔にも『風音』の入力端末を設置していたのか?
「今までよくもよくも、おに……セイ様の邪魔ばかり……この世界で楽しみにしていた蜜月の邪魔どころか、そのお命まで……。
──そこで平伏し、産まれた事を悔いながら消滅してしまえ……」
あれ、こんな乱暴な言葉使いする子だったかな? まさか……彼女、めちゃくちゃキレてないか!?
「──消し飛べ。『轟雷』」
それが雷鳴の精霊の発した本気の怒りの声だと気付いた瞬間、あの坑道のラストシーンが脳裏にフラッシュバックした。
「全員耳と目を塞げ!」
全身全霊を込めて叫び、耳を押さえて奴から背を向ける。
轟音。
一斉にカメラのフラッシュが焚かれたような発光と共に、空気が大きく揺れ、爆音が俺達を叩いた。次いで巻き起こった爆風にも、足を踏ん張って耐える。
あの時以上の落雷。大地と空間を揺るがす程の音の波。
耳を押さえ、光を直接見ないように目を閉じていたのにも関わらず、あまりの音と光に平衡感覚を失い、視界が一時的にホワイトアウトする。
さすがのティアも雷撃範囲を絞るだけの理性は残していたようだ。その雷を直に食らった者はいなかったものの、その影響はしっかりと味方にも出てしまっていた。
対処が遅れたプレイヤーの「目がぁ、目がぁ!」や「耳がいてぇ!」と叫ぶ声が響く中、振り向いて見れば、地面に刺した大剣に寄り掛かるようにして完全に崩れ落ち、全身の至るところが焼け焦げ、煙を上げるディスアグリーの姿があった。
奴が展開していた邪気の結界も全て吹き飛んでいる。
うわ、何て威力だよ。今の一撃で全体の一割ほども削りやがった。前より威力が跳ね上がってないか?
彼女もセイの力で色々とブーストされているのか。
味方に被害があったとはいえ、残りHPはこれで四割を切った。
あと少しだ。
「グ……ガガガ……」
全身をガクガクと震わせながら起き上がろうとするが、麻痺ったのか身体に力が入らないのか、そのまま轟音を立てて崩れ落ちた。それでも何とか立ち上がろうと踠くディスアグリーを見たのか、更に声が耳に届く。
「うぅ……これでもまだ消滅してないです。もう一発……」
「ちょっ、ティアちゃん、待って待って!
連続でそんなに豪快に使われたら、セイさんのMPが吹っ飛んじゃう。それに味方への被害が甚大だよぉ!」
「……あれ?」
あれ? じゃねぇよ。
威力もMPの消費量も流石は上級精霊、と言いたいところだが、少しは周りで戦っていた人のことも考えてくれよ。
「ティアちゃんはあの大技禁止! そもそも……」
術者であるヒンメルさんが気絶してしまったようで、途中で『風音』の効果が切れてしまい、彼女達が言い合う声が聞こえなくなった。
もう塔の屋上の状況が分からないが、それっきり魔法が飛んでこないところをみると、ティリルが上手く取り成してくれているようだ。
「再編成しろ! 動ける者は前へ!」
目を回して墜落してしまったヒンメルさんを何とか受け止めたクマゴロウさんは、彼女を腕の中に抱き抱えながら、そう指示を出しつつ後方へと退いていく。
雷の巻き添えを食らった者達が後方の部隊と交代を行う中、俺は退くことなく、更に奴に向かって踏み込んでいった。
ティアの一撃で奴の動きは今止まっている。
このチャンス、逃すのは勿体無い!
「これでもくらいやがれ!」
抜き身の大太刀を両手に、雷鳴剣を発動させる。こちらの技なら威力は心もとないものの、剣が壊れる事はない。
さっきまでの俺なら奴に通じなかっただろうが、今はセイからの光の付与がある。電撃に変換されていく俺の魔力に光の属性が追加され、電撃が蒼白い蛇のようにその刀身に纏わり付いていく。
それを駆ける勢いのまま、すれ違いざま奴の右前脚へと叩き付ける。
バターに焼けたナイフを入れたかのようにスッと刀身がその身に食い込み、そのまま反対側へと切り裂く。大木のような太い脚を切断するには至らなかったが、その半分以上を切り裂かれたその脚の傷口からドス黒いタール状のモノを撒き散らした。
更に踏ん張りが効かなくなり、立ち上がろうとしていた奴は大きくバランスを崩し、今度はこちらに向かってその巨体が倒れ込んでくる。
「ゴアァアア!?」
「うおっ!? あ、あぶねぇ……」
地響きと砂埃を立て、奴は完全に地面へと横倒しに倒れ込んでいく。危うく巻き込まれるところだったが、咄嗟に飛び退き何とか難を逃れた。
「今がチャンスだ! 殺れっ!」
誰かの号令が飛ぶ。
周りを取り囲んでいたプレイヤー達が一斉に奴へと躍りかかった。
「ヘビィストライク!」
「トライデントピアー!」
「死ねぇええ!」
「うりゃぁああ!」
