166話 入学式に行こう
ようやく理玖君が登場です。
「あっ! お兄様お兄様! あれ、あれっ! あれは何でしょう!?
変な兜を被った人が変な形の乗り物に跨がっています!」
「あれはね。バイクといって、移動用の乗り物だよ。それと兜じゃなくて、ヘルメットというんだ。バイクというのは……機械で出来た馬かな? 速さは段違いだけど」
「あの、えと、えと……。この間教えて戴いた『じてんしゃ』という乗り物に形が似ているんですが、何が違うんでしょうか?」
「んと、主にスピードかな? あと人力と電気──雷と同じ力で自動で動いているって差もあるかな?」
「ほえー、雷ですかぁ……」
車内から窓の外を見ながらはしゃいだ声を上げるティアに、ボクは微笑ましく思いながら一つ一つ丁寧に答えていく。
今日までの間に何度か地球に来ていたティアだけど、右も左も分からない段階から街に出てもし何かあったら危ないからと、一柱での行動と街への外出を禁じていた為、ボクん家が所有する森などの敷地から出た事がなかった。
よって今日が初めての『街へのお出かけ』であり、しかも初めて目にする物だらけなので、こうなっちゃうのは自明の理であるのだ。
「わぁ、あの『てれび』という板で見た街並みとは、また色々違いますね」
「そりゃねぇ。あっちはもっと……んと、この島国とは別の国、別の大陸にある国の町並みだから」
ゆったりとしたスペースのある後部座席から身を乗り出して窓に張り付き、周囲を走る車両や流れる街並みを目を輝かせて見ている様は、初めて両親とお出かけした子供……は言い過ぎか。うん、海外から留学して初めて異国の風景を見た学生さんのようである。
実体化した上で御陵学園の中等部の制服を着ている事もあり、なおの事その印象が強い。
「ティア。気持ちはよく分かるけど、結依が寝ちゃっているからもうちょっとだけ声のトーンを落としてね」
人差し指をそっと口に当て、もう一方の手でボクの太ももを枕にして寝ている結依の頭を撫でる。
「あ……ごめんなさい」
「まあ少しくらいなら構わないよ。こうなった結依はなかなか起きないから。だからあまり気にしないで」
車に乗り込むなりボクに抱き付き、そのまま寝ちゃったんだよね。しかもいつもの狸寝入りなどではなく、本気で寝ているようだ。
そもそも昨日ボクより早く地球に帰ってきていたはずなのに、ここまで寝不足になっているのは何でだろうか?
中央のテーブルを挟んで向かい合わせに座っている樹もやけに眠そうだし。あえて突っ込まないでいたんだけど、やっぱり気になるなぁ。
確かに思い当たる節はある。
だが、それは理由とは考えにくいんだ。
ちょっと前に父方の祖父が急死したとは聞いたんだけど、結依は完全に毛嫌いしていて殆ど交流がなかったと聞くし、樹の奴も話題に出てくると無意識に顔をしかめてしまうくらいいい感情を持っていなかったはずだ。
だからいくら祖父が突然亡くなったといっても、悲しみで夜も寝られないという事は考えられないし、葬儀等の忙しさはもう終わっているはず。
実際にこの二人、昨日も普通にエストラルドに来ていて、特に変わった様子も見受けられなかったんだから、昨夜から今朝にかけて何かあったと考えるべきだろう。
いつもは徒歩通学しているボク達が徒歩より時間がかかることを知りながら、こうして自家用車で学園に向かっているのは、別にティアの為だけでなく、二人があまりにも眠そうで歩いて行けないと判断したからだ。
今日は中等部と高等部の合同入学式が行われる大事な日でもあるから、病気でもないのに休むという選択肢はあり得ないからね。
それとなぜ車だと時間がかかるかというと、普段歩いている道がこの車で走れないからである。
