179話 分かっていた事
──遅ればせながら。更新再開です。
──高辻結依──
「──ここです。どうぞお入り下さい」
いくつかの昇降機と六角の形をした障壁扉を超えた先、ようやく目当ての会議室に到着した。
気にせず我先にと入っていくお兄ちゃんを尻目に、そっと入口から部屋の様子を窺って見れば、そこにはたった一人、暇そうに頬杖を付きながら端末を弄っている見知った女性が席についていた。
「げっ」
「……あら?」
お互いを認識し、呻き声と楽しそうな声を上げる姉弟。
「やっほー双子ちゃん。それとついでに海人も」
端末をポケットに仕舞い、こちらに向かってにこやかに手を振る美空さん。
「俺はついでかい!」
「あ、そうでした。運転手さん、お二人の送迎ご苦労様でした。お帰りはあ・ち・ら♪」
「なんでだよ! 俺も話を聞きに来たに決まってるだろ! てかなんで姉貴がここにいる!?」
「勤務先の病院から飛んで来たに決まってるでしょ。今日は非番だったし。それにあたしは理玖ちゃん専属の看護師でもろ関係者だし。もうこの愚弟は……ほんとお馬鹿さん♪」
「うがぁっ!」
あ、相変わらずだなぁ。この二人。
しかし美空さんって海人さんと顔を合わす度にからかって弄ってるんだけど、本当のところはと言うと、意外と姉弟仲は悪くなかったりする。
こう見えてお互いの限度はわきまえているし、海人さん自身も美空さん相手に苦手意識は持っているものの、困った場合は素直に相談を持ち込んでいるらしいし。
しかも……もしりっ君に何らかのトラブルが起こった場合、今までのいがみ合いが嘘のように驚くほど息の合った連携をするんだよね。
あたし達にとっては単にじゃれ合ってるだけと分かってはいるものの、よく間に挟まれてしまう当事者のりっ君にとっては頭の痛い問題であるのよねぇ。
「ほらほら、結依ちゃん。こっちおいで」
「美空さん?」
「えい♪」
わっ?
手を引かれたせいで、美空さんに向かって倒れ込んだあたし。器用にあたしの体の向きを入れ替えさせると、そのまま自分の足の間に座らせた。
あー、うん。
ちょうど背後から抱き締められているような形になっちゃった。これはちょっと……。
「美空さーん。あの……これはちょっと。あまり子供扱いしないで欲しいんですけど?」
「えー? そう?」
頭を撫でてくる美空さんに抗議の声を上げるが、どこ吹く風だ。
「ほんとは義理の妹よりも、むしろ私の娘になって欲しいくらいだしね」
「あははは……」
それはちょっと……。
──いや、りっ君の事を『私の嫁』と豪語する美空さんだから、むしろこの思考はありなの?
「──ねぇねぇ、結依ちゃん。向こうにいる時みたいに狐耳とか尻尾を出さないの?」
「ええっと……あの? あたしを愛玩動物か何かと勘違いしてません?」
確かに出そうと思えば出せるようになったけどさ。
でも……何で知ってるの?
そんな意味を視線に込めて、ジト目になりつつ振り返ったあたしに、美空さんは相も変わらずただ微笑むだけで。
「うふふ。さあ、どうかしらねぇ」
ぽむぽむとあたしの頭を更に撫でつつ、頬擦りを始めてくる。
あ、駄目だなこれ。
多分訊いても正直に答えてくれないヤツだ。
それにこうなった美空さんって、気が済むまで絶対解放してくれないんだよねぇ。
一息吐き、改めて部屋の内装に視線を走らせる。
今まで歩いてきた近未来風の無機質な廊下とは違い、赤い絨毯が敷き詰められた少し温かみがある応接間風の会議室。
部屋の大きさは十人も入れば、一杯になるだろうか? 壁に設置されたプレゼン用のモニターには、スクリーンセーバーとしての機能なのか、この『方舟』の図面が映し出されては消えていく。
あたし達を案内した清美さんはここにはいない。
すぐに踵を返し部屋を出て行った。恐らく紬姫さんと郡司さんを呼びに行ったのだと思う。
そして、木目調の大きな会議机を挟んであたしと美空さんの向かいに座ったお兄ちゃんと海人さん。二人はどうやらエストラルドでのりっ君の様子とこれからの方針を確認し合っているようだ。
その様子や部屋の外の音の変化をここ最近感度の良くなった聴覚で確認しつつ、あたしは美空さんのされるがままに撫でられ続ける。
「……ねぇ、結依ちゃん」
「なんです?」
囁くように呟く美空さんに、問い返す。
「これからも理玖ちゃんを支えてくれるかな?」
「当たり前じゃないですか」
離れろって言われても、絶対離れてやるもんか。
「りっ君は歴代の『御陵』を遥かに凌駕した力の持ち主ですし、こうと決めたら押し通そうとするくらい意志が強いですから、絶対に大丈夫です。あんな奴らにやられたりしません。
それにあたし達も傍にいます。迷ったら支えたらいいだけですし、だからあの程度の困難くらい簡単にはねのけられると思います」
「……そうね。私だって、あの子がそう簡単に御陵の本当の血と星と共に歩む運命に潰されると思わないもの。きっと今代で終わるわ」
……星の?
その台詞に振り返れば……違和感。
「美空……さん?」
──あっ!
瞳の色が!?
「美空さん、目の色……」
「……ん? なぁに? 目がどうしたの?」
そう答えて、こちらに微笑みかける美空さん。
その目の色は昔からの鳶色のまま……あれ?
あれれ?
見間違い?
さっきは金色っぽい色に変わっていた筈なんだけど……?
