175話 御陵と星紋(4)
なかなか時間が取れず、遅くなりましてすいません。
──高辻樹──
……すぐに自分の体勢に気付き、慌てて手を引っ込めた。頭が混乱したままだが、それでも何とか回して考える。
というか、これ……選択肢があると言いながら選ばせようとしているが、実質的には選択肢がないんじゃないか?
理玖の身体に起きた変化と、男の身でありながら浮かび上がった星紋の謎。
俺達の異能に、これからの異世界の行く末。
今俺達が陥っている状況。
これを師匠は読んでいたというのか?
精霊という存在を完全に認識している師匠がこれから語ろうとしている情報は、今の俺達にとって喉から手が出るほど欲している情報である事に間違いなさそうだ。
呼吸を整え、ゆっくりと椅子に座り直す。
そう。
もちろん俺は『聞く』を選ぶ。
知識とは力だ。
正しい情報により正確な判断が出来なければ、あらゆる事変に対抗する為の最適解を導き出せる確率が大きく減少してしまう。
俺はあの事件以来そう考え、事を起こす前には必ず情報を集め、出来る限り最適解を導き出せるように努力してきた。
感性や直感でその場で容易く最適解を導き出し、解決に必要な人材と絆を構築していく天才型の親友とは違う。
そういう部分ではどこまでいってもアイツに勝てない。
もちろんこれは勝負じゃないんだ。アイツに対抗する必要なんてないし、勝つ必要もない。
俺はアイツを支えられるように。
隣に立てるように。
知識と精神、身体を鍛えてきたんだ。
「──ゼロ、だ。聞くのだな?」
画面の中の師匠が、俺が。
同時にニヤリと笑う。
「「そうすると思っていた」」
言葉がハモる。
師匠が俺を理解しているように、俺も師匠を理解している。
言いそうな事くらい分かるというものだ。
「……まあ神の祝福を受けると言ったが、実際の所、何がトリガーとなっているかは知らん。これから話す内容にそれが含まれていない事を祈る。録なモンじゃないからな」
聞く体勢へと佇まいを直した俺に、師匠はそう続ける。
「ではよく聞け。まずは……この世に『神』と『女神』は存在する。
そしてお前の姉、杠葉がテストプレイヤーとして接続していたASというゲームは作られた仮想世界などではなく、エストラルドという名の、此処とは異なる次元にある惑星へと繋がる扉だった。
ここまでは良いな?」
「はい」
そのどちらも知っている。
エストラルドが剣と魔法が存在する異世界である事も、神の名がティスカトールである事も。
だが、女神とはなんだ?
「この地球のある時空域に派遣されてきた神の一人である創造神は、己の権能ごとに七柱の女神を創り出した。
だがまだ精神的に幼く、精神に引き摺られて女神の力が暴走しないよう神域に彼女達の神核を設置し、ありとあらゆる封印と制限を行った。その結果生まれたのが、女神の力をダウングレードさせた幼体というべき『始祖精霊』と呼ばれる存在だ」
始祖精霊が女神の幼体!?
エストラルドで見た始祖精霊と呼ばれた二柱の顔を思い出す。
「俺が見た事のある始祖精霊は全部で五柱。だが見た事のない残る二柱が問題でな。どう話せばいいモノやら……」
唸る師匠。
というか五柱も見たのか?
他の始祖精霊はどこにいるんだ?
