81話 反攻の刻
『お兄様! 何かが急速接近してきます!』
レントが提案していた作戦の概要を思い返していたら、ティアが何かに気付いて警告を発した。
『ハク!』
ボクの合図に加速を始めたハク。
側面から追い抜き、ボク達の前を遮るように躍り出てくるヘドロのような体色のクマ一頭。
これは山小屋で使っていた奴の眷属召喚!?
焦れてちょっかいを出してきたのか?
何処を見ているのか分からない濁った白目をこちらに顔ごと向けてくる様は、生理的な嫌悪感を抱かせるに十分だった。
奴がこちらに接近する前に、お決まりの風の刃を放つ。
だが、ガゴッ! とおよそ生物が立てるとは思えないような音を立てて、くの字になって吹き飛ぶクマに驚愕する。
えっ!?
堅すぎない!?
山小屋の時はあっさりすり潰せたんだよ、こいつ等。これで十分だと思ったのに。
確かにその時と違って、今はカグヤの援護はないし悠長に詠唱していられなかったけど、流石にこれはない。
今のが全力じゃないとはいえ、切断ダメージすら与えられないとか。
こんなのを相手にしていられない。
起き上がろうとして、もがいているクマの横をすり抜け、次いでとばかりに鑑定もしていく。
名 称:ディグリー (不死者)
状 態:分体
スキル:突進 噛み付き 爪撃 再生 毒撃
弱 点:特に光に弱い
〔特記事項〕
ディスアグリーの肉体から剥がれ落ちた腐肉より産み出された分体。一日に産み出せる制限はあるが、力を込めるほど能力が強化されていく非常に強力な使い魔。
本体と同じく鋼すら通さない硬質の体毛に覆われ、小回りのきく要塞のような存在である。
だが光には極度に弱い上、特定の方法で弱体化させられると防御力が極端に落ちる。
特定の方法?
それは何!?
『崖上っ! まだまだ来ます!』
再びのティアの警告に、ハッとして顔を向ける。
更に崖の上から飛び掛かってくる三頭のクマ。
「──動くべからず 圧せ 潰せ 巨人の掩撃」
さっきのクマも合わせて四頭に対し、魔法を放つ。
ダウンバーストにより地面に叩き付けられてめり込んでいくクマ達だけど、まだしっかりと原型を保っている。しかもあっさりと耐えきり、その四つ足で立ち上がろうとまでしている。
「やっぱり今までとは違う、か」
今までボクが魔法を放てば、相手の弱点関係なしに、ほぼ一撃で決めていた。しかしコイツらは倒しきれないどころか、立ち上がって向かってくる。
昨日山小屋から逃げる際に、行き掛けの駄賃として、さくっと倒したあの時とは全く違う。明らかに強化されている。
恐らく昨日動かなかったのは、こいつ等を強化する為だったのだろうか?
『カグ……』
『……? お兄様?』
途中で念話を止めたボクに、どうしたのかと疑念を投げ掛けるティア。
カグヤを起こして手伝って貰おうとしたけど、途中で考え直したからだ。
『……いや、何でもないよ』
そう返し、前を向く。
使える手は常に使えるようにしておくのが定石。昨日レントに言われたことも忘れてはいない。
だけど、常に全力で戦える訳じゃない。
考えられないし考えたくないけど、カグヤがボクの側にいない時だって、この先あるかもしれない。
本体のボス熊相手ならともかく、この程度の使い魔相手に、一人で……いや、三柱で勝てなくてどうする。
「……ねぇ、みんな」
──この現状に。
「こんなところで、この程度の相手にさ……」
──ボクは。
「何度も負けてられないよね!」
──奮い立つ!
『ハク、囲まれないように!
ティアはハクを媒介に雷撃の援護を!』
更にクマが二頭こちらに向かってくるのを確認する。
これで計六頭。山小屋で見た数と同じ。
これがリミットだろうけど、安易な断定は避けるべきか。
やはり逃げるばかりじゃ駄目かな。
このままじゃ形は違えど、あの時と同じく最後には追い詰められてしまう。
そもそもだ。
仲間に危害を及ぼす問題から逃げ続けるなんて、正直性に合わないんだよ。
特定の方法を……それを何とかして見つけ出し。
ここで潰す!
