85話 激突!
クマゴロウさんの設定を黒熊から白熊へ変更しました。彼の加護とか職業とか装備に合わせた感じで。
流石に大熊猫にするのは止めました。
──レント──
「──アレがお前さんが言ってた大熊か?」
丸太のような腕を組んだまま、この街の守備隊を率いるキルケ隊長が俺に訊いてくる。
前方を見るその眼差しは細く歪められ、苦々しい表情をその顔に貼り付けていた。
「アレですよ。もっとも……随分と禍々しくなってますし、子分まで増えてますが」
横で答える俺も表情が優れない。
彼と共に強固な城門の側にある側防塔の屋上で、こちらに進んでくる化け物を双眼鏡のような魔法具を借りて眺めていた。
夕暮れの茜色に染まるその大熊は、山小屋で最後に見たあの姿よりも一層その体躯が膨れ上がっている。
全体的に大きくなった……のではない。
その身体のあちこちが瘤のように膨れ上がり、そして弾け周囲に飛び散っているのが見える。そしてその瘤の中から地面にぼとりと落ちた腐肉が粘性生物のように震え蠢き、大小様々なヘドロのような四足の生物と呼ぶのもおこがましい存在へと変化して起き上がり、歩みを始めていた。
あれがセイの言っていた眷属か。正直これは女子供に見せられるモンじゃないぞ。
俺は『敵性ユニット表現描写』の設定をデフォルトの『リアル』のままにしていたから、思いっきり直視してしまった。
これはちょっとグロ過ぎる。SAN値がもりもり下がること間違いなしだ。
「二人ともあまり見ない方が良いぞ。それか下に降りていろ」
「わたしは大丈夫だよ。こういうの第二弾で慣れちゃったし、手当とかで傷口見る事が多かったから。ユイカは大丈夫?」
「うん、なんとか大丈夫。あんなのに負けてられないから」
少し青ざめているユイカを気遣うティリル。二人とも気丈にも前を見据え続けている。
「セイちゃんと同じ目線で一緒に戦いたいんだもん。変更したくないよ」
「奇遇だね。わたしもだよ」
現実では看護師を目指し、こちらでは回復職をしているティリルは、傷の手当てをしたり勉強している関係上慣れていると言うのは分かるんだが、ユイカはこういうの苦手だったのにな。
「強くなって認めてもらうんだもん。もう置いて行かれたくないから」
「……そうか」
しかし、こんな見た目は些細なことだ。それよりも、この敵の数はヤバい。
セイの話では、一日で生み出せる個体数が決まっていたそうだが、今大熊の周囲を蠢く眷属の数は、数えるのも嫌なくらい多い。
ざっと見回して、見える範囲だけで百はゆうに超えている。今もなお増え続けているから、下手すると千近くはいきそうだ。
これはワールド級に進化した事で、その眷属を生み出し従える能力が強化されたと見るべきか。
つまり熊ゾンビ軍団VSヘイヘイホー有志連合軍の構図となったということ。
それに奴の体躯からにじみ出るような黒い怨念のような靄も、赤く爛々(らんらん)と輝く右目も、あの時よりもはっきり見える。
「うはぁ……これはこれは。絶対絶命、大ピンチでござる」
右手の親指と人差し指で輪っかを作り、そこを覗き込むようにして大熊の方を見るダンゾーが、感嘆にも似た声を上げる。
「マジもんの地獄の使者って感じのボスでござるな。セイちゃんはあんなの相手にしてたでござるか?
……ふむ。あのチビ獣の強さ次第では、色々戦略が変わりそうでござる。下手すると周りの眷属の対処に追われて、本体へと攻撃する暇がなさそうでござるよ」
その通りだ。安全に戦うには、どう考えても人手が足りない。
セイの情報がある為、対処がまだ可能だと踏んではいるが、もしそれすらなければ、俺達は後手後手に回って敗北していたかもしれないのだ。
正門の前には来訪者の近接職が街の守備兵よりも前に立ち、各々の武器を抜き放ち相対していた。
その背後の城壁上の通路には、守備隊の弓兵や魔法兵に混じって来訪者の遠距離職の面々が、蒼い顔をしつつも今か今かと待機している。
守備兵を全員合わせても、数の上で倍以上負けている。間違いなく乱戦になる上、相当不利な戦いになるのは間違いないだろう。味方からの誤射も注意しなくてはな。
もうすぐ接敵かと眺めていたら、門前に広がる近接部隊の最前列へとクマゴロウさんが進み出て仁王立ちし、前方を睨み付け始め……。
てか、あの人は何やっているんだ!?
