53話 たまさかの逢瀬
その日の夜。
それはみんなが寝静まった真夜中の事。
ボクはふと何かの気配を感じて、目を覚ました。
シンと静まり返ったこの世界を感じるまま耳を澄ませば、何かが移動する音が微かに聞こえてくる。
レント達から離れて旅をしているせいか、ここ最近は気兼ねなく、当然のようにボクのベッドに入ってきて寝ている彼女達を起こさないように気を付けながら、原因を探ろうと起き出して気配を探る。
それはすぐに分かった。
風の下級精霊が気を利かせてくれたのか、廊下を下履きを手に持って、そろりそろりと忍び足で歩く彼女の存在をはっきりと教えてくれた。
故にその人物に見つからないように、そっと窓から抜け出して、彼女の向かう先へと先回りする事にする。
起きた時にユイカとティアが慌てないように、書置きを残しておこう。
どこへいつまで行くか分からないから、念のためだ。
昼間とは違い、ぐっと気温が下がった夜の冷たい空気に凍えそうになりながらも、館から離れた位置――玄関と勝手口の様子が窺える場所で、彼女が現れるまでじっと待つ。
下手に精霊魔法を使えば、恐らく彼女に気付かれてしまう。
そのまま相対するまで、外套を深く被り我慢する事にしたのだった。
天を見上げれば、まだ少し欠けているが今にも落ちてきそうな大きな月と、満天の星があった。
澄んだ空気と相まって、綺麗な輝きを放っている。
そして、人工的な灯りなど不要なくらい夜道を明るく照らしていた。
そう、館の方から歩いてきた彼女の物憂げな表情がはっきりと見えるくらい、美しい月夜の晩。
「こんばんは。いい夜ですね」
「――どうして?」
なぜバレたの?
厚手の防寒着に身を包み、急ぎ足でやってきた彼女。
裏山の登山口にあった岩の上に腰かけていたボクに気付いたルナさんの表情には、そんな隠しきれない驚きが張り付いていた。
「エルフはどうやら音と気配に敏感なようでして。まあ、今はそんな事はどうでもいいんですけど」
「戻らないわよ。どうしても行かなきゃならないの」
連れ戻されてなるものかと、ぐっと歯を食いしばりながらこちらを睨み付けてくるルナさんに、ボクは苦笑しつつ岩の上から飛び降り、そっと右手を差し出した。
「さ、行きましょうか。お供しますよ」
「ふぇっ?
サレスに言われて、私を止めに来たんじゃないの?」
「まさか。サレスさんは何も言ってませんよ。
それに、ほとんど外を出歩いた事がないって聞いていた精霊が、真夜中にこんなコソコソ出歩こうとした時点で放っておく事なんて出来ませんって。
黙って抜け出さないといけない、よっぽどの理由があると思った訳です。
──月のお姫様。護衛は必要ですか?」
「……むぅ。ならリードしなさいよね」
ふくれっ面になりながらも、おずおずとボクの手を握ってくる。
そのまま彼女の行き先を聞いて先導しようかと思った矢先、彼女はボクの手をまじまじと見つめていたかと思うと、急に自分の方に引き寄せて、はぁっと息を吹きかけてきた。
突然の彼女のその仕草にドキリとしながらも何も言えず、彼女の好きなようにさせる。
「セイの手、冷たい……いつから待ってたのよ?」
「ついさっきですよ」
「……嘘付き」
ぶすっとしながらも、彼女はボクの手を擦りながら息を吐き続けるのを止めようとしない。
そんな彼女に流石に気恥ずかしさを覚え、思わず聞いてみた。
「その、大丈夫なんですか?
男嫌いと聞いてるんですけど?」
「う、嫌な事訊くわね。わ、私が嫌いというか、怖いのは……そうっ!
粗野で強引で考えなしの、何でも力で解決しようとするような筋肉ダルマみたいな男よ。
セイはその、私より小さいし、らしくないから問題ないのよ」
「う、チビで男らしくなくて悪かったですね」
自分でも分かってる事だけど、改めて言われるとちょっぴり傷付くんですけど?
「そうじゃなくて、その、何というか。安心できるというか……。
――そ、そう弟っ! そんな感じだから、平気なのっ」
語気を強めて拗ねた風にそっぽを向くと、慌てて必死に取り繕うとするルナさんがおかしくて、ついふき出してしまった。
「あーっ! 酷いっ、からかったでしょう!?
困らせてやる。いつか絶対困らせてやる」
ボクは、ポカポカと叩いてくる彼女にされるがままにしていたけど、ある程度でその手を取ると、クルリと回して横に抱き上げた。
「ふえぇっ!?」
突然ボクが横に抱き上げ――お姫様抱っこをしたせいで、テンパって声を上げるルナさん。
「さて、時間もないんでしょう?
じゃ、急いで走りますんで、行き先案内して下さいね」
「あ、あぅ……。
こ、これは恥ずかし過ぎるから、せめておんぶにしてよ」
相変わらずポカポカ叩いてくるけど、全く力の入っていないソレに苦笑しつつ、そっと彼女を降ろし、今度は背を向けてしゃがみこんだ。
「じゃあ背中を……し、失礼するわね……。
――行き先はこの山の頂上付近よ。道は一本道だし、私があなたを強化するから一時間もあれば行けるはず。
それに私は運動が苦手だから、その最後まで……お、お願い……」
「強化ってのがどういうのかわかりませんが、お願いしまふめっ!?」
「……むぅ。なんか言葉遣いが馬鹿丁寧で気に食わない……。
――うんよし、罰決めた。これから他人行儀禁止だからねっ! 『さん』付けも禁止よ。必ず呼び捨てにする事っ!」
「ふぉっふおっ!?」
ボクの言葉を遮るように頬をムニッっと引っ張ってくる彼女に、ボクは抗議の声を上げる。
なんか急にこっちに素直になったと思ったら、拗ねたユイカがボクに対して取ってくる行動に、なんか似ているんだけどっ!?
