173話 御陵と星紋(2)
──高辻樹──
御陵総合病院に到着した俺達はインフォメーションセンターで御陵院長の所在を聞き出すと、彼のスケジュールに空きがある事を確認する。
普段は家に帰れないほど多忙にしている郡司さんの予定が午後からまるまる空いていた事、また家族と関係者とはいえあっさりと居場所を教えてもらえた事の不自然さに、この時点で気付くべきだったが、今の俺達はそんな余裕もなく、急ぎ特殊治療病棟を目指す。
そして構内にある連絡橋を渡って目的の病棟へと到着した俺達は、正面玄関……からは入らず、海人さんに連れられて裏手に回る。そこにあった職員専用の入口にある端末を操作して開き……。
「──お待ちしておりました」
「清美さん!?」
扉の奥には、学園で別れたばかりの清美さんが佇んでおり、驚く俺達に向かって腰を折った。
「清美。母さん付きのお前が何故ここにいる?」
「貴方が正規の入口以外から入ろうとする事くらい、紬姫様はお見通しです」
「な、なにっ? 何でお袋がそこで……」
「樹様、結衣様も。私について来て下さいませ」
海人さんの問いかけに答えず、ただそう言って踵を返し奥へと歩み出す。
「お、おい! ちゃんと答えろ!」
「──このエリアは色々と特殊であり、対応するセキュリティーカードが必要です。そして私がここで貴方がたが来るのを待っていた。それが答えになります」
海人さんの乱暴な呼び掛けに足を止めた彼女は肩越しに振り返り一瞥すると、そう説明する。
そして返答を待たず、再び前を向いて歩き出した。
「……ちっ。俺のパスカードじゃ入れないエリアがまだあったのか」
これ以上余計な詮索せずに黙ってついて来なさいと言わんばかりのその態度に、海人さんは軽く舌打ちをするが、俺達を促して彼女の後を素直に追う事となった。
──特別治療病棟。
表向きは難病指定や隔離が必要な伝染病、そして通常の治療が困難な怪我を負った患者を収容する病棟となっている。
だが、その実態は違う。基本的に一般人相手には使用されていない。
何故なら御陵と十二家及びその関係者のみが使用可能だからだ。聞けば、俺達は大っぴらに傷を負う事が多々あり、その場合の入院、または特殊な検査を受ける際に使われるそうだ。
もちろん杠葉姉さんが入院しているのもこの病棟であり、更にその奥には俺達の特殊な力を科学的に研究し開発する施設まである……らしい。
まあ今さっき海人さんが教えてくれた事なんだがな。
確かに俺も結衣もこの病棟にはお世話になった事がある。
こんこんと眠り続ける杠葉姉さんの病室へとお見舞いとして入った事もある。
ただ必ず入口の受付で発行される当日限りの通行パスがなければ、最初のエントランス以外に行けなかったという事だけは分かっていた。
つまりこの病棟は機密の塊であり、入場者の地位や目的に合わせて入れるエリアを制限しているのだろう。
道すがら隣を歩く海人さんに疑問点を色々と質問してきたが、次第に話題も無くなって口数が減っていき……。
──ただただ、リノリウムの床が奏でる俺達の足音だけが辺りに響く。
流石というか、当たり前というか。
紬姫さん御付きの清美さんが持っているセキュリティーカードは、やはり最上級の権限が付いているようだ。
いくつかのセキュリティーゲートを潜り抜けた先にあったエレベーターの端末にカードを差し込むと、液晶タッチパネルに表示されていた階層データが一瞬で切り替わった。
「ここから地階にある研究施設へと向かいます」
「地下三階以降もあるだと!?」
追加された表示に、海人さんが目を剥く。
「ええ、ただし三階以降は独立していて、このエレベーターでは行けません。
──ああ、そう言えば。貴方はこれでも二階までしか行けませんでしたね。今後は全て入れるように、私から更新申請を出しておきます」
「はいはい、それはありがたい事で。ほんと清美先輩はお優しいですね」
「こんな事でなに意地張ってるのですか。貴方は」
そっぽを向いて拗ねたように毒突いてみせる海人さんに、やれやれとばかりに溜め息をつく清美さん。