いくら防御系近接職とはいえ、俺らの最高指揮官が最前列の先頭に立ってどうするんだよ。
あの人らしいといえばあの人らしいんだが、ホント大丈夫なのか?
「──そう言えば、昨日言っていたお前さんの仲間はどうした? まさか奴らに?」
「いえ。途中で走り出され、振り切られたそうです」
キルケ隊長の言葉に、俺は首を振る。
「こっちに急ぎ向かっているそうですが……ただ、もう着いてもおかしくないのに」
日は急速に落ち始めている。
あのセーフティエリアからここまで距離なら、あいつの精霊獣の脚があれば、こんなに遅くなるはずがない。
俺達の切り札と成り得るあいつの安否はどうなっている?
「大丈夫、セイさんは健在です。ただ……少し前からMPの消費が酷くなっています。恐らく戦闘中かと」
パーティー状況を確認しようとした俺に、ティリルが察してそう進言する。
その言葉に納得する。
そりゃそうだ。あの眷属どもがこちらだけ来ているはずがない。
それにセイだって、こっちに合流すべく向かって来ているのだ。この眼前の平野部を埋め尽くそうとしているこの状況下で、戦闘は避けられない。
どこかで足止めを食らっているのは明白だった。
「迷惑をかけられぬ故、街から離れた場所で戦力を集めて戦おうとしたのでござるが、突如この街へと方向転換したのでござるよ。偵察に出ていた拙者の仲間もそう報告してきたでござる」
おい、ちょっと待て。何故そんな言い方を?
確かにクエストの内容と状況はそうだが、外で戦おうなど一度もそんな話は……。
「──という事はだ。最初から奴はこの街へと向かっていた……いや、違うな。
邪に囚われた死者は生者を強く憎み、その魂を喰らおうとするという。目の前の者よりも多くの人が、ここに街があるのに途中で気付いたという事か?」
「……かも知れません。全ては憶測ですが」
答えにくいその問いに、俺は何とかそう返す。
「報告では過去に討伐された人食い熊です。邪精霊化して復活してきたと思われます」
「……そうか。これは『アルファ』レベルの案件じゃなくなったな。当たって欲しくはなかったんだが、嫌な予感が的中したか」
小さく舌打ちしてキルケ隊長は後ろを振り返った。眼前の光景に青ざめた表情で震えながらも、何とか直立不動で立っていた青年兵士へと命令を発する。
「ベックス、聞け!
今よりコード『シリウス』に変更。全部隊及び関連各所を通達。
最後に領主代行へ……住民の避難は例の場所へ。周囲の街と帝都マクスラグナへ救難と警戒信号、檄文を飛ばして欲しいと依頼して欲しい。『我々はここで存亡をかけた総力戦を在野の冒険者と共に行い、可能な限り足止めを行う』とな」
「は、はい……復唱っ!
コード『シリウス』を全部隊及び関連各所へと通達! 領主代行へ、住民の避難開始と近隣及び帝都連絡を依頼。内容は『我々はここで存亡をかけた総力戦を在野の冒険者と共に行い、可能な限り足止めを行う』
出ます!」
命令を大きな声で復唱し、青年兵士が慌てて階段を駆け下りていく。
「正直お前さん達がいてくれて助かった。感謝する」
「……いえ。では、俺も出ます」
むしろこの街へと厄介事を持ち込んだのは俺達の方だ。そう言われるのは心苦しかったが、真実を話す事も出来ない為、そうとだけ伝えて俺はその場を離れる事にした。
「ダンゾーはしばらくここにいて、ティリルとユイカの護衛に当たってくれ。何があるか分からないからな。ただ状況次第では出て欲しい」
「承知したでござる」
「お兄はどうするの?」
「下に行く。クマゴロウさんの援護に入るよ」
ちらりと状況を確認する。
接敵まであと少しだ。
「わたしも下に行きます。回復は必要でしょう?」
「いや、ティリルもここにいてくれ。下にも回復系職はしっかりと配置してある。
それに戦うどころか身を守る事すら満足に出来ないお前が、乱戦に巻き込まれて何かあったら、今独りで戦っているセイを誰が支えるんだ?
安全な場所から、セイの援護だけに集中してくれ」
「うっ……でも!
