164話 その裏側で……(3)
2019/10/5 ミアの異能の名前を変更しました。効果は変わりません。
──???──
「──ん、んんっ。ま、まあちょっと脱線しましたが、理玖様についての報告の続きをお願い」
「そ、そうですな」
ふと我に返り、ごほんと咳払いを一つ。
少し冷静になろうと、春花は完全に冷めてしまっている紅茶を口に含む。
「──理玖様に星紋が発現した件や六年前の事件、そして手塚様の準備が最終局面に入った状況を見るに、彼のお目当ては理玖様である事は間違いないかと思われます」
気まずさを感じつつ、三山木は再開する。
新たな盟主の異能の詳細を報告しないといけないのだが、この報告書そのままを話す訳にはいかなかった。
普段はきっちりと客観的な判断を行って報告書を作成している紬姫であるが、今回に限っては最愛の息子が娘にもなれる事に感極まったせいか、溢れんばかりの息子愛を迸らせて感情の赴くまま書き綴っていたのである。暴走したと言ってよい。
よって書式も形式もメチャクチャ。女の子になった理玖の可愛さについての解説だけで数十ページに渡って書き殴られており、五歳の頃に何をしたとか、今必要の無いものから意味不明なものまである。
この報告書を三山木に持ってきた部下も珍しく編集や清書をせず原文そのままを渡してきた事から、一目見て完全に諦めたと思われた。
春花に報告しないといけない三山木は軽い書籍ほどもある全文を何とか読み終えたが、彼自身も本人に解説と再提出を頼みたいくらいである。絶対に口には出さないが。
そう、時間は貴重で有限なのである。
これをどう上手く取り繕って説明するかと、その事に彼は頭を悩ませていた。
「ええ。彼の態度から理玖様をこの世に産み出す為だけに、長年私達を調整、手を掛けてきたように見受けられるわ。
しかしあの神様の秘密主義には困ったものだこと。この後の御陵の在り方についても不明だし、そもそも男性の理玖様が何故次代当主として星紋に認められているのか説明がないし……。
何を考えているのか全く理解出来ないのだけど?」
「それにつきましては、その……紬姫様から推測を戴いていまして。なにしろ発現した異能が、その……あー、平たく言うと『女性化』だそうで」
「っぶ!?
……そ、それだけではないでしょう?」
カップに口をつけたタイミングで放たれた三山木の『女性化』という言葉に、春花は飲もうとした紅茶を思わず噴き溢しそうになり、何とか取り繕う。
あの馬鹿神……今度は男性を女性化させてまで婿を取れとでも言うの!?
あの悪戯好きの馬鹿神ならやりかねないと、彼女の脳裏にそんな暴言が浮かんだが、さっきから一向に話が進まない為、何とか自重して言葉にはせず無理やり飲み込む。
春花は不意に年始の挨拶で顔を合わせた彼の姿を思い出す。
メイクも何もせず、そのまま女性服を着せるだけで女の子と見間違うような彼の容姿。しかも母と姉の手によって中性的な服を着せられていた為に、彼の正体を知らない人間は間違いなく勘違いしていた筈だ。
むくれて自分に文句を言っていたこの大甥をほほえましく思っていたが、この三山木の報告のせいであの神の度を越えた悪意じみた悪戯としか思えず、再度頭痛が振り返す。
まあ実際の異能の名は『精霊化』であるが、今の二人にそこまでは分からない。
「恐らく。妙に嬉しそうにしていた紬姫様から戴いた写真画像を見るに、変化した理玖様の容姿が『エストラルド』における銀髪碧眼の少女と同一です。
つまりこれは春花様や隼斗様と同じく、かの世界で使っている能力がこの地球上でも異能として使えるようになったと取るのが自然です」
「な、成る程。道理ね」
向こうの世界で今代の勇者に任命されている孫を思い出す。
超常的なタイプの異能を発現しやすい光凰院家において、珍しく身体能力強化系の力を得ていた隼斗。
その力がASの端末を使い出して以降、何故か昨日から急に強くなったと、当惑した様子で親友の巫翔と一緒に春花に相談しに来たのが先週の事。
二人は自分達の力と御陵家の事は既に知ってはいたが、エストラルドの存在の正確な情報までは知らなかった。