「ダブルインパクト!」
「斬空!」
口々に叫び、ディスアグリーの身体へと手にした武器を突き立てていった。更に範囲を絞った数多の魔法が雨あられと降り注ぐ。
「グアァアアッ!」
全身に武器を突き立てられ、やたらめったと暴れまわるディスアグリーの腕や脚をかいくぐりながら、俺も攻撃を当てていく。
普段より強化された身体に精神が追い付いたのか、闘い始めた時よりもなぜか身体が軽い。奴の動きを完全に見切り、その先を読む。最小限の動きで丸太のような腕や振り回される大剣を躱しながら、手にした大太刀で切り刻んでいった。
あまりに順調良すぎて、調子に乗ってしまったのだろう。
奴の懐に踏み込み過ぎていたせいか、ソレに気付くのがワンテンポ遅れた。
「ゴバァアアアッ!」
一瞬身体を丸めたディスアグリーが赤黒いオーラに包まれると同時に、その身に纏う邪気が膨張し、嵐となって周囲を荒れ狂った。
逃げ遅れた俺はその邪気の波動をまともに浴びてしまい、身体が硬直をしてしまう。
「まさか……凶化持ちか!?」
「違う! 暴走の方だ!」
「嘘だろ!? 聞いてないぞ!」
「逃げろ!」
「こんなん俺は無理だ!」
「あ、待てっ!? 隊列を崩すな!」
阿鼻叫喚の坩堝と化し、悲鳴と怒号が動けない俺の耳朶を打つ。
山小屋でセイから教えてもらっていたスキルに、暴走はなかった。恐らくワールドボスに進化した時か第二形態になった時に、新たに発現したのだろう。
山小屋でのスキル構成は全員に伝えてあった。その結果、全員が邪精生物特有のこのスキルを持っていないと思い込んでしまっていたせいで、混乱が起きてしまった。
恐怖に捕らわれたプレイヤーが散り散りに遁走し始めて包囲網が瓦解していく中、奴の血走った目が動けなくなった俺を捕らえる。
そんな俺に向かって大剣が振り下ろされる。
──あ、これは無理だわ。終わったか。
音も色も消えた世界。
コマ送りのようにゆっくりと近付いてくる大剣を他人事のように眺め、俺は死に戻りを覚悟する。
そんな諦めの言葉が、漠然と脳裏によぎって……。
──大丈夫だよ……レント。
そんな優し気な思念が反論するかのように響くと同時に、冷たい刃が俺の左肩を捉え──抜けた。
大剣が大地を穿ったその衝撃に、俺の身体はコマのように宙を舞い、大きく吹き飛んだ。地面に叩き付けられてそのまま転がっていく。
「お、お兄ぃーっ!!」
遠くからユイカの絶叫が聞こえる中、全身を貫く痛みに……痛み?
「な、なんだ!?」
身体のどこも全く痛くない事に気付き、慌てて飛び起きる。
その場で暴れまわるディスアグリーから距離を取りながら、斬られたはずの左肩を確認し、その異常な事態に気付く。
岩蟻で作成されたライトメイルの左肩の部分がスパッと切り落とされており、鎧下の上着の左袖も完全になくなっていた。
なのに傷一つないむき出しの左腕がある。
「……何がどうなって?」
触ってみるが、普通に俺の腕だ。感覚もある。
違う事はただ一つ。
微かに白銀色に輝く魔力の膜に俺の全身が包まれている点だ。
これは防御結界か?
結界が間に合ったにしては、何かが変だ。
「レント君! 後ろ!」
クマゴロウさんの警告にハッとして振り返れば、こちらに斬りかかってくるディスアグリーの姿を認識する。
思わず咄嗟に右手に握ったままの大太刀を跳ね上げるように振り上げ、受け止めようとしてしまい……。
「しまっ……!?」
ヤバい! 太刀ごと斬られる!?
焦った俺の心理と裏腹に、大太刀はガキィィインと甲高い音を立てながら、振り下ろされた大剣をしっかと受け止めた。そう、片手で受け止めてしまっていた。
「──えっ?」
「「「はぁっ!?」」」
信じられないものを見たと言わんばかりに周りから驚きの声が上がるが、俺とてその気持ちは一緒だ。
一体何がどうなって……?
「グシャシャシャァアアァッ!」
残りHPは二割弱。
スキル〔暴走〕の効果で錯乱状態になっているのか、やたらめったと無秩序に振り回してくるディスアグリーの大剣を躱し、時には受け止め捌いていく。
そんな中、視界の端に映る〔献身同調/対象:セイ〕の文字にようやく気付き、先程の不思議な現象の正体を知る。
これはセイの仕業か!
こんな技まで使えるとは!
奴の攻撃に逆らわず、その力を利用して後方へと跳び退った。気になった俺は、手早くメニューを開いてステータスを確認する。
そこに並ぶ異常な数値の数々に、俺は度肝を抜かれてしまう。
なんだ、この〔献身〕とやらの効果。補正も含めたら、全ての数値が三桁オーバーになっているじゃないか!
これなら確実に勝てる!