まあでも、「ほっぺた柔らかーい」と言いながらクスクス笑ってるルナさん、もといルナを見て、少しは気が紛れて元気が出てきたのかなと思う。
裏山の登山口に足を進める。
切り立った塔のような岩山だけど、螺旋階段のようにきちんと道が作ってあり、頂上までの道程は確保してあるとルナは語る。
足に風の精霊を纏わせ、高速移動とルートの短縮、そして走行の振動や着地の衝撃を打ち消しつつ、ボクは走り続ける。
さっきから、妙に体に力が満ち溢れている。
精霊一柱背負っているのにも関わらず、全く苦にならないどころか、むしろ身体が軽い。
これがルナの月の精霊としての力なのかな?
他者の力の強化。
一緒にボク達の旅に同行してくれるなら、これ程心強いものはないけど、ルナにとってそれはどうなんだろう?
今回精霊女王様達の指示で、この住み慣れた土地を離れないといけなくなった。
あの後、先に姉であるソルさんを探し出してここに連れてこようと考えたこともあったけど、いつ見つけられるか分からない。
あまり時間をかけると、今度はルナの身に危険が及ぶ可能性があるだけに、やっぱり連れて行くしか選択肢がない。
嫌がる彼女を無理やり?
そんな事は出来ない。したくない。
天が引っくり返ったとしても、そんな事態はあり得ない。
どうにか説得を続けて、納得して貰うまで腰をすえよう。
敵襲があれば、ボクが守ろう。
たとえ、イベントに間に合わなくなったとしても。
みんなに謝る事になったとしても。
ボクの仲間達なら、事情を話せば納得してくれるかも知れない。
いや、彼女を置いて来たら、むしろ怒ってくる筈だ。
「……ねぇ、セイ?」
足早に道を急ぎながらも、そんな事をとりとめもなく考えていると、ルナが耳元で囁くように声をかけてきた。
「今日会ったばかりの私に、ここまでしてくれるのは何故なの?」
その言葉に、思わずボクの足が止まった。
ボクは。
精霊女王様に言われたから?
彼女の力が欲しいから?
違う。
「ほっとけないから」
「……えっ?」
考えていた答えと違ったのだろうか?
戸惑いの声を上げたルナ。
「寂しそうにしてるルナがほっとけなかったから」
「べ、別に寂しくなんかっ! ……ないもの」
そんな彼女の言葉と裏腹に、ボクの肩に掴まるその手に力が入る。
「後は性分だよ。気にしないで」
「……むぅ。なんかズルい回答してる」
ズルくて結構です。
真面目に答えるのは、めちゃくちゃ恥ずかしいんだって。
「姉様の……」
うん?
「姉様の御子になるのを受け入れた時はどうだったの?」
「さて、どうだったかな?」
「うぅ、またそうやって誤魔化そうとする。
じゃあ、いつ出会って、いつ決めたかどうかだけでも教えてよ」
「エフィと?」
「そう。姉様は『エフィ』と名前を呼んで貰えたって、嬉しそうに話されていたけど、出会いについては教えて貰えなかったの」
エフィって、いつルナに会いに行ってたんだろ?
「ボクが勝手に話すのもなぁ」
「それくらい教えてよ」
「じゃ、簡単に。
エフィと会ったのは、この世界に降り立つ前にいた空間でだよ。その後、すぐに会いに来てくれたっけ」
「えっ、狭間の空間から?
……そっか。姉様はそうやって見付けたんだ」
狭間の空間って、チュートリアルの空間だよね。
「前から疑問だったんだけど、その空間に人が殺到したりするでしょ?
どうやって対応してたの?」
一気に人が初ログインしたら、対応しきれないと思うんだけど?
「そっか、セイは知らなかったんだね。
私達『真名』のある精霊は『分体』という技が使えるの。
あらかじめ設定しておいた能力と思考を忠実にこなしてくれる人形みたいなモノで、危険な場所に派遣したり、いざという時に本体と入れ替えてデコイに使ったりと色々使えるわ。
当然、押し寄せてきた別世界の旅人の対応も可能よ」
なるほどなぁ。
それ、かなり便利な能力だね。
しかし、真名のある精霊か。
ということは、ハクもテンライも使えるのかな?
今度聞いてみよう。
そういえば、ティアが本体で行っちゃったと、エフィが焦ったのがあの坑道事件の始まりだったかな。
「姉様はね、分体をあることだけに使ってたの」
「あること?」
「世界から、たった一人を見付ける為だけに」
それって……もしかしなくとも、ボクの事か。
「それがこの世界の住人じゃなく、別世界の住人だったのはビックリしたけどね。
……でも、色々納得して……ちょっと羨ましいかな」
不意にボクの首に背後から腕を回し、ぎゅっと強く抱き着いてくるルナ。
「姉様をよろしくお願いします」
そんな彼女から温かさと信頼を感じながら、ボクは再び山道を駆け上がり始めたのだった。




