57話 誰が為に
今回はレント君です。
時系列はセイ君かルナと出会った辺りです。
──レント──
「この辺で止めじゃ。ま、今はこんなもんじゃろ」
「──あ、ありがとうございました」
模擬戦と称した稽古をつけてもらっていた老剣客の言葉に、俺は息も絶え絶えにその場に崩れ落ちながらも、何とか御礼の言葉を述べる。
目の前に立っているのは、涼しい顔で伸びをしながら「今朝の朝御飯は何かのぅ」と宿の方を見やる御老体。その名を椿玄斎という。
ふざけたような名前だが、この方は『元円卓』のメンバーであり、昨日アーサーさん達と共にこのミィンの町にやってきた。
今度改めてうちの『懐刀』に入った新人の一人だ。
……もっとも新人というには、色々無理があるが。
「御老、最初からとばしすぎではないですか?
ちょっと見るだけとおっしゃっていたのに」
横でこちらの様子を観ていたアーサーさんがちょっとひきつり気味な表情を見せながら、軽くストレッチをしている椿玄斎さんに問う。
「うむ、なかなか元気な若者じゃし、色々懐かしさを感じての。思わず力が入ってしまったわ。
しかしこうもハッスルされると、この老輩の身には堪えるわい」
嘘つけ、この詐欺老人。
曲がってもいない腰を急に曲げて、大袈裟に腰の辺りをトントン叩き出した椿玄斎さんに胡乱げな目を向けながらも、何とか両手を地面に付きながら起き上がろうとする。
酷使された両手両足が筋痙攣を起こし、ガクガクと震えている。
まるで産まれたての小鹿のような有り様に、自嘲じみた笑いが出てしまう。
俺に武術を教えて下さっていた聖師匠が他界されてから、はや二年。
師匠からは基礎と基本の型までしか教わることが出来なかった。
御陵家にお願いして、師匠の遺品である技術書や奥義書を引き取り、必死に理解しようとした事もある。
そうして毎日欠かさず教えを反芻して、少しでも強くなるようにトレーニングしてきたというのに。
やることなすこと全てが、全く歯が立たなかった事に歯噛みする。
ステータスの差ではなく、技術の地力で軽く上をいかれたのを感じた。しかも鼻歌交じりで。
最初に一目この老剣客を見た時から勝てるとは思ってなかったが、まさかここまでとは。
椿玄斎さんはそのまま宿の中へと入っていった。「今日の嬢ちゃん達の手作り御飯は何かの~?」とスキップしながら。
流石に元気過ぎないか、あの爺さん。
「レント君、大丈夫かい?」
「少し休めば問題ないです」
心配して声を掛けてきたアーサーさんに返答し、立つのを諦めその場に寝転がった。
前回のアップデートのせいで体感がより現実的になり、今も全身至る所から汗が噴き出して気持ち悪い。
シャワーかひとっ風呂浴びたいところだが、そっちの実装はまだだ。今は布で拭くか、湖等でインナーごと浸かるしかない。
イベント後と言っていたが、普通一緒に実装するだろ。気が利かないぞ。
「徹底的にやられましたよ。もう少し食らいつけると思ったんですけど」
「まあ、御老は私の師父でもあるからね。私も出会った時は徹底的にやられたよ」
よく冷えた濡れタオルをインベントリーから取り出して手渡してくれるアーサーさんにお礼を言い、何とか側にあった木にもたれかかった。
「レント君は何の武術をやっているんだい?」
確信をもって問うてくる彼に、俺は素直に答える事にした。
「とある古武術を少々。いろんな型の基礎を教えて貰ったのですが、そこまでですね」
「どうして?」
「師が他界されました」
「それは……訊いてすまない」
「大丈夫です。もう前の事ですし」
気にして謝ってくるアーサーさんに、俺は何でもない風に返答する。
雲一つない蒼天を見上げながら、聖師匠の事を思い出す。
当時護身術程度の習い事から、ガチの武術指導への変更をお願いした時の事を。
強迫観念にも似た想いに突き動かされていたあの頃の俺は、随分師匠を困らせたものだ。
口には一切出されなかったが、師匠も可愛がっていた孫の身に起こった出来事に心を痛めておられただろうに。
あの頃、か。
親友が命を落としかけた上に記憶障害まで引き起こし、姉と妹が大変な事になった事件が発生したあの日、いなくなった皆を探しながらも一人で祭りを楽しんでいた当時の俺を未だに許していない。
もし過去に戻れるとしたら、昔の自分をぶん殴りに行きたいくらいだ。
みんなからはぐれてしまったのも、俺があっちこっちにふらふらしていたせいなのだから。
俺が携帯端末を家に忘れてこなければ。
はぐれた俺を探す為に、海人さんが三人から離れなければ。
人混みを避け、入れ違いになっても分かりやすいようにと、参道の外れで待っていた三人に悪意が襲いかかる事はなかった。