「──隆起せよ 我が汝に求めるは
大地の刺突!」
ダウンバーストの衝撃でふらついているのを見過ごさず、今度は腹下から突き上げにて追撃を行う。
岩の槍を喰らい宙を舞うクマだけど、どれも刺さっていない。逆に岩の先端が砕けている。
乱立する岩槍の合間をぬって、二頭が時間差で突貫してきた。
甘い。
何の為に岩場でこの魔法を使って、更に障害物を増やしたと思っている!
脳裏に浮かべるは、灼熱の情景。
詠唱が自然と口をついて出る。
「──原始の炎よ 猛き焔よ……」
ボクの意図を汲み取り、ハクが跳躍する。
宙を舞っていた四頭のクマ達が地面に叩き付けられているのを尻目に、ハクは上空へと跳び跳ね、同じくハクを追って跳び上がってきた二頭のクマとすれ違って。
「──汝に触れし者 その腕にて……」
ティアの力を注がれたハクが吠える。
すれ違うクマへ雷爪を伸ばして叩き付け、追撃として、地面に落ちたクマ達に雷撃を落とす。
「──永遠の絶望を与えよ……」
横に伸ばしたボクの左手のひらの先。
開いた虚空から零れ落ちる……一本の火のついた炭。
「──炎舞に魅せられし 愚か者よ
今こそ その身へ纏いて 踊り狂い……」
密集地帯──大小様々な岩槍に囲まれる事となった六頭のクマ。
その一頭に炭がぶつかり──。
「──その全てを 灰燼と化せ!」
これでどうだっ!
「爆炎獄!」
焼けた炭を媒体とし、爆炎魔法を起動。
ボクの喚び掛けに応じ、大量の火の下級精霊が媒体となった炭を中心に召喚され、輝きを放ちながらその力を圧縮、そして臨界点に達し……。
──爆発。
耐熱と耐爆風を施した水と風の結界に包まれ、大きく向こう岸に飛ばされながらも、崖の側面に無事着地し、そのまま爆風をやり過ごす。
「……う、ぐぅ」
『お兄様っ!?』
膨大なMPが抜け、霧散していく感覚。
走る頭痛に思わず呻き声を上げ、ハクの背に突っ伏してしまう。
上級魔法という位置付けの爆炎獄と、その魔法を至近距離で炸裂させたせいで、結界の維持に思った以上の負荷が掛かり、必要以上のマナが減ってしまったようだ。
『……ホント、近くで炸裂させる魔法じゃないね』
すぐに引いていく痛みに、ホッとしながらボヤく。
『お兄様の力の練り込み量は、他のどの方の比ではないですから……』
戦闘開始前に事前に作っておいたメールを飛ばして、ティリルには合図をしてあった。
すぐに『魂の契約』の繋がりを通し、大きく減ったMPを急速に回復してくれた。
すかさずマナの援護を送ってくれる彼女に、ボクは感謝の念に堪えない。素晴らしい仲間に、本当に恵まれている。
爆心地を見やる。
そこはクレーターになり、そばの崖は崩れて吹き飛んで跡形もなく、そこに渓流の水が流れ込んでいるのが見える。
奴等の姿は今のところ見えない。
『これで……殺りましたか?』
ハクが問う。
『そうだね。これで……いや、まだだ』
気配察知に引っ掛かる。
蠢く反応は六つ。全て健在……だと?
爆風でここまで吹き飛ばされたのだろう。近くの崩れた崖の中から、瓦礫を掻き分け、崩れる石ころをはね除けて這い出てくる一頭のクマ。
あれほどの爆炎にさらされたのに、その体表の毛皮には、土埃と煤が付着しているだけで、傷らしい傷はまるで見当たらない。
『そ、そんな……お兄様の魔法を喰らって無傷……?』
『──そうでもなさそうだよ』
外見上は確かに変化がない。けど、その動きはやけに鈍くギクシャクしている。ダメージは確実にその身体の内部へと蓄積しているようだ。
でも、特定の条件をまだ満たしていないんだろうな。
ゾンビ熊なんだから、火で消毒して硬い毛皮を焼けばいいと思ったのに、その防御をこれでも貫く事が出来なかったか。
奴等の硬い毛皮と体表が、昆虫の外殻みたいに見えてきたよ。
立ち止まり再び戦闘態勢を取るボク達に対し、奴等は吹き飛ばされた場所にそのまま佇み、防御姿勢を取った。
どうやらダメージの再生を優先するようだ。今のうちに追撃を加えないと、元の木阿弥になるな。
バラバラに散っている、この『要塞』の異名を持つ五頭のクマに、どう追撃していけばいいのか……。
……ん? 五頭?
