148話 未来へ託すモノ
お待たせしました。
これが最後の他者視点になります。
──ネライダ──
何も見えず、何も聴こえず、そして何の感触もなく……。まるで『俺』という存在が消えていくような虚無の世界。
──ここまでか……存外持ったな。
時間の感覚もとうの昔に消え失せ、このまま肉体が滅んで魂が消滅するのだろうなと、俺は覚悟を決めていた。
この世界に産まれ落ちて、はや千年。
かつてドリアド様より寵愛を賜り、幾多の戦場を駆け抜けた『ネライダ=イーリス=ファルナダルム』は、一時期死んだも同然の醜態を晒していた。当時は、いつ魂が消え失せたとしても、素直に受け入れるつもりであった。
何故ならば、俺自身生きる希望を持てなかったからだ。今でこそまだましだが、酷い時には職責に就けぬほどだった。
こうなった切っ掛けは、先の戦役にて発生したベスティア王国の落日。それに付随する寂精樹の倒壊。
かの国へと任務で出向していた俺の不肖の息子とその妻を亡くした上、息子夫婦が護衛をしていたドリアド様をも失った。
それだけではない。
俺が使えるべき主様であり、そして時には最愛の妻であった樹木の精霊を亡くし、同時に寵愛の恩恵をも失ったからだ。
いや、寵愛の恩恵など些細なものだ。メリランダさえ傍にいてくれれば……妻が無事に帰って来てくれさえすれば、何も要らなかった。
そう……あの時に俺は生きる希望すら失ったのだ。今の俺は、ただひたすらに人々が求める『神殿長』という役割をこなす『人形』でしかなかった……あの時までは。
失意のど真ん中にいる俺の前に現れた、運命の精霊ディスティア様と精霊女王エターニア様。
あの方々が連れて来られた後任のドリアド様を見て、あまりにも幼すぎると感じた。
そして、いつ消えてもおかしくないような……目を離した瞬間消えていてもおかしくないような儚さを感じた。
──こんな脱け殻が支えられるのか?
こんな燃え尽きた老骨の身でも、まだ役に立てる事があるのかと。この精霊様を、こんな俺でもまだ支えて行けるのかと、事あるごとに自問自答した。
──結論はいまだ出ない。ただ……。
道半ば、死ねばその時まで。
命が尽きるその時まで、次代を担うこの幼い精霊様を守ろうと思うほどには、俺の精神は持ち直していた。
この精霊様をアイツの忘れ形見と思う事で、精神の均衡を保っているだけだと分かっている。
俺は相変わらず壊れたままだと自覚している。
今も神殿長としての責務を淡々とこなし、新任のドリアド様に仕える事に全力を注ぐ事で精神を支え、ただ漠然とした日々を過ごしているが。
他人にそうと悟られぬようにするのは大変ではあるが、今までバレた事はない。ある時、いきなりふらっと八百年振りに現れたあの旧友以外にはな。
そんな事を漠然と考えながら、この闇の世界に漂っていた俺は、ふと温かな光がこの虚無の世界を照らし始めたのに気付いた。
──これは一体……。
それは次第に強くなっていき、世界を白く塗り潰していく。そしてある時、急に身体の五感が復活した。
「──ぅぐっ……」
寝かされていた俺は呻き声を上げた。
自分の声が耳に届く。
ここが死後の世界で無いのなら、俺はまた生き延びた事になる。
──神は、精霊様は……。
──こんな俺をまだ生かそうとするのか?