それは春花達当主メンバーが在籍する『円卓議会』の方針として、あの地に降り立つ者達が自分で真実に気付くまで放置していたからであり、春花はその確認を取った後で、詳しい情報をしっかりと伝える事になった。
その日は折しもカルネージスを撃退した翌日の事で、理玖が星の精霊の力に目覚めた翌日でもあり、理玖に星紋の発現が確認された日でもある。
昨日祖父の幸治の元へやって来た弥生と瑠美の異能についても確認したところ、弥生の異能である『怪力』や瑠美の『思考加速』も以前と比べてあり得ない程強化され、それぞれ『剛体』や『迅速』と異能名が変更される事態になる程、最早別物と言っても過言ではないくらい進化していた。
その事から、彼の星紋の発現を切っ掛けにして、彼を取り巻く仲間達に影響を及ぼし始めたとする報告である。
また高辻兄妹と神城の娘については、今だ異能を確認出来ておらず現在調査中であると、その報告書は締め括られていた。
「──事実、理玖様は向こうの世界から上級精霊を連れて来られています。エストラルドにいる彼らからの報告では、理玖様が持つ異能はその汎用性においても歴代最強の能力であると記されています。
その詳細は紬姫様がこちらに書かれています。後でご確認下さい」
そんな主の姿を見て見ぬ振りをしながら、三山木はこの件は終わりとばかりに鞄の中に入っていた本来の報告書の束をドスンと机の上に置いた。
その報告書の分厚さに引きつった春花に気付かぬ振りをしつつ、三山木は別の報告を始めた。結局彼も春花に丸投げする事に決めたようである。
「こちらは飛鳥馬家からです。エストラルドに潜入させている手の者達からの続報資料になります。
もうご存知だとは思いますが、プレシニア王国ファルナダルムの里にて『死方屍維』の八鬼衆の一人『坎計』のカルネージスと遭遇。これを理玖様、隼斗様をはじめとするパーティーで撃退。里の窮地を救ったとの事です」
「確かにあの子が言っていたわ。それにファルナダルムとは懐かしい。里を取り纏めている筈の神殿長ネライダ殿は? 詳しく訊けてないのよ」
「敵方に囚われていたそうですが、何とか救出が間に合ったとの事です。今は元気にしておられるとの事です」
「そう」
若い頃兄の聖と共に世話になった武闘派神官の無事を聞き、春花はホッとする。
「こちらの案件は先代の椿老に確認を取られるのが早く詳しいかと存じます」
「玄十郎は無理よ。アイツ御陵病院に入院して寝たきりになったのを良いことに、殆どあの世界に入り浸っているのだから」
「では春花様ご自身もあの世界に向かわれては?」
「……私には時間が足りないわ。後継者として教育中の翼には、神の相手はまだ早い。それにあの世界で初心者丸出し装備しかない私が強大な元素魔法を連発していたら、いくらなんでも拙いでしょう? 例え手加減しても、見る者が見ればすぐに分かってしまうもの」
「ではこちらで郡司殿や椿老と調整を行ってみます」
「頼みます。他には?」
「深草内閣官房長官からの急ぎの報告及び依頼事項があります。先般日本海沖で国軍と……」
しばらく日本国と周辺諸国に対する運営についての報告が続いていき……。
「──そして最後に……」
その一文を見た三山木の表情が揺れ動く。
「──桐生の系譜についての続報です」
名前を聞いて目を閉じる春花。
「……そう。なんと?」
「あの桐生聡輝の祖先に、その……『光凰院』の血が混じっているとの可能性が示唆されています」
「……何代前?」
「恐らく二十七代前……斬罪任務中消息を断って生死不明となり、死亡判断された『加代』の血筋の者かと」
「──関ヶ原争乱時。あの造反者どもが。やはり絆されていたか」
「桐生の処置に変更は?」
「今まで通り、隔離して監視よ」
声を絞り出すように、春花。
「神の言によれば、ユーネとネフィリムが既に刻印を打ち込んでいる。理玖様の真の力が完全に目覚める前に、こちらから先に手を出すのを止められているわ。何が起こるか分からないとの事よ」
「真の力……? まだ理玖様には何かあると?