もう一頭は何処行った?
周囲を探せば、残り一頭は爆心地のクレーターの向こう側にいた。
渓谷の水の流入はすでに止まり、あたかも池のようになっていたその場所から這い上がってきたそのクマだけ、身体を震わせながらボク達から離れようとしているのが見えた。
よく見れば、後ろ足を引き摺っている。崩れた瓦礫が直撃したみたいで、全身のいたるところから黒っぽいタールのようなモノがボタボタと垂れ落ちていて……。
──そうか。
そうだったんだ。
全てが繋がる。
昨日ボス熊が近寄って来なかったのも、すぐにちょっかいをかけて来なかったのも、その全てが。
「──動くべからず 圧せ 潰せ 巨人の掩撃」
ずぶ濡れになっているであろうそのクマに、確信を持って、ダウンバーストを仕掛ける。
最初とは違い、それは呆気なくあっさりと潰れて大地の染みと化した。
「分かってしまえば、いたく簡単な事だったよね」
スッと右手を残りの奴等に向ける。
当然使う魔法は、水系列魔法だ。
どういう原理かは知らないけど、水に濡れてしまえば、硬質の体毛がふやけて弱体化するようだ。
その事が分かればそれでいい。
「──穿て 我が汝に求めるは 無双の水槍」
水の精霊に喚びかける。
元素魔法『ウォーターランス』の精霊魔法版。
ただし、一頭あたり七本、計三十五本を展開。それら全てを操り、同時にクマ達に突き立てた。
回転を与え、流線形にして貫通力を持たせたそれら。一瞬体表で全て止められて拮抗するも、更に押し込んでやれば、あっさりとその防御を貫いた。
全ての水槍が頭部を貫通し、胴体をも串刺しにする。
よし、この程度の魔法でもぶち抜け……!?
パキンと何かが砕けた音と共に、バシャッと液状化して辺りに飛び散る闇色のタール状の何か。周囲の岩に飛び散り、生臭い臭気が漂ってきたのを嗅ぎとった。
毒性のモノの可能性も考え、羽織っていたクロネコケープの裾で口元を押さえ、出来るだけ息を止める。
ハクも直ちにその場から離れていく。
『ハク、体調は?』
『今のところ問題ありません』
問答しながらも、精霊眼でハクを視て、そして自分自身もチェックする。
ひとまず無事のようだ。
本当に面倒臭い奴等だったな。死んでまで迷惑掛けるとか。
『厄介な相手でしたね。お疲れ様でした』
『全くだよ。ティアもハクもお疲れ様。ありがとうね』
ティアの慰めにも似た労いにボクは賛同し、再び下流へと歩み始めた。
あの後、今度は本体が来るかと警戒していたけど、やっぱり一定距離を保ったままだった。
使い魔を潰された事に、向こうも最大限の警戒をしているようだ。
こっちに来たら、水引っ掛けてやるのに。
残念だ。
おかげで、この奇妙な追いかけっこはまだ続いている。既に渓谷を脱し、平原に出ている。
水量も多くなり、幅が広く大きくなった河川。対岸にボス熊が普通に見える。
河を挟んでお互いに睨み合いながら、動向を監視している状況だ。
河川に沿って敷設されている平坦な街道にぶち当たった所で、ハクからリンに乗り換えた。
本人は気丈にもなにも言わなかったけど、やはり病み上がりで無理をしていたようだ。
あのクマとの戦闘の影響も大きく、ボクの中で気絶するように深い睡眠に入ってしまった。
ありがとう、ハク。
ゆっくり休んでね。
時刻はすでに昼を回っている。
テンライも先程目を覚まし、ルーンヘイズの街への最終ルートを確認する為に飛び立っている。
ボク達は渓流に沿って道無き道を進んだ為に、山道の本来の出口から大きく外れてしまっている。
街道にぶち当たった所を見ると、こちらは街道行き南ルートの最後の方に合流したのだろう。基本的にこの街道を進んでいけば、街まで辿り着くはず。
寂れた村で撮ったスクショを見ると、この街道はもうじき河を渡り、反対岸から山手に向かっていくみたいだ。
テンライの報告によると、この先には大きな橋が河に架かっている。そこにある分岐点から、北へと伸びている街道の方へ進めば、ルーンヘイズの街がある。