……いえ、ごめんなさい。分かりました」
もう一度大熊の方を見やる。
こちらに恐怖と絶望を与えようとするかのように、ゆったりとした歩みに変え、未だに眷属モンスターを生み出し続けている。
「お兄、無理しないでね。出来るだけ上から援護するから」
ユイカの心配そうなその声に、俺は大丈夫とばかりに片手を上げた。
そして慌ただしく人々が行き交う通路をひた走り、俺は正門の外へと駆け出して行った。
「うらぁっ!」
躍りかかってくる四つ足の闇色をした獣の形をした何かの攻撃を躱しながら、手にした剣でその胴体を打ち払う。
接触の瞬間、右手に伝わる何かが崩壊するような感覚。
ガラスのように粉々に砕け散っていく剣を手放すと、咄嗟に体を地面に投げ出すように倒して転がり、続く闇獣の攻撃を躱す。
獣人種の膂力と全身のバネを活用して回転しながら跳ね起き、別方向から襲い掛かってきた違う闇獣の顔面へと、雷の闘気を纏わせた踵を浴びせるようにめり込ませ、その頭部を蹴り抜く。
「いってぇ……やっぱ硬すぎるぞこいつら」
何とか蹴り潰せたのはいいが、分厚い鉄板に踵をぶつけたような衝撃と痛みが伝わり、思わず片足で飛び跳ねる。
骨は……折れてないな、うん。
剣士の俺が肉弾格闘戦なんて無茶な事するもんじゃないが、そうと言ってられないのが現状だ。
セイの話では、邪気を込めれば込める程、この闇獣は固く強くなるらしい。
あの短時間に大量に生み出していたんだし、大して力を込められていない筈なんだが、それでも相当硬い。
さっき俺に襲いかかってきた奴は、そのどてっ腹に光の槍が突き刺さっており、そのまま地面に縫い付けられていた。誰が撃ったのか分からないが、これは門上からの魔法援護だろう。
しばらくもがいていたが、動かなくなったと同時にそいつはグズグズと溶け出し、地面の染みとなった。俺が頭部を砕いた奴も同様である。
虎族の俺は当然鼻がいい。立ち込めるヘドロのような腐敗臭に辟易しながらも、虚空の穴から次の新しい剣を取り出す。
あの雷精の坑道をクリアした後、〔雷鳴の精霊の祝福〕を得た俺は『雷虎族』へと種族進化し、二次職のEX職〔雷鳴の剣士〕へとクラスアップした。その際、種族スキル〔雷闘気〕職スキル〔雷鳴剣〕というモノが新たに発現している。
職スキルの〔雷鳴剣〕は分かるのだが、〔雷闘気〕の原理や使い方がよく分からなかった。
そこでスキルアシスト機能を使い色々と試していた際、闘気を武器に纏わせる事に成功した。
その結果、武器の切れ味が増し、たとえどんななまくらな剣でもそこら辺の雑魚程度なら軽く切り裂ける事が判明した。
まあ本来の〔雷闘気〕はというと、自分の肉体に纏わせて全ての身体能力を向上させ、更に雷の属性を付随する能力のようで、格闘職にピッタリな技のようだが、手にした武器にも応用出来る事が分かったのは大きな収穫だった。
正直ここまで使える種族スキルだとは思っていなかったので、これはかなり嬉しかった。
すぐにひたすら練習し体得、今ではアシストなしで自在に操れるようになっている。
そして試しにと、更に同時に二つのスキルを使用──雷のMPと闘気を同時に武器へと纏わせてみたんだが、こちらも可能だった。
ただし相当扱いが難しく、その成功率はごく僅かだ。しかもほぼ一瞬、一撃分くらいの時間しか維持出来ない。
博打にしかならない為、使い処は難しい。だがこれは、いざという時の最終奥義になりうるモノだな。まだまだ練習は必要だが。
ただどちらの技も武器に使うと、その耐久値というか寿命を恐ろしく削ってしまうのか、それとも俺の闘気に剣が適合出来ないのか、さっきみたいに自壊してしまう。また同時に纏わせる技の方なんて、その成否に関わらず数秒しか持たない。
だからこのスキル専用として、潰れても問題ない剣を大量に持ち歩く事にしたのだ。
この戦いで今まで駄目にした剣は、二十本を超えた時点で数えるのを止めた。
まあ源さんが俺専用の壊れない剣を作ろうと試行錯誤していたサンプルの剣が、まだ千本以上虚空の穴に仕舞われているので、手持ちの武器が無くなることはない。