では、奴がASに……エストラルドへ行けないよう処置する事は?」
「それもすぐには不可能みたい。そもそも奴が使用しているアレにはネフィリムの力が込められているらしくて、既に干渉出来なくなっているそうよ」
「と言う事は、打つ手なしですか?」
「直接は、ね。奴がこちらで理玖様へ接触して来ないよう継続して監視を。エストラルドでは奴の動向を調べて、理玖様周辺での企みを潰していくようお願いするわ。ただし安全マージンは十分に取り、いざとなれば隼斗達『円卓』や慎吾さんの『ヘイヘイホー』に助けを求めなさい。そう飛鳥馬さんに伝えて下さる?」
「了承しました」
「他には?」
「先程お伝えした高辻当主博隆殿との面会がこの後二十一時に入っている件が最後です」
「分かりました。じゃあ、こちらから一つ……。
──ねえ、幸治さん。個人的なお願いなんだけど」
「……なんでしょうか?」
急にプライベートな時と同じように名前呼びに変えた春花に、三山木は警戒の色を滲ませる。
「こないだ飛鳥馬さんが直接私に持ってきた報告を読みました。現在エストラルドで活動中の分家と従家の身辺調査書です」
「……」
その最後の一言で、三山木は春花が言わんとする事を悟る。
「飛鳥馬さんの娘さんが嫁いだ加藤家の息子──修蔵さんと言ったかしら? こちらでも向こうでも、彼は非常に優秀な人材のようね。
新たな従家の思想や性能を調べる為、宗家の情報をあえて伝えていなかったのに、彼はしっかりと辿り着いたそうよ。僅かな手掛かりと独自の情報網で理玖様まで辿り着いた手腕と情報の重要性、飛鳥馬家の命に忠実なその働きぶりを高く評価していたわ。ただ……」
言葉を切って、黙したままの三山木に視線を合わせる。
「ただ、毎回一番危険な任務ばかりを選択していくのはいかがなものかと、そう最後に綴られていたわ。我々も神の手によって魂を保護されているとはいえ、奴らに捕らえられ自害が間に合わずに邪神によって精神を汚染されてしまえば、それはもう人として死んだも同然なのに」
「……彼は。そう、功を立てる事に焦って……」
「いいえ。私の昔の経験則で言えば、恐らく死に場所を求めている。自分がのうのうと生きているのが苦痛なのでしょうね」
三山木の台詞を遮って、春花は断言する。
「他ならぬ神によって情報を伏せられていた私達の時とは違い、今回の場合は命の安全が宣言され、そして保証されている。神の力が込められた端末によって、肉体的な死は封じられている。だけど奴らに魂そのものを捕らえられてしまえば、魂の死──すなわち個の『消滅』は普通にあり得る。
神の警告に従わず死方屍維に合流した犯罪者の行く末は言わなくても分かるわね? 円卓議会が犯罪ギルドへの内偵を禁止している理由も」
「……」
「飛鳥馬さんがいくら言っても無駄だったそうよ。だから死方屍維の監視役から外し、王都へと向かわれるだろう理玖様の先行調査役にした。
それなのに彼は禁止されていない事をいいことに、かの王族と直接接触。王都の内情の見返りに、系列組織のアジトの潜入調査等を勝手にやっているそうよ」
「……あの男は。どこまでいっても、ご迷惑を」
「任務に危険は付き物よ。ただそんなやり方を、周りに心配をかけるだけかけて勝手に自己満足で逝くやり方は、私は認めない。でも私が言っても聞き受けそうにない。
だけど、他ならぬ貴方の言葉なら……。彼を止めてくれないかしら」
「それは……いや、今更私の口などで思い留まるでしょうか? 彼に……激情に任せて『任務に明け暮れて死んでこい』とまで言ってしまった私が……」
苦虫を噛み潰したかの表情で、三山木は呟く。
葉月の遺影の前で、助けられなかったと土下座して赦しを乞い続ける修蔵を、妻と息子が慌てて止めに入るまで殴り痛め付けた彼もまた、自分の行いを後悔している一人だ。
修蔵がいなければ。
彼が咄嗟に車道に出て突き飛ばさなければ。
反対側の歩道にいた姉を見付けて駆け寄ろうとし、トラックが走ってきているのに気付かず車道に飛び出してしまった弥生はこの世にいなかった。