「……そうだな。ちっとばかし昔話になるんだが。
俺がまだ大学生の時、仲間内でスキー旅行を計画してな。向かっている最中にバスが事故った。異能を使う間もなく、俺達十人はあっさりと死んだんだが……気付いたら目の前に神と名乗る男と三柱の女がいた」
神と精霊に会ったのか。
「そして全員を生き返らせる為に因果律を操作するとかで、別の世界で暫く暮らせと転送された。それがエストラルドだったのさ。
目を開けたら馬鹿でかい湖の上にでっかい木が立っててな。度肝を抜かれて全員その場で立ち尽くした事を今でも覚えている。アホ面晒していた玄十郎の野郎を笑ったら、つい殴り合いの喧嘩になった事もな」
懐かしそうに目を細める師匠。
「プレシニア王国にあるファルナダルムの里。それが俺達が最初に辿り着いた場所だ。世界樹の分体の一つがある場所といってもいいだろう。
そこでネライダという名のエルフと出会った。どうやら精霊からのお告げがあったらしくてな。不審がられる事もなく、あっさりと中に入れてくれただけでなく歓迎までしてくれた。
その後の経緯は色々あったから端折るが……。
精霊と敵対している邪霊の軍団と国を挙げての戦争になり、軍を率いて最前線で戦う羽目になった。ま、何とか勝てたがな」
師匠はさらりと言うが、相当大変だったに違いない。
しかも国軍を率いて、邪霊軍と戦うとか……。
それどう見ても勇者様とか呼ばれる奴で、よくあるラノベとかの主人公ポジだな。
もし師匠が生きて目の前にいたら、思わず「テンプレ乙」とか言ってしまっていたかも知れん。
多分思いっきりどつかれるだろうが。
「まあそれは何とかなったからいいんだ。ここからが本題だな。
いざ帰るとなった時に、神から聞かされた言葉がある。それが問題でな。奴はこう言った。『これで全ての準備は整った。近いうち……お前達の孫の世代で二つの世界を繋ぐ扉は開かれ、過去より蒔いてきた種が全て花開き結実する』とな」
「やはりそうか……」
映像の中の師匠の言葉に相槌を打つ。
それは現在進行形で実体験しているからな。
ただ過去より蒔いてきた種というのが気になる。
「まあこれを見ている時点で、あのゲーム機を使って世界間移動は実体験しているとは思うが。
とはいえ、知らん事もあるだろう。だから奴が言う種とやらの内容をいくつか説明しておいてやる。全てを把握している訳ではないが、俺達が一番関わっている内容を話しておこう。
まず一つ目が……俺達十二家が代々守ってきた血筋である『御陵の当主』はな、肉体を失った神の身体を育成していると聞かされた事だ」
「なっ!?」
「神の身体だと言われても、神はそれ以上の事は何も教えては貰えなかった。そもそも俺の孫が神の器になったとして、孫の意識は、魂はどうなるんだと思ってな。
産まれたその瞬間からなのか、どんな名の女神の魂と意志が入っているのか、それとも覚醒と同時に人の意識が乗っ取られてしまうのか。
しつこく問い詰めても答えてはくれなんだ。あくまで自らの目で見ろと言いたげだったが、な」
喋っていて当時の感情が甦ったのか、苛立ちを押さえようと大きく息を吐く。
俺はというと……。
「マジかよ……」
そう呟くのがやっとで、完全に絶句してしまっていた。
そんな俺を放置し、録画は無情にも再生されていく。
「そうして紬姫が生まれ、星痣に選ばれて当主となり。紬姫が産んだ第一子、美空の異能や状態を、俺は注意深く観察していた。
だがいつまで経っても美空には星痣が現れず、しまいには紬姫の異能によって、次期当主が理玖になると判明した時は、男が女神の母体とか何の冗談かと思ったもんだ。もしかしたら、女神ではなく、男神なのかと考えた事もある。
そうした中あの事件が発生、しかもあの変わりようだ。本当に訳が分からない事だらけだった。
あの事件により本当の理玖は死に、魂が抜けたその身体に別の……女神か男神か解らんが、神の魂が入って理玖の振りをしていると考えてしまうくらいには絶望したな。
必死に色々調べはしたが、身体が理玖のモノであるし、生体パターンも以前と変わらず。後は記憶しか判断材料はなく、しかも記憶喪失にまでなられてはどうしようもない」
そうか。あの時の師匠の落ち込みと憔悴の原因はこれだったのか。
自分の孫の中身が別の人物に成り代わっているかもしれないと考えてしまうような事態になれば、誰だってそうなるだろう。
「だがそれに関しては、彼女が理玖のままである事を教えてくれた。
ただ厄介な事に、魂が四分の一ほど抉られて奪われてしまったせいで、少々面倒な事になっていたのだ」
「えっ?」
た、魂が抉られ!?
それ大丈夫なのか!?
「普通ならタダでは済まない。だが理玖は御陵の、それも神宿る魂だけあって特別な魂であるようだし、元々砕け散りかけた魂を星の始祖精霊が力を注いで保護を与えていたそうだしな。
今更その程度欠けた程度では、生命維持の点に限っていえば問題ないんだとよ」
「……は?」
特別な魂? なんだそれ?
言っている意味が分からんぞ。
続く師匠の話をまとめていけば、理玖の魂は元々エストラルドの星の始祖精霊の夫であり、初代星神御子だそうだ。
で、仲間だと思っていた奴に刺され大きく傷付き砕けた魂を、星を冠する始祖精霊が取り込み保護しているとか言うんだが……。
師匠が語る理玖の前世と、クラティスさんが語った理玖の前世とが全く異なるのはどうしてだろうか?