最初は俺の主武器に光の付与を掛けてもらったのだが、思ったよりも早く効果を失ってしまった。
掛けてくれたのはクマゴロウさんなんだが、やはり本職の付与師以外の職が他人に掛けた属性付与は、職業や種族補正がないせいか、効果や時間がよろしくないようだ。
それに独力で何とか出来た以上、俺なんかに使うより、自分の為の自己強化に使う方が絶対にコストパフォーマンスがいいからな。
彼に頼らず、そのそばを離れて遊撃に回ることにしたのだった。
「奮起せよ! 門へと近付かせるな!」
俺が遊撃としてあちこち駆け回り、孤立した守備兵の援護に回っている中、防衛ラインの先頭に立つクマゴロウさんが活を入れようと吠えていた。
その吠え声に挑発スキルを乗せたのか、近くにいた闇獣どもが彼に殺到する。
「ナメるな!」
左手に全身を覆えるような巨大なタワーシールドに光を纏わせて構え、襲い掛かってきた奴らの突進に対して、彼も自分から体当たりを敢行する。大型トラックのようなクマゴロウさんの突進に、闇獣は弾き飛ばされるどころか、そのまま粉々に粉砕されていく。
臆する事なく、側面から襲い掛かって来た闇獣。繰り出される鋭い鉤爪を、彼は右籠手に装着されている小型のバックラーで受け流すと、流れるようにショルダータックルを仕掛け吹き飛ばす。
「ヌオォオオオッ!」
背面に背負っていた鞘から、刀身の長い両手剣を右手で軽々と引き抜き、殺到してきた闇獣どもをまとめて薙ぎ払う。
熊獣人の膂力は俺なんかの比ではない。
光を纏うその巨大な両手剣により、闇獣は防御など紙の如しと言わんばかりに抵抗すらなくあっさりと両断され、地面の染みへと変わっていく。
光の精霊の加護を持つクマゴロウさんは、三次職のEX職である〔光の守護者〕だ。
火力防御力共に、まさしく今回のこの戦闘に無くてはならない人である。
えらく豪快に暴れているよなぁ。
普段は温厚で借りてきた猫みたいに大人しく、はしゃいで甘えるヒンメルさんに終始押されっぱなしなイメージしかなかったんだがな、あの人。
そのヒンメルさんもこの場所で戦っている。
付与魔法の使い手で、風の元素魔法に特化しているというヒンメルさん。そんな彼女の職は、彼と同じく三次職のEX職で〔風の支配者〕だ。
風以外の元素魔法が封印されてしまうかわりに、風に関する魔法の発動時間の大幅な短縮と、別々の風魔法を複数同時展開させる事が可能になり、その威力までもが跳ね上がる特化職である。
付与魔法はオマケに覚えたと言っていたが、流石に本職には敵わないものの、種族適正により補正が付くので、選択肢としては理に適っている。
クマゴロウさんや周囲のメンバーに複数の強化を行い、また風の元素魔法を適時使用して敵の分断を行ったり、水に濡れた闇獣を旋風の刃で切り裂いたりと、八面六臂の活躍で、周囲を支え続けていた。
彼女の利点はそれだけではない。
種族制限を解除済みの彼女は、セイのようにMPを使う事なく空を自在に駆る事が出来る。
安全な門上ではなく俺達の頭上で、その純白の翼をはためかせて滞空し、そこで魔法を行使し続けているのだ。
ヒンメルさんいわく、種族スキルの〔飛翔〕をうまく制御出来るまでにかなりの時間を要したらしい。
だが見ての通り、最初は封印制限されている種族スキルだけあって、かなりのアドバンテージを誇る。
遠距離攻撃を持たない相手なら上空から一方的に攻撃でき、また危なくなったら逃げるのも容易いのだ。
……ただ、な。
正直に本音を言うと、ヒラヒラのドレスローブで頭上をあっちこっちにふらふら飛ばれると、色々気になってしまって困るんだが?
ほとんどの十八禁止コードを解除しているらしいんだが、本人は何のその。全く気にしてない様子。
フレンド限定制限をかけているから、それで安心してしまって気にならないみたいだ。
その彼女が設定しているフレンド限定制限というのは、必要以上の肉体接触と撮影許可、下着以上の視認が、相互フレンド登録者以外出来なくなるというもの。
ヒンメルさんによると、更にそのフレンド登録は現実を知っていて信用のおける人としかしていないようだが……。
あの人、昨日俺とフレンド登録をしたのを忘れてないか?