学園まで最短距離で行けるその道は歩行者専用の遊歩道や階段などが多く、車で行くとなると、まずは御陵駅方面まで迂回しなくてはならず、そこからぐるりと戻ってこなくては行けないからだ。
難儀な場所に住んでいるというか、直線距離ならば歩いてすぐ行ける場所に住んでいるというか……まあどちらかというと後者の方だろうな。
それで今回は二人の体調やティアを連れていく事も考えた結果、車通学を選択した訳だけど、普段は一人で電車とバスで通学している美琴を駅で拾えるから、そんなに悪い選択肢ではなかったりする。
ちなみにこの車を運転しているのは石蕗巌さんといって、ボクが物心ついた頃には既にうちの第一運転手として働いていた人である。母さんが外出する時には必ずといって彼が送迎する。
じゃあ何でそんな人の車にボク達だけで乗っているのかというと、今日の入学式の準備で色々と忙しい母さんは準備しないと行けない書類の作成や不備が見つかったとかで、一昨日から家に帰ってきていないからだ。
そこで予定が空いていた彼に声をかけた訳である。
ボクとしては、案外ズボラで一人でご飯も作れない母さんの泊まり込み中のライフスタイルが心配にはなるが、一応石蕗さんの娘さんである清美さんが秘書として付いてくれているはずだから、多分大丈夫だろう。結構厳しい人で母さん相手にもズバズバ言う人だし。
母さんも自分が使っていない時は自由に使ってくれて構わないと言ってくれているし、流石に今日は家に帰ってこれるだろうから、このまま彼と車を学園に残していく予定である。
とと、そんな事より今は樹の事だよ。
「ねぇ樹。何でそんなに眠そうなの?」
やっぱりどうしても気になったボクは、やたらと生欠伸を繰り返している樹に思い切って聞く事にした。
「んあ? いや、別になんでな……。
──あー、やっぱりどうするかな?」
一度は何でもないと否定しようとした樹だけど、困った顔で考え込んでしまったその姿に、思わずティアと顔を見合わせる。
「なになに? 厄介ごと?」
「厄介と言えば、特大級の厄介事なんだが……。どう説明したらいいもんか」
「ボクにも関係あること?」
「いや、それも含めてどうするか迷っててな……」
あー、もう!
煮え切らない親友のそんな様子に、いらっと来る。
「もう関係あるなし関わらず話して。ボクを巻き込まないようにとか考えないで。少しでも助けになりたいし、第一ストレス溜め込むよりマシでしょ?」
「……本人がいいと言うならいいか」
ビシッと指差しながら言い放ったボクに向かって、樹は溜め息をつくと、
「理玖。お前、ここ最近紬姫さんから何か言われてないか?」
「えっ? 母さんから? いや、特には何も……」
二人の祖父絡みで何か問題が発生したのだろうと勝手にあれこれ考えていたボクは、予想に反してボク自身に関する話が始まった事に当惑しながらそう答える。
「まだ何も言われてないのかよ」
「あ、そういえば……。
──例のアレを見られてから、もっとしっかり見せてだの、いきなり脱がされて色々と身体のサイズ測られたり、ボクのタンスの中身に姉さんの昔の服があふれ返っていたりしたけど?」
事情を知らないであろう石蕗さんが運転席にいるから、あえてぼかした言い方で例の精霊化騒動をそう伝えると、
「相変わらずぶっ飛んでるなぁ、あの人。息子に何してんだ」
「ま、まあ、ボクを女装させようとしてくるのはいつもの事だから、まだいいとして……」
「いいのかよ!?」
「あ……、いや、ホントは良くないんだけど、もう諦めてるし。それに姉さんが今はいないからまだマシだし」
うん、母さんだけならまだマシなんだよ。ここに姉さんまで加わると、完全に収拾付かなくなるし。
「もしティアやカグヤに関しての事なら、特に問題無かったよ。
最初どう紹介しようか迷ったけどさ。終わってみれば、普通に『可愛い子ね』と笑ってあんまり動じてなかったし、飽きるまでいつまででもいていいからと言ってたかな」