そのはずなんだ。
そう全ては俺のせいで……。
「──レント君、怖い顔をしているよ」
アーサーさんの言葉に、我にかえる。
「すいません、ちょっと昔を……」
「すまない、ちょっとだけ私の昔話を聞いてくれるかな」
口を挟まれて顔を上げれば、町の人達が行き交う大通りの方を見やりながら、彼は静かな口調で話し始めた。
「レント君は、どこまで私達の事を知っているかな?」
「……失礼ですけど、スレで言われている事くらいです」
「私とマーリンがβテスターだったことは?」
「知っています。その際に円卓の基礎を立ち上げた事も」
「──当時はβ(ベータ)だからといって、結構適当だったからね。今振り返ると、相当恥ずかしいよ。
それに私は最初からこの名前だったけど、マーリンの奴の名前は『ああああ』だったし」
ふざけた名前だよね、と笑いながら、再びこちらに視線を戻す。
「その時に起こった出来事のおかげで今の私が、私達がいる」
そう前置きして語り始めた彼の話は、俺にとっても衝撃的だった。
今の彼らを見てるととてもそんな風には見えないが、当時の彼らは初のフルダイブVRゲームということで、かなり浮かれまくっていたらしい。
どうせゲームだと。
どうせ残らないβテストだと。
色んな事に無茶をやっては死に戻り、住民に迷惑かけては怒られ。
今の彼らしか知らない俺には、到底信じがたい内容だった。
そしてある時、街から街へと旅をしている行商人一家の護衛をギルドで受けた。
自身のレベルに見合わない場所への移動。
自前で面倒くさい移動をするよりは、お金を稼ぎながら馬車で楽に移動できるというだけで選んだこの護衛任務で事は起こった。
旅の途中にて、一匹の熊型魔獣の襲撃を受ける。
ただでさえ自分の実力以上の敵性生物の出る土地。
間の悪い事にその魔獣は邪気に侵され、更に厄介な邪霊生物と化していた。
私達と同じ考え方だったのだろう。
同乗していた他のプレイヤー達がなすすべもなく殺されて死に戻りしていく中、アーサーさんとマーリンさんも同様に傷つき倒れ伏し、死に戻り寸前の状態でその光景を目の当たりにしていた。
さっきまで自分達二人に懐いて笑顔を見せていた商人の子供、その少女が生きながら喰われていく様を。
絶望をその表情に貼り付けながらも、必死に自分達に呼びかけてくるその少女を。
そして──死に戻った。
「──あの子を助けられなかった事への悔恨と、死に戻った先で別の奴らが『ついてねぇな』とゲラゲラ笑っていたのを見た時に沸き上がった怒りは忘れる事が出来ない。今でも夢に見る」
実際マーリンの奴がそいつらを殴りつけて、私も便乗して大乱闘に発展したんだけどね、と笑う。
「そんな状態でも、あの子は私達の事を心配していたんだ。『お兄ちゃん達、早く逃げて』と。普通『助けて』と言わないかい?
本当に『強い』とはどういう事か考えさせられたと同時に、その子より『弱い』自分が嫌になった」
「……どうして。どうして続けられたのですか?」
そんな経験してまで。
「さぁ、なんでだろうね?」
笑いながらそう誤魔化してきた、自分の事を『弱い』と評価しているアーサーさん。
当時はそうだったかもしれないが、今は圧倒的に強い。
ステータス的にもそうだが、その身に宿る精神も。
「レント君にも色々あるだろうが、君は何の為に強くありたい?」
「俺は……」
何の為に強くなろうとした?
誰の為に強くあろうとした?
綺麗事を言う気はない。
それは自分の為だ。
二度と嫌な思いをしたくないから。
自己嫌悪から来る過去の否定と、現状への自己満足でしか……。
「自己満足大いに結構」
こちらの内心を見透かしたように続ける彼を、驚いて見やる。
「他人の批評など気にするな。ただ、のちに振り返って胸を張れるような人生であればそれでいい」
御老の言葉だよ、とアーサーさん。
「それはまた」
ある意味無責任で奔放な、それでいて何故か共感したくなるその文言に、俺は思わず苦笑する。
あの爺さんの言いそうな事だ。
「ま、年長者のつまらない失敗話と思って軽く流しておいて」
「思えませんって」
おどけていう彼の台詞を否定しつつ、立ち上がる。
十分に休んだおかげで、手足がようやく満足に動くようになった。
それとは別に、心に溜まっていた澱のようなものも少し洗い流されたような気もした。
「さ、私達も食事といこうか。きっとみんなが待ってるよ」
「はい」
もう一度空を見やる。
抜けるような青空。
この空の下のどこかにいる親友と妹も。
その心が曇りなく晴れ渡りますように。