痛みが全身を走り、生きていると分かる。まだ生きている事に、何故かホッとする自分に少し戸惑う。
すぐさま押し当てられる温かな光。
全身を包み込んでいた倦怠感が急に消えていく。
安らぎにも似た温かな光を感じて、その正体を探ろうと閉じていた眼を開く。
「──ほっほぉ? ようやく起きたか。のぅ、ネライダ。気分はどうじゃ?」
目の前にドアップの老人の顔。
いつも飄々とした掴み所のない旧友が、目覚めたばかりの俺を覗き込んでいた。
「……最悪だな。起きた途端、いきなり目の前にジジイの顔があるんだからな」
てか、近いぞ。少し離れろ。
「それだけ減らず口が出れば大丈夫じゃの。ほら見い。このジジイはそうやすやすとくたばるタマじゃないわい」
「──あの、お爺ちゃん? 病み上がりのお偉い方にその言い方はちょっと……」
「……むっ?」
そんな声が聞こえてきて、はじめて俺は自分の傍に立っているエルフ族の少女に気付いた。
どこかふんわりとした雰囲気を持つ淡い蜂蜜色の髪をした、まだまだ幼く見えるその少女。
だが、その首にかかっている独特な形状の紋様が掘られた首飾りが目に入った途端、俺は目を見張り唸った。
これは……この首飾りは、生命の精霊様の信徒ヴィオトプスの民の中でも、特別な上位種以上の者のみが持つ事を許される身分証。
しかもこの紋様の形は……アニマ様へ自由に拝謁する事を許可されたという委任紋も兼ねている。
生半可な者には決して渡される事のないこの首飾りを持つ少女。
見た感じもそうだが、実際にかなり若いな。例えるなら、苗木から若木へと成長した辺りか。
この若さでよくもまあ、それを手に入れられる階位にまで登り詰められたモノだと感心する。
「……俺を治療してくれたのはそなたか?」
「はい、わたしです。お加減はどうですか?」
──あ、この娘、確かあの時の……。
聖女のような柔らかな笑みを浮かべるその娘に、俺は見覚えがあった事に気が付いた。
確か……新年である一月に執り行われたフェーヤの巫女就任式前日に発生した襲撃事件の際に、多くの怪我人を治療して回った癒し手だったか?
その時はこの紋章を着けていなかったはずだ。あれからどれほど腕を上げたのだろうか?
……まあ、そのおかげで俺は助かったのか。
感謝を述べようとして、彼女の名前が出てこない事に気付く。
度忘れしてしまった事に焦りが生まれるが、それを誤魔化しつつ何でもないように装いながら、ベッドから身を起こそうとした。
「すまない。助かった。礼を言……っ!」
「あ、動いては駄目です。お身体を蝕んでいた薬がようやく抜けたのですが、今まで長時間寝込んでいた事により、かなり衰弱してしまっているんです。急に動いてはいけません」
「──今は……いつだ?」
「今は五月の第三節四の日です。救出されてから十日も寝込まれていたんですよ」
「最後の記憶が四月の第三節六の日だから……一ヶ月近くもか。よく今まで生きていたもんだ」
「中々の恰好じゃったぞ。知りたいかの?」
「……いらん。お前もそんな記憶はとっとと忘れてくれ。しかし、これはかなり公務が滞ってそうだ。明日からでも復帰しないとな」
「だ、駄目です。まだゆっくり休んでいないと。それに、後遺症も心配……」
「問題ない。まだ少し怠さと痛みは残っているが、許容範囲だ。ただ、身体を起こすのを少し手伝ってくれ」
慌てて止めようとしたその少女に依頼して上半身を起こしてもらった俺は、自分の方を見てニヤニヤ笑っている旧友に憮然とした表情を向ける。
「おい、ツバキ。何が言いたい?」
「お主、この嬢ちゃんの気配と名前に気付いておらんかったじゃろ? 思ったよりも耄碌してたのぅ」
「……やかましい」
しかめっ面をした俺を見て、悪戯が成功した悪ガキのような笑みをツバキは見せると、傍に置いてあった椅子を手繰り寄せ反対向きに座った。
「ツバキ……ですか?」
俺が奴を呼ぶ名前に、首を傾げる少女。
そういやコイツ、今は『椿玄斎』と名乗っていたな。つい昔の感覚で呼び合ってしまったが、何でそんな変な名前を名乗ってやがるんだ?
