131話 遭逢の刻
タイトルは『そうほうのとき』と読んで下さい。
ボクの精霊眼で樹皇の間に通じる巨大門の邪気の穢れを全て見付けて浄化を行った後、アーサーさんの手によって押し開かれることとなった。
精霊銀で作られていたこの巨大門。
完全に精霊の力を失ってただの金属の塊と化したその門扉は、重々しく軋んだ音を立てて、強引に左右へと開いていく。
扉の向こう側の空間には、樹皮に覆われた太い幹を寄り合わせたような外壁を持つトンネルになっていた。
それが曲がりくねりながらも奥へと伸びている。
「レトちゃん。罠はないか?」
マーリンさんの言葉を受けて、慎重に奥を覗き込むレトさん。
「……ないわね。セイちゃん、穢れはどう?」
「この付近にはないです」
見える範囲にはないけど、どこで仕掛けられているか分からない。ボクが見落としてしまえば、この里のエルフ達や仲間が被害を受けてしまう。
それだけは絶対避けなければならなかった。
「先導はレトさん。次に私とセイさん。二人には罠と邪気の調査を頼む。そして中心に……」
そもそも邪気って何だろう?
アーサーさんがこれからの隊列の振り分けや、神殿組にこの先の状況や行程の再確認などを説明している間、ボクはふとそんなことを考えていた。
今まで誰かにそのことを聞いたこともないし、今までは自分勝手に悪いモノだと考えていたけど、本当にそうなのだろうか?
そう考えるようになったきっかけは、もちろんあのイベントの大規模戦闘があってからだ。
あの時多くの精霊から集めた光の力をボクの想いを乗せた浄化の力へと転化させ、邪気の浄化と人の魂の救済を執り行った。
そこでの邪気は、坑道の時とは違いがあった。
囚われた魂達の嘆きや悲しみが邪気を発生させていて、あの大熊の力を増幅させていた。
そして、この里に来る道中に世界樹の浄化システムを聞き、今まで考え感じていた限りでいえば、この世界にとって邪気の発生というのは最初から織り込み済みであり、何もしなくても自然発生してくるモノだと考えた方が自然だった。
つまり邪気とは、人の営みや感情から必ず産まれる、とボクは考えている。
そしてそうして生じた邪気は、世界の自浄作用によってのみ完全消滅させることが出来るようだ。
ボクやマーリンさんの使う光の力。
それはその世界の浄化力の一端が光の形を取っているだけに過ぎず、またボクというフィルターを通じて、世界の意思がその力を増幅させているように感じる。
そのことを誰に教えてもらうでもなく、何故か感覚から理解出来る。
つまり世界のシステムの歯車の一つとなっている自分を強く認識してからというもの、ボクの中に鋭敏な感覚が生まれ始めていた。
不思議な感覚だった。
こんなことついさっきまで理解すらしていなかったのに、いつの間にか息を吸うように魔力の操作を無意識に行い、どんな精霊へも簡単に力を分け与えることが出来ているという事実。
今肩の上で小さな欠伸をしているこの樹木の下級精霊の子。この子に施した完全なる実体化も、その力の一端。
こんなこと出来るなんて今まで全く考えもしなかったけど、魔力の提供をお願いされた時に、何となく出来る気がして、そしてあっさりと出来てしまったんだ。
今までは下級精霊の子に魔力をいくら分け与えても、こんな風にならなかったのにね。
このASと呼ばれるVRゲームを始め、そしてこれをゲームと完全に思わなくなったその時からこの感覚は育ち始め、そして世界樹の内部へと足を進めるにつれ次第に強くなり、そして今この時ボクの中で目覚め始めたのだと思う。
普通ならこんな得体のしれない感覚は危惧しそうなものなんだけど、どこか懐かしく感じてしまうのは何故なんだろうか?