セーフティエリアがその分岐点の所にあるから、そこで一旦休憩をしつつレントに連絡をしよう。
ゆったりと常歩で歩いているリンの馬上で揺られながら、そんな事を考える。
このペースなら、着くのは夕方くらいかな。いや、もう少し遅くなりそうか。
ボス熊と戦闘することを考えれば、明日に回した方が良さそう。
それにボス熊の横をすり抜けないと街に向かえないから、それの対策を練らないと。
遠くに橋が見えてきて、そう思った時だった。
薄い膜のようなモノを突き破ったような感触があった。疑問に思う間もなく、チリィーンと鈴の音のようなアナウンス音が、ボクの耳に響く。
《『第三八世界』のプレイヤーの皆様。レイド級ボスモンスターがインスタンスダンジョンを突破しました。
これにより、レイド級ボスは自由参加型ワールド級ボスへと変化し『黄泉より来たりし復讐の人喰い熊』の追加試練クエストが未クリア全プレイヤーへと解放されます。
直ちに『軍団』を編成し、ルーンヘイズの街へと襲い掛かる人喰い熊の脅威を街の防衛施設にて食い止め、これを討伐して下さい》
「んなっ!?」
そんなっ!?
こんなの予定にない!
ワールドアナウンスと同時。
こちらを見続けていた奴は、いきなりボクの事を忘れたかのようにそっぽを向いた。そしてこちらを完全に無視して街の方角へと走り始めたボス熊に、ボクは強い焦りを覚える。
そのまま街へと駆け出したボス熊とは違い、ボク達は河を、この先にある橋を渡らなきゃならない。確実に出遅れてしまう!
『あるじ、行く。加速する、よ!』
常歩から駈歩、そして全速力の襲歩へと切り替えていくリンに、ボクは風の抵抗を避けるため前傾姿勢になる。
更に風の抵抗を減少させる結界を、リンに干渉しないように注意しながら構築し展開。走行の負担を軽減させた。
『あるじ、ごめん。空を走れなくなったせいで遠回り』
『リンのせいじゃない。謝らないでいいよ』
リンの首筋を撫で、慰める。
むしろボクの力が足りないせいだ。
リンはボクと契約した時に力の制限を受け、本来持っていた空を駆ける能力を失ってしまった。
ハクへ風の加護を付与すれば、ごく短期間だけど宙を疾る事が出来る。
彼女と同じようにリン自身に風の力を付与しようとしても、何故か加護が霧散してしまう。その上、例えボクが空気の足場を作っても、それを踏み抜いてしまい、擬似的に空を走る事すらも出来なかった。
リンが元々持っている属性と風の属性との相性の問題なんだろうけど、ハクがダウンしてしまった影響がこんな所にも出ちゃうなんて……本当に痛すぎる。
『セイ、どうするの?』
『もう……なんて意地が悪いんですか。お兄様どうしましょう?』
ちょっと前に起きていたカグヤとティアがそう訊いてくるけど、今のボクにはどうしようもない。
一旦リンを送還して、ボク自身が空を飛んで河を渡る事も考えたのだけど、飛ぶというよりは浮く──ゆっくりと歩くスピードくらいの速度しか出せないから、そっちの選択肢もない。
このままリンに任せた方が早い。
そう、今のボクに出来ることは、もう……。
──いや、ひとつだけあった!
リンにしっかと抱き付くようにしがみつきながら、ボクはステータスメニューを開いた。
急いで『緊急事態発生』のメールを作成していく。
単なるレイド戦から、街防衛戦に発展したこの戦い。親友の準備がどこまで出来ているかが、この勝負の鍵になりそうだ。
あいつならきっと問題ないはず。
行き当たりばったりのボクと違って、レントの用意周到さは群を抜いているし、何かあった時の対応能力も高い。
少しでも手助けになるようにと、ボクの居場所と奴の進行ルート、先の戦闘で分かった事等を記載して、レントに情報を送る。
ようやく対岸に渡る橋に到達し、大きく旋回しながら、そのままの勢いで橋を渡る。
既にボス熊の姿は見えない。
「みんな……無事でいて」
幼馴染達、そして他の同居者とまだ見ぬ街の人々に、ボクは無事を祈らずにはいられなかった。