同じ星神御子でも、それがステファニー=サイジアだとしたなら結末が違うし、色々と辻褄が合わなくなってくる。クラティスさんの話の中では、星の始祖精霊の名など出て来なかったからだ。
登場人物の繫がりが分からず、だんだんと頭がこんがらがってくる。
「でだ。そんな理玖の魂をまた引き裂き砕いた実行犯の名は、俺達がエストラルドで戦った悪鬼ユーネ=サイジア。一部は間に合わず奪われたが残りを補修し魂を護り日常生活を送れるだけの力を再度補完したのは、杠葉の異能と彼女の中にいたエレメンティア、太古より理玖の魂を護り続けている『精霊の母』と呼ぶべき星の始祖精霊だ。
そのおかげで理玖の魂は眠りに付くことなく事なきを得たが、その反動で杠葉とエレメンティアの魂の力が削られて逆に眠りに付く事になったのが事の真相だ」
「そ、そう……なのか?」
理玖の前世の話はともかくとして、姉さんとエレメンティアが眠りに付いた事情はそれか。
確かに理玖の話しぶりだと、エストラルドで契約した当初の精霊王女エレメンティアは、かなり衰弱していて本来の力を出せなかったらしい。そして理玖の力の一つである依り代の中で眠りに付いた後、その力を取り戻し始めている。
理玖の魂の中に全ての精霊の母である星の始祖精霊の力が混ざっているとなると、失われたエレメンティアの力を蘇らせる能力を持っていても不思議ではないのか?
だが、何故師匠は見てもいないのにそこまで知っているんだ?
「……俺がここまでなぜ知っているのかと疑うお前の気持ちも分かる。何故だと言われれば……そうだな。
とある女神とエストラルドで顔見知りだったエレメンティアが俺の夢枕に立って、真相を説明してきたとでも言っておこうか」
ニヤリと笑う師匠。
「神やそれを模した人の魂の構成を大雑把に伝えると『一霊四魂』という。理玖が欠けたのは『荒御魂』の一部だ。これは『勇猛さ』や『義侠心』、そして『荒々しい側面』を司る。今の理玖からはあまり感じないものだろう?」
確かにそう見ればそうだが……。確かに荒々しさについては全くないが、俺といる時とかそうでもないぞ?
何だか腑に落ちない部分もあるな。
「杠葉とエレメンティアを完全に目覚めさせる事が出来れば、真相は全て分かるぞ。鍵はエストラルドと過去にある。まずは全ての鍵である、エレメンティアとユズハを起こせ。そして彼女達に訊け。ここまでは良いな?」
いや、良いなと言われても……。
すいません師匠。
この世界が思いの外ファンタジー過ぎて、既に理解がいっぱいいっぱいです。
俺一人で受け止めるには大き過ぎる事案だし、俺だけで出来る事などたかが知れているからな。
やはりここは結衣と美琴も巻き込んでおこうか?
後は……やけにアイツに入れ込んでいる弥生先輩にも助けを求めようか。
そうだな。理玖を助ける為だと言えば、この三人は間違いなく首を突っ込んでくるだろう。
留美先輩だけでなく、アーサーさん達の力も借りれば何とかなる筈だ。
「──エストラルドとの行き来だが、俺達の時とは違ってASのシステムを使って簡単に向こうに行けるように神が設定している。ただ楽に行けるようになったのはいいが、余計な邪魔者まで向こうに行っちまうのはかなりのマイナス点だな。
それもこれも三紀彦の奴が完全五感対応システムとかいう訳の分からん設備を造りやがったせいなんだが……」
「……ちょっと聖さん。僕のせいにしないで下さいよ」
「やかましいわ、このSFオタクが!
お前がただのVRにお遊び感覚でフルダイブ機能を付けたせいで、どう考えても神のアホンダラに利用されて悪化してるだろうが!」
「確かにそうですが! でもそのおかげで、世界間移動における命の危険や、向こうの世界での魂の損傷がかなり軽減されたと聞いていますよ!