この精霊世界エストラルドで使えるようになった力なのに、どうしてこんなにも簡単に出来るんだろう。
間違っているかもしれないけど、今まで得てきた何かのスキルの効果じゃないような気がする。
恐らく御子としての職業効果だとは思うけど、職業説明の方にもなかったんだよね。結局この力はどこから来ているん……。
「──セイちゃん?」
「ふえっ!? な、なに?」
不意に耳元でレトさんに声を掛けられ、飛び上がるように物思いから復帰し、慌てて辺りをキョロキョロと見回す。
「さっきからどうしたの?」
レトさんの言葉に全員がボクの方を見て、そして全員が全員とも呆れた表情を浮かべたことに、やらかしてしまったことに青褪める。
「セイちゃん……。今のアーサーの説明、全く聞いてなかっただろ……」
「えへへっ。
──ごめんなさい。考え事してて、全く聞いてませんでした」
「あはは……。セイさんらしいね」
つい癖で思わず誤魔化し笑いを浮かべてしまったことにすぐに気付いて、ちゃんと正直に謝ることにしたボク。
ティリルのその苦笑いをきっかけに、周りから笑いがおこる。
二度手間をさせてしまったことに面目なく思いながらも、もう一度説明をしてもらうのだった。
そしてボク達は外門を潜り抜け、その内部へと足を踏み入れた。
その中を慎重に進み、あちこちに仕掛けられている邪気の罠を全て浄化しながら牛歩のように進むこと、約一時間。
今までの通路をそのまま巨大なドーム状にした空間──樹皇の間へとようやく辿り着いた。
この広間の最奥には、雷精の坑道で見たのと同じ形の祭壇が設置されていて、辺りにうっすらと漂う邪気を拒むように明るく光輝いている。
その光輝く祭壇の中央に、巨大な水晶体。
その水晶体に向かって天井から木の根のようなモノが大量に伸び降りており、水晶体を優しく包み込んでいた。
その水晶体の内部に、黒い靄に覆われた人影が見える。
中にいるのがドリアドさんかな……?
「──えっ!?」
水晶体の中を凝視し、それに気付いたボクは思わず驚きの声を上げる。
そこにいたのは、新緑色の髪を伸ばした年端もいかぬ幼子。
五、六歳くらいに見えるその子は、膝を抱えるようにその水晶体の中で浮かんでいた。
「こ、子供!?」
こ、この子がドリアドさん!?
こんな小さい子が上級精霊なの!?
『はい、あの子がドリアドです』
『わ、わっ……なんて酷いの』
二柱の言葉で、目の前の子がドリアドさんと理解した。
ただ……見た目こんな幼い子だなんて思わなかった。
いや、実際に幼いんだろう。誰にでも礼儀正しいティアが最初から彼女のことを『ドリアド』と呼び捨てにしていたことに、今になってようやく気付く。
そんなドリアドさ……ちゃんは、その水晶体の中で眠っているような感じに見える。ただその表情には苦悶に歪められていて、少なくとも周りの状況に反応を示すことはなかった。
恐らく意識もないのだろう。
「──来たか。待っていたぞ」
ボクの声を聞き付けたのか。
祭壇前に座ってこちらに背を向け、水晶体を見上げていた男が立ち上がり振り返った。
その瞬間、アーサーさんやラウシュさんがサッとボクの前に出て、相手からボクの姿を隠すように立ち位置を変える。
「……っ!?」
二人の隙間からその男を確認し、あまりにも神官離れした容姿に、再び息が漏れた。
焦げ茶色の伸ばし放題な長髪のいかにも山賊といった風貌。高位神官位を示す外套で隠してはいるが、それでも盛り上がる筋肉を隠し切れないレベルの巨漢がニヤリと獰猛な笑みを浮かべていた。
「なんじゃ!? このゴリマッチョ!?」
「ちょっ、先輩!?」
「……うげ」
「そうか、お前らは初めて会うんだったな」
マーリンさんがしみじみとした声色で呟く。
この壮年の男が、ネライダ=イーリスなのか。
このファルナダルムの里の長であり、また神殿長でもある男。
だけどボク達はコイツが偽物だということを知っている。
念のためにと精霊眼の鑑定を行い……。
「──へ?」
「セイちゃん?」
この世界の善良な住人を示す緑色のプレートにネライダ本人と出て、情けなくも変な声が出る。
「緑プレートで本人? なんで!?」
「な……に?」
「何だって?」
ボクの発言に混乱するこちらの陣営に対して、その壮年の男は気にする様子もなく質問を浴びせてきた。
「……よく来たな、巫女フェーヤにアルメリア。それに……ラウシュ団長とニファも、来たのか。まあお前らは別にいいが、勇者殿やその他の者達はなんだ? どうして部外者をここまで連れてきた?」
低いバリトンの声にこちらを批難する声色が混じり、思わずボクは首を竦める。
一体どうしたらいいんだろう?