「あぁ、それは儂の名前じゃよ。この世界の皆は『椿玄斎』という名に違和感を感じるらしいしの。じゃから、最初の一文字だけで『ツバキ』じゃ。
そうそう、ネライダ。お主を助けたこの娘はティリルじゃ。よく感謝して拝んでおくように」
「ティリルと言います。ネライダ様、このお爺ちゃんの言うことは真に受けなくていいですから」
「分かっている。ツバキは昔からこうだしな」
「お主ら酷いのぅ」
「ぬかせ。それよりもだ。前から言っているが、そのジジイ口調止めろ。調子狂う」
「実際にジジイになっちまったからのぅ。そういうお前さんも世間では立派な爺さんじゃろ?」
「まあそうだけどよ」
「というか、何回目じゃこのやり取り? 会うたびにやっとるぞ」
「細かい事気にすんな。通過儀礼だ」
「嫌な通過儀礼があったもんじゃのぅ」
男衆二人でひとしきり笑う。
と、一人ポツンと置き去りにされたように目を点にしているティリル嬢の様子に、俺はようやくある事に気付いた。
「なぁ、ツバキよ。この嬢ちゃんに説明してないのか?」
「全くしとらん。そうさな……」
顎髭に手を当てながら、
「ティリルちゃん。儂はよく一人で何処か行っておったじゃろ。この里のコイツに会いに来ておったんじゃ。言わば茶飲み友達じゃの」
「そうなんですか?」
胡乱げな表情で、ティリル嬢。全く信じていないようだ。
まあもちろんそれは正解なのだが、真実がかなり抜けている。無理にでも、誤魔化す腹づもりのようだ。
それならば、俺も隠すか。
まあ俺もツバキも、己の過去をわざわざ公言する気はないし、今後も必要にかられなければ話す事はないだろう。
「まあ武術関連の……殴り友達でもあるのじゃが」
「会う度に手合わせして貰ってるな。うちの騎士団もしごいてくれるから、色々助かってるぞ」
「騎士団の指導は分かりますけど、殴り友達って……。お爺ちゃん、そんな友達関係はありませんよ。いいですか? だいたいお爺ちゃんは……」
こんこんと説教じみた話をツバキにし出すティリル嬢を見て、ふとある少女を連想してしまう。
その少女の名は、ユキナ。
当時癒し手として、十本の指に入るほどの才能を開花させたその娘は、普段は一歩引いた位置で皆を見ながらぽわぽわと微笑んでいるような女性だったが、いったん怒り出したら手がつけられなかった。
そういう時は、いつも男連中が馬鹿やった時だし、大抵大人しく叱られるままになっていたな。
そういや、どことなく顔立ちもユキナと似ているな。しかし、どう聞いたらいいものか?
「……なぁ、ツバキよ。一応聞くが、この娘はお前の孫だったり……?」
「違います」
あえてそう聞いた俺の言葉に対してツバキが口を開く前に、ティリル嬢が冷たくピシャリと否定。何とも言えない表情をするツバキの様子に、俺の口から思わず笑いが漏れる。
──遠い昔の光景が俺の脳裏にはっきりと甦ってくる。
あれは……そうだ。
ツバキとユーマの奴が誰にも言わず、たった二人で魔物の巣窟へと勝手に出掛けて行って死にかけた事があったな。
アリサの占術で行き先を特定。急ぎ駆け付けて、命からがら状態の二人の救出が何とか成功した後、ユキナの奴が凄い剣幕で怒り出して……。
そうだ。確かあれはユーマの奴がツバキを巻き込んで、ユキナの誕生日に贈る装飾に付ける宝石を取りに行っただけというオチだった気がする。
懐かしさと郷愁の思いに惹かれて、色々と思い出していく。
八百年前の長期化した邪霊戦役。
それに巻き込まれた異界から来た若者達。
交通事故という名前の現象に巻き込まれ、傷付いた肉体と因果律を修復する間、魂の避難という名目を与えられ、神の手によってこの世界に連れて来られた異界の若者達。
そして、この世界の来訪中に発生してしまった邪霊戦役に、彼らは自らの意思で参加を決意した。
色々な葛藤はあったのだろう。彼らがいた世界は、俺達からすると、命の危険が少ない平和な世界だと聞いていたから尚更だ。
そんな彼らであったが、この世界に来た時に色々と神から力を与えられていたらしい。
参戦するやいなや、それらをうまく使って快進撃を続けた。足りない力を育て、新たな力を開拓し、この世界の誰よりも急激に成長していった。
途中艱難辛苦はあったものの、我ら精霊陣営の勝利に導いた十人の少年少女。
この戦に彼らを巻き込んだのを当時の俺は悔いていたが、元よりそれは神の狙いだったのだろう。
肉体を修復する間だけという約束だったのにも関わらず、邪霊戦役が終結するまで、彼らが元の世界に戻れる事が無かったのだから。
精霊女王様からの願いを受けて、彼らの面倒を見たあの時の思い出は……。
──コンコン。
そんな思いを馳せていたその時、不意にこの部屋の扉が軽く叩かれ、その控え目な音が部屋に鳴り響いた。
急に口を噤んで目で促してくるツバキの様子に、俺はため息をつきながら扉に向かって声を掛ける。
「……どなたかな?」
「ボクはセイと言います。あの……先程目覚められたと聞きまして、その、ご挨拶とご報告に……」
セイ? 誰だ?