弥生を突き飛ばして体勢を崩した修蔵を、葉月が『置換』と呼ばれる異能を使って彼と自分の立ち位置を入れ換え、代わりにはねられたのだと知った時には全てが後の祭りだった。
贖罪を果たしたと自分を赦せるまで、飛鳥馬の特殊部隊に入って命を削ってこい。
そう言い放ってしまった自分が、今更どんな顔をしてあの男と接すれば良いのか。
「……分かりました。対応致します」
そう伝えるのが精一杯だった。
「──本当に厄介なこと」
三山木が退出し一人になった後、春花は誰に言うともなく呟く。
春花が中学生だった頃、兄の聖達が計画した旅行中に交通事故にあい、時空の狭間で神と会ってからはや五十年。
己の中に流れる血──御陵にまつわる系譜の宿命に気付かず、日々を漠然と過ごしていたあの頃が懐かしく思う。
財閥として裕福ではあったものの、世間の実態や人々の生活の営みをきちんと把握しなさいと両親に厳しく躾を受け育ってきた春花は、公立の小学校を経て御陵学園に入学。一般人相手にも驕る事なく、心優しい少女として周囲に愛されていた。
今のように他者に命じ、国を陰から意のままに操るような人生を送る事になるなんて、当時は思いもよらなかった。
聖が御陵に婿入りする事で一番上の兄秋夜が跡継ぎになる事が決まった矢先、春花はエストラルドへと向かう羽目になった。
それが原因かは不明だが、春花に強大な異能が発現したのを知った祖父が、秋夜から春花へと跡継ぎを強引に変更してしまった。しかもその直後に彼が急逝してしまったのが運のつきだった。
聖とは違い、秋夜とはもともと仲の悪かった春花。
秋夜の方から暗殺を仕掛けてきたとはいえ、結果的に部下を巻き込んだ血を血で洗うような事態に発展してしまった。
最終的に秋夜が御陵に婿入りした聖や咲姫をも巻き込もうと画策していた事を知った春花が決断した事で、この争乱に終止符が打たれたのだが、何とも後味の悪い結果になってしまったのは事実である。
その経験から、春花は三山木幸治と加藤修蔵の確執を何とかしたかったのである。
「どこかで加藤さんも呼ばないと行けませんか……」
この件に関しては、春花は完全に部外者である。
部外者ゆえにどんな風に公平な判断をして二人の間に立てばいいのかを考え、ふとカレンダーを見やる。
「そう言えば、明日は母校の入学式ね。久し振りに見に行こうかしら?」
紬姫の理事長兼学園長っぷりをこっそり見に行くのも面白いかもしれない。
そう考える春花。もちろん第一の目的は、盟主となる理玖に挨拶する事にあるが。
そこまで考えたところで机の上の報告書に目が行き、
「何ページ書いたのよ、あの馬鹿娘」
これ、ちゃんと明日までに読めるのかしら?
今度は別の意味で頭の痛くなる春花であった。
……実は、もう一話続いたり。短い上に登場人物はがらりと変わりますが。
いや、その。書いていたら伸びる上に、この時点でどこまで暴露するか悩んでいるせいで後回しにしました。
あと、十二家の主な担当の一覧を簡単に載せておきます。この章の最後にも纏める予定です。
『深草』政治家、官僚の家系
『有栖川』弁護士協会を実質支配
『神城』警察組織を統括
『高辻』御陵家の近衛隊と側近(家令)
『星宮』日本国軍(表)
『椿』日本国軍(裏)
『三山木』戦闘集団(暗部/忍者ではなく必殺仕事人的なニンジャさん)
『巫』神職や孤児院、福祉関連
『東雲』職人、生産職
『飛鳥馬』密偵や諜報を生業とする者(つまりこちらが忍者)
『院瀬見』医療に携わる
『光凰院』十二家のまとめ役を拝命し、御陵や他家の活動資金を捻出、取り纏めている財閥
ちなみに『星宮』と『椿』の軍隊表記ですが、理由がありまして。
実は、この世界の日本は太平洋戦争で引き分けている為、独自の軍隊を持っています。
簡単に書きますと。
本土空襲を敢行された際に、それまで勝とうが負けようが無関心だった十二家が御陵家を危険にさらしたと激昂。直ちに敵国へと潜入して報復を行った為、政府首脳陣がズタボロにされてしまい、たまらず御陵へと停戦協定を申し込んできた……という裏設定があります。