精霊が嘘をついているとは思わないけど、この事象の説明が出来ない。
そんなボクを見かねてか、ラウシュさんが一歩前に出て逆に質問をぶつけた。
「ネライダ老師。逆にこちらが問わせていただきたく。何故、巫女にしか開けられないこの樹皇の間に入る事が出来たのです?」
腕を組み直し、目を閉じ口をつぐんだその巨漢。
「ネライダ老師! 答えて下さい!」
「──そりゃ精霊様がおられる可能性があるのはここしかなかったからな。巫女が来る前に確認しようと、門の前まで様子を見に来たら開いていやがってな……」
「──で、あちこち邪気に穢されたこの道を平然と歩いて来られた、と?」
「そんなモン、闘気さえ使えりゃ何とでもなるさ」
「では、どうして精霊薬を全て持ち出された!? あれは造り手であったサキ様の秘技を誰も継承出来ず、挙げ句に書き残されていた配合手順書の所在までも紛失してしまったが為に、それが見付かるまではと老師が使用制限をかけた物だろう!?
しかも一つ使えば良いものを、全て持ち出した時点で矛盾して……」
「一つで効果なかったらどうするのだ、ラウシュよ。何度も取りに戻るのか? そんな馬鹿な事をしてられな……」
「ふざけるな! 原因が邪霊死薬の事だと分からなかったとしても、持ち出すのは一番等級の高い薬瓶を一つでいい。効かなければそれまで。他も通じないと普通は考える。
いくら常識外れの老師でも、この状況の矛盾の説明は付かないし、そもそも老師は曲がった事がお嫌いで、そんな事はなされない!
──貴様……やはり老師ではないな? 一体何者だ!?」
「……」
言い訳を口にしたその巨漢の言葉を遮り、ラウシュさんは畳みかけるように糾弾を始めた。無言で見続けたまま何も語ろうとしなくなった相手に向かって、彼は更に歩を進めようとし……。
「駄目! 待って下さい!」
男に向かっていこうとするラウシュさんの動きを制止する為に、つい咄嗟にボクも前に出てその腕を掴み取る。
この広間に来た時よりも、辺りに揺蕩う邪気の濃度が次第に上昇しているのを感じていた。それがこの男と問答している間に、ボク達の周囲を取り囲むように動き出したのだ。
この現象を考えるに、どう考えても目の前の男がこの邪気を操っているとしか考えられない。
「ラウシュさん、前に出ちゃ駄目です。この部屋のそこらかしこに邪気の吹き溜まりがあります。それらが移動と膨張を始めていますし、下手に動くと危険です」
「──ほう?」
ボクの警告に、小さく感嘆を上げる巨漢。
さも興味深そうに、こちらに視線を投げかけてきて、
「そこの嬢ちゃ……っ!?」
今まで陰に隠れていたボクをしっかと視認した瞬間、何かに気付いたように驚愕して言葉を詰まらせる目の前の男に、言いようのない不思議な不安に襲われながらも、ボクは言葉を続ける。
「周囲にうっすらと漂う邪気の濃度への抵抗力に関していえば、ボクもみんなも今のところ問題ないですが、さすがに吹き溜まりに突っ込んでしまえば、間違いなく侵食されてしまいます」
少しずつ息苦しく感じてきた。
でもあの坑道前で体験したような、身体機能が低下していくような感触はまだない。
この部屋の中には、目の前の水晶体の中のドリアドさん以外、精霊は存在していなかった。何の支援も得られない状態では、やっぱりここの空間の邪気に耐えられなかったのだろうと、ボクはみている。
別の場所に避難していったのか、それとも邪気にやられてしまったのか分からないけど、この場に精霊をもっと呼び込まないと、このままじゃティアとカグヤが持つ属性以外の精霊魔法が使えない。
「今から光の精霊をなるべくたくさんここに呼び寄せます。せめて戦いやすいように場を整え……」
「──きぃひひっひっ」
「っ!?」
急に似つかない気色の悪い嗤い声を出したその巨漢と目が合った瞬間、心臓を鷲掴みにされたような……全てを剥ぎ取られ、魂の奥底まで見透かされたような衝撃が走る。
「セイちゃ……? どうしたのっ!?」
「セイさん!?」
急に押し黙ってしまったボクの様子に、一瞬困惑の表情を浮かべて振り向いたレトさんとティリル。
震え出したボクに気付いて顔色を変えた二人は、身体を支えようと寄り添ってくる。
──早……逃……なさい……。
──い……は……逃げて……。
脳裏にはっきりとしない思念が二重に響く。
湧き起こる恐怖から来る震えを止めようと、ボクは必死になっていた。
起動しっぱなしにしていた精霊眼。
何がどうなったのか分からないけど、急にその男の危険性を激しく訴えるように目の奥に痛みが走り出す。
「──ついておる。儂にもツキが巡ってきたのぅ」
今までと全く違う声の質。口調。
「くっ!」
豹変した目の前の男に対し、アーサーさんが武器を構え向ける。
が、その切っ先が僅かにブレている。
恐ろしい。
目の前にいるこの濁り切った不快な闇色の塊が。
聞こえてくるこの怨嗟の声は何だ!?