しかもこれは人類が更なる発展を遂げ、異世界という未開の地を開拓するのに必要不可欠な技術なんです!」
「だいたいな、お前が自力で向こうに転移できるシステムを開発しようとしたせいで……」
こっちを放置して、なにやら場外で言い争いを始める師匠と三紀彦さん。
てか、関係ない話をするくらいなら編集くらいしろよ。
いや、どうせ師匠の事だ。
撮り直しを面倒くさがった上、面白半分にそのままアップさせたに違いない。
師匠は結構ずぼらな所があったからなぁ。
しかし重要な情報がこうも気軽にポンポンと飛び交ってやがる。
「──っと、馬鹿な話してたら時間なくなりそうだ。ちょいと駆け足で話すぞ。
今までの流れで分かったとは思うが、この方舟と名付けられた巨大研究施設は三紀彦が神から与えられた知識と異能で造り上げたモンだ。
詳しい理屈は俺の頭にゃ理解出来んから、知りたけりゃコイツの所に訊きに行け。生きてたらだけどな」
「ちょっと。勝手に殺さないで下さいよ。例えどんな形状になっても、僕は生き延びる予定なんですから」
撮影役の三紀彦さんがぶちぶち文句を言うのを見て、師匠はくつくつと笑う。
「という訳でだ。今から名前を上げる奴がくたばってなければ、コイツ以外でも教えて貰えるぞ。現時点で三紀彦以外に生きている奴は……」
神城悠馬。
神城優樹菜。
光凰院春花。
院瀬見楓。
院瀬見竜也。
巫亜里沙。
椿玄十郎。
七つの名を上げる。
このうち俺が知っている範囲で今も存命なのは、神城優樹菜さんと光凰院春花さん、院瀬見楓さんだな。
そうそう、椿玄十郎さんもか。
エストラルドで出会ったアーサーさんの師匠である椿玄斎さんの正体が、椿家の前当主であるとアーサーさんから聞いた。
さて、俺にとって話をしやすい相手は誰になるのだろう?
春花さんか? それとも椿の爺さんか?
しかし美琴の祖父と祖母も、師匠達の仲間だったとは。
今になって思えば、美琴の奴はあの世界についてやけに詳しかったように思う。
やはりここは単に巻き込むだけでなく、きちんと意見をすり合わせて確認を取るべきだろうな。
今後の方針をまとめつつも、師匠の言葉に黙って耳を傾け続ける。
「……おっと忘れるところだった。御陵の女が当主に選ばれるのと同時に現出する星の巫女たる証である『星痣』についてだ。
これはその世代において、星の始祖精霊ステルラの母体に最も適した女に現れる証だそうだ。星の始祖精霊って奴はな、全ての生命の母であり、精霊達の源泉でもある。
ただ、な。適した、というのがポイントだ。その力の扱いに中途半端な実力の持ち主であればあるほど、己の中の生命エネルギーをコントロール出来ず、マナを垂れ流してしまって補充が追い付かず命を削っていく。その結果、短命で死ぬんだよ。
咲姫の奴も稀代の天才と呼ばれるほどマナのコントロールが上手い奴だったが、当時の御子に抜擢され戦ったせいで……力に目覚めてからたった三十年で死んだ。エストラルドでの時間と合わせても、それだけしか生きられなかったしな。
……まあアイツの場合はエストラルドで俺達を護る為に文字通り命を賭け、寿命を削り続けた結果なんだが……な。
ただ、後になってな。娘の紬姫とあの夫が偶然抜け道みたいな方法がある事を発見し対処が出来る事が分かったんだよ。
一言で言えば、垂れ流して出ていくマナと自身の身体に取り込むマナを上回る事が出来たら問題ないらしい。方法は郡司と紬姫に教えて貰え。以上だ」
最後駆け足で一気に喋った事により思いの外疲れたのか、師匠は大きく息を吐いて起こしたベッドの背もたれにもたれかかる。
これで終わりかな?
色々と厄介な話を聞かされた気がするが、本当に神の祝福とやらが俺に降りかかっているのだろうか?
そんな事を考えていたら、今思い出したかのように師匠はポンと手を鳴らした。
「──ああ、そうだ。あと一つ言い忘れていた。
実は……俺には咲姫の他にも、もう三人ばかし妻がいてな。一人は巫女としての立場を抜けられず泣く泣く向こうに残ったが、残る二人は神の野郎に直談判した挙げ句、こっちに押しかけてきたんだわ。
んで、そいつらとは娘が一人ずつ出来てな。その娘達は石蕗と三山木の当主野郎にそれぞれ嫁ぐ事になった」
「……え?」
いきなり告白した師匠のとんでも発言に、俺は固まる。
「ここまで言ったら、お前ならそいつらが誰かは分かるな?
という訳で、そっちの孫とも上手くやってくれよな。じゃあな樹。達者で暮らせよ」
その台詞を満面の笑みで言い放った瞬間に画面がブラックアウトし、やがて案内地図が表示された画面へと復帰する。
俺は固まったまま、師匠が言った意味をしばし考え……。
「はぁっ!? 石蕗と三山木だとぉ!?」
よりにもよって、あの二人かよ!?
静かに走り続けるトラムの中に、俺の叫び声がむなしく響いたのだった。