聞き覚えの無い声と名前……いや、『セイ』という名はどこかで聞いた事があるような……?
記憶を手繰ろうと考え込んだその時、はたと気付く。
──いや、待て。ちょっと変だ。
俺はついさっき起きたところなんだぞ。
誰もこの部屋から出ていないのに、どうやって俺が目覚めたことを知った?
色々な事に理解が追い付かず混乱している俺を見て、ニヤリと笑ったツバキ。
「おぉ、セイちゃんか。いい所に来たのぅ。ささ、入った入った」
「お、おい、ツバキ……ま、待て」
しかも聞こえてきたその声の質からして、恐らく相手は女性だ。こっちは寝起きだし寝間着のままだしで、このままじゃ拙い。
そう思って慌てて止めようとしたが、それより早くツバキの奴が扉を開けてしまい、俺は心構えが全く出来ていない状態で、訪ねてきた者と対面する事になってしまった。
いつまで経っても悪戯小僧のまんまで変わらねぇなと、内心ツバキの事を罵りながら、シーツを被せるなりして出来る限り身なりを整え、無理やり佇まいを正す。
「──失礼します。お加減は如何ですか?」
開け放たれた扉の向こう側に立っていたのは、銀髪を長く伸ばしたエルフ族の少女。
漆黒の生地に各部位ごとに白のレースと刺繍が散りばめられたゴシックドレスを着たその少女は、見つめる俺の視線を気にしながらも、おずおずといった感じで部屋に入って来た。
緊張に揺れ動きつつも、意思の強さが伺えるその蒼き瞳。そしてその少女の愛くるしい顔立ちに、やはり見覚えはない。初対面……のはずだ。
なのに、どこかで出会った気がしてしまうのは何故だ?
しかも放つ魔力の波動が少し変だな。何が変だと断定できないが、どう見ても人のそれではないような……。
と、そこで彼女の背後にくっつくようにして入って来たもう一人の少女に気付いた。
「……なっ!?」
思わず驚愕の声が漏れる。
一瞬分からなかったが、すぐにその少女の正体に気付き、思わず絶句したのだ。
若草色の髪に混じって、ぴょっこりと飛び出した一筋の銀糸。セイと呼ばれた娘とよく似た色違いのドレス。
背後から甘えるように抱き着いているこの少女は、彼女より頭一つ分ほど小さい。髪色さえ違うが、似たような雰囲気を持っていて、仲のいい姉妹のようにも見える。
だが、違う。
最後にこの方を見た時より随分と背格好が伸びた上、纏う雰囲気や容姿が少し変わってしまったせいで、一瞬見間違えてしまったが、代替わりしてから今まで己が仕えてきた精霊様の持つ波動にいつまでも気付かない筈がない。
「ド、ドリアド様!? その御姿は!?」
「……っ!」
少女の背後からこっちを覗き見していたドリアド様は、俺の大声に過剰反応して彼女の後ろに隠れてしまった。
その様子に困った顔をする銀髪の少女。
少し上を見て考えていた彼女だったが、「先にやっちゃうか」と小さく呟き、背後に隠れていたドリアド様を前へと押し出した。
「……ほら、ルア。先にどうぞ。ネライダ様に今まで心配かけ続けてきた事をずっと謝りたかったんでしょ?」
「う、うん……」
ル、ルア? それはドリアド様の事か?
何でそんな呼び名を……? 真名か? いや、俺に聞こえた時点で違うはず……。
「え、ええっと、その……うぅ……落ちつけ私。ここは深呼吸……すぅーはぁ、すぅーはぁ……よしっ! ネライダのおじ様! 聞いて下さいッ!!」
「う、うむ」
「ネライダのおじ様! この百年間、今まで迷惑かけ続けちゃってごめんなさい。でもでもですね、もう大丈夫なんです! 今の私、もう元気ピンピンなんです!」
「お、おぅ……」
喋り出したら、もう止まらなかった。いつになく機嫌がいいみたいだ。絶好調である。
「しかもですね、これからは何があっても、万が一、いや億が一、何かあってもお母様が傍にいる限り、全く問題ナッシングなんです! だからですね、これからは……」
「……お母様?」
勢い込んで段々と語勢が強くなるドリアド様に気圧され、俺は思わず途中で聞き返してしまった。
普段ならそれでも落ち着いて聞けるんだが、その説明の最後に訳の分からない単語が混じったせいで、つい戸惑った声を上げてしまったのだ。
「そう、それです。お母様です!