──レント……後は頑張って。
再び思念。
どこか違和感。
『……セイ?』
繋がっているならばと、セイに向けて念じてみるが、その思念には答えてくれなかった。
一方通行……なのか?
それとも俺が使いこなせていないだけなのか?
僅かに感じた違和感の正体が分からない。
だが、これだけの性能を発揮する技だ。この力は維持が難しいんだろうと、そう勝手に予想した。
効果が切れる前に、急いでケリをつけた方が良さそうだ。
「おらぁっ!」
瞬間移動のようなスピードで奴に肉薄すると、無秩序に振り回していた大剣に合わせるように、わざと大太刀をぶつけて跳ね上げさせる。その剣撃で、万歳をするように大きく隙を見せたその巨体の下半身、熊の部分の胸部に太刀を上向きに突き刺し、その柄を蹴り押し込んだ。
「グバァシャァアアァッ!?」
全力で蹴り上げたその衝撃に、太刀が背中へと貫通して飛び出していき、更にその巨体が浮き上がる。体をくの字に折り曲げながらも、強引に両手で掴みかかってくる奴のその手を躱すと、今度はその腹下に潜り込みながら別の剣を二本取り出す。
「これでもっ! 食らいやがれぇっ!」
源さんがお遊びで造った二メートル以上もある無骨な斬馬刀で雷鳴剣を発動させ、普段の俺なら両手で持つのも精一杯なソレを片手に一本ずつ握り締め、右から左、左から右へと交差を描くように振り上げた。
「ギィイイィアアァッ!」
腹部をざっくりと切り裂かれて、おびただしい量の邪気と腐敗した臓物が撒き散らされる。
それらは当然俺にも降り注ぐが、全身を覆う白銀の魔力が力強くその光を強め、一気に浄化しきり俺に一滴すら届くことはなかった。
痛みにのたうち始めるディスアグリーに、いくらこの状態でも踏まれては堪らないと、慎重に距離を大きく取る。
「マジで至れり尽くせりだな、この技」
無限に力が湧き出るような凄まじい程の高揚感に、出来ぬことなどないと思わせるような全能感。
セイから与えられたこの力に感謝を捧げ、
「とっとと終わらせようか。その面いい加減に見飽きた」
次に取り出した白銀に輝く儀礼剣を掲げて、そう宣言する。
試験的に作られた俺専用の剣。
完全に混じりっけのない純ミスリルで造られ、装飾華美なこの剣は、耐久力も無くてすぐ曲がってしまうくらい柔すぎるし、当然切れ味も全くない。
武器としては欠陥品もいいところだ。このままだと、飾るくらいにしか使い道がない。
これをどう使うか?
そんなの決まってる!
「うぉおおおっ!」
俺の身体から湧き出る燐光が剣を伝っていく。融合し同調するかのように、俺の闘気をその刀身に宿す儀礼剣。
白雷に包まれ力強く脈動し、奴を倒すに相応しい聖剣へと変化していく。
この儀礼剣、実は造られたばかりでテスト運用すらしていない。まさにぶっつけ本番だが、うまく調和融合しているのを感覚が伝えてくる。
「ド派手に逝こうか!」
セイのアシストがある今ならいける。
失敗などあり得ない!
「その刀身に宿れ! 雷帝!」
セイに願を掛けるように、俺もあのゲームの剣技を流用する。
──想い願う力。
あいつの言葉通り、願えば叶うなら。
自分のイメージ。
貫き通す意志。
俺は……あいつの一振りの剣だ!
そして。
目の前の邪を絶つ!
目映いほどに輝きを放ち、その刀身が伸び巨大化していく。
真昼のような眩い光にディスアグリーは後退りを始め、初めて奴の瞳が怯えの感情で揺れる。
「グガガッ……」
「黄泉へと還りやがれ!」
「ガッ……ガアァッ!」
がむしゃらに突っ込んできたディスアグリーの脳天へと振り下ろす。
宙を疾る一条の閃光。
──キィンッ!
甲高い澄んだ音が周囲に響き、何かを破壊したような手応え。ディスアグリーの動きが止まる。
「──オ……オオオ……」
ボロボロと崩れていくディスアグリー。そのHPゲージが完全に消滅しているのを確認し、俺は息を抜く。
「もう二度と出てくるなよ」
光を失った儀礼剣を見る。
今まで直ぐに崩壊していた試作剣とは違い、これはまだしっかりと原型を保っている。
──ヒントはあった。
金属が全く駄目なセイが、唯一触れる事が出来たこの儀礼剣。精霊との親和性が高いこの金属なら、あの力も受け入れられるのだろう。
源さんに確認した上できっちりとしたメンテナンスも必要だろうが、これでまた1つ俺の戦いの幅が広がった。
「あいつには感謝しなきゃな」
振り返る。
奴の暴走が始まって俺が一人で戦い出した後、次元の違う戦いに介入出来ずに遠巻きで見守るだけだったプレイヤー達、その全員が俺の動静に固唾を飲む。
「俺の……俺達の勝ちだッ!」
「わあぁっ!」
ミスリルの儀礼剣を振り上げ、俺が放った勝利宣言にどっと歓声を沸き起こったのだった。