「はい。紬姫様には良くして戴きました。こんな素敵な服も戴きましたし」
ティアが嬉しそうに、そう後に続く。
今ティアが着ている制服は、昔姉さんが着ていた制服だ。中等部時代の服がぴったり合ったのよね。
ちなみにカグヤには合う服が一枚も無かったから、みんなで買いにいってそれを着てもらっている。
その際、カグヤの狼耳と尻尾は嫌でも目立つ。流石にこの地球上には獣人種という人類はいない為、幻術で隠す事にしたのである。
家から出ないとはいえ、我が家には事情を知らない人も出入りしているからね。
当然のごとく本人は最初嫌がったが、それだと実体化出来ないしこの世界ではあまり一緒にいられないよと言ったら、あっさり前言を翻して素直に応じてくれた。
まあ最近のカグヤは銀狼の誇りよりボクとの時間を優先するからなぁ。出会った当初の頃が懐かしい。
このところの暴走にはちょっと思うところはあるけど、とても素直で良い子(年上)だと思うようにしている。
「本当にそれだけか? 他には何も? 例えばエストラルドでの出来事とかは?」
んー、やけに突っ込むなぁ。
「んと、そっちは何故か全バレ」
母さんはあの世界に向かう端末を持っていないはずなのに、どこから話を聞いてきたんだと突っ込み入れたくなるレベルで、事細かにボクの行動を把握していたんだよね。
しかもこちらから話す前に、ティアが精霊であって人ではない事を指摘してきた上、この地球上でボクがあの世界の魔法を使える事まで知っていたのである。
「樹や結依が母さんに喋ったりする訳ないし……」
「当たり前だ」
「じゃあ姉さん……かなぁ?」
「それも違うと思うぞ」
ん? もしかして心当たりが?
「どっちにしろ気を付けないと駄目だぞ。お前の場合、こっちでも強い力を使うと、姿どころか性別まで変わるんだからな」
「うっ……。
あー、うん。それ母さんにも言われた。しかも『送り狼だけには気を付けなさい。そのお相手が虎ならいいけど』だってさ」
「……」
無言で額を押さえる樹。
「いや、ボクだってもう子供じゃないんだから、母さんが言いたかった意味くらい分かっている」
「ホントかよ?」
「む、信じてないね? つまり『何かあったら樹を頼れ』でしょ?」
ただ母さんからあまり信用されてないのはちょっとショックだ。それともこれは母さんからの信頼が厚い樹が凄いといった方がいいのかな。
「お前、それ違っ……。いや、自分で言ってて情けなくないか?」
「うるさい。ボクだって好きでこうなった訳じゃないやい」
「……で、他には?」
痛い事を指摘されてむくれたボクに、樹は気を取り直して確認してくるが、
「流石にもう無いよ。それだけ」
「本当に?」
「しつこい。無いよ」
「……あぁ、やっぱり言ってないんだな」
「言ってないって何が?」
ボクの問い返しには答えず、一人でブツブツ言い出した樹。漏れ聞こえてくるその呟きには、「俺から言えと暗に?」とか「どこまで言えば」とかが混じる。
どうやら樹はボクが知らない何かを知っているようだけど……。
てか、男のボクが当主に内定したとか、十二家の動向確認の指導を前から受けていた事はまだ言えない。十二家の中には『高辻』も入っているからだ。
しかも無関係の石蕗さんにバレないようにわざとぼかしているのに、何でハッキリと姿や性別が変わるとか言うんだよ。
確かに彼はみだりにべらべら喋る人じゃないけど、もうこの場でこの話題を続けるのはやめて欲し……。
「そういや石蕗さんはどこまで聞いて知ってます?」
そう考えていたところで、樹がシート越しに石蕗さんにそんな事を言い出した。
「全て把握していますぜ。若様」
「……へっ?」
ボクの口から間抜けな声が漏れる。
いや、全て把握してるって……?
それに樹の事を若様? 何それ?