遂にっ! 遂にやっと巡り合えたんです! お母様ですよ、お母様!! もう嬉しくて嬉しくて涙がちょちょぎれそうです!!」
ぶんぶんと両手を振り上げるドリアド様の動きに合わせて、飛び出た一筋の銀糸が彼女の感情を表しているかのように、ぴょこぴょこと跳ねる。
「……あれれ? これ嬉しい時に使う言葉でしたっけ? まあそんな事はどうでもいいですよね。些細な事ですよね!」
「あ、ああ……」
まただ。その……お母様ってなんだ? 上級精霊であらせられるドリアド様のお母様って、誰の事なんだ!?
一体何の事か訳分からん……誰か説明してくれ!
完全に混乱してしまった俺は、思わず旧友の方を見る。
が、ツバキの奴は相変わらずニヤニヤとしたまま、一向に助け舟を出しやがらねぇ。ティリル嬢も苦笑いをしたまま、静かに見守っているだけだ。
「あ、それよりもですね。ネライダのおじ様、捕まってしまっていたと聞いたんですが、身体の調子はどうですか? 大丈夫なんですか? やっぱり身体が痛くてピンチですか!?」
「いや、その……こんなもん唾つけて一晩寝りゃ、そのうち治る……」
「……そんなんで治る訳なかろうて」
勢いに押されて思わず口走った俺の訳の分からん説明に、ぼそりとしっかりツッコミを入れてくるツバキの野郎。
ええい、それくらい言われなくても分かってる。こういう時だけ律儀に突っ込むんじゃねぇ。
「おー! さすが天下無敵のおじ様です。凄いです!」
咄嗟の誤魔化し説明をあっさり信じてしまったらしく、キラキラと眩しい尊敬の目を向けて来るドリアド様に、俺は居たたまれず視線を逸らす。
と、そこで銀髪の少女と目が合った。
「──あのぅ……やっぱり目覚めたばかりでお疲れでしょうし、また落ち着いてからの方が良いですよね? ボク自身自己紹介がきちんと出来ていませんし、後で正式に出直しましょうか?」
「……そうして貰えると助かる」
その初対面の少女の助け舟に、俺は不格好にも飛びついた形でお願いをした……。
「ええい、ツバキ。いつまで笑ってやがる! 少しは助け船を出してくれたっていいだろうが!」
セイ様とドリアド様、そしてティリル嬢が退出した後も部屋に残っていたツバキへと、俺は文句をぶつけていた。
「あのなぁ、せっかく前もって伝えてやっとったのに、すっかり忘れとったお主が悪いんじゃろ」
「くそぅ……エレメンティア様の御子様の前で、あのような赤っ恥かく羽目になるとは……」
ガリガリと頭をかく。
奴らに捕まる一か月以上前に、確かに聞いていたんだがな。
薬漬けにされた上、寝起きで頭がぼけていたんだろうか? なんて失態だ。
しかも詳しく聞けば、あの伝説の英雄スティルオム様の生まれ変わりであり、かつ、長らく歴史の表舞台から消えていた星の巫女様でもあるだと!?
超重要人物じゃないか!