俺の事を信用してくれているのは嬉しいんだが、これ『謎の光』に邪魔される事なく、その、俺にも見えてしまったりするんじゃないのか?
そんなの旦那のクマゴロウさんに悪いだろうが。
そんな彼女へ大丈夫なのかと、心配してこっそり忠告したんだが、「スパッツを下に穿いてるし、それくらいレントちゃんなら見られても大丈夫」と、笑いながら宣った。
いや、そうじゃないだろうが!
全くこれだから……。
事ある毎にいつも痛感するんだが、あの姉弟はどこか肝心なモノが抜けているんだよな。
以前にあいつからボヤかれた内容を、色々と思い出してしまったじゃないか。
色々とあり過ぎるが、例えばだ。
いくら家族とはいえ、普通年頃の女性が弟に自分の下着洗わせたり、家の中とはいえ、風呂上がりにあいつの目の前で下着姿でうろついてきてあいつに話しかけてきたり抱き着いたりと、やらかした事も枚挙にいとまがない。
初めて話を聞いた時、唖然としてしまったのを覚えている。
同じ弟でも海人さんが相手になると、態度も対応も普通というか……かなり厳しいらしいんだがな。
あいつが相手になると、途端にガードが緩くなるどころか完全に無くなるらしい。
気に入っていて『ちゃん』呼びするような相手なら、しかもそれが異性であっても羞恥心を感じないというのは、女性としてどうなんだ?
俺を男として見ず、未だにやんちゃな子供扱いしてくる彼女だから、きっと気にならないんだろう。
まぁ、まるで我が子のように可愛がっているあいつ相手とは違い、流石に俺の前ではだらしない格好を見せる事はないんだが。
昨日セイを隙だらけと言ったヒンメルさんだが、その本人もそんな感じだからな。俺から見れば、二人とも隙だらけなんだよ。
セイが自分の事や他人の注目に対して隙だらけならば、ヒンメルさんは自分のお気に入りの知り合いには無防備。二人の母親のあの人もそういう所があるらしいし、御陵家のあの三人、揃いも揃ってそういう所が本当にそっくりだ。
今異性で登録しているのは、クマゴロウさんと俺だけらしい。俺が気を付ければいいだけだから、そこのところはいいんだが。
そういや、後でセイとも登録するとか言ってたな。
可愛い妹になってくれて嬉しいとやら、これで気兼ねなく堂々と一緒に女風呂入れるとか、ウキウキしながら言っていたのは、聞かなかったことにした。
セイ、すまん。
俺には暴走しているヒンメルさんを止める事は出来ない。そんなのは不可能だ。
だから……せめてもの情けだ。祈っててやる。
強く生きてくれ、親友。
そうして戦い続けること、小一時間。
周囲は闇に閉ざされ、ただ天上に煌々と輝く満月が見守る中、戦況は膠着状況に陥っていた。
満月の月明かりと門上の篝火、そして魔法職が大量に作り出した『ライト』の光に照らされながらも、戦闘は続行されてゆく。
闇獣の総数は減ってきている、と思いたい。
満月とはいえ、月の光だけでは奴らの全体数がよく分からないのだ。まだ爛々と輝く大量の二対の血色の瞳が周辺を埋め尽くしている現状、全く減っていない錯覚に陥る。
実際、あの大熊は今も眷属をせっせと生み出し続けているのだろう。そんな事ぐらい、容易に想像出来る。正直終わりが見えない。
この眷属の群れを掻き分けて大熊へと辿り着き、攻撃を加える事が出来れば、その行為を止められるかもしれないが、まだ誰も辿り着けていない。
あるいは奴が保有する邪気が尽きれば、その眷属生成も止まるのだろうか?