「だから若様は止めてくれって朝言ったでしょう」
「いえいえ。今まで自分の主家の御曹司と関係を絶っている事を装わなくてはいけなかった手前、呼び捨てにしてただけですぜ。しかしいきなり敬語とか名前に様付けはどうかと思ってねぇ。そこで妥協点が『若様』な訳で」
「あのですね……それ、わざと言って遊んでるでしょう? まあ気持ちは分かりますが、そんな妥協点は要らないです」
「若様だって俺ごときに敬語使ってるじゃないですかい」
「そりゃいきなり年上の人にため口を吐けないでしょうに」
目が点になったまま二人の会話を聞き続けているボクは、きっと間抜け面を晒していたに違いない。
ふと我に返って隣にいるティアを見れば、彼女もポカンとしていたし。
「っと、理玖様。今までぞんざいな口きいてすいません。昨日ようやく許可が降りたので、これからは何でも命令して下さい」
「あ、はい。その……よろしくお願いします?」
いきなりこちらに飛んできた石蕗さんの言葉に、混乱したままのボクは反射的にそう答える。
「という訳だが。分かったか?」
「いやいや……こんなので分かる訳ないでしょ!」
この二人は分かって会話しているようだけど、完全に置いてけぼりな状態で同意求められても分かりっこない。
「だよなぁ。今まで指摘しなかったが、お前はそこら辺の感覚が鈍い……というか、全く無いもんな」
「うぐっ」
「少なくとも、自分がただの一般人じゃないくらいは理解してるよな?」
「そ、そりゃあ、その、厳密に言えば……なんだけどさ。
で、でも! 確かにボクは病院や学園の理事長の息子ではあるけど、それは親が凄いだけでボクなんかが偉い訳じゃ……」
「まあお前は親の権力を利用しようとするどころか、基本的に真逆を行くからな。そういう偉ぶらない所は美点であるが、自分を下に見過ぎる所はマイナス点か。
今まではお前が良ければそれで良かったんだが、このままだと今後は大変そうなんだよなぁ」
ん? このままだと大変?
確かにボクのお爺ちゃんは元光凰院だから、ボクにもその血が流れているけど……。まさかその事まで影響するの?
権力争いに巻き込まれるとか?
あと考えられるのは、周囲がボクの事情に巻き込まれ……あ。
ため息を吐き出し、少しだけホントの事を言う。
「一応今までも御陵の特色は聞いていたけど、昨日母さんから『当主がボクで内定』したって。教育はこれから……もしかしてこの事で昨夜何かあった?」
「ああ、寝ていたら親父に緊急の家族会議だと言われて叩き起こされてな。こっちはいい迷惑だ」
な、なるほど。ようやく分かった。
それでこの二人、こんなに眠そうなのか。
「ごめん。その内容もやっぱりボクが原因なの?」
「いや、違う。お前のせいじゃない。根本はあの糞ジジイのせいだ。ただ確かにお前にも関係があって……。
──ああ、そうか。お前が『当主』なら、『言わない』って選択肢、元からなかったみたいだ」
「じゃあちゃんと説明してよ」
「分かっている。だが、その前に……石蕗さん?」
「もうじき駅です若様。話は美琴様を乗せてからにしますかい?」
「確かにその方が手間が省けていいな。今日の時点で美琴がどこまで事態を把握しているか知りたい」
「それにこれからの護衛体制の構築も必要ですからな。まあティア様が傍におられる時は、少しは楽できそうですが……」
「戦闘力のないカグヤは役に立たないけどな。そういや、今までは『飛鳥馬』に?」
「ええ。表立って出来ない部分は、秘密裏に幸治様を通じて頼んでいたんですわ。博次様にバレないよう頼むのがホント大変で」
「全くあの糞ジジイは……。
──まあ、いい。ティアが傍にいてくれれば間違いなく安全だし、今後は俺や結依が名実と共に立つ。後は俺の異能が……」
「あの、あの。口を挟んでごめんなさい。
その、お二人のお話を聞く限り、私の事も分かっておられるように見受けられるのですが……」
阿吽の呼吸でこの後の段取りを決めていく二人に、横からティアが口を挟む。
「もちろんですよ。ティア様は海外の方ではなく、本当はあちらの世界の精霊様ですよね。尋常じゃない力を秘めている方であるのは見てすぐ分かりましたわ」
そりゃあ地球にはティアみたいな雰囲気を持つ人なんかほぼいないからなぁ。
「うあっ、そんなに分かりやすいんでしょうか、私……」
「とりあえずは、だ」
はっきりと言い当てられて落ち込んでいくティアを尻目に、樹はまとめに入る。
「美琴と合流したら軽く説明する。詳しくは……そうだな。放課後、紬姫さんを捕まえてからだ」
樹のその言葉が切っ掛けになったかのように、ボク達を乗せた車は美琴の待つロータリーの中へと吸い込まれていった。