「ま、あの子はそんなの気にする質じゃないわい。どんと構えとけ」
「相変わらずお気楽な人生してんな。お前」
「うむ、それが儂じゃからのぅ」
からからと笑うツバキ。確かにこういう奴だったな。八百年前と変わらねぇ。
「しかし月日が経つのは早いもんじゃ。儂らの感覚ではまだ五十年じゃが、こっちでは既に八百年か」
「地球とやらが五十年しか経っていない事に、俺は戦慄を覚えるぞ。十六倍も違うのか」
「今はたったの四倍差じゃよ。どうやらその辺は神が調整しておるようじゃの」
「創造神ティスカトールか。あの時お前らをこの世界に呼び込んだ張本人が、今度は何を企んでやがる?」
「不敬じゃぞ、その言い方。罰が当たっても知らんぞ?」
「別に構わん。この里における俺の役目は既に終えている」
こっそりと孫娘のように可愛がっていたドリアド様の、あのような元気なお姿が見れた時点で、もう思い残す事はないな。
後進者の育成等はあるものの、それは俺がしなくても問題ない。
「そもそもこんな俺にしたのは、お前らのせいじゃないか」
創造神様の行われる事に間違いはない。
疑いの念すら抱かず、今までずっとそう信じていたのに、こいつら異人どもはそれを粉微塵に砕きやがったからな。
「そ、そうじゃったかのぅ……?」
そっぽを向いて口笛を吹く振りをして誤魔化そうとするツバキ。本当にいい性格をしている。
「──そういやツバキ。昔のお前らとは違い、今は特殊な方法でこの世界に来ているんだろう? 他の仲間達も来れないのか?」
最後くらい一目会いたいからな。
そう思って軽く聞いたんだが、ツバキはその顔を曇らせると一息ついた。
「無理じゃよ。何せ半分は死んだ。聖も咲姫ちゃんも、もうこの世におらん」
「……な!?」
「お前さんは長命種じゃからピンとこないかもしれんが、地球人の寿命は長くても百年ほどじゃ。あれから五十年も経ったんじゃ。大半は寿命でくたばっておるわい。地球にある儂の肉体も、若い頃の無理が祟ったんか、病院のベッドの上で寝たきりじゃしのぅ」
「……すまん」
「良いさ。最後にこの世界で聖と咲姫ちゃんの孫や奴の後継者、悠真と優樹菜ちゃんの孫に会えたのは僥倖よ。VRとかいう技術でこちらの世界に来れるようにしてくれたお陰でな。今まで散々苦労をかけさせてくれた神からの、最後の贈り物かと思うておる。
残された時間で聖が大切にしていたアイツらを、聖の剣を受け継いだ小僧を、せめて一人前に鍛えてやるわい」
「そうか……」
からからと笑いながらあっけらかんと語るツバキに、やはり寂しいものを感じる。自分も似たような事を言っていたが、同じ言葉を返されてみれば、随分舐めた口を利いていたもんだ。
「──あの御子様がヒジリとサキの孫娘、ティリル嬢がユーマとユキナの孫。これで合っているか?」
居たたまれなくなり、強引に話を変える。
この里を八鬼衆の魔の手から救い、ドリアド様に母様と呼ばれるあの少女の姿を、もう一度思い出す。
「うむ。あの二人、雰囲気や目元とかが咲姫ちゃんや優樹菜ちゃんの若い頃にそっくりじゃろ? それにセイちゃんは御陵の直系の血を、今までの誰よりも色濃く引き継いでおるしの。確認していないのじゃが、御陵本家の後継者の証として、ちゃんと星紋印がどこかに浮き出ている筈じゃ」
「ミササギ家直系の女児は先祖帰りしやすいのだったな? 確かスティルオム様の……」
「それ以上は口に出すでないわ。神との約束じゃろ? 祝福を受けてしまうぞ」
「……だったな。まあ話したところでこちらの世界の奴らにゃ何の事か分からんし、お前達という実例を見てなきゃ誰も信じんさ」
「違いないのぅ」
顔を見合わせた時、大の大人があまりにも滑稽な話を真顔でしていることにおかしくなってしまい、思わず噴き出して笑ってしまう。
スティルオム様の双子の娘の片割れを地球へと転移させてその血脈を保存しようとしたとか、その血脈を護る為、調整を加えた十二の家系を地球に創設したとか……。
そんなおとぎ話に出てきそうな話を、自身の肉体に神を降臨させたアリサの口から聞いた時は、思わず頭がおかしくなったと思ったからな。
「俺もお前らもそうだったが、神に関わった者や異人の血を受け継ぐ者は、数奇な運命を辿るモノだな。フェーヤもそうだし、神は神でも俺にしてみれば疫病神にしか見えん」
溜め息混じりに、愚痴る。
フェーヤもまた不憫でならない。異人の暗殺者の手によって、兄とアルメリア以外の親族を亡くしてしまうとは。
「フェーヤ? あの巫女の娘かの? あの娘がどうかしたか?」
「お前……今の今まで気付いてなかったのか?