精霊眼に映る、この老人の本質。
今まで視てきた邪気の比じゃない。
「もうこの衣を脱ぐか。もはや復活の手立てはないじゃろうし、そもそもこれ以上取り繕う必要もなかろうて」
こ、衣!?
不意に精霊眼から、男の情報がもたらされ始める。
名 称:ネライダ=イーリス〔偽装/カルネージス〕
状 態:樹木の精霊の祝福〔偽装/邪悪なる精霊の寵愛〕
スキ……
──パキィン!
えっ!?
相手のステータスに偽装の文字が出たかと思うと、読み取っている最中で精霊眼の力が途中で弾かれてしまった。
今は名前とプレートの色だけしか見えない。
ただ一瞬だけ表示された情報は、なんとか一部だけ読み取ることが出来ていた。
その赤黒いプレートに書かれていた内容と精霊眼の力が弾かれたことに、ボクは戦慄を覚える。
分かったことは、この男の真の名前と状態。
出現したプレートの形から、この男は同郷者ではなく、この世界の住民だということ。
そして邪悪なる精霊の寵愛持ちって……そんなっ!?
「いーっひっひっ。念入りに隠蔽してばら撒いたアレをここの雑魚エルフどもがどうやって見付け、処理出来たのか不思議だったのじゃがの。ようやく謎が解けたわい」
取り繕うのを完全に止めたのか、にたりといやらしい笑みを浮かべたその巨漢は、老人のような嗄れた声を発しながら、ゆっくりとこちらに近寄ってくる。
と、その姿がぶれ出し、黒い靄に覆われていく。
そこから現れたのは、漆黒の黒衣を纏い、葉っぱが全部落ちた枯れ木のように華奢な老人。
しかし、皺だらけのその顔に落ち窪んだ眼窩だけがぎょろりと光り、歪んだ口元からは傲岸不遜な精神が見え隠れする。
「ひっ!?」
小さな悲鳴を上げたフェーヤがボクにしがみついてくる。
「クソじじい! そこで止まりやがれ! てめぇ何者だ!?」
本当の姿を現したその老人の様子に、初めて杖を手にし、それを構えながらマーリンさんが問う。
「ふむ。異界の小童ども。怖いか、儂が?」
「ぬ、抜かせ!」
「ひひっ、無理するな。今代の聖者は威勢がいい割には、案外ビビりじゃのぅ」
ぐるりとボク達を睥睨する。
「今回もまた、そこにおる腐れ勇者に働き蟻どもを潰されたりと、計画の進行の邪魔されておるのかと思ったんじゃが……」
言葉を切った老人の視線が圧力を伴ってこちらに突き刺さり、思わずよろめく様に後退ってしまう。
二度恐怖に囚われ、慄く。
「古の代に所在不明となった双子の星の巫女の一人。今まで世界のどこを探しても、傍流の紛い物しか見付ける事叶わなんだ。
なのに……まさか途絶えていた筈の片割れが、今更ここに現れ、儂の邪魔をしてくるとは思わなんだよ」
……な、何を言ってるの?
それがボクになんの関わり合いが?
この死神のような老人の言っている意味が頭に入って来ず、内容もいまいち理解出来ない。
──でも、間違いなく言えることがある。
「どうやら一部見られたようじゃが、一応お主に名乗っておこうかの」
コイツは。
「儂は坎計のカルネージスじゃ。なぁに紛い物とは違い、直系のお主は貴重な素体じゃからの。殺しはせん。その身体と魂、全ての世界樹を崩壊させ星の神核を得る為に、儂が有意義に使わせてもらうぞ。有難く思えよ」
この世界の全ての精霊や人族にとって、不倶戴天の敵だ。
活動報告の方にも書きましたが、地震の影響が響いています。
落ち着き始めていますが、時間が無くて設定とかが作りきれていない部分もあり、次の投稿もちょっとばかり延びるかもしれません。
なるべく取り戻すよう頑張りますので、よろしくお願いいたします。