奴自身もその事を分かっているのだろう。
決して自らは攻撃に参加せず、門へと近寄らず、遠距離攻撃の届かない位置へと移動して、眷属達をこちらにけしかけ続けている。
「マジでシャレにならん」
四方八方から襲い来る闇獣に片っ端から剣を突き立てながら、思わずボヤキが口を突いて出る。
いくらこちらの世界に来て人外種族としての強靭な肉体と能力、そして様々なスキルの力を得たとはいえ、長時間戦闘を続ければ疲れない訳がない。
それに、こと精神に関しては、元の世界と何ら変わらないから、疲労から来る認識力や判断力の低下は如実に表れてくる。
つまらないミスから、戦闘続行不能になる者が増えていく。
この街の守備兵の死者や同郷者の死に戻りこそまだないとはいえ、本来こちらが仕掛けるはずだった波状攻撃を敵から受けているこの現状を見れば、そうなるのも時間の問題かと思う。
「──やはり火力が足りないのか?」
「どちらかと言うと、門の外へ打って出るだけの度胸と勇気が足りない事の方が問題ですよ」
俺のボヤキに反応してそう問い掛けてきたクマゴロウさんに、俺は辛辣にもそう返す。
今俺の周囲には、クマゴロウさんと地上に降りているヒンメルさんしかいない。全員一時的に脱落し、門内にて治療を受けている最中だ。その俺達三人を闇獣が分厚く包囲している。
だから多少暴言気味な俺の発言を、周囲の人間に聞かれる心配はない。
何度も言うが、後方に待機し眷属を生み出し続けているあの大熊に、いまだ一度も打撃を与えられていない事が大問題である。
一発殴って終わりじゃないんだ。辿り着いてからがスタートラインなのに、それすら出来ていない。
原因も分かっている。
普段大抵の遠距離職は、基本的に近接職に護られている事が常なせいか、モンスターと接近して戦う事がほとんどない。乱戦に巻き込まれるかと思うと、足がすくんでビビッてしまい、正門上の安全地帯から離れるのを恐れてしまったのだ。
その結果、今いる場所から届く範囲しか攻撃が出来ず、近接職も遠距離職のバックアップが届かないエリアに進出する事が出来ず……こうして膠着状況に陥ってしまったという訳だ。
戦えると分かった時点で門を守備兵に任せ、全員で攻め込むべきだったか?
今となっては、現状厳しい。
でもこの状態でこのまま夜通し戦う事になれば、間違いなくこちらが先に力尽きる。
交代しながら戦ってはいるが、もう皆疲弊してきているからな。
奴等は不死者だからな。疲れ知らずだ。むしろ完全に日が落ちてから、奴らの能力が増してきている気もする。
それに……。
セイの安否はどうなったんだろう。いくらなんでも遅すぎる。
あいつは強い。じきにここに来る。
だから、まだ無事でいるはずなんだ。確認している暇があったら、一体でも多く闇獣を屠れ。
そう自分に言い聞かせ、ここまで来たのだが限界だ。
正直に言おう。
確認するのが怖いんだ。俺は。
あいつが奴らに蹂躙されていたと思うと……。
「──だから私がバビュンと飛んでいって、ボスに魔法浴びせれば解決するじゃない!」
弱気になり、ろくでもない事を考えてしまっていた俺の耳に、ヒンメルさんの苛立った声が聴こえる。
「駄目だ。この眷属は遠距離攻撃がないが、ボスは持っているかもしれない。危険すぎる」
「そうはいっても、このままじゃじり貧よ。あの子を早く探しに行きたいの。分かるでしょ!?」
一度皆の口に上り、クマゴロウさんに却下された提案だ。再び焦れ始めたヒンメルさんが言い出したのを聞いて、クマゴロウさんは再度強く否定する。
「選抜部隊を作って奴らの懐に入るしかないですよ。俺達が離れている間、ここが持ち堪えられれば……」
否定ばっかりしていても、なにも好転しない。
そう俺が代案を出した時、不意に奴らからの圧力が消えた。
「……え?」
「……なんだ?」
幾重にも包囲していた闇獣どもが俺達から離れていく事態に、訝しげな声を上げる夫婦。
もしかしてセイが何かやってくれたのか?
一縷の希望を抱いた俺の想いは、次の瞬間身を貫いた悪寒と耳に届いた警告に砕かれた。
「クマゴロウ殿!」
何処か遠くから怒号のようなダンゾーの叫び声が聞こえたとほぼ同時、天を仰いだクマゴロウさんがヒンメルさんをこちらに突き飛ばし、倒れた俺達の頭上に盾を構え……。
「俺に破邪の盾の加護を!」
吠えるクマゴロウさん。
彼が構える盾を中心に、輝く光の波紋が広がり俺達の周囲を覆う。
天を見据える彼の、その分かりにくい表情が絶望の色に染まるのが分かった。
──そして。
空から闇が。
怨念と悪意の巨大な塊が落ちてきたのが見えてしまい。
──せない。
なんだ?
幻聴か?
微かに聴こえたその声と同時に。
響く轟音。
激しく乱舞する光と音に、何も分からなくなった。
これでレント編は終了です。
次回から再びセイ君です。