フェーヤの祖父とアルメリアはリンフィールドとエルミナスの孫で、ヒジリとお前にとってもフェーヤは玄孫にあたるぞ」
「……は?」
ぽかんと口を開けたツバキの様子に、ようやく一本取ったと妙に嬉しくなり、さっきやられた言葉をそのまま返す。
「思ったよりも耄碌しちまったな、ツバキ。自分の子孫も分からんとか」
「ちょっと待て待て! そんなの分かるかい! 儂と……エルミナスの子!? この世界から帰る前、アイツ身籠ってるなんて一言も……」
「元の世界に帰っていくお前に、自分のせいでお前に迷惑や負担をかけまいと思ったんだろうよ。それでもエルミナスはお前との愛の絆が最後に欲しかったんだろう。
理解したら、旅立つ前にもう一度くらいあいつの墓前に感謝しに行け」
「……う、うむ。そうじゃな」
世間から見れば、こいつらは英雄だからな。自重しないなら、選り取り見取りだった。
当時のツバキはそれに胡座をかいていたのか、フラフラあちこち女遊びしていたが、最後には必ずエルミナスの元へと帰っていた。
またエルミナスの奴も文句の一つも言わず、戦いや遊びに出て疲れて帰ってきたツバキをいつも笑顔で出迎え、また労り常に陰から支え続けていた。
ツバキの奴はそんな甲斐甲斐しいエルミナスを、コイツなりに大事にしていたようだ。
私に何があってもツバキを支え続け、その負担を肩代わりしますと言い切っていたエルミナスは、その言葉通り最後の最後まで黙ったまま笑顔で見送ったようだ。
ただ、後で随分泣いていたらしく、他の者から酷く泣き腫らした顔をしばらく見せていたと聞いていた。
だからじゃないんだが、最後くらいコイツに真実を知ってもらい、そして報われても良いだろうと思う。
「そういえば聖の奴もだったのぅ。皆でリンちゃんの出産祝いを送ったんじゃったか?」
「ヒジリの奴も異常にモテたからな。いつもサキが苦労してたのを見ていたぞ。だが、アイツが手を出したのは三人だけだ。それもサキに指定された娘だけだな」
サキに相談されまくった俺の苦労も、本当は知って欲しいところだ。てかこいつらときたら、どいつもこいつも俺をていのいい恋愛相談相手に使いやがったからな。
毎日どれだけストレスが溜まったと思ってやがる。
「あいつ咲姫ちゃんにそこまで尻に敷かれておったのか……」
当時の巫女だったリンフィールドは、この世界に来たばかりのヒジリに会うなり一目惚れしたようだ。で、ヒジリの傍にいつもサキがいる事を見て取ると、ヒジリより先に彼女を取り込んで外堀を埋め、いつの間にやらヒジリの押し掛け妻の一人になっていたというから驚きだ。
本当にこういう時の女性の行動力って凄いものがあるな。
「しかし、フェーヤちゃんがアイツと儂の……。ふむ、やらねばならぬ事がまた増えたのぅ。こりゃあ、うかうかと死んでられんわい」
「そうだな。俺もなるべく協力したいが……どうすればいいのやら」
ネフィリムの強大な加護を持つあの異人は、その特性からかなりの難敵だ。
実際に敵対し、そして拳を合わせたから理解している。俺なんかの手に負えない。
だが、対処に悩む俺の心境を知ってか知らずか、ツバキの奴は再びあっけらかんと言い放った。
「大丈夫じゃろ。セイちゃん達が奴を許さぬよ。あの子の周りには志を仝とする仲間が集い始めておる。じゃからあらゆる手を使って、あの子を支えてやればそれでええ」
「……そうか」
要らぬ心配だったか。
大きく息をつき、天井を通してその先に見えるであろう樹精樹の大木を見やる。
少しは精霊神官らしく、旅と戦の無事を祈ろうか。
──これより未来を紡いでいく若者達に、精霊様と世界樹の加護がありますように。
「──あ、そうじゃ。気づいておらんじゃろう?
ここだけの話で皆に内緒じゃが、セイちゃんは男の娘じゃぞ。今はあんなんじゃが」
……。
……は?
先程まで目の前にいたドレス姿の少女。そう、誰がどう見ても儚げな美少女だと断定する彼女の姿が、俺の脳裏に甦ってくるが……。
──あれで男……?
「な、なんだとぉ!!?」
お、おま……それ、嘘だろう!?
あり得ねぇ!!
取って付けたようなツバキの告白に、俺は思わず叫んだのだった。
解説しよう。
ルアルちゃんの飛び出た銀色のアホ毛は、お母様への愛情や感情を表現するだけでなく、またその居場所を探知する為のレーダーの役割をもしてま……(爆)