そんな清美さんだが、海人さんを見る目は優しげだった。
以前、清美さんから聞いたのだが、彼女は美空さんの幼馴染みでもあり、同級生で仲の良い友人同士でもあった。
その縁でよく御陵家に遊びに来ていたらしく、小さな頃から海人さんの遊び相手にもなっていたそうだ。
昔から姉と喧嘩が絶えない海人さんだったが、よく姉に泣かされては清美さんに庇って貰ったりと、色々とお世話をしていたそうで。
恐らく海人さんはそんな清美さんを姉のように慕っていたのだと思う。清美さんの態度からもやんちゃな弟を見守るかのような雰囲気を感じるからな。
清美さんがお世話していたのは杠葉姉さんだったが、海人さんも同時に見ていたみたいだ。そして二人が恋人同士としてくっついてからは、ますます二人のお姉さん的な存在になっていったのだろう。
そんな彼女に甘えていた子供時代とは違い、成人した今では立場が逆転している。だからこそお互いに色々とやりにくいんだろうな。
まあ事情を知らない人が傍から見れば、海人さんが一方的に清美さん相手にイキっているようにしか見えないが。
そうこうしているうちに、エレベーターは目的階へと到着した。
周囲の装いが清潔を念頭に置いた病院の風景から、無機質な研究所の佇まいへと変わる。
更に通路を進む事、数分。
駅のゲートを模した場所へと辿り着く。
傍にカウンターも設置されており、こちらでも手続きが出来るようになっていた。
「お待ちしておりました」
受付担当のスタップなのだろう。俺達に向かって頭を垂れる。
だが、彼女らが普通のスタップではない事は明白だった。
動きに無駄がなく、隙が無い。全員何らかの武術、それも対人に特化した戦闘技能を持っていると思われた。
「この先が目的地となります。この先にある小部屋には、一人ずつしか入る事が出来ませんのでご注意ください」
「一人ずつ?」
「はい。中には端末がありまして、そちらで入館の最終手続きが行われます。今からお渡しするカードを翳して下さい。なお、このカードは持ち出し厳禁です。必ずこちらに返却の程お願いします」
カウンターから取り出されたカードがパスケースに入れられ、俺達へと配られる。
透明なケースに入れられたカードには顔写真と共に俺の名前が刻印されており、ICチップも埋め込まれているようだ。
ここまで厳重に管理されているエリアにこれから入るのか。
単に話し合いに向かう海人さんに便乗しただけなのに、妙な事に巻き込まれた感が強くなってきたな。
いや御陵本家が隠している事、しいては理玖の状態の事を知らなければ、助かるものも助けられない。
傍らにいる結衣を見る。
車を降りてからずっと俺の手を握ったまま、俺の後ろをついて来ている。
こんな状態な結衣を一人っきりにさせる?
一人でやらせるのは拙いか。どうしたもんかな。
「結衣。お前はどうする?」
「……え?」
「理玖の情報を求めて先に進むか? それとも待つか?」
「……お兄は?」
「俺は行く。情報が全く足りない。まずは色々と知らなきゃいけないからな」
「そうだよね」
と、そこでようやく俺の手を握っていた事に気付いたらしい。
恥ずかしさからか頬を染めながら手を離すと、傍らに立って俺達の事を見守っていた清美さんの方へと振り向く。
「清美さん。この先に行けば、りっ君を助ける方法があるんだよね?」
「──私の権限ではその情報に触れる事が出来ませんので、お答えしかねます」
見上げる形で問う結衣に対し、清美さんは定例的な返答を行う。
「ですが……郡司様は奥方と理玖様を愛しておられます。そんな方が御陵家の呪いをそのままにしておく筈がないと愚考します。
そしてこの機密性の高い研究エリアに招待したという事は、あまり大っぴらに出来ない内容の事、そして理玖様の為に何らかの指標を伝えたいものと推測します」
「……そっか。そうだよね」
静かに目を閉じる。
「あたしも行く。今度はあたしがりっ君の助けになる番だもの」
昼間とは違い、少しばかり力の戻った瞳を俺へと向け、結衣は俺に差し出された自分のカードを受け取った。