「──それよりも、ね。
……ねぇ、結依ちゃん。急に随分強くなったわね。あの世界樹『樹皇の間』の動画見て、お姉ちゃんビックリしたのよ」
「そりゃあ、その……。
いつまでも弱いままで、無力を嘆いてたって始まりませんから」
それに夢の中とはいえど、あれだけ濃密な前世の追体験を何度もさせられているし。
──前世。
思い出してもロクなもんじゃない。
もし思い出さないでいられるなら、思い出したくない記憶の方が多い。
でも大事な人や場所を守れる力が欲しいなら、早く思い出した方がいい。
とはいえ。
かつての戦友達にその事を言えずにいる事に。
あるいは記憶を甦らせる手助けを、いずれは行わなければいけない事に。
やはり少し胸が痛む。
やはり話し合いの場を持たなきゃいけない。
出来たらこの場で宣言したいくらいだ。
でも切っ掛けやタイミングが分からない。ほんと悩みの種だ。
「迷ったり疲れた時、もし言いにくい事があったりしたら、私にいつでも相談してね。手助けするわよ」
どうしたらいいものかとウンウン唸っていたら、そんな気遣いをされてしまう。
「うん。その時はよろしくお願いします」
「──ったく。その気遣いを実の弟にも分けてくれませんかね? お姉様?」
そんなやり取りを美空さんとしていたら、いつの間にやらお兄ちゃんと話を終えたらしい海人さんがこちらを見てぶつくさ言い出した。
「結構高いわよ?」
「値打ちつけるな!」
「当たり前じゃない。ひとの大事な妹夫婦の娘に粉かけまくって奪い取った癖に」
……はい?
妹夫婦の娘?
「誰がだよ!」
「誰って、そりゃあ……?」
急に首を傾げる。
「──誰の事だったかしら?」
「一体誰だよ、それは。ボケたか?」
「あはは。誰の事だっていいでしょ。そもそも理玖ちゃんは私と結依ちゃん達の大切な子なの。杠葉と清美は手遅れの傷物にされちゃったけど、他の子は絶対死守。アンタにこれ以上は絶対上げないからね」
がるるっと唸り声を上げながら、警戒心をにじみ出す美空さん。
けど、あたしを抱きしめているのを忘れてしまったのか、やたらと締め付けてきて、く、首が!
かなり息苦しいんですけど!?
「おいこら。人を何だと思ってやがる?」
「性獣」
「違う! しかも即答すんな!」
「ちょ、美空さん。その、絞め……首、苦しっ」
「……あら。ごめんね。ついうっかり」
必死にタップしたおかげで気付いてもらえたあたしは、その緩んだ腕から抜け出して、隣の椅子に座り直し、一息つく。
「樹君。このお馬鹿な姉貴を早く何とかしてくれ」
「……すみません。俺には難易度高すぎます」
「二人とも失礼ね。ねぇ、そう思わない?」
「ノーコメントです」
何と答えろというのよ。
溜め息を吐きかけたその瞬間、力に目覚めて敏感になった耳が遠くから駆けてくる複数の足音を拾う。
その足音は三人分。
弾かれるように顔を入口の方へと向けたあたしの様子に怪訝な顔をした皆は、ぱたぱたと近付いてくる足音にようやく気付いたのか、全員揃って扉の方を振り向く。
その扉がバタンと大きく開かれ……。
「結依ちゃん!」
息せき切って部屋に飛び込んできたのは美琴ちゃん。
美空さんに抱きしめられて椅子に座っているあたしを見つけると、そのままの勢いで飛びつくように抱き着いてきた。
「美琴ちゃん!?」
「あら?」
「一人で思いつめちゃ駄目だよ! 後を追って死ぬとか考えちゃ絶対ダメだよ! みんなで知恵を出し合って支えていこって言ってた結依ちゃんが何してるの!」
「……え、え?」
ちょっと……? いきなり何言ってるの?
何か勘違いしてない!?
「理玖くんは絶対大丈夫。ここにいるみんなが理玖くんの力になりたくて動いているんだよ。わたし達だけじゃない。エストラルドの精霊さん達も、みんなみんな理玖くんが大好きで……。紬姫様にとっても、理玖くんは自分の後継者である前に大事な息子なんだから。訳の分からない運命から助けたいって気持ちがあるくらい分かるよね?」
「……うん」
それは分かる。
「だからね、きっと大丈夫。理玖くんを助け支える為に、一緒に頑張ろうよ」
「そうね。美琴ちゃんの言う通りだわ。お姉ちゃんも協力するわよ」
「もちろん私達も、ね。美琴ちゃんの言う通り、結依ちゃん一人で思いつめる事ないわよ。それを忘れちゃ駄目」
美空さんの台詞に続き、弥生先輩も部屋に入って来るなり会話に混じってくる。
「そうそう。でも弥生。格好良く入ったけど、ドアの陰で出待ちしていたのはどうかなぁ~って、痛い痛い痛いぃ!」
「あ・ん・たは~! いっつも一言多いっ!」
「……お前ら、何やってるんだよ」
「あはは……やっぱり締まらないなぁ。昔と一緒」
「結依……ちゃん?」
加藤先輩が茶化して三山木先輩がアイアンクローをかますという、いつも見てきたお馴染みの風景。呆れた表情でお兄ちゃんが突っ込むのを見て、乾いた笑みが出る。
この先輩コンビ、すぐシリアスな空気をあっさりと壊すんだから。
ほんと締まらないし、些細な事で喧嘩するほど仲が良いのも、皆のムードメーカーなのも。
全くもってこの二人、昔と変わらず一緒だよ。
「──大丈夫。あたしはもう迷わないよ」
でも……。
ちょっと勘違いされたとはいえ、ここまであたしの事を心配してくれた今世の戦友に。
「うん。これからもよろしくお願いします」
あたしは小さく頭を下げたのだった。